第3章 第2話
緊急発進指令が下達されたのはB/S態勢に入って五分もかからないうちだった。
笠原は艦首側の一番カタパルトから、黒江はアングルドデッキの二番カタパルトから射出され、二機は上昇し高度を取る。
『シーウルフ01、こちらコーラル。目標方位290、距離180、高度九千フィート、機首方位080、速度400』
嘉手納防空指令所が呼びかけてきた。
「シーウルフ01、ラジャー」
笠原はDCに応答しながらバイザーを上げた。視界が悪すぎる。昼間だというのに積乱雲によって空は暗く、さらに雨が叩き付ける様に機体を叩き、キャノピーを水滴の銀色の筋が這うように流れていく。
アフターバーナーを使って加速したあとはアフターバーナーを使用しないで発揮できる最大推力のミリタリー推力でマッハ一・四を保って飛ぶ。目標はすでに領空まで近づいていた。急がなくては間に合わない。
増槽はセンターラインの一つだけだった。両翼端のSTA.No1とSTA.No13にAAM-5B短距離赤外線画像誘導ミサイル、STA.No3とSTA.No11にAAM-6中距離アクティブレーダーミサイルを装備している。
不意に左の翼が跳ね上げられたように傾いた。慌てて操縦桿を倒して機体を水平に保とうとする。叩き付ける様に強烈な風が機体を襲ってきた。
『シャドウ、大丈夫か』
珍しく黒江が声をかけてきた。編隊長機に続いて一糸乱れぬ編隊を組もうと笠原の一挙動一挙動に神経を使っている黒江も編隊を維持するのに苦戦している筈だ。
「ああ。凄い気流だ。無理に編隊を保たずに針路を維持しよう」
笠原は応答しながらも突発的な風に備えて前方視野内表示装置に目を凝らす。冷や汗が目に入ろうとしてくる。
今度は機首が落ちた。うっ……と思わず声を漏らしながら操縦桿を引く。機体は猛烈な雨と風に翻弄されていた。多機能ディスプレイに表示した燃料計の数値を横目で見て心の中で悪態をつく。再燃焼装置を使えば加速できるが、燃料の消費量は跳ね上がる。帰投限界燃料を意識すると心細い。今日は空中給油機を要請しても上がって来れないかもしれない。
悪戦苦闘しながらも尖閣諸島の上空を飛び越えてターゲットの国籍不明機に接触しようとしていた。
「見えるか」
笠原は霞む視界の中、身を乗り出すようにして目標を探した。
『見えない』
黒江も同じだ。視界は酷い有様だった。
「くそ、どこだ」
レーダーでは捕捉していた。レーダーの機影は大型機だ。識別では運輸Y-9。恐らく運輸Y-9JB電子偵察機。全長三十六メートルの機体をなぜ見つけられない。苛立ちながら目を凝らす。キャノピーにワイパーが必要だ。もっとも備わっていたとしても意味を成さないだろうが。
『シーウルフ01、こちらコーラル。ターゲット、降下中。現在、高度二千フィート。貴機からの距離六マイル。目視確認せよ』
「ラジャー」
(無茶言うな)
笠原は応答してからまた心の中で悪態をついた。
「ファルコ、マスターアーム・オン。アンノウンは雲底高度まで降りる気だ。俺が目視確認を取る。針路を変えても頭を抑えられるように上にいてくれ」
『後続機は?』
空護に要請すれば十五分待機から五分待機態勢に繰り上げられた秋本と園倉が応援に向かってくるはずだ。
「間に合わない。それより空中給油機を要請しないと」
『ラジャー』
黒江は歯切れ悪く応答した。
「行くぞ」
笠原は操縦桿を左下に向かって倒した。4G旋回し、機首を下げて雲の中に突っ込む。雲の中は視界がほとんど無いに等しかった。HUDの表示だけが頼りだ。さらに強烈な雷雨だった。
「南無三……」
機体が翻弄される。あちこちから叩かれているようで翼がもがれそうだった。降下角三十度で降下を続ける。突然機首が掴まれ、降下角が一気に深くなった。落ち着いて操縦桿を引くが、機体は右へ左へと傾斜する。雲の中で恐ろしいのは空間識失調だ。機体を修正させようとしていると自分の姿勢が分からなくなる。計器を信じて姿勢を保っているとようやく雲を抜けられた。
