泳ぎ着いたところは(不審者1)
それから、半月くらいも経っただろうか。
「恭ちゃんはさぁ、最近、可愛い女の子から誘われたりとか、尋ねて来たりとか、なんか、こう、女の子に見られてるなぁって感じることはないの~?」
義理姉が俺にそんなことを聞いて来た。
「あっ、いや、残念ながら・・・」
「そっか、・・・そうなんだ」
その時は、またいつもの浮いた話の一つもないのかって言うおちょくりかと思い、笑って聞き流したのだが、義理姉はちょっと意外だと言う顔を見せたような気がした。
事実、その時の俺は、訪ねて来る女性いなかったし、誘われることもなかった。
俺と麻緒との再会がそれに近かったと言えばそうなんだけど、”見られている”と言う部分には若干該当するのかもしれないけど、義理姉の言わんとしていることに該当する程のことではないはずである。
それに、それはもう半月も前に終わったことでしかない。
なので俺はそう思い、過ぎた話をぶり返したくなくて敢えてその話をすることはしなかった。
そして、それから更に一週間ほど経った、花織の夏休みも終わろうとしていた頃のことである。
俺は2~3日続けて、会社帰りに誰かに付けられているように感じることがあった。
それを俺は気のせいなのかと思い、流してしまったのだけれど、それを感じたのは俺だけではなかった。
「パパ、今日ね学校のプールに行った帰りに、遠くから誰かが花織の後を付いて来てたの。だから、走って逃げて来た」
花織の通う小学校では、夏休みの特定日だけ新設のプールが解放されていた。その帰りのことらしい。
花織は、そう言うところは敏感である。
俺は花織からその話を聞いて、ついに現れたのか!そう思った。
花織に関係する誰かが。
「顔は見た?」
「見てない」
花織は首を横に振る。
「その人は、話し掛けて来たりとかはしなかったんだ?」
「後ろをついて来るだけで何も。かおりが振り返ると隠れるんだけど、スカート穿いてたし、若い女の人ぽかったと思う」
”若い女の人”俺はその言葉に心臓が飛び出るくらいの驚きと恐怖を感じた。
あの離婚届に書かれていた花織の実母、前田有希かもしれない。それが、真っ先に俺の頭を過ったからだ。
もう何時間も経ってはいるけれど、もしかするとまだ近くに居るかもしれない。そう思い、俺は直ぐに外に出てみた。
暫く辺りを見回すもそれらしい人は見つけられない。
そこで俺は思いだした。
もしかすると、先週義理姉の言っていたことは、このことを心配してのことだったのかと。
敢えて取り越し苦労だった場合に余計な心配をさせない様にと、義理姉は俺に配慮してあんな言い方をしたのではと。
俺はその翌日も、駅から家に帰る途中で誰かに後ろから見られているような気がした。なので、それを切っ掛けに俺は、家の所在が分かることを懸念して、その日から帰り路を変えることにした。
やはり、前田有希に関係する誰かなのだろうか?
その疑念に俺の心が騒ぎ出し始めた。何か手を打たなければと。
ただ、その日は花織に対しては何も起こらなかったので、そこには俺も安心だった。
その翌日である。仕事を早めに切り上げ定時で速攻帰った俺は、花織を連れて義理姉のマンションへと向かった。
義理姉が何かを知っている可能性が高い。そう思ったからだ。
あと、それをネタに晩御飯をご馳走になることも、俺の根底で多少あった気がしないでもない。
「この間、亜美さんが言ってたことなんですけど・・・」
「えっ、なんだっけ?」
「いや、ほら、誘われたりとか、尋ねて来たりとか、なんか見られてるなぁって感じることはないの?とか、言ってたじゃないですか」
「ああ~、あれね」
その対応に、なんだか拍子抜けする俺。
「それで、ここ2,3日なんですけど、誰かから見られてる気がしてと言うか、後を付けられていたような気がして。
それに花織も一度だけなんですけど後を付けられたみたいで」
「花織ちゃんが?!」
少しだけ驚く義理姉。
「ええ、若い女性に付けられたみたいなんです」
「えっ、ああ、若い女性ね。若い女性だったら大丈夫なんじゃないの?」
義理姉にしては、花織のことなのに珍しく楽観的だ。
「”若い女性だったら”って、どういう事ですか?」
「いやいや勘なんだけどさ、ほら、私の勘って結構あたるでしょ。前日の天気予報くらい・・・」
空を見上げるように、天井を見上げる義理姉。
「・・・多分、若い女性だったら大丈夫よ。
ほら、花織は足も速いし、すばしっこいし。それに結構強いし!ねえ、花織ちゃん」
花織も強そうなポーズをとって、調子に乗ってそれに頷く。
「相手だって足が速くて、強いかもしれないですよ」
「ああ、そういう可能性もあるちゃぁ、あるかぁ。
でもまあ、今回は数日様子を見ましょうよ。
多分、大丈夫な気がする。私の勘がそう言ってる」
義理姉は、胸を張ってそう言って来た。
その後、花織がトイレに行ってる間に、俺は義理姉に俺の懸念を正直に伝えて見た。
