第3章 第1話
宮古海峡
航空護衛艦《いずも》緊急発進待機所
August 25.2021
《いずも》は警戒任務として領海内での哨戒と訓練を並行して行っている。それは展開した第101飛行隊も同じで、パイロット達は訓練の合間に交代で防空警戒任務に就く。
今日は笠原がアラートに就いていた。五分待機と十五分待機に笠原と黒江、秋本と園倉で交互に就きながら二十四時間を過ごす。
本来、空自の戦闘機パイロットはTRから作戦に参加できるOR、対領空侵犯措置に対応できるARと有事の際には敵戦闘機と渡り合えるCRの資格を取得していくのだが、艦上航空隊はその特性上特殊で、着艦資格を取得し、一定の技量を保持していると判断されると改めてORとなる。それまでにAR、CRを取っていればそれは引き継がれるが、着艦資格が無ければ作戦には対領空侵犯措置などの任務にも参加できないのだ。
今回、秋本と僚機を組んでいる園倉はすでに着艦資格の取得が認められ、検定を経て改めてORを与えられてアラートについている。他の佐渡を始めとするパイロット達は今も着艦資格と艦上航空隊要員としての錬成訓練を行っていた。
海上訓練展開となると綿密で計画的な訓練内容となり、基礎訓練から始まり、空海共同ミッション等、飛行隊全体の能力向上が行われ、訓練最終段階になると航空戦術教導団からの指導を受ける。今回の展開は警戒任務が主な目的であり、海上訓練展開の慌ただしさは無いが、練度維持向上のための訓練は続いている。
今日もタッチアンドゴーが行われ、《いずも》の緊急発進待機所にもその轟音が聞こえてきていた。
しかし今日の訓練は午前中で終わりとなった。西の台湾を回って、最大瞬間風速百ノットを越える強烈な勢力の台風十九号が接近しており、すでに東シナ海は天候が悪化し、雨も降り始めていた。
「今日の編成、今までで一番心細いな」
今日も〈ワイリーエックス〉のクリアのシューティンググラスを室内でかけたままの秋本が呟いた。秋本の他、黒江や園倉はリクライニングするソファに座ってリラックスしている。笠原は壁際の給湯器でインスタントコーヒーを淹れようとしていた。
「うるさいな。中堅の方々は皆出払ってるんだ。我慢しろ」
アラート待機のメンバーの最先任であるパッド長は笠原だった。四機編隊長資格を持っている二等空尉は珍しい。航空自衛隊の要員不足が原因であり、笠原のような若手は本来FLを務めることはなかった。
しかし近年の航空自衛隊の増強改編に伴い、ピラミッドの頂点である幹部、特に指揮官が不足しつつあった。そのため、訓練も増やされ、笠原の飛行時間は同年代のパイロットと比べると多い一〇〇〇時間を超えており、FL資格取得の検定を受けることが出来たのだ。
この飛行隊には二尉のFL持ちは笠原と和泉、藤澤の三人だけだ。FLともなると本来は一尉ほどのベテランになる。しかし能力が無いという訳ではない。充分な錬成を受けて笠原もFLの検定を受けて技量を認められて取得していた。
「こういう時に限ってかかるんだよな、スクランブル……」
笠原からコーヒーを受け取りながら秋本が呟いた。
「縁起でもない」
笠原が言ったとき、電話の呼び出し音が鳴り、カウンターの奥で事務仕事に当たっていた飛行管理員の田島三曹が電話を取った。呼び出し音は方面隊防空指令所からのホットラインではなかった。
スクランブル発進のかき混ぜるの由来は、指揮系統や通常の飛行手順を超越して各飛行隊にオーダーが下されるからだ。
大抵は防空識別圏に入った時点で情報が入ってくるので段階的に準備しての発進になるが、ホットラインでいきなり緊急発進命令が来る場合もあった。
「国籍不明機出ました」
田島が報告した。笠原はすかさずスクリーンになっている地図の前に立つ。
「尖閣諸島久場島の北、東南東へ飛行中。単機です」
田島がすぐにスクリーンに正確な座標を表示する。
「お前が余計なことを言うからだ」
「俺のせいかよ」
秋本がぼやく中、スクリーンに表示された座標の航跡を笠原は睨んでいた。
「あーくそ、これ来るな」
「かかりますね」
