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魔石グルメ ~魔物の力を食べたオレは最強!~(Web版)  作者: 俺2号/結城 涼
第二期イシュタル統一物語:五章 エルデリアという都市で。

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氷の神殿。

間が空いてしまい申し訳ありません……!

私の別作品『物語の黒幕に転生して』のほうで書籍作業が進んでおりまして、魔石グルメのほうでもお時間をいただいておりました……!

 ディルが先導する道の途中で。

 雪と氷が作り出した天然の迷宮『リオール・ファラ』を進みながら。



「なるほど。道理で人が寄り付かないわけです」



 アインの前でディルが言った。

 白い息を吐きながら周囲を見回して……



「よく滑る足元に同じような景色の連続。ひとたび足を滑らせでもすれば、あのような地形に落ちて出られなくなることもありましょう」



 急斜面ですり鉢状の形の場所があった。

 いまの話を聞いてシャリアが「あれは魔物の巣の跡です」と告げた。



「跡ということは、もう棲んでいないのか?」


「穴の上に何もないときはそうです。まだ中に魔物が潜んでいる巣穴は、上に氷や雪があって普通の道に擬態してますから」


「そういうことか。だがいずれにせよ、特別な装備がないと穴に落ちると助からないように見える」


「私たちみたいに逃げられないと、匂いを嗅ぎつけた魔物のエサになっちゃいますね~」



 ソフィーが苦笑を交えて言う。

 セイレーンの彼女はハーピーと同じように翼がある。巣穴に落ちてしまったところですぐに地上に出られるだろう。

 だが、シャリアはラミア族のため下半身が蛇だ。




 ラミアは純粋な蛇ではない。

 とはいえ、普通の蛇は乾いた氷上ならいざ知らず、このリオール・ファラのような場所では進みづらいだろう。

 炎魔法の扱いを得意とする種族だからそれも関係しているのかもしれないが……。



「シャリアの蛇の部分も、普通の蛇と違って滑りませんしね~」


「鱗の表面が普通の蛇と違うので、穴に落ちても自分で戻ってこれますよ」


「実際にシャリアってば、小さいころは穴に落ちちゃって~……」


「そ、そこまで言わなくていいってば!」



 アインが疑問を抱く前に雑談の中で答えが明らかになり、彼は「へぇー……」と納得していた。

 ついでのエピソードからはここにいる村娘たちが幼いころから活発だったことが伝わり、彼女たちがリオール・ファラの案内を買って出た理由もよく分かった。



 出発する前から疑っていたわけではないが、頼もしく思える。



「……私の失敗を話すくらいなら、炎で道を作れることとか成功した話をしてよ」


「炎で道を? こんなところで使うと危険じゃないか?」


「護衛官殿が仰った通りなんですけど~、ラミアって炎を扱うことに関してはほんっとーに起用なんです~」


「それにこの付近ってすごく寒いですよね。うまく調整すれば溶かした表面もすぐに凍って崩れにくくなるので、結構どうにかなるんですよ」



 金色の鬣を寒風に揺らしながら感心していたディルが歩きながら。



「我々も避けられない雪や氷を溶かして進むことは時々ある」


「軍部でですか~?」


「ああ。いかなる状況においても最善の行動ができるよう、いくつもの想定がある」


「あらら~、いいんですか私たちに話しちゃって~」


「このくらいなら構わない。……というか、いまの情報は隠されていない公のものだ。そうした行軍に用いる魔道具なども民生のものだから問題ない」



 さすがに民生以外の魔道具などは機密の塊だから話せなかったが。

 ふと思い出したようにアインが口を開いた。



「それって、俺がはじめてラグナに行ったときにも使ってた?」


「確か――――当時もいくつか用意はありましたが、父上が最前線でどうにかしておりましたので」


「あー……ロイドさん、大剣で自分の好きなように氷を切ったり雪をどかしてたっけ」


「そうなのです。わが父ながら力技でしかないのですが……雪崩の危険がありそうな個所も、剣圧で無理やりかき消しておりましたから」



 ロイドらしいといえばロイドらしい。

 いまの話をしているだけで、脳裏に彼の豪快な笑みが浮かんできた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 はじめにディルが見積もっていた通り、ほとんど五時間かけて徒歩で訪れた中腹にて。

