第33話「少年兵はブラック・デスと名乗った」
ジークフリート公子は、闇に満たされた要塞監獄の中を歩いていた。
ところどころにランタンが吊されており、完全な闇にはならない。
公子は、夜明けまでの間隠れる場所をもとめ、要塞監獄をさまよっていた。
おそらくクラウス公子の放った刺客は、彼の牢獄をめがけて襲ってくるはずだ。
それならこの要塞監獄の深部に潜めば、みつからないかもしれない。
朝を迎えれば、マリーンの魔法が要塞監獄の存在する次元の位相をずらし、誰も入り込めなくするはずである。
ジークフリート公子は全身の感覚を研ぎ澄まし、迷宮のような監獄の深部へと下っていく。
かつて一介のならず者となり、魔族の棲むダンジョンを探索したころを思い出す。
あのころからするといろいろとなまっているとは思うが、自分の本質は変わっていないはずだとも思う。
公子はとりとめもなく、過去の追憶へと沈んでいく。
本当に若かったころ、ジークフリート公子はトラウスの王宮で暮らしていた。
そこは若い日の彼にとって耐え難いほど複雑で、混沌とした世界であった。
若き公子の周りにいたのは、魑魅魍魎のような連中である。
味方のようにみえる敵、敵のようにみえる味方、そして大半は状況によって敵にも味方にもなるものたち。
そうした連中に囲まれて生き延びていくには、神経を研ぎ澄ましあらゆる情報の裏の裏をよみ、相手の手を常に先読みして先手をとり続ける必要があった。
若い公子は全てにうんざりして自ら王宮を追放され、外の世界で生きていくことにする。
はじめは、外の世界はとても単純におもえた。
盗賊たちも、傭兵たちも、ならず者は皆、力に従う。
力がたりなければ死ぬし、相手を上回ることができれば生き延びた。
それは、とてもシンプルに思える。
しかし、外の世界はそれで終わるわけではなかった。
やがて彼は、ひとを家畜とみなしその魂を喰らうことを楽しみとする不死の魔族に出会い、心の奥底まで貪られそうになる。
あるいは、ひとをただの実験道具かなにかとしか思わぬ魔導師たちと出会った。
そうした連中にとって彼のようなただのひとは、道端を這いずる虫けらにすぎない。
ジークフリート公子は外の世界で生きていくには、自分も人外の怪物にならなければ無理だと気がつく。
公子にとって、それは趣味に合わなかった。
できれば王国の古き約定に守られ、ぬくぬくと生きてゆきたいと思う。
そう思うとかつて複雑と思えた王宮も、箱庭の中のように思えた。
まあ、いろいろやっかいな連中がいても、所詮箱庭に棲む同じ虫けらの仲間なのだ。
そこに、猛獣や猛禽はやってこない。
そうして彼は王宮へ戻るため、ここへやってきた。
ところが彼の弟であるクラウスは、もうひとつの選択肢を選んだらしい。
自ら人外の怪物となり、外の世界で生きていく。
それだけならともかく、クラウスは箱庭と外という枠組みすら壊そうとしているようだ。
まあ自分がそのやりかたを選択しなかったのはたかだか気分の問題で、クラウスと自分の間にそう差異があるとは思わない。
だが、クラウスが望むがまま殺されてやる気分にも、ならなかった。
ふと。
ジークフリート公子は、足を止める。
薄闇のベールに全てが覆われた監獄要塞の深部。
そこを貫く通路の先に違和感を、感じた。
通路に落ちる闇の固まりに、悪意が潜んでいるように思う。
その後公子がとった行動は、本能的なものだ。
ジークフリート公子は、手にしていた対戦車ライフルをかまえると闇に向かって撃つ。
強烈な反動が肩から全身に伝わり、一瞬意識が遠くなる。
闇の中に火花があがり、金属でできた人型が姿を現す。
その後の公子の動きは、人間離れしたものがあった。
対戦車ライフルを構え、人型へ向かって突撃を行う。
人型の放った銃弾がジークフリート公子に襲いかかるが、闇色の左手は殺意が具現化したような銃弾を弾き飛ばす。
