第1章 第7話
太平洋
航空護衛艦《あかぎ》
Augest 19.2021
笠原は麻井と別れ、訓練を再開した。着艦すれば次に待っているのは当然、発艦となる。第101飛行隊のエンブレムである蒼い狼が垂直尾翼に描かれた洋上迷彩のラファール・920号機にかけられたラダーを登ってコックピットに乗り込み、飛行前点検を済ます。
列線員とインターコムで交信し、補助動力装置でエンジンを始動する。第101飛行隊の整備隊員たちも手慣れたものだ。笠原はチェックリストを消化すると甲板管制と交信する。
「デッキコントロール、こちらシーウルフ11。エンジン始動完了。カタパルトへの進入許可を求む」
『シーウルフ11。こちらデッキコントロール。了解した。艦はピッチング1度、ローリング2度。艦首方位080。相対風方位260から7ノット。高度計規正値3001に補正。カタパルト1への進入を許可する。ハンドラーの指示に従え』
「カタパルト1へ進入、高度計規正値3001に補正。ラジャー」
列線員が輪留めを外したことを合図する。
「グランド、コックピット。カタパルト1へ前進する。インターホン、ディスコネクト。チョークアウト」
『コックピット、グランド、了解です。チョークアウト。ディスコネクトフォン。お気をつけてお帰り下さい、またのお越しをお待ちしております』
「コックピット了解。どうもありがとうございました」
冗談口調の列線員は機体から外したインターコムを、両側の列線員はチョークを掲げる様にしてコックピットに見せる。
笠原は黄色いジャケットを着た海自の誘導員からの誘導を受けて慎重に機体を発艦待機のエリアまで導いた。航空護衛艦の甲板要員は海自と空自の双方が担当していて、ヘリ誘導、エレベーター操作要員、牽引車運転要員、メッセンジャー、電話通信要員、航空燃料取扱員は主に海自が担当し、その他、カタパルト、アレスティング・ワイヤーの担当や航空機管制等を担うのは空自だった。
飛行甲板はいつも混み合っている。各種役割に応じた色の服を着た甲板要員が走り回り、機体の間を縫うように神経を使いながらカタパルトへ機体を進めていく。
『ちょい前ー、ちょい前ー、もう少ーし、良し!』
ギアブレーキを踏み込んで機体を止める。すぐさまカタパルトの牽引索と機首脚が繋がれ、発艦態勢となった。
『シーウルフ11、射出位置宜し!』
後方のブラストディフレクターが起き上がる。列線員の一人がコックピットに向かってボードを掲げた。ボードに書かれた離陸重量と離陸出力を確認した笠原はサムアップした。その列線員は頷くと下がる。
「デッキコントロール。こちらシーウルフ11。発艦準備完了」
『シーウルフ11、こちらデッキコントロール。風は220度から6ノット。カタパルト1からの発艦を許可する』
「ラジャー、クリアード・フォー・ランチ、テイクオフ」
発艦要員を統率する黄色い作業服を着た発艦士官の二等海尉が慌てずに落ち着いた様子で機体の前に立った。笠原は彼に注目する。
その二尉が右手を差し上げ、二本指を立てた。エンジンを最大出力まで上げろ、という指示だ。笠原はスロットルレバーを最大出力ゾーンまで押し込んだ。機体が小刻みに震える。
緑色の作業服を着た男が駆け抜け、機首脚とカタパルトの牽引索が繋がっていることをチェックする。
機体の正面に立っていた二尉は飛行甲板の端へ移動した。
笠原はMFDに表示した燃料流量計、エンジン回転計、排気温度計などをチェックした。どの確認項目にも問題はない。笠原は深く呼吸した。
隣で秋本機が第2カタパルトから射出された。一気に加速したラファールは飛行甲板を離れると一瞬だけ飛行甲板より機体を沈ませ、今度は上昇に転じて高度を上げていく。
