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走馬灯が止まる前に  作者: 北郷
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パパですか?

彼女に振られて家に帰ると、ドアの前に幼い女の子。女の子は、自分に「パパですか」と問う。彼には全く身に覚えがない。


 それは、7月のとある猛暑の日から始まる。

 その日の俺は10年振りの猛暑も何のその、早寝早起き快食快便、一日一善、その他諸々雨あられ。

 気分だって至って爽快。暑さなんて全く気にならないくらいの高揚と興奮をお腹いっぱいに詰め込んだ、今にも爆走しそうなそんな状態であった。


 きっと、その時の体中からの発汗は、搾りたてのレモンにも劣らない爽やかな酸味だったに違いない。

 何せあの時の俺は、絶対に成功する確信のあった人生で最大と言えるイベントに向けて、密かにある私的な”一大プロジェクト”を計画していたのだから・・・。



 当時、大学を卒業して入社2年目であるにも関わらず、俺は不運にも厄介な社内プロジェクトに抜擢されてしまい、挙句、3カ月と言う初の長期出張と言う任務を任されることになってしまっていた。


 実のところは、単に直属の上司の体調不良が原因なのだけれど、しかし代打と言っても期待の新人であることには変わりはなかった。

 なので、その期待に応えるべく俺は昼夜を問わず職務に励み続け、そしてその結果、二週間の前倒しと言う進捗状況になっていたのである。


 もちろん、その社内プロジェクトは俺一人ではないので、客観的に見ると単に足を引っ張らなかったに過ぎないとも言える。だが、生まれ持ってのお調子者の俺は、すっかり上昇気分の気流にマウント状態。挙句、公私混同までしてしまい、私的な部分まで絶好調と勘違いしていた。

 そんな調子に乗った俺は、ある私的な一大プロジェクトを計画してしまう。それも、出張から戻れるであろう最短の日程で。

 それは人生最大のイベントへと言っても過言ではない、もちろん”あれ”への布石である。

 俺は計画日に合わせ更に仕事に励んだ。既に、当時の彼女と待ち合わせの約束もしてしまった以上、延期はあり得なかった。


 その甲斐あり、何とかその日を翌日に控え、俺は再び一人住まいの我が城、スペシャル1DKに戻ることが出来、出張からは早めに戻れた俺は、体も休め、万全の態勢でその当日を迎えることに。


 そして、いよいよ待ちに待った彼女との二月半ぶりとなる待合せ、俺にとっての一大プロジェクトの開始である。

 お互いが休日と言うことで昼前に待ち合わせをして、一緒に昼飯を食べ、その後は特にどこに行くと言う約束もしてないので、いつも通り終日彼女とまったりと過ごし、夜には俺のアパートに戻って、成り行きの一夜ということになるはずである。


 簡単に言えばこれがプロジェクトの全容で、いつも通りのデートと何ら変わりはない。 

 しかし、この中で一点だけいつもと大きく違うことが起こるのである。

 それは、人生を変えるプロジェクトの”核心”となる行為を、俺がこの何処かのタイミングで実行する!ことである。



 俺にとっては寂しくもあったが、今回の長期出張は彼女の存在の大きさを再確認させてくれた、俺に自信と勇気を与えてくれた、そんな機会となっていた。

 だからこそ俺は、この一大プロジェクトを決心出来たのだと思う。単に調子に乗って思いついただけでは無いことだけは、付け加えておきたい。


 いやいやだった長期出張がこんな結果を生み出すなんて「人生ホントに分からないものだ」その時の俺は、これから訪れる結果も知らずに意気揚々とそう思っていた。


 俺はこの出張中は彼女と全く会うことが出来なかった。それは、忙しさを理由に彼女を蔑ろにした訳では無い。

 仕事上、連休が取りにくかったことに加え、国内出張とは言え遠方であるにも関わらず日帰りが難しかったこと。それと、1日でも早く長期出張を終わらせたかったからである。

 それでも、メールは1日に何度もやり取りをしていたし、電話はだって毎日のようにしてはいたから、出張中に心が離れたことはなかったと俺は確信していた。


 彼女と付き合い初めてからはもう2年を過ぎていたが、今回の長期出張を除けば一週間以上合わなかったことなど一度もなかったし、喧嘩だって口喧嘩とも言えない程度の内にお互いに雰囲気を察知して、軌道修正出来るほどに相性は抜群であった。 

