第2章 第4話
太平洋
沖大東島射爆場
August 24.2021
沖縄南東約四百キロの位置にある無人島、沖大東島。その島の上空を戦闘機の爆音が支配していた。
その沖大東島から離れた待機空域で旋回するラファールに乗り込んだ笠原は、統制を行う複座のF-27Bラファールの後席に乗り込んだ安藤からの指示に耳を傾けつつ、兵装の最終チェックを済ませた。
今回の訓練は空対地攻撃訓練だ。ラファールは航空護衛艦に艦載する建前、要撃任務を担当する戦闘機として取得されているが、それを運用する艦上航空隊では空対空、空対地、空対艦など様々な任務をラファールに任せる。その任務に柔軟に対応することが艦載戦闘機パイロットには求められていた。
航空護衛艦運用は、離島地域の防衛上のタイムラグを埋めるだけでなく、陸海空統合運用のためにも重要な役割を担う。自衛隊版海兵隊といえる水陸両用作戦能力を持った水陸機動団が新設されたが、陸自から独立していない水陸機動団には米海兵隊の海兵航空隊のような直掩攻撃機はいない。彼らに近接航空支援を提供するのも艦上航空隊の任務の一つとされていた。それはもちろんラファールを要撃戦闘機に分類していることと矛盾しているが、多彩な兵装を運用することの出来るラファールならではの任務だ。
『シーウルフ11、こちらレイダー05。レーダー・ホリゾンタルレンジ(水平線見通し探知距離)70マイル。付近にトラフィック(航空機)なし。これより状況を開始する。チャンネル・チャーリー・ブルーでFACウミギリとコンタクト』
コールサイン「レイダー05」の安藤が呼びかけた。訓練開始だ。
「シーウルフ11、ラジャー」
笠原は応答し、チャンネルを地上にいる陸自の前線航空管制との周波数に合わせると、そのコールサインに呼びかけた。
「ウミギリ、こちらシーウルフ11。ラジオチェック。応答願う」
『シーウルフ11、こちらウミギリ。感明良好。貴機の位置を確認している。誘導を開始する』
無線に響いたのは驚くことに女性陸上自衛官の声だった。地上にいるのは水陸機動団の偵察隊のはずだ。
偵察隊とは中国人民解放軍内での位置づけは特殊部隊であり、諸外国の偵察隊もまたその能力は非常に高いレベルを持ち、少数精鋭で味方とは離れ、敵地後方に潜入して偵察行動を行う事から任務もまた厳しいものだ。
そんな部隊に女性隊員が配属されているとは知らなかった。陸自では前線航空管制を行う爆撃誘導の隊員は、米国で統合末端攻撃統制官資格を取得する。JTACの訓練課程は特殊部隊要員を育てるのと同等に厳しいものだ。それを乗り越え、なおかつ精強な水陸機動団、そしてその中でも精鋭の集まる偵察隊に所属しているのだからただ者ではない。
しかし支援戦闘機のパイロットには都合が良い。管制を行うFACの声は凛として無線越しでも良く通った。そもそも女の声というのは生物学的に心地よいと人間が感じる性質を持つ。それに緊張を強いられる激動の中や多少の雑音があっても女の声は聞き取りやすい。
『有視界一回攻撃。|攻撃指示受領準備良いか《アドバイス・ウェン・レディフォア・コマンド》』
この陸空の合同訓練は、敵の勢力圏内のレーダー施設を目標とした航空阻止攻撃のディープストライク・ミッションを想定した航空支援だ。敵レーダーから隠れるように鳥島射爆場から南に位置する久米島の影から迂回して攻撃進入する。
「シーウルフ11、準備よし」
『シーウルフ11、兵装指示GBU-55。進入点、変更なし。レーザーは着弾十秒前に実施』
