第16話「王道ラノベであれば二三行」
わたしはディディに導かれるまま、要塞の奥深いところへと入り込んでいた。
ジークフリート公子が収監されている牢獄は、ランゲ・ラウフ君のいた部屋以上に厳重な警備に守られている。
わたしたちは、頑丈そうな鉄格子をいくつもくぐり抜けていく。
わたしとディディは、最後にとても大きな石の扉を越えてジークフリート公子のいる部屋へと入り込んだ。
入った瞬間、えっと思う。
そこは、豪華な家具が用意されている立派な部屋であった。
ベッドはキングサイズで、天蓋付きだ。
椅子やテーブルはヌーボーのような曲線を多用した装飾が施された、凝ったつくりにものである。
照明は、宝石のように細工が施されたシャンデリアだった。
数十本のキャンドルが灯されており、微かにアロマの香りがする。
まあ、皇族や貴族を収監するための牢獄なんだから、こんなものなのかと思う。
ディディが、絹のカバーがついた布団がかけられているベッドに向かって声をかけた。
「ジークフリート公子」
ベッドの布団が動き、のそりとひとが起きあがった。
太っている。
王子らしく、絹製らしいレースの飾りがついたシャツを身につけているが、太っていた。
サファイアのように青く美しい瞳に、太陽の輝きを持つ金髪を持っていたが、とても太っている。
多分、アフロヘヤを頭に乗っければ、オオノ君に似ているように思う。
ただ、オオノと大きく違うのは。
それはまあ、皇族だけあって太っているながらもそこはかとない気品のようなものを、感じはするけれど。
そんなことではなく、さすが皇族だと思えるのはその邪悪さだった。
そう、邪悪さ。
口元に薄く浮かんでいる笑みには、オオノ君ではとうてい真似できないであろう邪悪さがあった。
「ほう」
デブの王子は、わたしを見ながら感心したようにため息をついた。
「中々気がきくではないか、十九号。幽閉された余の無聊を慰めるため、小娘を用意するとは」
ディディは、あきれたように首をふるがデブの王子は意に介さずわたしをじろじろ見る。
「しかしな、余はだまされんぞ。だまされはせん」
公子は、嘆くように左手で顔を覆い天を仰ぐ。
その左手には、包帯が巻かれていた。
怪我でも、したんだろうか。
「おお、余は皇族としては恥ずかしながら、重大な欠陥があるのじゃ。とても、嘆かわしく、残念なことではあるがのぉ」
ディディが、やれやれと口を開こうとしたがジークフリート公子は手でそれを止める。
「いや、とはいえ十九号、そなたの好意を無碍にするのはどうかと思う。それは、皇族としていかがなものかと思うのだ」
突然、ジークフリート公子はわたしの目の前にいた。
まるで、魔法のような瞬間移動である。
しかし、それは魔法ではなく、おそらくは超人的な身体能力によるもののようだ。
デブの公子は、キスができそうなくらい、顔を近づける。
とても綺麗にきらきら輝く青い瞳が、すぐ前にあった。
その後におこったことはあまりに唐突すぎて、わたしは何も反応することができなかった。
公子の太った右手が、わたしの胸を鷲掴みにする。
わたしは、悲鳴をあげることもできず固まってしまう。
公子は、まるで診察をする医者のように冷静な表情で、わたしの胸をもむ。
「なるほど、胸はある。しかし、この程度のことで余は騙されんぞ」
今度は、包帯をした左手も伸ばす。
両手で、わたしの胸をもむ。
「ジークフリート公子、おやめなさい」
ディディの警告は、あっさり無視された。
デブの太った手は、わたしの胸からはなれない。
「とても残念なことに、余は皇族にもかかわらず衆道の嗜みがない。小娘、おまえ」
公子は、少し邪悪に口を歪める。
「実は、おとこであろう」
「はあ?」
わたしが思わず大きな声をだしたのと同時に、ディディが動いた。
ディディは公子の首根っこを掴むと、床に叩きつける。
デブの公子はゴム鞠のように床でバウンドし、ぐへっという蛙みたいなうめきをあげた。
それでも立ち上がろうとする公子を、ディディの容赦ない蹴りが襲う。
デブの巨体がダンプにはね飛ばされたようにふきとんで、壁に激突する。
「ぐふっ」
公子は、踏みつぶされた豚みたいに呻く。
そして、少し恥ずかしそうな笑みをうかべた。
「いやいや、十九号。少しばかり、悪戯がすぎはしないかね。余は一応、公子なのじゃが」
「公子を名乗るなら」
ディディは、わたしと王子の間に立つ。
そしてディディは、冷たく言った。
「礼儀を、学びなさい。レディに対しては、正しい態度をとりなさい。それに」
ディディは、突き放したように慇懃な口調で続ける。
「あなたは犯罪者で、公式にはまだ公子として認められていない」
「まあ、細かい話は気にするでない」
今更のように、わたしは恐怖と怒りに襲われる。
デブの王子は、わたしの殺すリスト筆頭にランキングされた。
どさくさにまぎれて、ランゲ・ラウフ君のライフルで撃ち殺してやろうと思う。
「いったいこのひと、何の罪を犯したのよ」
わたしの問いに、ディディのあっさりした答えがかえる。
「食い逃げだ」
わたしの失笑を見て、デブはすました顔をする。
「余は、トラキア領の全ての財は公平に全ての民に分け与えられるべきだと考えておる。そしてそれを、実践したまでだ」
「公子、そのような戯言は、食い逃げの言い訳にはなりません。そしてそもそもあなたは、後宮の姫君と密通するという大罪を過去に犯し全ての権利を剥奪され追放された。その罪はまだ、赦されておりせん。だからあなたがトラキアの民を名乗るのは、烏滸がましい」