 人の手が及んでいない銀世界の中心には地図に記載があり、また村長たちから聞いていたように氷の神殿があった。



 アインは自分の目で見るまで、氷の神殿の全貌についていくつか考えた。

 古代のラミア族が作り上げたということから、極寒の冷たさで生じた氷柱が複雑に並んだもの――――というのはないだろうと考えていたが。



 しかし、リオール・ファラ周辺を歩いていたアインが気が付いたこともある。

 分厚い氷を掘れば岩が隠されているが、神殿を作り出すためにはあまりにも手間がかかりすぎるし、そうでなければ石材などの準備はどのように行われたのか疑問が残るのだ。



(山を下りて運ぶってのも同じだし――――)



 アインがいま目の当たりにした光景が答え(すべて)だ。



 巨大な氷をくりぬき、柱などを削ることで作り出したもの。

 青々とした色の氷の表面は磨き上げられた宝石に似た光彩が乗り、それが元はただの氷塊だったと思わせない彫刻である。



 大きさは王立キングスランド学園くらい。山の中腹でこれ以上ないくらいの存在感を放ち、山の内部へ通じる道の門としてもそこにある。

 アインの想像以上の規模を誇る、氷の芸術だった。



「ラミアたちだけで彫ったのかな」



 アインが隣に立っていたクリスに話しかけた。



「こんなに大きいだけじゃなくて――――見てあれ。すごい彫刻だよ」



 柱の一本一本に施された彫刻は、城でも見かける芸術品にも負けていない。

 それがすべての柱に、また神殿本体に施されているのが散見されるし、足元だって負けていない。石畳の代わりに、床もすべて模様が彫られているのだ。



 しかも、神殿の中に限らず外の広場にもそう。

 アインは思わずひざを折り、足元の彫刻に触れた。

 するとクリスも彼に倣い、足元の氷に手を伸ばす。



「何十年……いえ、もしかすると数百年掛かってる可能性も……」


「すごいね。ラミアだけでこんなのを造ってたなん――――て――――」



 氷に触れているだけでわかる、魔力の流れ。

 魔力の流れの感覚は、アインにとっては触れた先の奥に水が流れているような……何かが動いているような感覚である。

 クリスは少し違っていて、意識した先に存在する魔力の色などを思い浮かべることができた。



 それらがいまは、とても濃密だった。

 青く美しい、分厚い氷の奥にまるで激流が流れているようにも思えてくる。実際は隙間なく氷であるため激流などないのだが、二人がそう感じてしまうほどの魔力だ。



「永久凍土だから氷が溶けてなかったって意外にも、理由がありそうかも」


「自然の中でこれだけの魔力なんて滅多にありません。……やっぱり、神殿の奥は何かあるんでしょうか……」


「それを確かめに来たわけだし、色々調べないとね」



 と言ってアインが立ち上がり、クリスに手を差し伸べた。

 しゃがんでいたクリスがアインの手を借りて立ち上がると、嬉しそうにはにかんで見せる。

 そうしていた二人の耳に、村娘二人の驚きの声が聞こえてきた。



「ソ、ソフィー! こんなのがあったなんて知らなかった!」


「私もだってば~……思ってたより大きくてびっくりしちゃった~……」



 近くではディルもやはり驚きながら様子を見ていた。

 二人の少女はアインとクリスの傍に駆け寄ってくる。



「それに魔物もです! いつもならたくさん襲い掛かってきたはずの道で、一度も襲われなかったんですよ!?」


「もしかして強力な忌避剤とか魔道具を使っていたんですか~?」


「ううん。どっちも使ってないよ」


「じゃ、じゃあどうして……まさか、運がよかったから……?」


「そ。きっと俺たちは運がよかったってだけかも」



 別に二人を馬鹿にする意図があったわけではなく、余計な緊張をもたらすことがないようにと濁した言葉だった。

 魔物が現れないならそれに越したことはない。

 おおよそアインの力を――――彼とクリス、ディルを恐れて姿を見せなかったのだろうし。



(まだ一時か)