園倉も同意する。中国機は防空識別圏に侵入しないぎりぎりのコースを取ってこちらに近づいていた。この《いずも》に接近する気だ。黒江も席を立って針路を確認していた。
「天候は?」
「良くありません。台風が近づいています」
気象データを表示したパソコンを田島が回転させて笠原に見せる。
「台風十九号は中心気圧八九〇ヘクトパスカル、最大瞬間風速は秒速五十メートルを越えています。強風域は六百キロメートル以上で、現在の位置は与那国島の南、七百キロの位置を時速十五キロで発達しながら北東へ移動しています」
「結構な勢力だな……」
聞いただけでぞっとする規模の巨大台風だ。笠原は台風の進路予想図を睨んだ。
「地球温暖化だねぇ」
秋本は呆れたように呟いた。
「台風がアンノウンも追い払ってくれるといいんだが」
笠原の物言いに園倉が苦笑した。席に戻ってコーヒーをすする。緊急発進に備えてとびきり薄く淹れるコーヒーの味は、味を楽しむレベルではなかった。
天気とアンノウン。嫌な要因が揃ってきた。黒江はそれでも落ち着いた顔で、ラファールの技術指令書に目を戻していた。耳にかかった髪を撫でる仕草を見て、笠原は胸がざわつくような気分になり、湯気を立てるカップに視線を戻す。薄いコーヒーでカップの底が見えて、また溜息をつきたくなる。
「そういえばシャドウはアラート、何日ぶりだ?」
「最後に就いたのは前回の展開だな」
もう一か月ぶりの実戦任務だ。秋本が笠原を見てにやりと笑みを浮かべ、黒江を見てもう一度笠原を見た。秋本は黒江に話題を振れと目で訴えていた。笠原は余計なおせっかいだとばかりに秋本を睨む。だが、貴重な話題だ。
「ファルコはどうだ?」
笠原が聞くと黒江は手に取っていたTOに顔を向けたまま横目を向けて、「ここに来る直前まで就いていた」と素っ気なく答えた。横目なので睨まれているようにも見える。
「シャドウより頼もしいな」
秋本が言う。
「ああ。リードは俺だが、頼りにしているぞ」
笠原がそう言うと黒江はやはり笠原を白けた横目で見たまま、「了解……」とだけ答えて視線をTOに戻す。笠原は目だけで秋本と園倉に助けを求めた。秋本は苦笑して肩を竦める。
「じ、自分もシャドウさんとファルコさんは頼りにしています! 空護でのアラートは初めてで……!」
慌てて取り繕うように園倉が黒江に向かって言う。
「大丈夫だ。編隊長を信じて訓練通り飛べばいい」
黒江はTOを閉じると園倉に向き直って親身な顔でアドバイスする。言葉に含まれる感情が違いすぎて今度は二の句を継げない笠原が完全に閉口した。胸の奥が軋んですり減るような痛みを覚える。あからさまな態度の違いに秋本すら戸惑った表情を見せた。
その時、電話のベルが鳴り、一同は一斉に振り返った。田島が間髪入れずにホットラインの電話を取る。
「バトルステーション!」
田島が張り上げた声に笠原は瞬間的に立ち上がった。黒江の方を横目で一瞬見たが、黒江は笠原を振り返ることなく、待機室の出口へとすでに向かっていた。
B/Sがかかると五分待機組は要撃発進に備えて射出位置にて待機し、十五分待機は五分待機に繰り上がる。
このままの関係では連携も覚束ないし、任務にも支障が出る。他人に興味もないし、積極的に会話をする必要はないと思っているが、このままでは駄目だ。
笠原は黒江の後を追うような形で待機室を出ると小走りで進み出した黒江に追いつく。黒江は飛行甲板出口前で一瞬だけ、歩みを止めた。
台風の接近に伴う強烈な雨が飛行甲板を叩き付けていて、暗い雲が空で渦巻いていて、薄暗い。飛行甲板に立つデッキクルーたちも雨風に煽られてよろけそうになっていて、服が激しくはためいていた。しかしこれを抜けていくしかない。
黒江の歩みが一瞬だけ止まったのを見て笠原はすかさず声をかけた。
「ファルコ、帰ったら時間をくれ。少し話したいことがある」
「……別に構わないが」
黒江は答えながらも笠原の顔を見て訝しげにもとれるような表情をしている。
笠原はもう振り返らずに雨の中の飛行甲板を突っ切って機体へと急いだ。