雲底高度は千二百フィートを切っていた。海面との距離がやけに近く感じる。波飛沫が届きそうだった。海面は白い波が湧き立ち、相当な高さでうねっている。真正面に、小さくともすでに機体の形をハッキリと認識できるほどの距離を飛ぶグレーの機体が見えた。
「タリホー!」
笠原はすかさず怒鳴るとスロットルを押し込もうとして舌打ちをした。すでにフル・アフターバーナーでこれ以上加速は出来ない。早く追いつかなくては領空に入られる。
接近し、右側の後方に占位し、速度を合わせる。笠原の予想通り、四発のターボプロップエンジンの運輸Y-9戦術輸送機に情報収集用のアンテナが追加された運輸Y-9JB電子偵察機だった。
「目標右側、所定の位置に占位。ターゲット、国籍中国、官用機。Y-9JB、ELINT機。単機」
『ラジャー。領空まで五マイル。通告を実施せよ』
笠原が通告を始めた時だった。運輸Y-9JBが翼を傾け、左に旋回し始めた。翼端から水蒸気の帯――翼の下面と上面の気圧差により、空気中の水分が凝固して発生する――が伸びる。こちらの追尾を振り切ろうとしているようにも見えた。
「目標は左旋回を開始」笠原は報告しながら操縦桿を左に倒し、ラダーペダルを踏んで追随する。しつこく追い掛け回してやる。
『了解。通告に従っているか』
「従っていない」
『通告を継続せよ。領空まで二マイル』
ターゲットは領空に侵入しないように領空ラインに沿って飛行していた。笠原はなおも通告を実施する。
「注目せよ、注目せよ!こちらは日本国航空自衛隊!貴機は日本国の領空に接近中!直ちに針路を変更せよ!」
笠原は強い口調の英語で呼びかける。再び運輸Y-9JBが旋回する。目の前の積乱雲――|Cumulonimbusに阻まれて空護に接近できないようだ。あの運輸Y-9JBのパイロット達もどんな任務を帯びているのか知らないが、苦労していることだろう。
再び今度は右旋回をする。速度をぐっと落としてきた。運輸Y-9JBはプロペラのターボプロップエンジンで、ターボファンエンジンと比べればずっと低速域での飛行が可能だ。
「ちょこざいな……」
独り言を呟きながら笠原も速度を落とす。ラファールは低速での安定性が非常に高い。追尾しながら通告する。領空まで一マイルという距離に接近すると今度は旋回して離れ、そして再び近づく。だんだんイライラしてきた。こちらの通告などまるで無視し、我が物顔で飛んでいる。
「この野郎、シカトか。舐めやがって」
笠原は悪態を吐きながらなんとか追尾した。相変わらず天候は最悪で油断すれば機体の制御を失いそうになる。運輸Y-9JBは領空と積乱雲を避けながら飛んでいるようだ。
『シャドウ』
黒江が無線に呼びかけてきた。
『残燃料帰投限界まで五分』
笠原は燃料計を見る。自機の燃料計ももうすぐ五分に達しようとしている。
「コーラル、シーウルフ01」
『01、どうぞ』
『残燃料帰投限界まで五分。帰投を要請』
このままアンノウンを追いかけ続けることは出来なかった。そしてアンノウンもまた積乱雲に阻まれ、変針している。燃料計はみるみる減っているが、コーラルが応答しない。向こうもどうするのか検討しているのだろうが、早くしてほしい。苛立ちが募る。
ようやくの返答は『待機せよ』だった。
「冗談だろ」
思わず呟いたが、勿論送信スイッチは押さなかった。運輸Y-9JBはそのまま水平飛行で針路を北に取った。笠原はなおも追撃する。
『シャドウ、RTBだ』
数分と経たずに黒江が呼びかけてきた。防空指令所の判断を待たずに帰投を促している。
「待て、スタンバイだ」
『燃料帰投限界。これ以上は追撃できない』
その言葉に笠原は緊張した。黒江も防空指令所との交信をモニターし、レーダーで笠原の位置を捕捉して追尾している。編隊を維持するためにも笠原よりも燃料を消費しているだろう。笠原は燃料計に目を走らせた。ちょうどその時、『ビンゴ……ビンゴ……』と機械質な女性の警告音声が流れた。僚機を危険に晒すわけには行かない。