 いつもなら遅い昼ご飯というくらい。

 今日もそのつもりで野営地の準備を進めながら火を熾した。

 最近は野外料理がつづいているが、こうした日々も悪くない。



 温めるだけでいい食べ物を鍋に入れて煮込むこと十数分、野外で簡単に作ったにしては上等すぎるスープが出来上がり、フライパンの上で暖められたパンが一緒に並べられた。

 食卓はアインの天幕の中に。

 簡単にこうした場が用意されたことに、村娘たちは何度目かわからない感嘆の声を発していた。



 椅子に座り、パンを食べながら。

 アインはテーブルの真ん中に地図を広げた。



「広げてみたはいいものの、もう関係ないか」



 氷の神殿内部の地図ではないからだ。

 ここまで来てしまうと、情報を得ようにも地図から得れるものよりも、天幕の外に出て氷の神殿をじかに見たほうがよっぽどいい。

 アインが苦笑していると、ディルが「いえ」と言った。



「作戦行動中に地図を用意することは重要です」


「ならよかった。それなら広げたままにしとこうかな」


「しかし、外の神殿は思っていたより規模が大きそうですね。予定では一晩のみですが、果たしてどこまで確認できるか……」


「明日の夕方までだから、ちょうど丸一日と……数時間くらいか」



 アインが腕時計を見ながら言った。

 あまり時間をかけすぎてもよくない。

 アインの近くにいる騎士たちはそうした事態になっても問題なく行動するだろうが、心配をかけることはアインも本意じゃなかった。

 かといって、神殿の規模だ。



 アインは神殿の内部――――つまるところ山の中が気になっている。



 先日目の当たりにした山の主の存在について、ここより先に進むことでめぼしい情報が得られないだろうかと考えていた。



「少しいいですか?」



 食事をしながらディルがアインに聞いた。

 アインはスープを飲む手を止めて「いいよ」と簡潔に。



「何者かがこのあたりで秘密裏に行動をしていたとします。ですが、氷の神殿付近にその痕跡は見当たりません。魔道具も用いて探したのですが……」


「もしかして、さっき周りを見てくれてたときのこと?」


「はい。気になる反応が一切なかったのです」


「俺もいま話そうと思ってたんだけど、この辺りはたぶん普通に人が来られる場所じゃないよ。地形の特異性もそうだけど、それ以外にもね」



 アインはそう答えると、ディルの言葉に自分が確かめたことを追加した。



「多分、俺たちが進んできたリオール・ファラは魔物の存在以外にも、人を寄せ付けない結界みたいな効果があるんだと思う」



 氷の神殿に近づくにつれて、関連した魔力の濃度が急激に高まっていた。

 アインたちは防寒具に備え付けられた魔道具によって影響を受けていないものの、そうでなければ、普通に足を踏み入れることは難しいくらいのもの。

 気温に限らず、人体へ直接絶対零度の冷たさをもたらす異常なそれだった。



「俺たちが使ってる装備は特別品で、一般には出回ってない」


「アイン様、周辺の魔力に影響が与えられた痕跡も感じなかったですよね?」


「うん。俺もクリスもそういうのに気が付くことはなかったから、こっちから氷の神殿に近づこうとした人はいないはず。できなかったし、するつもりもなかったんだろうけど」



 だとすれば別の道からこの大山を上った者たちがいるのかもしれない。

 アインは暗にそう言って苦笑した。



「二人とも」



 と、アインがおいしい食事に頬を溶かした二人の少女に話しかけた。



「リオール・ファラを抜けたところにある氷の神殿についてなんだけど、どうかな。大山の反対側から登ったら、そっちはもっと楽だったりする?」



 顔を見合わせて考えた少女たちが数秒後に答えた。



「あくまでもリオール・ファラ……氷の迷宮ということに限ってでしたら、あまり関係ないです」


「そうですね~……この山は一定の高さからほとんどさっきまでの道がつづいてるので……」


「ありがと。だったら別の入り口があるってわけじゃないね」



 アインは少し考えてから立ち上がり、上着の内ポケットに入れていたメッセージバードを取り出した。

 技術の進歩によりまた一段と性能が上がったメッセージバードは、いつもと同じようにオーガスト商会が取り扱っている品だった。



「山の周辺の道と、降りられそうな地形を全部塞いでほしい」



 今回のメッセージバードは、小さな水晶のようなものだ。一般的なリプルの数分の一程度しかない。

 アインが言葉を発してすぐに二度点滅すると、対となったメッセージバードに声が届けられた。



 座りなおしたアインの目がクリスに向けられる。

 クリスもアインのことを見ていた。



「私たちのほうでも、急に動きが速くなってきましたね」


「やれることはまとめてやっといたほうがいいし――――って前にウォーレンさんが言ってた」


「ふふっ、なら正解かもしれません」とクリスが笑う。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 蒼い水晶を磨き上げたような氷に囲まれ、見事な彫刻に外から入り込む光が複雑に反射する。

