冬の山。村への道。
アインを乗せた飛行船は、エルデリアの中心にそびえたつ巨大な塔に停泊した。
飛行船はまだ民間に普及しておらず、主に軍用でのみ運用されている状況だが、いくつかの都市にはエルデリアのように飛行船の停泊所が設けられていた。
この塔にある停泊所は、塔の壁から枝のように伸びている。
これはこれで、雰囲気があった。
飛行船から伸びたタラップが、停泊所に繋がった。
開かれた扉からまずは近衛騎士隊が、次に何人かの文官たちが姿を見せると、ここでようやくアインが現れるはず――――と、その男は考えていた。
齢四十になって間もない貴族で、ここエルデリアを治める子爵。
都市の規模の割に爵位が低いのはエルデリアが急速な発展を遂げたことによるものだが、今後数年のうちに伯爵になるだろうとの呼び声高い、誇るべき手腕を持った貴族だった。
「……面倒なときに来たものだ」
精悍な顔立ちに浮かべた笑みを崩すことなく、飛行船から降りてくる面々を見て呟いた。
彼、エルデリア子爵にとって、今回の王太子来訪は表では歓迎こそしても、内心ではただの面倒ごととしか考えていない。表立って言えないことを腹に潜ませながら、どうして王族と会いたいと思うだろうか。
スーツを着ていたエルデリア子爵の目が、飛行船から離れることはなかった。
王太子が滞在中、どのようにして彼をさっさと王都に帰らせるかということだけを考えていた矢先のことだった。
エルデリア子爵にとって、考えうる最大級の厄介が飛行船から出てきて、長い外套を風に揺らしていた。
宰相、ウォーレン。
あまりの事実にエルデリア子爵が目を見開くと、離れたところのタラップを進むウォーレンと目が合った。偶然にしてはタイミングがよすぎる。アインをはじめとした近しい者に見せるのとは違う、仕事をするときの笑みを浮かべる老いた赤狐。
まさしく、化かされたような感覚だ。
けれどエルデリア子爵はそんな様子は一切顔に出すことなく、宰相が向けた笑みに対し、同じく笑みを浮かべて答えた。
エルデリア子爵の隣に彼の部下が隣にきて、
「子爵、宰相閣下がいらっしゃるという連絡はございませんが」
「知っている。これ以上ない厄介ごとだな」
「いかがなさいましょう」
「どうにか切り抜けるほかあるまい」
切り抜ける……そうしなければならない。
だが、敵はあの宰相。
エルデリア子爵側に緊張が走る中、アインがクリスを伴って飛行船から姿を見せた。エルデリアに住まう者たちの歓声が、塔の下からも聞こえてきた。
◇ ◇ ◇ ◇
塔はエルデリア子爵の屋敷としても作られており、彼の私室がいくつもあった。
歓迎されたアインと幾度かの挨拶を交わした後のことだ。アインはクリスとともに席を立つ。
すると、エルデリア子爵がそんなアインを見上げて問う。
「どうなさいましたか?」
「後のことはウォーレンに任せてある。俺はこれから視察に行く予定だ」
「ご、ご視察に?」
「どうした。急に慌てて」
「慌てもいたします。王太子殿下の護衛を――――」
「それなら不要だ。連れてきた騎士たちで事足りる」
正直言って、横柄な態度とも取れた。
エルデリア子爵は王太子アインを以前も近くで見たことがある。確か、王都で開かれたパーティでのことで、もう何年か前のことだ。アインとは気軽に挨拶することはできなかったから、当時は声を交わすことはなかった。
だが、それでも王太子が物腰柔らかで他者を尊重する優しい人物であることは知っていた。
しかし、いまのアインはどうだろう。
立場は上でも、エルデリア子爵にあまり相談することなく動く様子は少し目に余る。けれど宰相は止めず、エルデリア子爵に向けるのとは違う優しい笑みを向けた。
「クリス殿、アイン様をお願いいたします」
「……あれ? いまの言葉って?」
「アイン様はときどき、我々の想像を超える行動をなさいますからな。いまの言葉は、陛下から賜ったものでございますよ」
「なるほど……お爺様から……」