 更に、お互いインドア派と言うことで、趣味は多少違ってはいたが行動域はほぼ同じ。敢えて付け加えれば、嫌いな食べ物までほぼ一緒であったのだ。


 だから、この先、俺にとって彼女以上の存在が現れるとはとっても思えなかったし、彼女っだってそう思ってくれているのだろう、そう思っていた。

 もちろん多少の不安と緊張はあったが、俺はこの一大プロジェクトが失敗するなんてことは、微塵も有りはしないとタカを括っていたのである。


 そんな自信は俺の心を早らせてしまい、俺の行動をせっかちにさせてしまっていた。

 いつもであれば待ち合わせ時間に合わせて家を出るのだが、その日は待ち合わせ時間よりも20分以上も早く着くであろう時間に家を出てしまってい、更にそれにも関わらず足早にまでなる始末。

 その為、待ち合わせ場所のある駅前には、なんと30分近くも前に待ち合わせ場所に到着してしまっていた。


 電車を降りると、まず俺は普段バックを持ち歩かないセカンドバックの中を確認。そこには、プロジェクトの”核心”に必要な”あるモノ”が入っている。

 家を出てからもう五度目の確認である。


「大丈夫だ、入っている」

 俺は安心して、待ち合わせ場所に向かった。

 待ち合わせは、駅前の地下街へ降りる階段。どちらから言い出した分けでもなく、その階段の上から10段目が定位置となっていた。

 そこは、晴れの日は必ず日陰となり、雨の日はそこまでは雨が入って来ないと言う絶妙な位置である。


 彼女が待ち合わせ場所に現れるのは、いつも通りであれば決まって待ち合わせ時間の5分前。だから、その日の俺は25分以上彼女を待つことになる。

 でも、俺に取ってそれは好都合であった。

 自信があったとは言え、心の準備は必要であったのだ。


  俺は地下街に降りる階段の入り口まで行き、上から階下を見下ろした。

 時間的には、彼女はまだ来てないはずである。それに、この場所で待ち合わせをする人は少ないので、昼前の今であれば立ち止まっている人は誰も居ないはずである。

 俺はそんなイメージを想像して見下ろしていた。

 しかし、そこには一目で目を惹く女性が一人立っていたのである。

 水色の膝丈のワンピースに白のベルト、それに白いパンプス。


 彼女は清楚であるのに華やかだった。そして、周りを行き来する誰よりも輝いていた。

 でも、見覚えがある、そんな気がした。

 俺は、まさかと思いながら、段数を数えた。


「1,2,3、・・・8,9・」

 立っているのは、10段目である。


「んっ?」

 俺は半信半疑に、その彼女に近づいた。

 そして、俺は半分程降りたところで確信を得た。

 その姿は、少し髪は以前よりもオレンジ色に染まってはいたが、紛れもない俺の彼女であったのだ。

 久しぶりに見る彼女は着飾っていたせいなのか、それとも暫く見なかったせいなのか、俺の記憶の彼女とは別人のように奇麗に見えた。


 俺はその変わっていた姿に、少し気が引けるのを感じた。それと、いつもよりかなり早く到着していた彼女に、俺は違和感と幾ばくかの不安を覚えていた。

 今思えば、俺の一大プロジェクトは最初からイレギュラーな出来事で始まっていたのだ。


 それでも一言二言話すと、間違いなく俺の知っている彼女であり、単純な俺は、その時抱いていた不安も次第に解消されては行ったのだが・・・。


 その時、俺の脳裏では一瞬プロジェクトの”核心”のことが過っていた。今、この時に実行しようかと。

 だが、出会って間もないこともあり、プロジェクトの”核心”を行うには早すぎるような気がして、俺は逸る気持ちを飲み込んでいだ。

 その時の俺は、もっと彼女の気持ちが盛り上がったタイミングで行うことを選択したのである。


  俺と彼女は街中をぶらぶらと歩きながら少しの雑談を交わした後、ちょっと早いが彼女主導のままパスタを食べに行くこととなった。

 そこは、最近彼女のお気に入りだと言うイタリアンの店である。時間は午前11時30分を少し回ったところであった。


 そこで、ゆっくりと話そうと言うことになったのだが、そこは俺の知らない店であった。なのに、彼女は何度も来ているのである。この2カ月半の間に。


 店に着くと、そこは予想以上にお洒落な店であった。