『シーウルフ01、こちらコーラル。ミッション・アボート』防空指令所からの無線に笠原は胸を撫で下ろしたが、次に飛び込んできた言葉に耳を疑った。
『新たなアンノウン。ベクター280。メイク・ビジュアル・コンタクト』
防空指令所は新たなアンノウンを目視確認せよと命じてきた。即座に「対応できない!」と返す。無茶も過ぎる所だ。
「コーラル、シーウルフ01。フューエル・ビンゴ。帰投する」
笠原は自ら帰投を宣言した。
『……シーウルフ01、こちらコーラル。コピー。帰投せよ』
笠原は追跡を中止し、操縦桿を引いて上昇した。もうアフターバーナーを使う残燃料はなく、MFDに表示している燃料計から目が離せなかった。分厚い雲を突き抜ける。一万二千フィート。風雨はさらに増している。機体が軋むようだった。
黒江機の翼端のナビゲーションライトを点灯させて頭上から近づいてきた。
「ファルコ、残燃料を知らせ」
『残燃料、5・8』
残り五千八百ポンドでは宮古海峡にいる《いずも》まで飛ぶことは出来そうにない。
航空機は常に燃料との戦いだ。車でガス欠になってもエンジンが停止して止まるだけだが、空で燃料が尽き、エンジンが止まって推力を失えばたちまち墜落することになる。
笠原はちらりと視線を眼下の雲に向けた。どろどろとした巨大な雲が不気味に渦巻いている。機体を棄てて脱出してもあの海では救難機が来るまで持つとは思えなかった。
「《いずも》まではもたないな」
笠原は無線を空護に繋ぐ。
「グロリアスクラウド、こちらシーウルフ01。ステート5・6。空中給油機を要請する」
無線に吹き込みながら積乱雲を避けて飛ぶ。真横の雲の中で不気味な稲妻が見えた。被雷の不安まで付き纏う。
『シーウルフ01、こちらグロリアスクラウド。空中給油機はすでに発艦』
《いずも》より発艦した空中給油機が向かってきていた。機内に空中給油ポッドを装備したCV-22Jオスプレイ多用途輸送機だ。
『シーウルフ01、こちらリングレイス21。レーダー・コンタクト。間もなくランデブー』
CV-22Jのパイロットが緊張の色を滲ませた声で呼びかけてきた。霞む視界の中、ようやくCV-22Jのナビゲーションライトとアンチコリジョンライトが見えてきた。CV-22Jはティルトローターエンジンを水平にした固定翼機と同様の飛行モードで飛んでいた。
「リングレイス21、こちらシーウルフ01。視認した」
『了解。空中給油を実施する。距離五マイルで報告』
CV-22Jは一万四千フィートで三百ノットを維持する。風が酷く水平飛行を保つのがやっとだ。当のCV-22Jの方も風に揺さぶられている。冷や汗が流れた。この風の中で空中給油ドローグに接続できるか――?
「ファルコ、先に給油を実施しろ」
『ラジャー』
編隊長はウィングマンを連れ帰ることを優先しなくてはならない。黒江機がCV-22Jに接近する。胴体部に装備した空中給油ポッドからドローグバスケットが先端に取り付けられた空中給油ドローグが伸びてくる。
笠原はその間にチェックリストの手順に沿ってレーダーの発信を停止、マスターアームスイッチ・SAFEと燃料投棄・オフ、翼内燃料タンクを確認し、空中給油プローブを展開する。JHMCSのバイザーを下ろしてCV-22Jを確認する。
プローブが展開し、燃料系統が加圧されておらず、給油の準備が整っていることを示すJHMCSに表示された準備のマークが表示されていることを笠原は確かめる。
『リングレイス21、こちらシーウルフ02。現在距離五マイル』
黒江が空中給油態勢に入った。
『確認した。接続前位置につくことを承認する。リングレイス21、準備よし』
パイロットではない男が応答した。
『シーウルフ02、接続準備よし』
『接続位置を承認する』
『シーウルフ02、接続する』
黒江機がCV-22Jの空中給油ポッドから伸びるドローグへ受油プローブを接続しようと三から五ノットの接近率で近づく。
黒江機がドローグバスケットにプローブを指し込もうとする。しかし乱気流で振動するドローグバスケットに黒江はなかなか接続できなかった。フェンシング状態だ。