以前よりアインの行動を信じているシルヴァードではあるが、それでもくぎを打つことは忘れておらず、特にこうした機会だからこそ一言告げるようウォーレンに命じていた。
クリスはくすくす笑いながら、アインについていく。いまのやりとりに毒気を抜かれた様子だったエルデリア子爵が何か言いたそうにしていたが、
「子爵、案内の者もこちらにおりますので」
「案内の者とは、エルデリアの民ですかな?」
「ええまぁ」
宰相ウォーレンにしては軽い返事に、エルデリア子爵が首をひねった。
「観光案内をしている者にでも依頼を?」
「いいえ。村の者からです」
「……村とは?」
「エルデリアにはいくつもの町がございましょう。そのうちの一つを親に持つ、山間に位置した小さな村がございます。名前もなく、吹けば飛ぶような規模だそうですが」
ウォーレンが言ったのは、王都を訪ねたソフィーとシャリアが生まれ育った村のことだ。
不正の被害に遭い、このままではもう何年も存続できないと予想される貧しい村で、アインとウォーレンはその不正を確かめるべくエルデリアに足を運んだ。
大規模な不正であることは察しが付く。
調査対象は、ウォーレンの目の前に座るエルデリア子爵もだったのだが、
「そういうことでしたか。道理で王太子殿下はあのように……」
彼はあまり、アインの動きを警戒しているように見えなかった。
しかし、平然とした裏で考え事に耽っていることをウォーレンは感じ取って、些細な表情の変化も見逃さなかった。
それでも、妙だった。
もっと態度に現れると思っていたのだが……。
……何か隠しているようには見えまずが――――さて。
ウォーレンたちがはじめに予想していた不正の中心人物、それはエルデリア子爵だったのが……。
これは調べる甲斐がありそうだ、とウォーレンは長いひげを揺らし、
「エルデリア子爵」
「はっ」
「近年のエルデリアの隆盛を、陛下はお喜びでございます」
そう告げると、エルデリア子爵の表情が歪んだ。
遂にはウォーレンを警戒しているようにも見えたのだが、これがウォーレンを困惑させた。
……やはり妙ですね。
愚かしくも、ここで尻尾をつかませるような男ではあるまい。
エルデリア子爵は下級貴族だが、その手腕はウォーレンも認めていた。
ウォーレンは手を伸ばしてひげをさすった。
果たして、この男は腹に抱えた一物をさらけ出すかのように動揺するだろうか。わざわざ表情に出してしまうほど動揺を隠せないだろうか。
数秒、たった数秒考えたウォーレン。
思い描いた企ての内容に、これなら筋が通っていると思いつつ、
「ははっ、陛下のお言葉に緊張なさっておいでのようだ」
「……失礼。光栄の極みに存じます。しかしご理解いただきたい。私のような貴族では、陛下にお言葉を賜ることはおろか、お褒めの言葉をいただくなど想像したこともありませぬ」
「気になさらず。こちらこそ、急にきてしまい申し訳なく思っているのですから」
エルデリアで行われている不正は、思いのほか入り組んだ問題なのかもしれない。
ウォーレンは頭の中で、一つの事実を想定していた。
◇ ◇ ◇ ◇
街中を歩く王太子とクリスの姿は目立っていた。
容貌もそうだし、歩いている姿からも気品を漂わせていたから、特に目立つ服装に身を包んでいなくても避けられないことだった
二人はゆっくりと町の中を歩いていた。
「クリス、あれは?」
「あれは確か……昔の加工所です! 近くに線路がありますよね? あそこから海結晶を運び入れていたそうですよ」
「へぇーあそこが……」
「気になりますか?」
「うん。俺が海結晶関連の視察をしたことってあんまりないしさ」
「そういえば、はじめの視察も私と一緒でしたよね」
もう十年近く前のことになる。
アインが海を渡ってイシュタリカに来て何か月か経ち、はじめての公務で港町マグナを訪れた日があった。当時はまだ王太子としてのお披露目も済んでおらず、ウォーレンに付き添うような形での公務を経験した。
