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走馬灯が止まる前に  作者: 北郷
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バス遠足(ボスママの洗礼3)

 既に周りとそれなりの交友関係を持つことは諦めていた俺は、花織の気持ちだけを守り切ればいいんだ。そう思うことにしていた。

 俺は白いウサギたちをウサギ小屋に戻すと、花織の肩を抱いた。そして花織を見た。

 でも、よく見ると花織はこの状況に気づいていないのか、気にならないのか、俺の手を握り嬉しそうにアヘアへと窓の外を見ている。

 さっきのトンボの砲弾のショックも、既に忘れてしまっているように思える。


 やっぱり花織は大物なのかもしれない。いや、花織が今までに受けたショックから比べると、この程度のことは大したことではないのかもしれない。

 だとしたら、俺が甘ちゃんってことになる。

 俺は唇を噛んだ。なにか、自分の弱さが悔しくて仕方なく思えてしまっていた。


 それでも、そんな状態でも確実に時は進む。バスは、その間も目的地に向かって走り進んではいる。


 それから少し経つと、誹謗中傷の言葉を出し尽くしたのだろうか、いつの間にか周囲は静かになっていた。

 前方ではバスガイドさんの挨拶が始まった。それに応える子供達並びに、保護者達。

 バスガイドさんの掴みの話が終わると、先生からの説明が続く。皆それに耳を傾けている。


 バスは出発してまだ10分も走っていないが、この調子ならこの先誹謗中傷があっても聞こえないフリで逃げ切れそうな気もする。


 帰りは先生に断て、バスで帰るのは止めればいい・・・。

 そんなことを考えながら、俺はこの後何事も無いことを祈っていた。


 多分、子供の頃の俺は、それ程恵まれた方では無かったと思う。

 ものごころが付いた時には既に父子家庭であったし、その後、親父の再婚で家族というものを実感したけれど、それも5年で終わってしまった。


 それでも、俺は実の父や義理の兄に守られて来たし、僅かな時ではあったが新しい母には、忘れ得ない暖かさを与えても貰った。

 数や時間で行けば圧倒的に幸せは少なかったと思う、でも、量で考えると不幸よりも幸せをもらい受けた方が勝っていたと断言できる。

 だから、こんな心の弱い俺でも、それなりの安定した精神でここまで生きてこれたのだし、人並みの生活が送れているのだと思う。


 きっと、この時の花織に比べれば、まだ俺なんかは恵まれた人生であったに違いないはずなのだ。

 まだ5歳になったばかりの花織は、物心がついてまだ僅かな年月しか経っていない。だから、不幸であったとしてもその年月はたかがしれている。

 だけど、それだけにほぼ全てが不幸であった可能性も高くなる。

 不幸であることがあたかも当たり前のようになっているのかもしれない。


 一体、花織にとって俺と出会う前の記憶には、どれだけの喜びがあったのだろうか?

 記憶に温もりと言えるものは、どれだけあったのだろうか?

 もしかすると、花織は俺なんかが想像もつかない経験をして来ているのかもしれないのだ。

 なのに、花織が実の母親に対して悪い感情を持っていないように思える。


 もし、その感情が比較する術を知らない子供が持つ、単なる親への依存であったとしても、一体、俺との生活と比べて、どれだけの違いがあると言えるだろうか?

 所詮、選択の余地のない赤の他人との生活とも言えてしまう。

 花織の笑顔だって、俺に捨てられまいと言う本能からだけなのかもしれないのだ。


 花織は、この親子バス遠足の出鼻から、世間から様々な洗礼を浴びることとなってしまった。それは、疑う余地なく俺の不甲斐なさが原因である。

 幾ら5歳になったばかりとはいえ、何も気づいていない訳もないし、何も感じていない訳がない。

 なのに、そのことで花織の表情が曇ったのはほんの一瞬だけで、直ぐに平静を取り戻してしまっていた。


 花織との生活が始まってから3カ月と言う期間で、俺は花織の何を知ることが出来たのだろうか?

 何が出来たのだろうか?