 氷の神殿の中にいるだけで、



 ……まるで、宝石の中に閉じ込められたみたいだ。



 アインは無意識にこう思わされた。

 大山の上空はアインたちが氷の神殿に来てすぐ、分厚い灰色の雲に覆われた。外は夏の夕暮れ時とあまり大差ないのに、神殿の中は明かりがなくともシャンデリアに照らされているかのようだった。



 磨き上げられた氷の上を歩いていても、意外と滑らない。

 城の回廊は常に汚れ一つなく磨き上げられているが、それに似た歩き心地だった。



「アイン様」



 ディルが神殿の奥を見て。



「あちらから空気の流れを感じます」



 ヒゲを揺らしながら断言する。

 アインはというと目を細めて神殿の奥を見た。

 神殿は思っていたより、山の内部までつづく造りをしている。もう十数分も歩いていたのだが、中は左右に巨大な氷の柱が並び、その奥の壁に何かの絵が刻まれていた。

 刻まれた絵が繋がっていたのが、ディルが言う神殿の奥なのだ。



「すごく大きい絵だけど、それだけじゃない」


「ええ。縦に一本、うっすらとですが境目が見えます。恐らく扉かと」


「だと思う。行こうか」


「はっ」



 ずんずん先へ進む二人の男性の背を見て、ソフィーがシャリアにこそこそと話しかけた。



「……こ、怖くないのかしら~?」


「う、うん……めっちゃ怖いけど……」



 すると、アインが立ち止まって二人を振り向く。



「大丈夫だよ」



 何度目かわからない、アインの大丈夫だよという言葉。

 何度聞いても、村娘たちはそれだけで安心できたことが不思議だった。



「何があっても俺がどうにかす――――ってか、案内が終わったんだし二人にはクリスとディルと外で待ってもらってた方がよかったか……ごめん」


「いえいえいえいえ! ここまできたら最後までお付き合いしますから! もしかすると、ここでも私たちが役立つかもしれませんし!」


「……というかアイン様、その言い方ですと一人ですよね? 私まで留守番させるつもりですか?」



 流せたかと思ったがクリスがきちんと気が付いて指摘する。

 アインは頬を軽くかいてから神殿の奥に向き直り、何も言わず歩きはじめた。



「また誤魔化して」



 苦笑しながら不満そうにではなく。

 村娘にしか聞こえないくらい小さな声で言ったクリスを見たソフィー。



「クリスティーナ様って、王太子殿下のことになるといつもお優しい声ですのね~」


「――――そうですか?」


「ええ~。私、セイレーンなので歌も得意ですから。普通に話してるときの声の違いも気が付きやすいんです」



 クリスは自分がどんな声に変っているのか気になって「そんなに違いますか?」と聞いた。

 いまの声も普段と違うことを指摘するべきか迷ったソフィーは穏やかな笑みを浮かべ、軽やかに翼を動かしてみせる。



「すばり、好きな人をしょうがなく見守るような声です~」



 あまりにも――――だった。

 いまやドリアードという種族に変わった元エルフにとって、これほどわかりやすく単純で、ストレートな言葉はないだろう。

 何一つ言い訳できず、声に対しての満点の評価に彼女は面食らってから……こほん、と。



「参考にさせていただきます」



 顔を真っ赤にしながら言葉だけは冷静を保つ。

 するとソフィーはくすりと笑い、



「クリスティーナ様のお声はすごく綺麗ですのね~。嘘一つない、澄んだ森のようです」



 意外な分析にクリスはより一層、首元や頬に赤を落とした。





 ◇ ◇ ◇ ◇




 ところ変わってエルデリア、子爵が住まう屋敷の客室に。



「閣下」



 一人、この後に迫るエルデアリア子爵との会談を前に、近衛騎士が訪れた。訪れたのは王都に残っていたはずの近衛騎士だ。

 ウォーレンは近衛騎士の顔を見ただけで、この後の話をすべて悟った。



「アイン様が現地に向かわれたようですね」


「ご賢察でございます。ご報告するまでもありませんでしたか」


「それはそれ、です」



 人のよさそうな笑みを浮かべて近衛騎士を迎え入れたウォーレン。

 近衛騎士はウォーレンの傍に歩を進めると、手にしていた手紙を渡した。