胴体下のSTA.No6に480ガロンの増槽、主翼のSTA.No5とSTA.No7に1000ポンドのMk83爆弾にレーザー誘導付与統合直接攻撃誘導装置キットを装備したGBU-55誘導爆弾を装備していた。
LJDAMによってGBU-55はGPS誘導と慣性誘導システムに加え、終末誘導にレーザー誘導を受けることにより、より精度の高い精密戦術爆撃が可能だ。
二〇一八年以前は五〇〇ポンドのMk82爆弾をベースとしたJDAMやLJDAMしかなかったが、今日の航空自衛隊の対地兵装は非常に拡充されており、一〇〇〇ポンドだけでなく、二〇〇〇ポンド爆弾、GBU-12ペイブウェイ精密誘導爆弾、小直径爆弾等、様々な装備が導入されていた。
「シーウルフ11、ラジャー。IP・U通過。南より空域へ突入!』
『二番機も同じ』
『シーウルフ11、12。攻撃を許可』
「ラジャー。マスターアーム・オン」
MFD上の兵装制御画面がSTBYからRDYへと切り替わる。
笠原は一呼吸を置くと操縦桿を握る手の力を抜いた。
「ファルコ、行くぞ。ダイブ……ナウ」
笠原は翼を振った。そして親指と人差し指の付け根で操縦桿を前に倒す。機首が一気に下がり、機体は急降下する。
下降で位置エネルギーが運動エネルギーに変換され、HUDに表示された速度計のカウントが一気に増し、高度計の数値は目まぐるしく減っていく。マイナスGで体が射出座席から浮き上がるようだ。トルマリンブルーの海面が眼前に広がり、急速に迫ってくる。海面すれすれで操縦桿を引き、機首を引き起こす。
高度五十フィート、海面まで約十五メートルだ。高度五十フィートは支援戦闘機パイロットの領域になる。当初は要撃任務に当たる制空戦闘機のパイロットであった笠原は高度が三百メートルを切るだけで落ち着かなかったが、今は違う。
スロットルはミリタリーゾーンに。再燃焼装置に点火し、機体は低空でさらに加速する。マッハ一・一。
低空では極端に燃料の消費効率が悪くなる。航続距離が長い訳ではないラファールは背にコンフォーマルタンクを装備することが可能だったが、今日は装備していない。
『高度が低すぎるぞ……!』
黒江が珍しく声を出した。笠原は飛びながらも常に僚機の位置に気を配っていたが、黒江はいつものようにぴったりとした追従をしておらず、躊躇っているように見える。
「大丈夫だ。それより敵のレーダーに捕まるぞ」
実戦なら敵の捜索レーダーが接近する攻撃機を血眼になって探しているはずだ。それを掻い潜るためにはより低空を飛ぶしかない。笠原は短く応答しながらJTACの言葉に耳を傾けた。彼女の誘導が頼りだ。
『十秒後に照射開始!』
JTACが声を張る。ラダーペダルを踏んで機体の針路を保つ。
『照射開始!』
地上のJTACがJ/PED-1軽量レーザー目標指示測距装置を使って目標に一連の符号化されたパルスレーザーを照射する。
「ポップアップ、ナウ!」
笠原はレーザー照射を捉え、攻撃を実施するために機首を引き起こし、高度五百フィートまで上昇する。気づけば鳥島射爆場はもう目前に迫っていた。
F-27EJの機首下部に電子式光学照準システムが目標に照射されて反射された目標指示用のパルスレーザーを検出した。
「レーザー捕捉!目標捕捉――」
爆撃成功を確信し、「投弾、全弾投弾」をコールしてレリーズボタンに添えた親指に力を込めようとしたとき、悲鳴に近い声がそれを遮った。
『中止!アボート!』
安藤の声だった。笠原は咄嗟にレリーズボタンから手を離すと即座にアフターバーナー・オンで急上昇する。衝撃波が海面を叩いた。
「何事ですか?」
笠原は苛立ちを覚えながら聞いた。爆撃は的確に実施されようとしていたはずだ。何かの手順を誤った……?