公務の目的というか、マグナを訪れる目的はクローネと再会するためのもので、アインが知らないところで様々な動きがあったことを知ったのは、その日の夜のことだったが。
クリスが言ったように彼女とともに視察をしていたことには、アインも縁を感じる。
楽しそうに古い工房や新たな工房を視察する二人の姿が、観光に来た新婚にも見えた。というのはソフィーとシャリアの二人の目にだ。
だが、
「あちらの加工所と工房では生産量が――――数十年前に開発された加工技術も――――」
「ってことは、それが二十年前の――――」
観光に来た新婚夫婦というには、あまりにも専門的な情報を知りすぎている。
なんだったらこの町に住むほとんどの民や、ソフィーとシャリアの二人も知らないような情報ばかり彼らの口から聞かされて、
「……ソフィー、知ってた?」
村長の娘であるシャリアがまばたきを繰り返しながら言い、
「ううん~、というか、数えるくらいしか来たことのないエルデリアのことなんて知るはずないじゃない~」
「そ、そうよね……」
「お二人とも本当に博識なのね~。こんな僻地のことまでご存じなんて~」
観光案内をできるほど、彼女たちはこの街に詳しいわけではなかったが、逆に会話を聞いているだけで勉強になっていた。
それに、アインとクリスの二人が仰々しくも護衛を連れていないことにも驚かされる。
「王族の方って、常に数百人の騎士に守られてるんじゃないのね……」
王都でもアインは割と自由に動いていたから今更なのだが、こうして王都を離れても変わらなかったことがシャリアの驚きを呼び覚ました。
「シャリア、いまのってどこから聞いたの~?」
「村のおじいさんたちからだけど?」
「……そうなのね~」
こんな僻地の、さらに山の奥にある村に住まう老人たちの噂話でしかない。
シャリアは自分の口で言っておきながら、そりゃ現実味がないと思ってしまう。先日までいた王都の景色を思い出して、あそこが自分たちの常識が通用しない大都会であることも思い浮かべる。
「ねぇソフィー」
「はぁいー?」
「本当に、私たちの村に王太子殿下たちを案内するのよね?」
「そうよ~。今更なんだし腹を括りなさいね~」
主に、緊張に対して。
――――村への旅路は、シャリアとソフィーの二人のように徒歩でいくなら丸一日以上かかってしまう。
だが、アインたちを連れて歩くはずもない。移動手段が用意されていた。
エルデリアを出て三十分ほど馬で走った先に、軍部が保有する建物がある。魔法都市イストにもあったような新たな防衛の要で、軍部が保有する飛行船も停泊している。
この辺りはすでに雪が降り積もっていて馬で走るのも一苦労だが、些細なことだ。
一面の銀世界の中に、古びた街道がわずかに姿を窺わせていた。空を見上げると鳥に似た姿の魔物が何匹が飛んでいる。
軍部の建物の前に馬を止めると、数多くの騎士たちが建物の外で一行を待っていた。
アインは騎士たちを労うと、緊張していたシャリアとソフィーを連れて近くに用意されていた飛行船に乗り込んだ。中型だが、アインのような立場の者が乗るためのものだ。
操舵室に広がる大きな窓ガラスの前に立つアイン。
シャリアは彼におずおずと問いかける。
「エルデリアに寄られたのはどうしてですか?」
まっすぐこちらに来なかったことで、アインがわざわざ馬で移動することになっていたことが気になったのだ。
「子爵と挨拶をするためってのが本命だけど、町を見てみたかったし、この辺りの様子も観てみたかったからだよ」
「そのために、ご自身で馬を走らせたのですか?」
「そうそう。こういうときじゃないと視察もできないし。……二人にも付き合ってもらっちゃって申し訳なかったんだけどさ」
「い、いえいえいえいえ! そんなことありませんので!」
知れば知るほど、アインは自分で動こうとする王族だとわかる。
必要のない馬での移動までしてしまうくらいだから、視察に対してどれほど真摯なのかも伝わってくる。
彼らを乗せた飛行船は瞬く間にエルデリアを離れると、領内に位置した山へ向かう。比較的なだらかな山肌に飛行船が近づいて、魔道具による杭が放たれ山肌に突き刺さる。それが飛行船を固定した。