端へ移動した二尉が右手を高々と挙げ、次いで前方を指差した。
笠原は喉を鳴らした。発艦の衝撃を覚悟して緊張を覚える。二尉は膝を折って、腰を屈めながら二本の指で甲板に触れ、前方を指さす。
首を前に乗り出すような格好をして笠原は衝撃に備える。カタパルト、射出。電磁式航空機発艦システムの電磁式カタパルトが笠原の乗るラファールを強制的に百六十ノット(時速約三百キロ)まで加速させて、文字通り打ち出す。
一気に発艦速度まで加速させるときに生じる慣性が笠原の身体を締め付けた。
飛行甲板を主脚が離れると機体が浮いた感覚が激しいGの中、伝わってくる。操縦桿を引いて機首を上げ、上昇した。
『ナイアッドよりシーウルフ11、発艦完了。方位一七〇へ旋回、高度六千フィートまで上昇し、それを維持せよ』
《あかぎ》の管制官が呼びかけてきた。笠原はそれに従い、マーシャルへ向かう。黒江、佐渡、秋本も次々打ち上げられてきた。
空護のスケジュールの都合上、二機しかタッチアンドゴーを実施する時間がなく、佐渡と瀬川がタッチアンドゴーを実施することになった。笠原と黒江は上空待機だ。
何かしらのトラブルや訓練の遅滞など航空護衛艦の運用は非常にデリケートだ。マーシャルも混雑しており、航空灯を点したラファールが何機も周回飛行している。
笠原は暇で黒江が話しかけてくれないかと期待していたが、通信は沈黙したままだ。機体に備わる光学センサーをいじって遊んでいると指揮系無線に早期警戒機が呼び掛けてきた。
どうやら中国軍機が太平洋の防空識別圏すれすれを飛んでいるようだ。その監視を継続する新田原基地の戦闘機からの続報だ。
今日のトラブルの原因はこれだったようだ。
「ったく迷惑な話だ」
笠原は吐き捨てながらため息をつく。中国軍機の行動は偵察や牽制よりも挑発や嫌がらせのようだった。
予定を繰り上げ、瀬川達のタッチアンドゴーを終えると空中給油を開始した。
編隊を維持して空中給油輸送機が旋回飛行して待機する空域へ向かった。空対空レーダーでタンカーを捕捉する。小牧基地第404飛行隊所属のKC-767J 空中給油機が旋回していた。
空中給油機の配備によって航空自衛隊の作戦能力は飛躍的に高まった。ただ単に航続距離を伸ばすだけでなく、燃料消費を考えた速度で飛ばなくてはならない戦闘機も、空中給油機の存在によって、発揮できる最高速度を高めることが出来、作戦空域への到達時間も大幅に向上している。
航空自衛隊は最新型の空中給油機である米国製のKC-46ペガサス空中給油機四機を導入しており、それ以前に取得していたKC-767J四機もKC-46相当に近代化改修を受けていた。そのため、KC-767Jも給油機側がブームの動きを操作し、給油を受ける航空機の受油口に燃料パイプを挿し込み、給油を行うフライングブーム方式だけでなく、先端に漏斗状のパーツを持つホースに戦闘機やヘリのパイプを挿し込んで空中給油を行うプローブアンドドローク方式にも対応している。
日本が運用する戦闘機は艦上戦闘機のラファール以外、すべてフライングブーム方式で空中給油を行い、ラファールはプローブアンドドローグ方式だった。
タンカーの識別灯を目視で確認し、笠原たちは空中給油の態勢をとった。
笠原と黒江がまずタンカーに一千フィート下の高度から接近した。五マイルまで接近したところで、笠原は空中給油チェックリストを確認する。
レーダー発信停止、マスターアームスイッチ・SAFE、燃料投棄・オフ、翼内燃料タンク、空中給油プローブスイッチ・EXTEND、JHMCS、機体外部ライトなどの各種灯火を確認。
空中給油チェックリストが完了していることを確認し、タンカーに注意を向けた。