『訓練中止!防空識別圏に国籍不明機侵入。ヘディング120、こっちに向かっている!』
「畜生」
どこの馬鹿だ、邪魔をしたのは!? と、怒鳴るまでもない。間違いなく中国機だ。心の中であらゆる罵詈雑言をその中国機に浴びせて念じる。
「……ファルコ、ノック・イット・オフ。マスターアーム、セーフ。待機しろ」
『ラジャー……スタンバイ』
笠原は黒江の口調に違和感を覚えた。歯切れの悪い、いつもの明確な応答ではなかった。黒江もまた動揺しているのか。
陸空自衛隊の重要な統合訓練の一つだったというのにそれを邪魔された怒りはまだ笠原は収まらなかった。
「ベア、こちらシャドウ。敵性航空機への対応は?」
『要撃機が上がった。お前たちは帰投しろ』
「ラジャー」
笠原は返答すると黒江機を見た。いつも通りのポジションにぴたりとつけている。
「ファル、ヘディング086、RTB」
『ラジャー、RTB』
機首を翻し、バンクをとって旋回する。
《いずも》に着艦してからも不満は渦巻いていた。コックピットから出ると機体を整備員に任せる。主翼には今日使われるはずだったMk83一〇〇〇ポンド爆弾にLJDAMを組み合わせたGBU-55が虚しくぶら下がっていた。
「まったく……大切な訓練の邪魔をしやがって」
笠原が呟くと渡邉が肩を叩いた。
「まあ、何事も無くて何よりですよ」
「そう言い切るわけにもいかん」
笠原はふと視線を感じて振り返った。黒江がヘルメットを抱え、自分の機体のそばで笠原を見つめていた。その眼には普段の冷たい無関心とは違う、意志を感じた。黒江の飛行服は汗を吸ってオリーブグリーンがさらに濃くなっていた。額にも汗で髪の毛が張り付いている。
一瞬、二人は見つめ合ったが、黒江の方が先に視線を外した。笠原は今までにない視線に戸惑いながらも渡邉の言葉に生返事を返していた。
「どうしたんですか、空で何か?」
「いや……」
笠原は尾を引かれる思いをしながらも機体を振り返った。
「だいぶ低空を飛んだから入念に洗っておいてくれ」
「分かりました。いくつまで下がったんです?」
「五十フィート」
「へえ」
渡邉はその言葉になぜか嬉しそうだった。
少し遅れて安藤達の乗るラファールが着艦してくる。
「他の訓練はどうなってるんだ?」
今日は笠原達がアビエイター資格と呼ぶ艦上航空隊のOR資格の検定が並行して行われていた。検定に合格すれば学生は晴れて正式な艦上航空要員となり、空護からの任務に就くことが出来るようになる。今日は佐渡の検定日だった。
「順調だと思いますよ。スケジュールに変更はありません」
「そうか」
そんな会話をしていると駐機スポットに収まったラファールから安藤とパイロットを務めた藤澤が降りてくる。安藤は笠原よりも怒っていた。
「邪魔してきた中国機には厳重な抗議をしてやらんといかんな」
「だからって国際緊急周波数で、おいこの野郎は無いっすよ」
「送信はしてない」
安藤が大股で藤澤と大声で話しながら笠原に近づいてきた。
「あと三十秒早ければボムズアウェイだったというのに!あの中国野郎にマナーってのを教えてやりたい。台風も近づいていて訓練は延期できないんだぞ!」
よく考えればこの科目を組んだのは安藤だ。自分の計画した訓練を滅茶苦茶にされて憤っているのだろう。そこへ黒江もやってくる。
「デブリーフィングに行くぞ」
鼻息の荒いまま安藤はそう言って歩いていく。笠原は苦笑気味で後ろに続いた。藤澤が黒江に話しかけ、黒江がそれに答えているのが背後で聞こえていた。その態度はやはり笠原に向けるそれとは明らかに違い、感情があった。疎外感は辛く笠原の耳から胸に響いていた。