 そう、思わざるを得なかった。


 後ろから、座席の背もたれを何度も蹴られ、遠足の歌を歌えば声の大きな花織に向かって耳を塞がれる。伝言ゲームでは飛ばされて参加すら出来なかった。

 俺はすっかり舐められていた。

 気の小さな若僧には何もできやしないと、見抜かれていた。

 俺は情けないだけの存在でしかなかった。


 それでも、花織は何も抗う術も持たない無能な俺に対して、楽しそうに振る舞っていた。

 あたかも俺を励ましているかの様に。

 そんな花織に、俺は心が痛むだけのただの無能、心を痛めることしか出来ない無能な急造パパでしかなかった。


 その時の花織にとっての俺は、花織を捨てた母親と少しも変わらない存在であったのかもしれない。


 過ぎてしまっては、そんな自分を責めすことしか出来はしない。

 過去はもう結果なのだから・・・。

 

 バスは現地に到着。前方の席から順次バスを降りて行く。

 俺は後方から2番目の席。そのまま流されると、俺と花織はトンボ達グループに挟まれてバスを降りることになってしまう。

 すっかり気弱になっていた俺はそれだけは避けたかった。


 俺は敢えて荷物を整理するフリをして、トンボたちの冷ややかな視線を浴びながらも時間を掛けて、最後にバスを降りようとしていた。

 それは、何組かの親子も俺たちの様にゆっくりと降りようとしていたので、さほど不自然な行動ではないようにも思えた。

 でも、きっとトンボ達には俺の弱い心は、見抜かれていたと思う。


 バスの中から駐車場を見ると、別途先に到着していた家族との再会で大げさな賑わいを見せている。

 その殆どが、幼稚園前で別れたばかりの、たかが一時間未満ぶりのご対面だ。


 その賑わいの中から、先に降りたトンボを探し見ると、額に掛けていたサングラスを掛け直し、やたらとキョロキョロと辺りを見回している。それも、バスの中までとは違いオドオドして見えるくらいに。

 きっとトンボ親子も別途行動している誰かとここで待ち合わせをしているのだろう、俺はそう思った。

 

 案の定、間もなくトンボの背後から近づき、背中に手を当てトンボに声を掛ける者が現れた。少し細身で中背の男性である。

 一瞬、それに驚いた様子のトンボであったが、踵を返すと笑顔を見せると安心したように話し始めた。そして、子供を真ん中に挟み、園内を進み始める。


 きっと、その男性がトンボの旦那なのだろう。俺はそう思った。

 旦那に寄り添うトンボの姿を見ていると、あんなトンボでも旦那の主導で上手くやって行けるんだ、そう思えてしまう。

 旦那の横に立ったトンボが、周りの家庭となんら変わらない母親に俺には見えたのだ。


 ただ、トンボは探し人が見つかったにも関わらず、何故か相変わらずそわそわして、時々辺りを見回しているようにも見えた。

 俺はそれが少し気になっていた。


 その間、俺はバスの中で担任の先生と無駄話をしながら、そんな彼女の様子をバスの窓からチラ見していた。

 もちろん、これは自然な流れで”彼女達”と距離を置くためでしかない。


 その”彼女達”の他のメンツはと言うと、残り3組の内2組は既に俺の視界から消えていた。

 残りのもう一組で俺の右隣の席に座っていた親子は、娘の祖母らしき人物と待合せていたようで、その待ち人が見つかると駆け出す娘と共に直ぐにその場を離れて行った。

 どうやら彼女達は、ここでは同一行動を取らないらしい。


 俺はそれに一安心。それでも、この後極力トンボ達の視界には入らない様にと、その一組が視界から消えるのを確認してから、俺はバスを降りて園内へと進み始めた。気分は相変わらず重いままだった。 


 緑ヶ丘動物公園は緩やかな丘に広がっており、入園口から奥に向かって緩やかな上り坂となっている。

 入って直ぐの所には案内所、売店、お土産屋さん等の建物が数件あり、その前を通る遊歩道は、園内を周回出来るようになっている。

 広い敷地には多種な動物が飼育されており、動物によっては一般客が出入り出来る簡単な柵の中で、放牧の様に飼育されているものもある。


 斜面の頂上には園内を一望できる高さ30メートル程度の塔が建っており、その塔の真下から入園口の方に向かう斜面には、広大な芝生が広がっている。

 バスの中で受けた説明によると、午前は頂上の塔までを遊歩道に沿ってそれぞれが自由に回る。

 そして、お昼にはその塔の下の広場で昼食を取り、その後、全体でのゲーム等を行い、現地を離れるのは午後3時となっている。


 2台のバスに分乗した総勢約80名強の親子に現地参加組を加えると、100名は有に超える大所帯。

 その団体がぞろぞろと連なり、先に降りた親子から、遊歩道を登って行く。

 俺と花織は、その最後方を進んで行った。


 花織の元気に釣られて、俺も気落ちしていた心に鞭を入れる。もう周りは気にせずに、花織と二人の世界を楽しもうと。

 それには、まずは無意味に速まる心臓の鼓動は制御しなければ気分も好転しない。俺は自分に強くそう言い聞かせた。


 俺の落ち込みが、花織にとっての大きなデメリットになることだけは避けたかったし・・・。


<つづく>

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