宝角令嬢は普通に学園生活を送りたい
「ねえねえ、あなた」
「はい、何でしょう?」
不意に声をかけられて、振り返る。学園内のちょっとしたホールで、今は授業の合間の休憩時間だからそれなりに人も多い。
そこにいたのは、ふわっとしたオレンジ色の髪の少女。くりっとした大きな瞳は黒っぽい青で、唇はぽてっとした少々厚いもの。私と同じ青と白を基調とした制服を着ておられるから、この学園の生徒であるのは間違いないようね。
とはいえ、昨年度にこの童顔で可愛らしい彼女を見かけたことはないわ。私の隣にいる友人に視線を向けたけれど、彼女も首を振ったから間違いはなさそう。
つまり、今年度からの新入生、もしくは途中編入生であられるようだ。それならば、私が顔を知らないのも分かる。
この学園に通うのは私も含め、基本として我が帝国の貴族のご子息やご息女たちである。同年齢ともなるとそうそう数が多いわけではなく、大体が顔なじみになっているもの。
「それ、何ですかあ?」
「それ、とは何ですの?」
その中にあって正体不明であるこの少女は、かつかつと何の遠慮もなく私に歩み寄ってくる。友人が割って入ろうとしたけれどそれを手で抑えて、私は彼女と向き合った。周囲には多くの同級生や上級生たちが足を止めて、私と彼女をわずかに遠巻きにしているようだ。
会話の作法もなっていない、ということは失礼ながらあまりお育ちがよろしくないのかしら。貴族でなくとも、資産家の子供がこの学園に入ってくることはままあることだもの。それでも、高等部から編入というのは珍しいのだけれど。
「これですよ、これ」
彼女が指で示したのは、私の額。そこには赤い石が、陽の光を浴びてほんわりときらめいている、のだろう。自分の額にあるものを、鏡もなしに私が確認することはできないわ。
それよりも、人を指で差すのはあまりマナーとしてよろしくない、とはご存じないのかしら。周囲で見ている皆が一様に眉をひそめていらっしゃるのに、ね。
「この学園、確か『華美な装飾品は決められた日以外付けてはならない』んでしたよねえ」
「ええ、そうですわね」
彼女が口にした言葉は、確かに校則の中に存在するわね。
決められた日とはつまり上級生との交流の場となるパーティの日であるとか、入学式や卒業式などの行事のある日のことになる。つまり、必要がなければ装飾品、ティアラやネックレス、指輪などを付けてはならないということ。
ああ、つまり彼女は私のこの額が、校則に違反しているのだとおっしゃりたいのね。私の髪は少し赤みがかっているけれど金髪で、だから赤いこれはとても目立つのだもの。
「違いますわ。これは」
「だったら校則違反ですよねえ。外しちゃいましょう!」
そうではないと申し上げる前に、彼女が手を伸ばしてきた。ざわつく視線の中で、むんずと掴まれる感触と、そして引き剥がされそうになって。
「痛い!」
「え?」
ああ、思わずはしたない声を上げてしまった。だって、本当に痛いんですもの。音こそしなかったけれどめりめりと、爪なり皮膚なりを引き剥がされるように。
「ちょっと! あなた、何をしているんですか!」
「え、だって痛いわけないんじゃ……」
それでも、さすがに私の声で彼女は手を離してくださったようだ。友人が駆け寄ってきてくれて、私を背中に庇ってくださる。彼女は私より背が高くて、栗色のストレートヘアーが視界をゆらゆらと揺れた。
そして、他にも私への救いの手を差し伸べてくださる方が現れた。ざわついていた群衆の一部が途切れて、そこから出現した二人組である。
「おい、何をしてるんだ?」
「何だ……あ」
「行っていい。守ってやれ」
「御意」
