第30話「運がよければ、生き延びられるはず」
僕の名は、クリスマス。
僕はかつてクリスマスの夜に、一度死んだ。
今では、ひとの身体を模造した人形の中でエミュレートされる、プログラムである。
さて、なぜそんなことになったかを、説明するとしようか。
はじめにことわりを、いれておく。
僕の話は、時系列的にはマヤの語った話のあとに接続されるものだ。
僕はその時点では、マヤの頭の中でエミュレートされている存在であった。
だから本来僕が持っている情報は、マヤが見聞きしたことと同じものとなる。
けれど僕は全てが終わったあとに、魔導師マリーンと情報交換をした。
マリーンはあのとき戦闘に関わったすべてのひとのこころに忍び込んで、情報を収集している。
だから僕はあのとき戦闘に関わったすべてのひとの視点で、話をすることが可能だ。
これからする話は、マヤと僕の視点でだけはなく全てを俯瞰していたマリーンの視点も交えて語ることになる。
少しばかり、前置きが長すぎたようだ。
それでは、話をはじめよう。
いかにファントム・マヤが勝利して元の世界に帰還したか。
そしてそのことのついでに、どのように僕がこの身体を手に入れたかの顛末を。
◆ ◆ ◆
マヤは、闇の中で目を覚ます。
一体何日ぶりの睡眠だろうと、思う。
しかもその睡眠ときたら、ぜいぜい一刻程度か。
まあ、全く眠らないよりはましかもしれないと、マヤは思う。
マヤは、藁を敷き詰め綿のシーツを被せた木のベッドで身をおこす。
突然、部屋が明るくなった。
マヤはベッドサイドに、アイゼン・ジャックとなったランゲ・ラウフが立っているのをみておお、と思う。
部屋の照明は、ランゲ・ラウフのボディにつけられたライトによるものだ。
「おはよう、マヤ」
ランゲ・ラウフが、アイゼン・ジャックのスピーカーから話しかけてくる。
マヤはうなずき、ランゲ・ラウフの差し出した陶器の水瓶とコップを受け取った。
マヤはコップは無視して、水瓶から直接水を飲む。
水は、薬草の香りと薄められた果実酒の味がした。
マヤは、水を飲んで少し意識がクリアになるのを感じる。
マヤは水瓶を、サイドテーブルにおく。
ふと、そこに本があることに気がついた。
彼女を、この世界へとつれてくることになった、重厚な革表紙の本。
マヤはその本を開くと、中の拳銃を取り出す。
蒼ざめた輝きを放つルガー・ランゲ・ラウフをとりだした。
その銃はとても、重い。
命を刈り取る重さを持った拳銃を、マヤは腰にさす。
戦いにのぞむからには、まず武装からだとマヤは思う。
マヤは改めて、ランゲ・ラウフをみた。
頭部には空力用パーツが取り付けられ、金属のフードを被っているようだ。
腕にはあのアイゼン・イェーガーを葬った対戦車ライフル、ゾロターンが装着されている。
そして、背中には例のヘンシェル・HS298ミサイルも装着済みらしい。
完全に、戦闘準備は整ったということか。
マヤは、こころの中で僕に語りかける。
(頼んでいたことは、完了してると思っていい?)
僕は、マヤに答える。
(君の脳内ニューロン発火パターンをトレースするのは、ここの資材ではいささかやっつけ仕事にならざるおえなかったが、それでもできたよ。ランゲ・ラウフにダウンロード済みだ。リトル・マヤをね)
マヤは、薄く笑うと頷いた。
(完璧である必要は、ないはず。そうでしょう?)
