アルバイト2
生真面目な麻緒は、早速その翌日曜日にそのカフェを覗いてくれた。
麻緒の話によると、そこは二人もバイトで雇う広さでも無ければ、そんなに客入りの多い店でもないとのこと。
それに、楽しそうにバイトとだと言って出掛けたはずなのに、花織はバイト先には行かずに、その隣の花屋で長々と話をしていたり、そこでパートをしている俺や麻緒と同年代くらいの店員と一緒に昼食に出たりしていたらしいのだ。
そして、昼食後は、一人で図書館へと向かったとのこと。
結局、麻緒の話では、その日は花織のバイトは無かったようなのである。
それでも、帰って来た花織はウキウキした態度で俺にほのめかす。
「バイトは楽しかったの?」
そう聞く俺に、
「まあね」
そう言い、ニコッと笑う。
俺は、取り敢えずそれに合わせては見たのだけど・・・。
そのことを翌日麻緒に話すと、それには麻緒も気になったようで、翌々日の花織のバイトが無い日に直接そのバイト先に行ってくれて、そこのオーナーに色々聞いてくれたのである。
その話によると、そこのカフェには男性のバイトは居ないとのこと。それに、周りの店舗やお客さんにも、それらしい男性は見たことが無いとのこと。
オーナー曰く、「花織ちゃんは、今どき珍しく生真面目だから」らしい。
更に、花織が定期的にバイトに来るのは、元々バイトをしていた友達と交代での隔週の日曜日のみらしいのだ。
麻緒はそれについて、
「もしかしたら、私が花織ちゃんに彼氏が出来たら、一番になるって言ったのが原因かもしれない」
そう言うのである。
何の一番かと言うと、僭越ながら他でもない俺にとっての一番と言う意味である。
それを聞いた俺が真っ先に思ったのは、花織は今でも俺や麻緒に対して取っていた行為を引きずったままでいるのだと言う事。俺が思っている以上に花織は後悔しているのだと言う事だ。
それで、休日は俺と麻緒の二人だけの時間を作ろうとしてくれているのだ、俺はそう認識した。
しかし、実際の花織は俺の想像の一歩先のことを考えていたのである。
花織は俺と麻緒が結婚をしない理由が、自分の存在のせいであると思い込んでいた。
それに非を感じた花織は、それを言葉にしてしまうと角を立てると思い、それとなく俺の気持ちが動くようにと促していたようなのである。
でも多分だけど、俺が思うには「今更言葉に出来ないかった」と言うのが本音なのではないかと思う。
しかし、鈍い俺はそれに気付けなかった。
実際、確かに俺は花織のことを考えて結婚を伸ばしていないと言えば嘘になる。
だけどそれについては余りにも自然な流れであって、特に俺自身何とも思ってはいなかったのであった。
それに、麻緒も納得済みのことでもあったし。
もし、その時、俺が花織の意図するところに気づいていれば、いや、後からなら何とでもいえるけど、その花織の意思を尊重していたかもしれない。
そう思うと、悔いが残ってしまう。
花織の心を救えなかったことを・・・。
そしてもう一つ誤算がある。
麻緒が見た、一緒に昼ご飯を食べに行ったと言う、俺や麻緒と同年代くらいの女性。
彼女は、花織の働くカフェの隣にある花屋の店員、しかも女性と言うことで、俺はそれを聞いて安心をしてしまい、その時は流してしまっていた。だけど、実はその女性こそが花織の実の母親、前田有希であったのだ。
花織はその花屋の女性に、俺や麻緒に対して行った行為への後悔を、親しくなった彼女に相談していたのである。実の母親とも知らずに。
その結果、その時の花織の苦しい胸の内を、前田有希は知ってしまったのだ。
(あれ?また俺を呼ぶ声がする。
麻緒?麻緒の声?
麻緒なの?
なぜ、なぜ泣いてるの?
俺の前に居る麻緒は、今、俺と花織のことを話してるのに。
どう言う事だ?
そして、俺は次の自分の行動を知っている。
全ての結果を知っている。
これって、何だ?
じゃあ、今見えてるものは何なんだ?
もしかして、俺は過ぎ去った日々を思い出してるのか?
思い出して・・・。
そうなんだ、俺は過去を巡ってるんだ。
聞こえて来る声が現実なんだ?