『失敗した。再アプローチする』
普段のはきはきとした黒江の声にも緊張が滲んでいた。黒江機が減速して給油機から離れ、再び接近を開始する。
「ファルコ、気流相互作用に気を付けろ。バスケットが右上に逃げるぞ」
『ラジャー』
黒江が再び接近する。気流で振動するドローグバスケットがプローブを叩いている。まるで逃げる様にじたばたと動いていた。給油できない。一旦離脱し、また試みる。黒江はなかなか強引にもバスケットにプローブを指し込もうとするが、バスケットの方は激しく動揺していた。黒江の焦燥感が笠原にも伝わってくる。ここで空中給油できなければ宮古海峡にいる《いずも》には戻れない。
笠原は最悪を想定して太もものニーボードから進入手引書を取り出した。東シナ海上周辺に存在するすべての飛行場と、各飛行場での計器進入手順が記されている。現在地から各飛行場までの距離を確認し、代替飛行場を探し始めた。ニーボードのノートに素早くペンを走らせ、現在の燃料を計算しなおす。機体重量、残燃料、外気温、風向風速、現在の速度、高度から稼げる距離を確認した。
黒江はさらに数回ほど再履行を繰り返したが、とうとう給油が成功することはなかった。
『ミスアプローチ。すまない、給油できない』
黒江が落ち込んだ声で言った。
「ラジャー。リングレイス21、こちらシーウルフ01。空中給油を中止する」
それは重い決断だった。このまま空中給油を試みながら飛んでも成功する確率は低かった。失敗は黒江の技術が原因ではない。恐らく笠原が試しても無理だろう。天候が酷過ぎた。
『シーウルフ01、残念だ。代替飛行場着陸されたし。幸運を祈る』
「了解。感謝する」
CV-22Jは翼を傾けて旋回し、ベーパートレイルを引いて離脱していく。
『シーウルフ01、こちらグロリアスクラウド。ダイバードを承認する』
「多良間空港が一番近い。天候情報を教えてくれ」
最も近い飛行場は多良間島の民間空港である多良間空港だった。滑走路は一五〇〇メートルと短いが、このラファールなら着陸出来る。
『多良間空港については暴風圏内、閉鎖』
笠原はこの言葉を聞いて今まで信じたことのない神にでも祈りたくなった。台風がすでに背後まで忍び寄っていた。
「下地島空港は?」
宮古島の西にある下地島にある空港は訓練用の飛行場で民間機は就航していない。ジャンボジェットが離着陸できる滑走路があった。
『下地島空港についても閉鎖中』
「天候は?」
『200度から十八ノットの風。雲底高度三百フィート。視程は三分の一マイル』
計器も管制塔も着陸誘導灯も無いが、他に選択肢はなかった。
「宮古空港は?」
『宮古空港も閉鎖中』
「下地島に降りる」
『無茶だ』
黒江が即座に口を挟んだ。
「やれるさ」
笠原はそう楽観的に言って針路を下地島に取った。
『シーウルフ01、こちらグロリアスクラウド。下地島空港については、地上要員はすでに避難し、空港施設については閉鎖中』
下地島は滑走路の両側に計器着陸システムを備えているが、今は飛行場が封鎖され、管理者も避難しているために機能していなかった。
「有視界方式で着陸する。それしか方法がない。以上」
笠原はそう言い切ると機首を引き起こし、上昇を開始した。黒江機は編隊を維持しながらそれに続いた。
残り少なくなった燃料で機体をだましだまし飛ばすしかない。高度を上げて三万六千フィートまで上昇する。そこまで上昇すると天候の影響も少なくなる。あとは降下しながら距離を伸ばす。
黒江はまだ異論があるらしく、珍しく話しかけてきた。
『地上からの誘導も着陸誘導灯もない。視程も三分の一マイルだ。燃料も足りない。無茶だぞ』
規定の着陸限界は視界半マイルだった。そして燃料の関係から着陸復航は出来ないだろう。最初のアプローチで巨大台風の下、まだ着陸した事の無い、誘導のない無人の空港に着陸する。無茶以外の何物でもなかった。