公子は10メートルはあったであろう距離を、瞬きをする間に移動していた。
金属の人型は、手を伸ばせば届く距離にいる。
自分に対してライフルの銃口を向けようとする人型に対し、公子は手にした対戦車ライフルを棍棒がわりに殴りかかった。
鋼鉄の塊であるライフルが、風を巻き起こし唸りをあげる。
金属が絶叫をあげ、人型のライフルは一発暴発すると機関部を破壊されて動作不良をおこす。
ジークフリート公子は同じように破壊された自分の対戦車ライフルを、剣のように青眼の位置で構えた。
人型は、壊れた銃を腕からはずしナイフを抜く。
公子は人型を観察し、オーラの機動甲冑のようだと思う。
だとすれば、この金属の人型にはひとが乗っているはずだ。
「そなたは、クラウスに雇われた傭兵であろう。どうだ、余はクラウスの倍はらうぞ」
呼びかけを試みたところ、笑い声がかえされる。
その声は、思ったより若い。
少年かとすら、思う。
「金が目的では、ない」
ジークフリート公子は、青眼の構えをとき穏やかな笑みをみせる。
「よかろう、望みを言うがよい。余が王となったときには、必ずや叶えることを約束しようぞ」
人型は、失笑する。
「世界を滅ぼすのが、望みだ」
「豪儀である」
公子は、鷹揚にうなずく。
「しかしそれは少しばかり、難しい、なあ、少年よ。まず、名を聞こうか」
人型は、予想に反して返答する。
「ブラック・デス」
ジークフリート公子は、頷く。
「名をありがとう、ブラック・デス殿。余のことは知っておるかもしれんが、ジークフリート・フォン・ローゼンフェルトという。さて、ブラック・デス殿。世界を滅ぼしたところでまた新たな世界が出現するだけだ。何も変わらんのだよ。それよりも、世界を変えたいとは思わんかね」
ブラック・デスと名乗った少年兵は、馬鹿にしたようにこたえる。
「僕の父親は、戦場で犬のように殺された。母親は僕を守るため、犯されて殺された。妹と弟は、野兎のように狩られて死んだ。僕は生き延びるために狩る側にまわって、何百人も殺したよ。もう十分だ。何もかも、終わらせたい」
「うむ、そなたは余の治める領地では、誰も殺さずとも暮らせることを約束しよう」
ブラック・デスは、フェースガードをあげて自身の顔をあらわにする。
ジークフリート公子は、予想以上に幼く無垢にみえる顔に少したじろぐ。
「おなじことを言うやつに過去十人ほど出会ったが、みんな嘘をついていた。だからみんな、殺したよ」
ブラック・デスは、嘲りの笑みをうかべる。
「あんたの話は、あんたの弟のはなしと比べるとまったくつまらない」
いきなりブラック・デスの身体から殺気がたちのぼり、それは氷の刃となってジークフリート公子を貫く。
本能的に後退しようとする公子に、ブラック・デスのふるうナイフが襲いかかった。
機動甲冑が放つ絶叫のように甲高い機械音と、ナイフが空気を裂く音が共鳴し死の歌を叫ぶ。
公子は対戦車ライフルをかざしてナイフを受けようとしたが、それは木の枝のようにへし折られた。
ジークフリート公子は、後ろへ跳躍し距離をとろうとする。
しかし、ブラック・デスは同じ速度で間合いをつめてきた。
腹部に突き立てようと繰り出されるナイフを、公子は漆黒の左手で受け止める。
金属の左手をあっさりナイフは貫いたが、公子は気にせずナイフを持つ機動甲冑の手を握った。
ジークフリート公子は、獣の雄叫びをあげるとその手を握り潰す。
ブラック・デスは、驚きを顔に浮かべ落としたナイフをもう一方の手でひろうと距離をとることをゆるした。
「残念である、ブラック・デス殿。かなうことなら、余はそなたを臣下に加えたいが」
ブラック・デスは返答のかわりにフェースガードを、降ろし顔をかくす。
公子は、いきなり振り返ると超人的なスピードで走り出した。
少しだけ虚をつかれたブラック・デスは、ジークフリート公子の後をおう。




