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走馬灯が止まる前に  作者: 北郷
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泳ぎ着いたところは(水泳教室2)

 そして水泳教室の最後の日がやって来る。

 結局その日、俺は休日出勤をしなくて済むようになり、花織をスポーツクラブに送ると、一旦帰らずにそのまま残って花織の泳ぐ姿を眺めることにした。


 二階のガラス越しに花織の泳ぐ姿を見ていると、俺はたちまちその成長に感動。この3年間のことを思い出したりもして、誰もいないことをいいことに目を潤ませるてしまう。

 ずいぶん大きくなったな。あの細くて小さかった子が。なんて・・・。


 俺は花織の泳ぐ姿をずっと追って、応援していた。

 25メートルを何とか泳ぎ切った時には、感無量な気分に浸って、口には表せない喜びを噛み締めていた。

 そんな気分が、俺に近づいて来る足音を消してしまっていたのだと思う。

 気付いた時には、おそらくは数メートル後ろまで来ていたのだと思う。


「あれ、誰か俺に用でもあるのかな?

 こんなところで」

 そう思いながらも、俺は花織から目を離せないでいた。


 そんな俺に、更にその足音は近づいて来た。

 やはり、俺に用があるとしか思えない。

 俺の意識は無意識にそちらへと以降していく。

 ゆっくりで静かな、そして、優しい足音に。


 なのに、俺の心臓は慌てだす。

 鼓動が早まって行く。

 危険や恐怖ではなく、その反対の何かだと感じているのに。


 芳香が俺の鼻に届いた。

 その香りに俺は漠然と懐かしさを感じた。

 少し擦り気味の足音、それに、この俺の好きな香り。

 振り向こうとする俺の心の中では、たったそれだけなのに確信があった。

 それが誰であるのかを。


 それと同時に、俺は振り向かなくても良い言い訳を探し始めていた。自分自身に対して。

 それは、彼女の気持ちが想像出来なかったから。

 あんな別れ方になってしまった彼女に、取るべき行動が分からなかったから。

 俺に向ける三年振りの彼女の表情への不安があったから。

 色んな不安が交差して・・・だから、俺は気づかない振りをすることを選択していた。

 

 足音は、間もなく俺の直ぐ後ろで止まった。

 言い訳はまだ見つからない。

 それでも俺は、振り向けなかった。

 速まる心臓の鼓動が頭まで響くのを感じるだけで。


 俺は成り行きを待っていた。

 それしか出来ないでいた。


 その成り行きが、声となって表れた。

 驚くぐらい直ぐ後ろから。間違いなく俺に向けての声として。

 

 それは、想像通りの聞きなれた声であった。少し前にはなるけれど変わらぬ声であった。

 本心では、ワクワクするような何かを感じて、直ぐにでも振り向きたかった。

 でも、やはり俺は振り向けなかった。咄嗟に目を瞑っていた。

 考えることを止めていた。

 考えても、自分の取るべき行動を捜せないから。全ては俺の弱い心のせいなのだけど・・・。


「恭ちゃん」

 もう一度声が耳に届いた。

 もう聞くことも無いと思っていた声が俺の胸に沁み込んで行く。

 呼ばれたことが嬉しい。

 傍にいることが嬉しい。


 その気持ちが俺の否定的な心に勝ったのだろう、気が付くと俺は立ち上がっていた。

 もう振り向かない訳には行かない。

 そんな俺を義務感が後押ししてくれた。

 俺は、それでやっと振り向くことが出来た。

 張り裂けそうな鼓動を感じながら。


 そこには、もちろん立っていた。

 俺の一番会いたかった人が。

 麻緒が。


 俺の予想通りに。

 少し大人になった麻緒が。


 そして、麻緒は子供を連れていた。

 俺の予想外に


 俺は瞬時に努めて驚かないように自分に言い聞かせた。

 勤めて平静を装った。

 ガッカリした表情を悟られないように。


 麻緒は笑顔を見せてくれた。

 その笑顔には憂いが含んでいたような気もしたけれど、俺はその表情が笑顔であったことにはホッとした。

  