宮古島の宮古空港ではなく、下地島空港を選んだ理由は、下地島の方が近く、海に面しており、何か起きた際に民間人を巻き込む恐れが少ないこと、そして滑走路の向きだ。宮古空港は宮古島の内陸にあり、滑走路の向きも大きく旋回してアプローチしなければならなかった。
「無茶だがやるしかないだろう。七十億円の機体を海に沈めるわけにはいかない。視界が無くても光学センサーがある」
F-27は原型のラファールMと異なり、機首下面にJ/AAQ-4電子光学照準システムが備わっている。電子光学照準システムは赤外線前方監視装置、デュアルモードレーザー、レーザー目標追跡装置および指示装置、レーザー測量機、CCDイメージセンサ、映像データリンクの機能を有しており、悪条件の視界でも有視界飛行と変わらない情報が得られる。
笠原は電子光学照準システムが標準装備されていることに感謝した。
「それに、俺たちは艦上航空機操縦士だぞ」
普段、着陸よりも難しい着艦を決めて生きて艦に帰っている俺達には楽勝だろう──?笠原が気楽を装って冗談っぽく言ったが、黒江からの応答はなかった。
「エンジンをアイドルに」
恥ずかしさを誤魔化すように厳格な声で言った。燃料計の警告表示がHUDには表示されていた。燃料計はもうすぐ3・0を割ろうとしている。着陸時には最低でも三千ポンドを残す規定になっていた。
間もなく下地島が見えてくるはずだ。焦りは禁物だった。笠原は電子光学照準システムを起動。JHMCSのディスプレイを夜間モードにしてFLIRの映像をバイザーに表示した。
JHMCSに投影されるFLIRは笠原の頭の動きとリンクしていて、頭に暗視装置を付けたような視界が得られる。悪天候の中でも海上の波の動きまでがはっきりと見え、視線を前方に移していくと下地島が見えてきた。
周囲十一キロの小さな下地島は、伊良部島とほとんど一体になるように隣接しており、その伊良部島と東に位置する宮古島を伊良部大橋が結んでいるが、まだ宮古島と伊良部大橋は見えていない。
距離約三十マイル。海に突出した下地島空港の三千メートル級の滑走路が確認できる。三平方メートルの短い着艦用甲板に降りている笠原たちからすれば永遠のように長い。飛行場が島の三分の一を占めていた。
「右旋回。ヘディング170。ランディングアプローチのコースに入る。五分の間隔を開けろ。行くぞ」
『ラジャー』
下地島空港の滑走路は方位一七〇度から三五〇度方向に延びていた。笠原はスロットルをそろそろと押し、二機は緩徐な右旋回をする。旋回で運動エネルギーが低下しないようぎりぎりの旋回だ。
機首方位一七〇度。滑走路に向かって機首を向ける。着陸誘導も誘導灯もない。自分の目と技術だけが試される。
「このまま低高度進入、俺が先に降りて基点を設定する」
笠原は必要最低限の電子機器以外をすべてオフにした。燃料はすでにぎりぎりだった。黒江はジッパーコマンドだけで応答した。不満たっぷりという彼女の意志が感じられた。彼女は着陸間隔五分の余裕を開けて飛んでいる。笠原がしっかりと着陸できれば彼女は笠原を目印に降りることが出来るが、笠原が着陸に失敗して滑走路に墜落すれば彼女は滑走路に降りられなくなる。
さらにスロットルを戻してエンジンの回転数を下げ、二百ノットまで減速した。ギアを下ろす。JHMCSに表示するFLIRを一度解除すると飛行場は昼間だというのに真っ暗に見えるほど暗い。積乱雲と横殴りの風雨が視界を霞ませていて、肉眼での識別は非常に困難だ。再びJHMCSにFLIRの映像を表示し、飛行場を確認する。ジャンボ機が離着陸できる大きさの滑走路をはっきりと捉えた。
「ビンゴ。目視で見える」
目を凝らして滑走路を睨む。突然、機体が蹴り上げられた。慌てて操縦桿を押さえて機体をコントロールする。乱気流の中を突っ切っていた。滑走路上の吹き流しを見てもめちゃめちゃな動きをしていて、風向も風速も分からない状況で飛ばなくてはならない。下手をしたら風で機体を煽られ、地面に叩き付けられることになる。
「なんて天気だい」