デブは、口をとがらす。
「いいじゃん、特赦がでたんだから」
「特赦は、現トラキア公崩御とともに有効になる約束です。トラキア公は、おそらくもって数日ですがまだご存命です」
「くるしゅうない、そういう細かいことは捨て置け」
蒼い炎が揺らめくように、ディディの身体から殺気が立ち上る。
「あなたが戯れ言を続けるなら、ひとという存在がわれわれ獣に比べいかに脆弱で愚かしく醜く劣悪な存在であるかを思い知ることになるぞ」
ジークフリート公子は、こわばった笑みをうかべる。
「いや、十九号、そなたも余が死んだらいろいろ面倒であろ」
「看守にしたがわない囚人が死ぬのは、よくあること。それこそ」
ディディの声は、鋼のように冷たい。
「細かい話だ」
「わかった」
ジークフリート公子は、突然邪悪さを打ち消し朗らかでひとのいい笑みをうかべる。
もともとどこか気品があるため、サファイアのように美しい瞳をきらきらと輝かせ笑みをうかべると、なんともいえぬ和やかな空気が醸し出された。
そのへんは、流石皇族というべきか。
「おとなしくしよう、囚人らしくな。なんなら、鎖で余を縛ってもよいぞ」
ディディは、とりつくしまもない雰囲気でこたえる。
「必要ありません、礼儀正しくするのであれば。あなたがたひとは、愚かで醜く劣悪な存在なのだから、せめて礼儀正しくすべきだ。そうでないなら、生かしておく価値がない」
わお。
わたしもあまり調子こいてると、ディディに殺されそうだ。
ジークフリート公子は、王様が家臣に応えるように鷹揚な態度でこたえる。
「よいとも、礼儀ただしくしようではないか。余も公子であるから、礼儀は生まれたときからわきまえておるぞ」
食い逃げをするひとの、台詞とは思えない。
しかしデブの公子は手を後ろで組み、威厳のようなものをすこし漂わす。
「十九号、それでは改めてそちらのお嬢さんを、余に紹介してくれるかの」
王道ラノベであれば多分二三行で、ここにたどりつけるはずなのにまあなんとやっかいな王子であることか。
「彼女は、デルファイから召喚されてきた。彼女が、われわれを救ってくれる」
ジークフリート公子の青い瞳が大きく見開かれ、細められる。
「余にはそちらのお嬢さんは、クリスマスのように見えんのじゃが」
おお、懐かしい。
久しぶりの、この展開だ。
「クリスマスは、彼女の中にいる」
「なるほどのぉ」
ディディの応えにジークフリート公子は、あっさり納得した。
どこまで状況を理解しているのかわからないが、デブの公子は見透かしたような目でわたしを見ている。
意外と、なにもかも把握しているのかもしれない。
「ひとつききたいのじゃが、十九号」
「なんでしょう」
ジークフリート公子はその顔に似つかわしくない、真面目な表情をうかべている。
「我が弟、クラウスはどうしておるかの」
「クラウス公子は、着々とあなたを殺す準備を進めていますね。デルファイから協力者を招き入れたようです」
デブの公子は、その青い瞳を驚きで大きく開く。
「デルファイから召喚できるのは、ひとりだけときいていたのじゃが」
ディディは、頷く。
「クラウス公子は、彼女をこちらに召喚するときに、精神を箱に詰めて一緒におくりこんできたのです。その精神は今、共和国製の人形に宿っている」
デブの公子は、少し顔をしかめた。
「つまり、ランゲ・ラウフと同じようなものを用意しているということじゃな」
ディディは、重々しく頷く。
ジークフリート公子は、軽くため息をついた。
そして表情を一転させ、朗らかな笑みをわたしに投げかけてくる。
「お嬢さん、大変失礼をした。お名前をきかせてもらってなかったね」
わたしは顔を強ばらせたまま、薄く笑みをみせる。
「御子柴マヤ」
ジークフリート公子は、頷く。
「よろしく、マヤ殿」
公子は優雅な一礼をみせると、わたしの手をとり軽く口づけをする。
そうした所作はとても自然で、さすが皇族だと思う。
公子は、再びディディのほうを向いた。
「十九号、クラウスのことについては、君たち、マリーンもふくめこの城塞監獄の管理者がおかした失態だと思っておる」
ディディは、くだらないというように少し鼻をならしたが、出てきた言葉は殊勝なものだった。
「おっしゃるとおりです、公子」
公子は、笑みを浮かべている。
しかしその瞳には、冬の空がもつ輝きのように冷たいものがあった。
「責める気は毛頭無いぞ、十九号。が、余は信じておる。汝等は、矜持を傷つけられ黙っていることはないとな」
ディディは、軽く頷く。
「言われるまでもなく、我々はあなたに害をなすものを全力で排除します。たとえそれが皇族であろうと」
ディディの言葉は、剣のように冷たく鋭かった。
「この命にかえても、退けます」
公子は、満足げにうなずく。
「汝らは、不幸な宿命により望まず人化の呪いを受けたものである。見事使命達成すれば、必ず余が汝等の呪いが早期にとけるよう便宜をはかることを約束するぞ」
公子は、重々しく語った。
喰えない奴だと、思う。
無軌道のように見えて、抜け目がなさそうでもある。
「余は、うれしく思うぞ、十九号。そなたらのように、誇り高き戦士に守られていることは、とても喜ばしい」
多分ディディがひとであれば、うんざりした顔をしたのではないかと思う。
でもそのゴリラの顔から表情をよむことは、できない。
ディディは、一礼をすると公子の前から退いていった。
わたしもそのあとに続き、牢獄をあとにする。