「久しぶり、元気だった?」

 言葉が震えないように気を付けた俺から出て来た言葉は、たったそれだけ。

 麻緒は以前より少し痩せたように見えた。だから、そんな言葉が、俺から咄嗟に出たのだと思う。


「うん、多分元気」

「良かった」 

 多分の意味を考えることもせずに、ただ、元気と言ってくれた言葉だけを好意的に俺は捉えようとしていた。


 そんな他愛もない挨拶の後、麻緒はプールの方に視線を向けた。


「あの時の女の子?」

 そう、俺に聞いて来た。

 麻緒は3年も成長した花織を認識していた。ドタバタの中、たった一度看病しただけの花織のことを。


「うん、そう」

「大きくなったね。良かった、元気そうで」


「元気過ぎるくらいだけど」

「そうなの・・・良い事じゃない」

 麻緒の笑顔は本心であると感じた。やはり、彼女は優しいのだと思えて、俺は嬉しかった。


「色々あったね。今でも思い出すのあの時のこと」

「えっ、あの時って?」

「ほら、一度恭ちゃんと・・・・・・」

 一瞬ドキッととたけれど、それは、あの別れになった時のことでは無くて、沢山ある思い出の中の一つであった。


 俺たちは、少しの間、別れたその日のことはお互いに避けて、そんな昔話をしていた。

 そんな中、俺のスマホのバイブ機能が作動した。着信であった。

 それに少し遅れて、


「昨日、おくさ・・・」

 麻緒が何か言いかけた。だが、俺は丁度そのタイミングで


「あっ、ごめん」

 俺は、咄嗟に麻緒の言葉を遮っていた。着信を確認することを優先していた。

 遮ってしまったことに後悔したが、何故か俺は動き始めていた自分の行動を変えることが出来なかった。

 何のプライドか分からないまま、俺はスマホの画面を確認していた。


 その電話の相手は、何のことは無い高校の時からの友人であった。俺の数少ない友人の一人。

 その彼からの電話に出ることと、麻緒との話のどちらを優先させるか。その時の俺には、もちろんどちらも可能であった。

 彼の電話が至急出る可能性は低い。恐らくはサッカーの試合を見に行くとか、飲みに行くとかの誘い程度のことなのだろうから、数分後に折り返しても何の問題がないはずである。

 それなのに俺は電話を取り、麻緒に向かい空いてる手でゴメンと表した。何故かその場を後にしてしまっていた。


 そんな俺を、麻緒は呆然と見送っていた。

 何かを俺に話したそうにしながら、一歩踏み出した脚を元へと戻して。


 俺は、それを見て心に刺さるモノを感じていた。なのに、何故か自然な流れに逆らうことが出来なかった。

 本心とは裏腹に何かに導かれてしまっていた。そんな感じだった。


 結局、俺はそれだけのことで3年振りの再会をあっさりと終わらせてしまっていた。喜びと、安心と、失望を一つずつを増やして。


 その後、その日は麻緒と会うことはなかった。会おうと思えば簡単に会えたかもしれない。

 なのに俺は敢えてその後も逃げるような行動をとってしまっていた。

 それは、もしかしたら俺の中で引きずっていた、未練を悟られたくなかったからかもしれない。

 もしかしたら俺はカッコつけて、”もう過去のこと”と思っているように見せたかったからなのかもしれない。

 多分、そんなつまらない事だと思う。

 俺にはそんなつまらないプライドがあって、自信の行動を邪魔することが多々ある。


 結局、俺は麻緒と一緒にいた子供のことは何も聞かずじまいとなってしまった。それ以前に、俺はその子の顔すらも殆ど見てはいなかった。

 もちろん、こちらの事情も何も言わず仕舞い。

 過ぎた今となっては、もう話さない方が良いような気もしていた。理屈ではなく、直感的にだけど。


 家に帰り一人になった時、俺はそれが正しかったのだと思った。

 そう思うように気持ちを整理した。

 未練がましいことは心を騒がすだけでしかないからだ。

 結論は決まっているのだから。

 

 だから、その後そのことはそれで終わらせようと、誰にも話すことは無かった。

 もう、戻せないことなのだから。


<つづく>

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