低く独り言を呻いて笠原はもう一度滑走路を見た。MFDを操作し、JHMCSを通して滑走路末端に座標指示用のボックスを持ってくるとレーザーを照射してマーキングする。
「マークした。読み上げる」
正確な座標と標高が数値化されて表示された。それを読み上げて黒江に伝える。滑走路はもう近づいている。さらに速度を下げる。一八〇ノットから一五〇ノットへ。
笠原はもう一度機体を点検した。しっかりとギアは降りている。
滑走路が近づく。滑走路の端に大きく書かれた17の数字が見え、機体が風で流されているのが分かった。操縦桿をわずかに左に倒して修正しながら機首上げ姿勢を取った。ラファールの面積の広い翼がエアブレーキとなって減速し、高度が自然と落ちる。
主脚が滑走路を捉えた。衝撃が身体に走る。その時、風に煽られて左側の主脚が浮いた。笠原は唸りながら操縦桿を倒して左側に機体を傾ける。左側の主脚が滑走路を叩き、機体に衝撃が走る。エンジンを素早くアイドルへ戻した。操縦桿をさらに引いて機首角を上げる。主翼がエアブレーキとなって一気に減速した。向かい風が理想だが、幸いなことに風は二時方向から吹いている。
首脚が接地し、二十ノットまで減速し、滑走路の中ほどのタキシーウェイからエプロン地区の格納庫の方向へ機首を向けて機体を進めた。雨足は強さを増し、滑走路から五十センチ上位まで、跳ね返る雨の飛沫で飛行場は霧がかって見える。大粒の雫が風防を叩きつけて、洗車中の車内のような有り様で前が見えない。
「ファルコ、こちらシャドウ、着陸した。風向きは滑走路に対して二時方向。時折横風が強い。煽られてひっくり返るな」
『ラジャー。……これより着陸する』
あの黒江の声にも緊張が滲んでいるようだった。笠原は旅客機を格納できる格納庫の手前までそろそろと機体を進めてラダーペダルの先端を踏んだ。首脚が制動で一瞬、沈み機体は完全に止まった。
燃料計を見てぞっとした。残燃料は一千ポンドを切っていた。あと十分も飛んでいられなかっただろう。思わず胸を撫で下ろす。
エンジンをカットし、兵装をデアームド――ミサイルや対抗手段の点火剤を不活性化し、地上で外れないようにした。バッテリースイッチを切り、キャノピーを開くと雨と風が体を叩いた。たちまちずぶ濡れになる。
サバイバルキットの中からライトを取り出すとキャノピーを急いで閉じて引き込み式のラダーを伝って地面に降りた。滑走路方向で黒江のラファールのノーズギアに備わる着陸灯が見えた。風に煽られて翼が揺れているのを見ると喉が急速に乾いた。
主脚が滑走路を叩いてその弾みでバウンドしたように見えた。しかしそのままノーズギアも接地させ、黒江機は滑走路を滑る様に走り、誘導路に入る。
足がしびれていたが、走り、黒江の機体を誘導する。目の前を強風にへし折られた木の枝が通り過ぎた。避けたと思ったら今度はヤシの葉が顔面を直撃した。酷い暴風で何度もよろけながらライトで黒江を誘導し、機体を止める。
黒江もエンジンをカットし、降りてくる。
「早く建物に入れ!」
笠原は暴風雨の轟音に負けないよう怒鳴ると格納庫の方へ向かった。
「何をしている!?」
ラダーを降りて来た黒江が女にしては太い声で怒鳴った。
「機体を守らにゃいかん!」
笠原は手動で開けるしかない格納庫の扉を開けようとしていた。黒江が猛然と暴風雨の中を走ってきて笠原の脇に入って一緒に押す。
「危ないから中に入ってろ!」
「それはこっちのセリフだ!」
怒鳴り返される。なんて勇ましい女だ。笠原はそんな場合でもないのに思わず彼女に見とれた。その時、視界の端に何かが映る。
「危ない!」
格納庫に向かって突っ込んでくる木の枝があった。慌てて黒江の肩を引いて扉の奥に身を隠すと、扉を枝が叩いて激しい音を響かせた。
黒江が驚いた表情で笠原を見上げる。
「やばかったな。急ごう、機体がぶっ壊れる」
黒江は頷いた。二人は四苦八苦しながら扉を開けると格納庫内の海上保安庁の牽引車を勝手に使って二機のラファールを急いで格納庫へと引き込んだ。雨と風に打たれ続け、視界も悪くその作業には酷く時間がかかってしまった。




