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走馬灯が止まる前に  作者: 北郷
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バス遠足(反撃開始1)

「もう、いい。花織行こう…」

 そう言って俺は、左手に取り戻したお弁当箱を持ち、右手で花織の手を引き踵を返した。

 もう、後先のことは考えていなかった。お弁当を花織と食べれれば良い、俺はそれだけを思っていた。


 俺は脱力感に襲われながら、汚れた花織を引き寄せ歩き出そうとした。二人っきりになれる場所を探すために。

 その時である。

 お弁当を持つ俺の左手が誰かに叩かれたのだ。


 俺は迂闊にも、さほど力を入れてうさぴーのお弁当箱を持っていなかった。そのせいで、俺が持っていたお弁当箱は、簡単に手から零れ落ちてしまった。


「あっ!」

 俺は声を上げ、咄嗟に掴み直そうとするが、間に合わない。


 落下したお弁当箱が地面に落ち、その拍子に蓋を開けてしまう。

 俺の力作が中から零れ落ちる。

 そして、それを地面に置き去りにして、空になったお弁当箱だけが更に転がり続け、花織の足元に止まる。

 

 昨日の雨で濡れた地面。その上に落ちたお弁当。

 中から零れ出た手作りの動物キャラ達。それらは、もう泥にまみれてもはや原型は留めてはいない。

 俺が楽しみにしていた一瞬も、花織が未だ見ずに楽しみにしていた”し~し”の力作も、もう見ることは出来ない。


 花織は呆然と立ち尽くしていた。口はぽっかりと開いて、顔からは表情が消えていた。

 俺は動けなかった。金縛りにでもあったかのように動けないでいた。

 何の言葉も掛けられずにいた。ただ、時だけが過ぎて行く感じだった。

  

 多分、それは時間にして数秒だったのだろうと思う。

 その長い数秒の後、俺よりも先に花織が動き出した。

 静かに零れ落ちたお弁当に近づき、小さな体を更に小さく屈め、そして、地面に伏せたままのお弁当をジッと見つめだした。


 ここまで、花織は泣いてはいなかった。何度転んでも泣かなかった。

 目に溜めた水滴を大きな目に貯めたまま堪えていた。

 でも、そのお弁当の欠片を小さな手で拾い上げ、元には戻らないことが分かった途端、目に貯めていた涙が一気に溢れ落ちた。

 そして、声を上げて泣いた。

 