プローブが展開し、燃料系統が加圧されておらず、給油の準備が整っていることを示すJHMCSに表示された準備のマークが表示されていることを笠原は確かめる。
「コビー31、こちらシーウルフ11。現在距離五マイル」
笠原は無線に吹き込む。
『こちらコビー31、貴隊を捕捉した。シーウルフ編隊、接続前位置につくことを承認する。コビー31、準備よし』
タンカーのブーム操作員が応答した。ラファールの空中給油はフライングブーム方式ではないが、ブーム操作員の指示で空中給油を実施する。これがKC-46ペガサスであれば主翼の左右に一か所ずつと胴体後方の一か所の計三か所から空中給油が可能だ。
「シーウルフ11、接続準備よし」
『シーウルフ12、左斜め後ろの位置を承認する』
ブーム操作員が呼びかけると黒江のラファールは笠原から離れて、ずっと左──給油機の左翼後方につけた。
『シーウルフ11、接続位置を承認する。コビー31、準備よし』
「シーウルフ11、接続する」
笠原は給油機をまずは指標に接近、後に左主翼の空中給油システムから垂れ下がったドローグ、そして受油プローブの位置を考慮して機体を修正していく。さらにスロットルを調整し、三から五ノットの接近率で近づく。
極端に遅い接近率では給油機のドローグバスケットが機首に接近した際に、パイロットは気流によって振動するバスケットを相手にフェンシングをすることになる。
アプローチの最終段階ではドローグが自機の機首先端を通り過ぎる際、機首とドローグバスケット間の気流相互作用によりバスケットが右上に逸れる傾向があった。
それも頭に入れて笠原はラダーペダルを踏んで機体を調節する。
着艦並みに神経を使う。
遂に受油プローブがドローグバスケットに接続した。さらに五フィート前方に押し込む。
すると給油機の黄色の待機ライトが緑色の燃料移送ライトに切り替わった。接近追尾編隊の状態で機体を飛行させ続ける。そこでやっとほっとして息を吐いた。
「シーウルフ11、接続した。受油準備よし」
『コビー31、了解。燃料移送を開始する』
笠原は燃料計を見た。数値が目まぐるしく増えていく。その間に右側のドローグに黒江が接続、空中給油を開始する。
その手際は手慣れたものだった。笠原も慣れないときは何度もフェンシングをしかけたものだ。一度で決められないとイライラして余計にミスをする。
何事もなく、四機は空中給油を終えた。タンカー後方の位置から離れる。
「コビー31、感謝する」
『シーウルフ編隊、良い夜を』
慣れたものでコビー31のブーム操作員が言う。もうすぐ今日も終わる。
「方位350へ旋回」
笠原は無線に呼び掛け、バンクをとりながら機体を旋回させ、機首を厚木に向けた。三機ともそれに従い、同じ動きをした。戦闘機パイロットは常にリード機の動きに合わせて飛べるよう訓練されている。フィンガーチップ隊形という親指を除く指の位置に各機がつき、編隊を組んだ。
まだ《あかぎ》の警戒機からの管制で中国軍機の動向が実況されている。百里から上がったF-2の二機編隊が監視を引き継いだようだ。
欠伸がこみ上げ笠原はそれを噛み殺した。
『シャドウ、ちょっと遊んでかないか?』
秋本が呼び掛けてきた。一昔前、訓練がもっとアバウトに行われた時代はパイロットが訓練計画にない〝機動訓練〟を勝手に実施していたこともあった。
「阿呆、中国軍機がADIZ(防空識別圏)の周りでフラフラしてんのに俺たちがそんなこふざけたと出来るか」
笠原はそれを慳貪に跳ねのける。
『お堅いな、シャドウは。今はコントロールの狭間で丁度良いのに。なあ、ファルコ』
今飛んでいるのは空護の警戒機からのコントロールか、厚木のコントロールか正直曖昧な空域なのだ。