 彼女はスタッフと一言二言会話をすると、俺を招くように店内を先へと進んで行く。狭い階段を上り、細い通路を通って二階の窓際の席へと。

 俺はその後を追って行った。そして、俺は彼女に言われるがままの席に着いた。


 彼女は席に座ると直ぐに、二言三言他愛も無い事を話し始めた。その姿に俺は、彼女らしくない、いやに饒舌だなぁと思った。なんとなくだけど嫌な感じを覚えた。

 その直後のことである。


 彼女はその流れで、俺の予想もしていなかったことを話し始めたのである。

 それは、俺がまだ肝心なことは何一つ発せない内に、何の心の準備も無いままに、瞳さえも真面に見つめる前にだ。


 結局のところは、俺はそこで彼女に振られてしまったのであった。セカンドバッグの中の指輪を出すことも無く、その時点で俺の一大プロジェクトは脆くも終止符を打ったのであった。

 彼女が口にした、たった一つのフレーズのみで、俺は完膚なきまでに叩きのめされてしまったのである。


「聞いて! 私、結婚したい人が出来たの」

 それが、窓から差し込む眩しい陽ざしを浴び、満面の笑みで言い放った彼女のフレーズであった。

 

 動転してしまう心。干上がって行く血の気。

 呆然として声も出なかった。身動きすることすらも重かった。

 俺の心は見事なまでに崩れ落ちていた。

 その強烈なパンチが、俺の出る前の鼻を完全に打ち砕いてしまっていたのだ。

 そんな俺に、彼女は何度も同じ言葉を言い放って来たのである。


 「ねぇ、私、結婚したい人が出来たの。聞こえてる?」

 それに、依然黙ったままの俺。

 なのに、何故か彼女は今度は諭すようにその男の長所を俺に告げて来た。

 そいつは笑えるぐらい俺とそっくりなのである。


 だったら、何で俺じゃないんだろう?

 何で彼女は、今まで俺と一緒に居たんだろう、電話をしたんだろう、メールをしてくれたんだろう?

 全く訳が分からない・・・。


「私ね、もう離れているのは嫌なの」


 そんなに前から?

 俺と二股だったんだ

 全然気づかなかった・・・。


 その後も、しどろもどろの俺に色んな言葉を挟みながら、同じようなフレーズで彼女は追い打ちをかけて来た。

 しかし、余りの俺の反応の悪さからなのか、彼女からは最初の満面の笑みも消え、次第に不安そうな顔になって行った。


 俺も、もう彼女のそんな言葉を聞きたくなかったので、声を振り絞り、

「そう、良かったね」

 とだけ返した。


 すると彼女は、それ以降はその話をしなくなっていた。

 何かは喋っていた記憶はある。だけど、頭の中が真っ白で俺はよくは覚えていない。

 そして、まもなくその会話も止まってしまい、彼女は暫く俯いたままとなった。

 暫くの間、沈黙の時間が流れ出した。

 それは、きっと俺の反応が悪かったせいだと思う。



 それがどう気持ちを切り替えたのか、注文したパスタが来てからの彼女は、そんな状況の中、この後映画に行く?とか、買い物に行こう!とか俺を誘って来たのだ。


 俺は、それにどうやって対応して良いか分からず、曖昧な返事を返すのみであった。終いには、大好きなスープパスタも何を食べているのか分からないまま、吐き気が襲って来た。


 俺は、それでも最初は我慢しつつ食べていたが、さすがに我慢しきれず黙ったままトイレに駆け込んだ。

 トイレの個室に入り、取り敢えず出すモノを出し終え一息吐くと、俺には自分が取るべき行動が分からなくなくなっていた。


 どんな顔をして戻ろうか?

 この後、何を話そうか?

 考えはするものの、どうやってももう彼女の前に戻ることが出来そうにない。俺の心は、もう繕うことも出来ないくらいに折れてしまっていたのだ。


 結局、俺はそのままレジに向うと、支払いを済ませた。

 俺は店を出ることを選んでいたのだ。


 店を出ると、俺の脚は勝手に自分のアパートに向かっていた。

 ホントなら横に彼女が居て、彼女の左手薬指には指輪が・・・のはずであったのに。

 俺が彼女に思っていた気持ちは、完全に一方通行であったのだ、そう思うとそれに気付けなかった自分が情けなかった。


 いつからなのだろうか?

 出張に行ってからだろうか?

 いや、さっきの感じでは大分前からのような感じもする?

 だとしたら、彼女にとって俺をどんな立ち位置だったのだろうか?