僕は、答える。
(僕の理論が正しければ、そのとおりだ)
僕は、ベルクソンの記憶理論に基づいてシステムを造り上げている。
ベルクソンの記憶理論では、脳内に記憶が保持されるわけではない。
では、それはどこに保持されるのか。
ベルクソンは、空間という抽象的な概念を使う。
でも僕は、こう考える。
記憶は、空間に場の性質として保持され量子的ユニタリティとなって存在するのだ。
では、脳内にあるのは何か。
僕は、記憶が保持された量子的ユニタリティに量子リンクをはるための、接続情報だと思う。
僕が造った脳内に記憶をダウンロードするシステムは、脳内にその接続情報を生成するためのプログラムだともいえる。
つまり本当の記憶はこの世界のどこか、ディラックの海のようなところに沈んでいるのだ。
マヤは、部屋の中に立ち上がる。
そして彼女がバズリクソンズのものだと信じているフライトジャケットを身につけると、部屋の出口へと向かった。
ランゲ・ラウフが、後ろに続く。
薄暗い廊下にでたところで、ちょうどとおりかかったディディと出会う。
マヤを見つけたディディは、声をかけてきた。
「やあ、マヤ。目が覚めたようだね」
マヤは、静かに頷く。
まだ少し夢の中にいるような眼差しを、ディディに投げかけた。
「ディディ、みんなを集めてくれるかしら。ブリーフィングを、はじめましょう」
ディディは、軽くうなずく。
「ホールに皆んな集まって、君を待っている。君さえよければ、これから案内しよう」
「ありがとう」
マヤは、少しうなずくとランゲ・ラウフを従えディディに続く。
重厚な石の壁に囲まれた廊下を、ディディに導かれマヤは歩いていった。
時折、天井近いところに窓がみえる。
マヤは、そこから夜空を見上げて星々が輝いているのをみた。
マヤは、いつのまに夜がきていたのだろうかと、ぼんやり思う。
気がつくと、マヤはホールにいた。
そこは四五十人のひとが入れそうな、場所である。
でもそこにいるのは、人化の呪いを受けた動物たちであった。
ベアウルフに、鴉たち。
十頭のベアウルフに、十羽の鴉。
それにディディを加えたら、ほぼ全戦力ということになる。
皆、マヤを中心にして円座をくむ。
こうして猛獣たちがそろって跪くと、ライオンキングのワンシーンのようだとマヤはこころの中で思う。
気がつくと、フード付きマントに身を包んだ魔導師マリーンがそばにきていた。
マヤは、幼女の姿をしたマリーンに頷きかける。
「マリーン、まずあなたの状況から聞かせてくれるかしら」
マリーンは、幼女の姿には似合わない少し憔悴した顔で話をはじめる。
「順調では、あるけれど。魔法の復旧は、どんなに急いでも夜明けまではかかるわね」
マヤは、マリーンに頷いた。
「わたしたちは後、二刻は持ちこたえないといけない、そういうことね」
マリーンはけっこう疲れているようで、無言のまま頷きかえした。
集中力のいる上に生命力を削る作業をやってるのだから、しかたないとマヤは思う。
ただ、いつもの皮肉で辛辣な調子がなければ拍子抜けで、どこか寂しい気さえする。
マヤは、傍らに立つディディのほうへ顔を向けた。
「ジークフリート公子は、どうしてるかしら」
ディディは、無言のままホールの入り口を指し示す。
ちょうど、ふとった公子がベアウルフを従え、入ってくるところだった。
ジークは、マヤを見つけると満面の笑みを浮かべ両手をひろげる。
「おお、マヤ殿。我が救世の女神、そなたに、ヌース神の祝福があらんことを!」
無造作に歩みよってくるジークに向かって、マヤも笑みを投げかける。
そして、腰に指していた拳銃をとりだしかまえた。
ジークフリート公子は少し怪訝な顔をしたが、笑みを浮かべたままだ。
マヤはまったくためらい無く、拳銃の狙いをジークフリート公子の頭にあわせると引き金をひく。
銃声が響くのと同時に、頭を沈めて銃弾をかわしたのはさすがというべきか。
けれどマヤは公子の動きを、よんでいた。
マヤは、さらに三発の銃弾をジークフリート公子の太った胴体めがけて送り込む。
公子が避けようのないタイミングを、見事に狙っている。
ジークフリート公子の目が、一瞬凶悪な輝きを宿す。
包帯の巻かれた左手が、銃弾を受け止める。
着弾の衝撃で包帯が解け、白い渦を巻き床へと落ちた。
ジークフリート公子の、黒い左手が露わになる。