 ウォーレンは手紙に書かれていたことにすぐに目を通した。手紙には、アインが出発することに関連した細かな情報がまとめられている。



「ディル殿の字ですね。……ふむ、悪くない」


「悪くない、ですか?」


「そうですとも。これはとても悪くない。簡潔で読みやすく、伝えるべきことが美しくまとめられている報告書です」



 ここで文官としての添削が入るとは思ってもみず、話を聞く近衛騎士が呆気にとられてから笑った。



「いずれ元帥となるお方ですので」


「頼もしいことです。私も時折、授業をしたかいがあるというもの」


「おや。閣下がご指導を?」


「ディル殿からお声がけいただき、非力ながらお手伝いしているのですよ。……さて、この様子では私も力を入れて取り組まなければなりませんね」



 この男が非力なら、誰が文官として一流なのかわからなくなってしまう。

 乾いた笑みをこぼした近衛騎士が、つづくウォーレンの言葉に耳を傾けた。



「アイン様に向けての報告は今日の夜にでも。ご期間は明日の夕方以降になるでしょうから」



 赤狐が思い描くこと。



城は味方(、、、、)だってことをはっきりさせておいて。俺の言葉として進めてもいいから』



 先日、アインも同席してエルデリア子爵と言葉を交わしたあとの会話だ。

 この言葉が何を意図するか、ウォーレンは事細かに語らずともわかっていたし、アインだってウォーレンに任せるべきことだと確信していた。

 そのため、今回の報告にアインからの伝言はない。



 また少しの時間が経って、予定されていた時間に。

 エルデリア子爵は表向きは平静を装った様子で客間に現れたが、内心がどうなのかウォーレンは何より探っていた。



 座って、ウォーレンを見た子爵。



「お待たせいたしました」



 声音はやや、硬い。

 太ももの上にゆっくりおろされた両腕は一見、リラックスしているように見えてやはりそうじゃない。自然と握りこぶしを作って膝の上付近に置かれていたし、何より肩ひじが僅かに張っていた。

 さらに前髪が少し……言われなければ気が付かないくらい、固まっている。指先で執拗に触った後で整えたからだろう。

 子爵が緊張したときの癖だとウォーレンはすでに看破していた。



「……閣下? どうなさいましたか?」



 そして、探るような恐れを内包させた声だ。

 あえて返事を遅らせた自分を性格が悪いと思いながら、でも狐だしとも思ったウォーレンが。



「失礼いたしました」



 と返事が遅れた理由を伏せてようやく口を開いた。

 確信を声に出さずに。



 ……さて、子爵が考えることは一つでしょう。



 手に取るようにわかる。ウォーレンが自分のことをこう評価していたわけではないが、この場を支配するのは容易すぎた。

 そして、返事を遅らせたことで子爵がどのような状況に陥っているのかも。

 ウォーレンの背後に控えた近衛騎士がいつもより多いことも、子爵を密かに警戒させていた。



「どうやら昨日、何隻か新たに飛行船が来たと聞いたのですが」


「お気になさらず。こちらの都合で人員を増やしたにすぎません」


「迎えるべきは子爵の私。領主として、新たにいらした方々も歓迎したく」


「ははっ、それには及びません。追加の人員のほとんどは騎士でございます。上級文官も幾人か呼び寄せておりますが、私の補助でございますので」



 すると、子爵が怒気を込めた声で。



「――――はじめから、こうするおつもりでしたか」


「こうする、とは?」


「閣下ほどのお人に説明が必要は思えませんが。発展目覚ましいエルデリアを王家直轄領に――――あるいは口利きをしやすい別の貴族に納めさせるおつもりなのでしょう」



 想像通りの言葉がエルデリア子爵の口から漏れ出した。

 ウォーレンは口をはさむことなく視線でつづきを促す。



「昨日の騒動も耳に入れています! あのような地に主などいるはずがない! 魔導兵器を用いてかような光景を作り出し、あたかも王太子殿下が襲われたと思われるよう仕向けたのでしょう!? こうすれば、私に責任を追及できるでしょうから……!」