『今はやめた方が良いだろう』
黒江も意外と理性的だった。しかし、今は、というのだから真面目というわけでも無さそうだ。
『そうですよ。百里か横田からAWACSが上がってたら本気で空中戦やってるんじゃないかと思われますよ』
佐渡も笠原に賛同する。早期警戒管制機は空飛ぶレーダーサイトであり、強力な監視の目を持っていた。
『サド、お前、 裏切ったな』
『裏切ってないですよ!』
二人の口論が始まり、笠原はやれやれと苦笑する。
「口論で貴重な電波を使うんじゃない。帰ったらチクるぞ」
『シャドウってホントにTACネームのまんま、陰湿だな』
秋本の言葉に笠原はつい反応してしまう。
「なんだと。大体な――」
『貴重な電波、じゃないのか』
反論しようとしたところで黒江が呟き、笠原は振り上げた拳を力なく下ろすように黙った。
『はは、一本取られたな』
秋本が笑う。笠原は恨めし気に黒江機を見たが、コックピットに収まる黒江はマスクとバイザーで隠れた顔のまま正面を向いていた。
(俺を咎める時しか、君はしゃべらない気かい)
その横顔に小さく呟く。もちろん黒江は無機質なバイザーとマスクに覆われたまま何も答えなかった。
基地に帰ると、オペレーションルームの隊員達は皆、情報収集用に設置されたテレビにくぎ付けになっていた。拠点となる厚木基地においては要撃任務などの実戦からは外れている艦上航空隊だが、大規模災害となれば話は別だ。自主的な情報収集のために緊急発進が命ぜられることもある。
オペレーションルームの異様な雰囲気に軽くシャワーを浴びて乾いたフライトスーツに着替えてきた笠原は黒江と思わず顔を見合わせていた。
黒江は顔を見合わせた後、なぜ見合わせてしまったんだとばかりに慌てて顔を逸らす。別にそれくらいで恥じるような仕草をしなくてもと笠原は呆れながら「戻りました」と声をかけた。
「おお、シャドウか。どうだった?」
振り返った瀬川が聞く。
「どうって……別に普通だが」
「あ、そう。お前たちが飛んでる間に厄介なことになってるぜ」
テレビを見上げるとアナウンサーが興奮したように同じことを再び語り出そうとしているところだった。テロップにはでかでかと「中国軍の爆撃機、撃墜される」と乗っている。
「は?」
思わず身を乗り出すとアナウンサーはまるで自分だけが知っているニュースを伝えたくてしようがないように興奮した様子で語った。
『台湾国防部の発表によりますと、本日夕方、台湾海峡において台湾領空を領空侵犯した中国軍の爆撃機を台湾空軍の戦闘機が追尾、警告に従わなかったため撃墜したとのことです。爆撃機の乗員の安否は不明で、現在台湾軍の救難隊が現場海域を捜索しています』
笠原は憮然とした顔でそのニュースを見ていた。アナウンサーの背景には今回、撃墜された爆撃機と同型機として、防衛省が公開している自衛隊機に要撃を受けた中国人民解放軍空軍のH-6爆撃機が表示されている。撃墜した台湾空軍の戦闘機はF-16だったようだ。
「撃墜だと?」
笠原は思わず声を漏らした。
「バジャーだとしたら五名は乗ってるな」
秋本が呟く。
『中国は先日から軍事演習を台湾周辺で実施、台湾上空を弾道弾が通過し、台湾政府が抗議した矢先の出来事でした。両国関係の緊迫化は周辺情勢を不安定にしており、日本も海上自衛隊の〝空母〟を周辺海域に展開させることを検討しています……』
「空護だっつーの」
秋本が苛立ったように呟いた。
「言葉騙しは通じんさ。それとデフコン4だ」
秋本の言葉に瀬川が肩を竦め、笠原に言った。
「俺たちの展開も早まるかもな」
笠原はそう楽観を装って呟きながら黒江の横顔を盗み見た。黒江も同様、真剣な顔でテレビを見つめていた。