帝国に住まう一定年齢以上の貴族であれば知らぬものはない銀の髪の端正なお姿と、そしてその後ろに付き従う黒髪の偉丈夫。
我が帝国の第二皇子殿下と、その側近候補の一人である辺境伯令息。後者は殿下のお許しを得て私の方に駆け寄ってくださって、「大丈夫か?」と背を支えてくださった。ああ、よかった。貴方の手のおかげで、私はほっと一息つくことができたわ。
……この方は、私の婚約者でもあるのできっと、殿下がお気遣いくださったのだろう。後でお礼を述べねばなるまい。
「こ、この人が校則違反の装飾品をつけてるから悪いんです!」
「だからといって、力づくで引き剥がそうとするのはどうだろうな」
一方、件の彼女はといえば……もしかして、殿下のお顔をご存知ないのかしら。私に対するのと同じような言葉で、殿下に食って掛かっておられるわ。
さすがに学内では無礼討ちなどはないでしょうけれど、それでも殿下や私たちからの心象が悪くなるのは致し方のないことね。要するに彼女は、最低限の礼も備えていないのだから。
ほら、殿下が呆れた表情を浮かべておられるじゃない。「……それに」と小さくため息をつかれて、それからお言葉を続けられる。
「彼女のあれは、『装飾品』ではないぞ。そんな事も知らずに、そもそも尋ねることもせずに、君は無作法を働いたわけか」
「へ?」
何とも気の抜けたお答えを口にされた彼女は、殿下と私を見比べる。……私の背後から、婚約者の彼がぎりと彼女を睨みつけているように思えて僅かに肩をすくめた。彼女がその視線に気づいたようでひい、と細い身体を跳ねさせた。
「じゃ、じゃあ飾りでなければ、それは何なんですか……?」
「角、ですわ」
「は?」
端的に、ご説明申し上げる。私の額にあるこの赤い石のようなものは他の何でもない、生えている角だ。
この形になったのは、十歳になってから。小さい頃はおでこがちょっぴり膨らんでる感じだったのが、成長するに連れて伸びるわ赤く色づくわで結果、こんなことになっている。
父上にも母上にも姉上にも出ていないものなのだけど、どうやら遠いご先祖さまの血がひょっこり顔を出したらしい。何でも、我が帝国の創生期にその力を奮ったという、伝説の鬼神なのだそうだ。
そのご先祖さまの栄光とその後の婚姻などを以て、我が家系は侯爵の位を賜っている。故に、角を持った私の存在というのはそれなりに貴族の間では知られた存在となっている。
それをご存じないということは、この彼女は平民の出身なのであろう。もっとも、平民でも我が家の領民は知っている話なのだけれど。
「つ、角なんておかしいじゃないですか! どう見たってそれ、飾りの宝石ですよねえ!」
きちんと私が説明して差し上げたのに、彼女は目を丸くして喚き散らす。もっともこの世界、角が生えた人なぞ私以外にそうそういるわけでもないので、仕方のないことでしょうけれど。
「彼女は我が帝国創生期より長らく存在する侯爵家の令嬢、人呼んで宝角令嬢。もしかして君は、この学園の生徒でありながらそんなことも知らないのかな?」
第二皇子殿下がおっしゃった二つ名に、周囲の方々が凍りつく。それは、彼女も同じことのようね。
まるで、戦功を上げた軍人のような呼ばれ方よね。けれど、この二つ名が私の無実を証明してくれるのであればそれもまた良いかしら。
「これは身体についているものであって、装飾品ではございません。そのこと、ご理解いただけましたかしら?」
「わ、わたしは悪くないですよう! 校則違反だと思ったから!」
あくまでも落ち着いた口調で、私は彼女に言葉を差し上げる。……確かに角のことを知らなければ、校則違反を指摘する行為は悪くはないわね。けれど、謝罪の言葉がひとつもないというのはどういうことかしら?