 言いたいことをあらたか口にし終えたところで……。

 それまで閉口して耳を傾けていた宰相がヒゲを揺らすと、エルデリア子爵に寄り添う優しい声で話しかけた。



「真逆の状況でございます」



 と。

 エルデリア子爵が目を点にしたのを見て、ウォーレンが「失礼しました」と謝罪。



「もっと早くお伝えしてもよかったのですが、念のために本心を探らせていただきました。いまのお言葉がエルデリア子爵の本心――――もとい、恐れでしょう」


「何を……言っているのです」


「すべてを。我らが足を運んだ初日から、アイン様含め我々を警戒していたことも知っております」



 再び言葉を失ったエルデリア子爵が聞くのは。



「どうやら足元に不穏分子がいくつもいるようで」


「っ――――!?」


「深く語らずともよいのです。発展するこの地を狙う者が多くなり、疑心暗鬼にいなってしまわれたのでしょう。そこで我々が来たことに対し、何かしらの責任を追及される可能性を恐れた――――違いますか?」


「それ……は……」


「戻すべき状況に戻せる前に我らが来た。考えてしまうことは多くありそうですな」



 赤狐に追い詰められることは恐ろしいかもしれない。

 けれど、仲間になることはそれ以上に頼もしいだろう。



「アイン様から『城は味方だ』とお言葉をいただいております」



 そこに英雄と呼ばれる王太子の存在があれば、もう願うことはない。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 神殿の奥にあった絵画。扉と思われるもの。

 鍵穴はなく、手で触れても冷たいだけ。



「壊したら怒られるかな、これ」



 アインが扉に触れたままディルに聞いた。



「誰に怒られるとお思いなのですか?」


「主にお爺様かな」


「これほどの品ですから、可能性はあるかもしれません」


「……だよね」



 となると一度出直すか、周りをもっと調べて何かしらの仕掛けがないか探るくらいだ。

 幸い、手で触れているとこの扉にも魔力が流れていることがわかる。鍵穴がないのなら何か仕掛けがあるはずなのだが……。



「私も触って構いませんか?」



 シャリアが言ったからアインは危なくないから「もちろん」と返した。

 おずおずとシャリアが手を伸ばし、扉の境目に触れた――――そのときだ。

 扉に刻まれた絵が光り、より鮮明に彫刻を浮かび上がらせた。



 しかし、右半分だけ。

 右半分の理由をアインが考えていたら、彫刻――――絵を見たソフィーが「あらら~」と呑気な声で。



セイレーン(私たち)の姿が刻まれてるのね~」


「ほんとだ。でも、下にいるのはラミア(私たち)ね」


「じゃあ私も触ってみようかしら~。左のほうも光るかもしれないし~」



 ソフィーが一応アインたちに確認してから扉に触れる。

 だが、今度は光らなかった。



「……そううまくいかないわよね~」



 けれどアインは。



「右側に書いてる文字、ソフィーは読める?」


「右の……よくわからない言葉です~」



 アインも見たことのない文字が、セイレーンとラミアの絵の近くに刻まれていたのだが……。



「クリスとディルはどう?」


「すみません、私もわからないです」


「申し訳ありません。自分もでございます」


「……そっか。何か関係ありそうなんだけど……」



 アインはわざとらしく言ってから。



『シャノンは読める?』



 彼女へ問いかけた。

 すると、頼られたことに気をよくした彼女の声がすぐに届いた。



『捧げよ歌を。神を呼び覚ませ――――よ』


『ありがと。……でもいまのほんと? 何かこう、すごく意味深で不穏なんだけど』


『ええ。私も同じ感想』



 アインはいまの言葉をソフィーに伝えるべきか、まずは迷ってみせたのである。

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