 俺は、暑さとショックで倒れそうになる体を何とか支えながら、いつのまにか出張を命じた上司をただただ恨んでいた。出張にさえ行っていなかったら、展開は逆になっていたかもしれないと。

 セカンドバッグに未だ入っている指輪がただただ重かった。


 フラフラになりながらも、歩を進めれば先には進む。俺はいつのまにかアパートの前まで戻っていた。

 俺の部屋は5階建ての3階。一応小さいがエレベーターもある。会社の住宅手当がなければ、ここに住むのは俺の給料ではちょっと苦しいくらいの立地条件の良い場所だ。ただ陽当たりだけは、玄関側が最も良いのだけど。


 エレベーターの中は蒸し暑かった。俺は、ちょっと吐きそうにるのを堪えた。

 もちろん3階なので一瞬で到着。


 1フロアー6軒のアパート。俺の部屋はエレベータ側から見て奥から2軒目。

 俺は外廊下に出て、2、3歩進み、自分の部屋の前に目を向けた。すると、


「あれっ?」

 そこに俺は違和感を感じた。

 殺風景なコンクリートの廊下の先に、黒っぽい塊が見えるのである。それが、どう見ても俺の部屋の前の様に見える。


 近づきながら再確認した。間違いなく、俺の部屋の前である。

 何が置いてあるのだろう?と目を凝らしてみると、それが少し動いたのを感じた。


「うんっ??」


 俺は思わず声にしていた。

 それは物でなかった。もちろん、天井が崩れた残骸でもない。まだ新しいアパートだ。


 生き物?

 でも、犬ではない、猫でもない。

 どう見ても扉の向かい側の塀に寄りかかっているのは、小さな子供に見える。

 いや、見間違えようもない。小さなリュックを背負った子供が膝を抱えて座っているのだ。

 それもまだ幼い子供である。

 そして、その子供は殆ど動かない。


 慌てて部屋の前まで行くと、逆光で黒く見えていた彩が鮮やかになって行き、呼吸で動いているのがはっきりと分かった。

 それを見て俺は少し安心した。

 俺は傍まで行き、


「どうしたの?」

 そう聞くと、その塊が徐に立ち上がった。

 3~4歳くらいの女の子に見えた。柔らかそうな黒髪が陽の光を浴びて輝いていた。甘い香りに俺の鼻が擽られた。

 俺は、その可愛さに思わず息を飲んでいた。


 立ち上がったその女の子は、俺のこと見つめるが覇気がない。

 上目遣いのその目は俺に縋っているようにも見えた。

 ふと、女の子の右手を見ると一通の封筒を持っていた。俺がそれに気付いたのを見て、女の子はそれを俺に差し出した。


 俺は直ぐに封を開けた。すると、中には緑っぽい紙と、便箋が1枚入っていた。

 便箋を見ると「この子を宜しくお願いします」と書かれている。


「はぁっ?」


 意味が分からない。全く訳が分からないので緑っぽい紙の方も見てみた。

 表題を読む。


「離・婚・届・け?」


 それには、俺の苗字で見知らぬ名前が書かれている。


「なんで?!」

 俺、未婚だし・・・。

 結婚の予定さえも一瞬ではかなく潰えたばかりである。

 もともと白かった頭の中が、更に漂白剤を掛けられたように、この上ない純白状態に。そしてパニック。そこに、


「パパでしゅか?」

 女の子がか細い声でそう尋ねて来た。


「・・・」

 応えれない、いや何て応えてよいか分からない。

 彼女、いや今となっては元彼女だが、それ以外に身に覚えは全くを持って無いと断言出来る。

 そんな俺に、更にか細い声でその子は再度尋ねて来る。

 不安そうな顔の頬には涙の乾いた痕。


「パパ?」


 それに、石膏の像のうように固まるだけの俺。


「花織といいましゅ。よろしくおねがいしましゅ」

 女の子は小さな頭を下げた。


「よろしくおねがいしましゅ」

 また、頭を下げる。

 振り絞るような声で。


「いや、あの・・・あっ!」

 立ち眩みで倒れそうになる俺。


「よろしく・・・」

 そして、もう一度繰り返そうとした時、その女の子は頭を下げたまま崩れ落ちた。俺の精神が倒れる前に。


 慌てて、俺はその体を支えた。そして、抱き上げた。

 顔が真っ赤で体が熱い。

 背中は汗びっしょりで呼吸も荒く苦しそう。なのに、一生懸命笑顔をつくろうとしている。

そして、消えそうな声でまたこう言った。


「パパ?」と、俺に向かって。


<つづく>


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