「亜美さんの言ってることさっぱりわからないんですけど。もし、それがあの前田有希だったらどうします?」
「ああ、あの花織を捨てた奴ね。
でも、もしその後を付けて来たのが前田何とかさんだったとしたら、いきなり花織を連れて行くような荒いことをするとは思えないのよ。
あそこまで手の込んだやり方までして、恭ちゃんのところに花織を捨ててったわけでしょ。彼女だったら、そんな短絡的なことはしないはね。
まあ、その話は後にしましょ」
そこまで言うと、
「花織、食べるよ~!」
トイレから戻って来る足音に、義理姉が叫んだ。
「さあ、食べてよ。今日はご馳走だからさ」
それに花織は慌てて席に着く。義理姉はそんな花織を嬉しそうに見ている。
俺が思うほど二人は気にしていないようである。
よく分からないけど、義理姉は大丈夫だと言った。
俺はそれ以上突っ込むことが出来ず、俺と花織はいつも以上のご馳走とお赤飯をいただくことにした。
「なぜ、お赤飯か?」と俺が聞くと。「赤いから」って一言で返されてしまった。
花織がトイレに行かなかったこともあるけど、その後、その話をすることは無かった。
そして、それから間もなくのこと、花織も明日から二学期が始まると言う日のことである。
その日の花織は、夏休み最後の一日を例の義理姉の後輩の子、歩ちゃん一家と海で過ごしていた。
その時の俺はと言うと、意外にも俺が一緒に誘われなかったことに少し不満を持ちながらも、ビールを片手に久しぶりの土曜の休日をゆるりと楽しんでいた。
一日をのんびり過ごしていると一人暮らしの感覚が蘇り、だらけた時間も偶には良いかな?なんて、そんなことを思っていたと思う。
そして、そんな休日と言うのはあっという間に過ぎて行くもので、時間は間もなく花織が帰って来る頃となっていた。
そんな時である。珍しく我が家のドアホンが鳴ったのだった。
その音に、俺は寛ぎを邪魔されて面倒だなぁ~何て思いながらも、重い体で立ち上がり、ドアホンのモニタを覗いた。
我が”マンション”と言っても、アパートに近いその古い建物は、入り口にオートロックなんて洒落た機能は付いていない。我が家の玄関までは、誰でもフリーに入って来ることが可能である。
モニタで見ると、ドアの向こうには女性らしき人が立っていた。
その立ち位置が悪く顔が見ることは出来ないが、ただ、年配ではなさそであった。
そんなことで、スケベ心が働いてしまったのか、俺は顔が見たくなったてドアホン越しでは何も話さずに、ドアを開けることにした。
多分、それはビールのアルコール分の影響?であったと思いたい。
それでも、もし花織がいたら間違いなくドアホン越しで話をしていたことと思う。過去の実績から言っても、それは間違いない事実である。
でも、今は俺一人。
一児のパパも男である。
「はい、何方ですか?」
そう言いながら俺は徐にドアを開けた。
陽はもう直ぐ沈もうとしていた。半分開いたドアからその強い西日が差し込んで来た。
その光が俺の目を襲って来て、俺はそれを避けようと反射的に俯いていた。
この春引っ越したこの古い賃貸マンションの玄関は西向き。
それは、陽当たりの問題だけではなく、南向き玄関は花織と出会った時のイメージがトラウマになっていて、とても住む気にはなれなかった。
古くてもこのマンションに引っ越すことを決めたのは、玄関の向きが一番の決め手であった。
俺は顔を顰めて直ぐに下を向いてしまったので、その女性の顔を直ぐには見ることが出来なかった。
その女性も、俺を見ても何も言わずに黙って立っているだけであった。
でも俺は、それだけで何かを感じ取った。特別なことが起こりそうな、そんな予感のようなものを。
目が馴染むのにつれ、俺はその女性の足もとから上へと視線を徐に上げて行った。
ひざ丈より少し短いスカートだった。
そこから見える脚が奇麗だった。
俺は、若い女性だと認識をした。
細いウエストから胸に掛けてのそのシルエットが奇麗だった。
身長はヒールを穿いていたけれども、それを含めても俺より少し背は低いと思った。
微風にその女性の香りが漂い俺の鼻腔へ流れこんだ。
俺の記憶へと流れ込んだ。
そして、俺はその訪問者が誰であるのかを探し出した。
本当は心では直ぐに感じていた。認識していた。
だけど頭では信じられなかった。
なんで、ここに?
どうやって此処を知ったの?
まさか、居るはずが・・・ない。
視線は胸から肩、そして首元へと。
でも、そこから直ぐに視線を上げられず、一旦目を閉た。
もし、外れていたらと思うと、それが怖かった。
俺は更に視線の位置を上げ、そして徐に瞼を開いた。
そこに居ることを願いながら・・・。
強い西陽を背にして立っていた。
彼女が立っていた。
目を細めて、呆然とする俺の前に
真剣な表情を俺に向けていた。
あの日と同じ汗びっしょりで・・・。
<つづく>