「いえ、校則違反に見えてしまうのは致し方ありませんわ。でも、今度からはお気をつけくださいませね」
「わ、分かりました……おかしいな、で、ではっ」
それはともかく、一応注意を差し上げると彼女は、何故か何度も首をひねりながらそそくさとこの場を後にされた。人混みの間に無理やり割り込んで押しのけていかれるお姿、さすがにこちらが首をひねりたくなるのだけれど。
その後ろ姿を見送られた殿下が、ふんと小さくため息をつかれた。
「謝らなかったな、彼女」
「というか殿下。多分今のがそうだぞ、例の子爵令嬢」
「え?」
婚約者の言葉に、私は背後の彼を振り返る。と、ぽんと大きな手が私の頭に置かれた。軽く撫でるだけのその感触は、私にとってはとても心地の良いものだ。友人がにやにや笑っているのがちらりと見えて、少しだけ居心地が悪くなったかもしれない。
それはそれとして、『例の子爵令嬢』とはどういうことなのかしら。今の彼女、きちんとした貴族の娘なの?
そんな私の疑問には、恐れ多くも殿下が直接お答えくださった。
「どこぞの子爵が街の女に産ませた娘、だったか。最近消息が分かって、母子ともども子爵家に引き取られたとか」
「それならそれで、一通りの作法を教えてから学園に入れろよ。彼女のことも知っているはずだろうに……家名に泥を塗りたいのか、当の子爵は」
婚約者が小さくため息をついて、軽く頭を振る。
なるほど、その噂に出た令嬢が彼女、だったのね。私もほんの少し、お話を伺ったことがあるわ。跡継ぎがおられなかったところに令嬢の存在が発覚して、小躍りしてその方を家に入れられたと。今年度から学園に入られたとは、寡聞にして存じませんでしたけれど。
まあそんなことはともかく。婚約者と殿下のおかげで、変な言いがかりから逃れることができたのだから、私はきちんと礼をしなければならないわね。
「ありがとうございます。お二方のおかげで、無事問題もなく終わりましたわ」
「何、俺はちょっと声をかけただけだ。礼なら婚約者殿に差し上げてくれ」
「いえ、殿下のお声掛りがなければ私、額から血を流していたかもしれませんから」
「本当ですよ。私では、彼女を止められませんでしたから。私からも礼を言わせてくださいませ、ありがとうございます」
友人も、ここぞとばかりに声を上げる。この彼女はそれなりに強気の発言をするのだけれど……男爵家の出身で、考えてみれば例の子爵令嬢より家の格が低い。
学園の中ではそう言ったことが元で発言を妨げられることはないのだけれど、子爵令嬢の場合もしかしたらお家の方から苦情が出されるかもしれないものね。
「お前は……ああ、かの男爵家の。彼女とは仲がいいんだそうだな」
「は、はい。ご存知いただいているようで、恐縮です」
「気にするな。この場でこの制服を着ているのだから、ただの学友だろう」
殿下は、我々と同様の制服を纏っていらっしゃることもあり学園内では家の格をさほど気にされることはない。それが学園内での規則ということもあるのだけれど、それ以上に第二皇子という地位の微妙さが影響なさっておられるようだ。
皇太子であらせられる第一皇子殿下は、すでに皇帝陛下のお仕事の一部を引き取っておられるという。その補佐を務めたい、と日々ご自身を律しておられることを、我々帝国の者はよく存じ上げている。そのせいかどうか、未だにご婚約もされておられないということも。
「ああいうことは、よくあるのか?」
「これで三回目、ですわね。一応、皇帝陛下の印を頂いた証明書も持ち歩いているのですが、とっさに提示するのは難しいですわね」
その点、私には婚約者がいてくださる。幼い頃から決められていたお相手だけれど、こうやって私のことを気にかけてくださってるのはよく知っているの。
「なるほど。大変だな」
こんなふうにぽんぽんと、頭を軽く叩いてくださるとても大きな手の感触は、私が大好きなものだ。昔そう申し上げたら、彼は折に触れてこうしてくださるようになった。うふふ、これは私だけの幸せかしら。
「まあ、これだけ人前で騒ぎを起こしたわけだし。今後はそういったことも減ってくるだろう。くれぐれも、気をつけな」
「ありがとうございます」
「あと、近くに俺がいたら呼べよ? これでも、心配してるんだからな」
そうして、私のことを案じているとおっしゃって頬を赤らめられるその表情も。
ああ、学園生活って最高だわ。大切な方と、同じ屋根の下で過ごせるんですもの。