 俺は花織と一緒に暮らしだして、初めて花織が声を出して泣く姿を見た。

 花織の泣き声がこんなに大きいと初めて知った。

 捨てられて、一人になって、他人に縋るしかなくて、それでも布団の中で声を押し殺して泣くだけだった花織が、初めて大きな声で泣きだした。


 それに俺の感情が動きだした。そして、それが一気に溢れ出した。

 俺は踵を返した。

 もう、分かっているその原因を確認するために。


 そこには想像通りの女がいる。

 サングラスを額に乗せた女がいる。

 涙でくもった目でも容易に確認できる薄気味悪い女だ。

 こいつが、俺の手を払ったのだ。

 こいつが、我慢強い花織を泣かせたのだ。


 花織は泣きながら零れたお弁当を拾い始めている。

 もう元には戻るはずの無いお弁当を、お気に入りのうさぴーのお弁当箱に一所懸命に戻している。


 その小さな背中を見て俺は初めて知った。

 心が張り裂ける感覚を。

 本当の怒りを知った。


 俺は、体の中に溜まった不満を吐き出さずには居られなくなっていた。

 痛すぎる心は、俺に利き手の拳を握らせていた。


「何すんだよ、このババア!」

 俺は涙を拭わずに叫んでいた。

 でも、叫ぶだけではその気持ちは納まらない。


 周囲は未だ静まったまま。

 トンボも自分の仕出かしたことを認識したのか、たじろいだまま何の言葉も発せずにいる。


 次に俺に出来る表現は、握った拳を振り上げることだった。

 ただ溢れ出る感情に任せて、その行き先も決めないままに。


 俺は拳を振り上げた。

 それでも、ヘタレの俺にはどんなに取り乱しても人など殴れる訳が無い。

 俺が握った拳は、その時視界に入った隣のベンチへと向かっていた。ベンチの上にあるトンボのバッグへと。


 トンボがテーブルに広げたのは、俺から奪ったものだけだ。だったらバッグには、まだテーブルに並べる前のトンボのお弁当が入っているはずなのだ。

 俺は瞬時にそう想像していた。


 俺は、俺の行動を見守るだけしか出来ないトンボとその仲間を掻き分け、あっさりとそのバッグのあるベンチの前にたどり着いた。

 そして、溢れ出る怒りのやり場をそのバッグの膨らんだ部分、トンボの持って来たであろうお弁当にぶつけようとした。


 それは、子供染みた仕返しで笑われるかもしれない。

 意味がないとバカにされるかもしれない。

 でも、幼稚園の出発前から、俺だけじゃなく花織にまで向けられた誹謗中傷。嫌がらせ。それに、この強奪。

 それらも相まって、もう俺は何処かにぶつけずにはいられなかった。


 多分、その時俺は、無意識に目を瞑っていたと思う。

 耳から入る全ての外音も脳の何処かで遮断していたのだと思う。

 俺の心は無音の暗闇の中に居たのかもしれない。

 その瞬間は目的一つ以外のことを、俺の中では受け付けていなかった。


 だから俺は、何の躊躇いもなく目標めがけて無我夢中で拳を振り下ろした。

 バッグの下は、頑丈な木製のベンチ。でも、その時の俺には、後先なんて考えられなかった。


 それで少しは気が晴れるはずだった。

 それで俺と同じ苦しさを味合わせることが出来るはずだった。

 それで、何も好転はしなくても。


 なのに、何故か拳は空を切った。

 というより、空すらも切らなかった。

 恐らくは僅か数センチしか進んでいなかったと思う。

 俺は、確かに渾身の力を込めて振り下ろしたはずだった、なのに。


 誰かが俺を止めたのだ。

 俺の手首を凄い力で掴んでいたのだ。

 でも、目的を妨げるその手に俺は不快を感じなかった。むしろ、助けられた気分だった。


 不可思議な気持ち。

 安心した気持ち。

 俺はそれが謎で、知りたくて、俺は目を見開いた。

 振り上げた拳が目的に届かなかった原因を確認する為に。


 眩しい光を感じた。

 高原の風を感じられた。

 今日は天気が良かったんだ。

 何故かこんな時に、そんな呑気なことが脳裏を過った。


 俺は振り返った。振り返ったと同時に、無音であった世界が音を取り戻していた。

 そして、誰かが俺を呼んでいることに気が付いた。


「恭ちゃん」

 恐らく全力疾走してきたのだろう、義理姉の呼吸は凄く荒かった。目が潤んでいた。


「亜美さ・・・ん?」

 俺の心は冬山に遭難したところを救助されたような、そんな気持ちであった。

 遭難どころか冬山に行ったことも無いけど、四方を塞がれた寒さと孤独から救われたような、そんな安心感に包まれていた。


「遅くなってごめんね」

「・・・」


 俺は、何故義理姉がここにいるのか、あまりにも突然で思考が状況に追いつかなくて、恐らく呆けた顔をしていたと思う。義理姉はそんな俺に


「恭ちゃん、頑張ったね」

 全てを知っている目で労ってくれた。


「えっ、(何で)?」

 俺には疑問の言葉しか出て来ない。


「後は任せて・・・」

 義理姉は手詰まりな俺に、目元に僅かの涙を浮かべて微笑んくれた。


「うん」

 俺は、訳も分からず頷いた。


 後で考えると、俺がトンボのお弁当が入っているだろうバッグに近づくのを誰も止めようとしなかったのは、きっと後ろから猛然と走って来る義理姉の姿があったからなのだろう。そう思えてしまう。


「かおり、おいで」

 義理姉は俺に優しい言葉を掛けると踵を返して、未だ零れたお弁当を拾い集めお弁当箱に戻している花織を呼び寄せた。

 俺に対してと比べると、その声はちょっと厳しくも聞こえる、そんな声だった。


<つづく>


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