俺の意思とは無関係に勝手に過去が巡っているんだ。
でも、見ていることが心地良い。
続きが見たい、その次を振り返りたい。
だから、
麻緒、ちょっと待って。俺はこのまま思い出を振り返り続けたいから・・・。)
時系列的には、花織の働いていることを見つけた前田有希が、偶々募集を掛けていた隣の花屋にパート先を変えたらしい。
何とか花織と親しくなりたい彼女は、隣の花屋で働くようなると、花織がバイトの日は、敢えて毎回お昼になると昼食を取りに花織の働くカフェに行き、積極的に花織に話し掛けたのである。
花織も最初は、年齢が離れていたこともあり距離を置いていたが、次第に話す機会が出来始めると、彼女の好みと自分の好みが合うことや、彼女の香りに懐かしさにを感じることで、妙に気が合うと感じるようになって行ったのである。
そして、それに何処となく自分に似ているとも思い始め出した花織は、冗談交じりに母親ではないかと想像してみたりするようになったのであった。
ただ、彼女の名前が”佐藤奈津”と、母親の前田有希とは全く違っていた。
それで、花織も余計なことを言わない様に、他人であるのだと自分に言い聞かせていたのであった。
そんな思いを抱きながら日々が過ぎて行き、年が明けて冬休みも終えたある日のことである。
バイト先のお昼の休憩時間が偶々重なったことで、花織は彼女と一緒にお昼を過ごすことになったのである。
それ自体は珍しい事ではなく、その時もいつも通りに会話も弾み、楽しい時間が過ぎて行った。
花織は、その時も微かに記憶に残っている母親の雰囲気を彼女に感じ、一度母親の名前で彼女を呼んでみようかな?そんなことを思っていたらしい。
そして、食事も終わり、ご会計の時。
親子ほどの年の差と言うこともあり、いつも一緒に食事をするときは、彼女の奢り。やはりその時も花織が割り勘を主張するも、笑顔で彼女に却下されたのである。
花織は、毎度のことで申し訳ないとは思いながら、別れ際にそのお礼を口にした。
その時である。
「ご馳走様です。いつもすみません。有希さん、今度は私に奢らせて下さいね」
花織の中で、一度彼女を母親の名前で呼んでみたいと言う気持ちが独り歩きをしてしまい、つい口を滑らせて「奈津さん」と言うところを、母親の名前「有希さん」と呼んでしまったのだ。
それに、「あっ、間違えちゃった」と思い、慌てて訂正しようと思った花織。その耳に届いたのが
「いいのよ、そんな気を使わなくても。返って楽しい時間を有難う花織ちゃん」
と言う、快い返事。
佐藤奈津と名乗る女性は何の躊躇いもなく、何の訂正も無く、いつも通りの嬉しそうな声音を花織に返したのである。
そして、その直後、
「えっ?」
と疑問を投げかける花織。それに、
「あっ!」
と自分の過ちに気付いた彼女。
その反応は、花織に対し認めたようなものであった。
自分の名前が佐藤奈津ではなく、前田有希であると。
顔を見合せた二人の間に流れるのは、微妙な空気。
そして・・・。
それからの細かいことは分からないが、休憩時間の終わりも忘れて、花織が彼女を問い詰めた末の激しい喧嘩。というより、花織の一方的にののしり。そして、遂には彼女の頬に手が出てしまったのであった。
それでも彼女は何の反論もせず、その後も胸を叩き続ける花織に、ただ黙ってされるがままだったらしいのだ。
そんなことがあった花織は、その後まもなくそのバイトを止めた。
そのことへの気まずさなのか、母親へ向ける感情からなのか、或いは彼氏が出来たフリをしても、俺と麻緒の関係に進展がないことへの諦めなのか、それは分からない。
でも、原因が何にせよ花織は事実として、そこから大学受験に向けての猛勉強を始めたのである。
その結果が、実を結ばないことを知りつつに。
これから訪れるその日までを、いつも通りの変わらぬ日々で過ごす為に。
それからと言うもの日曜日の行き先は、バイトから図書館へと変わった。
行き先は変わっても、花織は相変わらず「麻緒さんによろしく、楽しんできてね」の言葉を欠かすことは無かった。
この頃から花織は高校を卒業したら、母親の元に行くことを考え始めていたらしい。
当面の住む場所の責任くらいは母親に取ってもらおう。そう考えたらしいのだ。
もちろん、花織がそう考えたのは、麻緒との結婚へ向けて俺の背中を押すためである。
自分が居ては俺と麻緒は結婚しない、そう考えたからだ。
俺も麻緒もその時には既で37歳。それを考えると、自分の高校卒業のタイミングが無難に事が進む最も早いタイミングだ、そう思ったからなのである。
<つづく>