金属の質感を持つその左手から、ひしゃげた三つの銃弾がこぼれた。
漆黒の左手は、強烈な妖気を放っている。
魔法で造られた、義手のようだ。
ジークフリート公子の身体から、陽炎のように殺気が立ち上る。
獲物に襲いかかる野獣の目になった公子は、ランゲ・ラウフのゾロターンが自分に向けられていることに気がつき動きを止めた。
マヤは、ちっと舌打ちをする。
「ジークフリート公子を殺してクラウス公子に死体を差し出すのはどうかな、て思ったんだけど」
マヤの問いかけは、後ろに立つディディに向けられたものだ。
ディディは、いつもの落ち着いた声で応える。
「あまり意味はない。それほどジークフリート公子の命に価値はないよ、マヤ。クラウス公子が兄を殺そうとするのは、もののついででしかない。彼の狙いは、ランゲ・ラウフだ」
マヤは、ため息をつく。
「ランゲ・ラウフ君をクラウス公子にひきわたすと、どうなるかしら」
「その場で殺されることは、ないだろうな。しかし、クラウス公子はランゲ・ラウフのシステムを使い彼の持つ魔剣に付着した狂気の魔導師ガルンの残留思念を、自分の頭にダウンロードする」
ディディは、とてもあっさりした口調で語る。
「そうなると、君たち脆弱な人間は皆殺しだろうね」
マヤは、あははと笑うと拳銃をおさめる。
「役立たずのデブを殺すのは、少なくとも今日ではないわね」
ジークフリート公子は、油断なくゾロターンに意識を向けながらも笑ってみせる。
「そなたの温情に、感謝しておくよ。マヤ殿」
「感謝するのは、少しはやいかな」
マヤは、微笑みながらゾロターンをランゲ・ラウフの腕からはずすと公子に向かって投げる。
ジークフリート公子は、驚いた顔でその対戦車ライフルを受け止めた。
「ジークフリート公子、あなたにもクラウス公子配下の兵と戦ってもらう。そのライフルでね」
公子はゾロターンを手に、黙ってマヤを見つめる。
罠を見定めようとする、獣の瞳で。
マヤは、苦笑した。
「なんだ、襲ってこないのか。つまんないな」
ジークフリート公子は、苦笑を返す。
「戯れ言がすぎるようだね、マヤ殿。我々はともに戦う仲間ではないか」
マヤは、鼻で笑うと手を振った。
「じゃ、あなたは牢で待機ね。扉は開けといてもらうから、出入り自由よ。あなたを殺しにくるクラウス公子の刺客はきっと手強いよ、気をつけてね」
ジークフリート公子は、鷹揚に頷く。
「苦しゅうない」
公子は王族らしいおおらかな口調で、いった。
「余は王になる身であるがゆえ、史上最強である」
マヤの失笑に公子は会釈で応えると、ベアウルフと共に退場していった。
鴉の一羽が、声を発する。
「ドラゴネットガ、ソラカラチカズイテイル」
マヤは、マリーンに向かって声をかける。
「マリーン、視界の共有を頼めるかしら」
マリーンは、疲れたを眼差しを返ししつつも素直に頷く。
マヤの目の前に、光の球体が出現する。
球体の中には、星の輝く夜空が浮かんでいた。
マヤは、小型化したプラネタリウムのようだと思う。
その夜空の中を、小さな黒い影が飛んでいるのが見えた。
大きなコウモリのようでもあるが、それがドラゴネットと呼ばれる竜であるとマヤは理解する。
数は、十頭ほどか。
マヤは笑みを浮かべると、頷いた。
「それでは、状況を開始する。竜たちを、迎え入れよう。その後、わたしとランゲ・ラウフ君がでるから後始末をディディ、あなたたちにまかすわ」
マヤの眼差しに、ディディが頷いて応えた。
「じゃあみんな、かかるわよ」
マヤのその言葉にこたえるように、ベアウルフたちは一斉に立ち上がった。
巨大な猛獣が一斉に立ち上がると、かなり迫力がある。
マヤは薄く笑みをうかべベアウルフたちを一瞥すると、ホールの出入り口へと向かう。
ランゲ・ラウフとディディが、あとに続いた。
そしてその後に、ベアウルフの集団が続く。
鴉たちも、死のように昏い翼を広げ羽ばたかせる。
鴉たちは、天井近くの窓から黒く塗りつぶしたように暗い外へと飛び立っていった。
ディディが、後ろからマヤに声をかける。
「マヤ、君はジークフリート公子が、生き延びられると思うか」
マヤは、微笑んで見せた。
「彼が言うように最強なら、互角くらいにいけるんじゃあないかな」
ディディは、無言でマヤの言葉受け止めている。
「運がよければ、生き延びられるはずよ」
そしてマヤたちは、屋上へ向かう階段を登った。