宙で停泊した飛行船から伸びたタラップから中に乗る人々が下りていく。エルデリアを発ってから、もう数十分も過ぎていた。
冬の山道はあまり整備されておらず、おおよそ王族が歩くような場所には見えない。しかし、アインが木の根を生み出したことで、冬の行軍の危惧すべきことはあっさりと消え、村育ちの少女二人を唖然とさせた。
歩くたびにきゅっ、きゅっ、と雪を踏みしめる音がするはずだったのに、いまはこつん、こつんと硬い木の根を踏む音が滔々と響いている。
アインたちについて歩いていたシャリアが不意に足を止め、大きく深呼吸。
「――――ふふっ」
と笑い、嬉しそうに手を広げた。
「どうかした?」
アインが振り向いて問うと、シャリアはこれまでと違いリラックスした様子で、
「あんなに長い時間をかけて王都に行ったのに、こんなにあっさり村に帰ってくれるなんて――――って考えたらおかしくて。あと、見慣れた景色とこの空気を感じられることが嬉しいんです」
ね、ソフィー。
赤い髪の少女に話しかけられた青い髪の少女が笑う。
「そうね~、私も、いまにも歌いだしたいくらい」
上機嫌に話していた二人を見て、同行していた騎士たちも微笑みを浮かべていた。
ところで、一行を出迎える村の民はいない。本来であれば先ぶれがあるのだが、今回はウォーレンがギリギリまで情報を隠しながら話を進めていたため、まだ村まで連絡が届けられていなかった。
また、この辺りを歩く村人の姿もない。
村までは、ここから徒歩で三十分ほどとそう遠くないのだが、ただでさえ歩きにくい冬の山中において魔物も現れるとあって、戦えない村人は暖かい季節以上に姿を見せず、戦える村人は村を守るために常駐するのが常だったから、村の外にいる者を見つけることは滅多になかった。あっても、村の食料を得るために狩りをしにいくときくらいである。
(――――何にもないな)
あまり、実りある山の中には見えない。
たとえばエルフの里があった森は、果樹をはじめそれだけで腹を満たせるくらいの恵みがあった。この山も木々が鬱蒼と生い茂っていたけれど、自然の実りという意味では乏しい。
だが、魔物はいるという。
アインはあたりを警戒するというよりかは、住環境を理解しようと目を凝らした。
「アイン様」
クリスが耳打ち。
「古くからの村は、こうした環境の場所もまだ多いみたいです。中でもこの先にある村は厳しい環境にあるのかもしれません」
「だから農作業と狩りもしないとままならないのか」
「はい。そのほかには交易ですが……」
「仕事が絞られてるからそうもいかない?」
こくりと頷いたクリス。
感情論は別として、あくまでも事実を述べるならこうした村からの税はあまり望めない。だが、仕事があれば暮らしていけるし、これからもそうして細々と暮らしていくつもりだっただろう。
移住しろ、というのも簡単なことではない。
各種族にとって暮らしやすい環境というものもあるから、ここで強引に住まいを変えさせることもいかがなものか。
鉄の国のように、外で暮らすことが容易ではない場合だってあった。
アインはそうしたことの難しさをひしひしと感じながら歩き、
「――――あ」
不意に、木の根の道を跳ねながら横切った白い毛皮の魔物を見て言った。
昔、いまのように雪が降り積もった森の中でも遭遇した珍しい魔物だった。
名前をヤツメウサギ。
文字通り八つの目を持ったウサギなのだが、普通のウサギと違い立派な体格を誇る大きな魔物だ。
魔物の中でも特に美味な肉を誇り、アインも好物の一つに数えていた。
彼の後ろでクリスにソフィー、それにシャリアもヤツメウサギが横切ったことに気が付いて、村娘たちは苦笑を浮かべていた。
「ヤツメウサギは森の果実をほとんど食べてしまいますし、時には村の畑にも手を出すんです~」
「ちなみに、討伐することは?」
「時々ですかね~」
「あいつ、すごく早いのと強いので、罠を仕掛けても逃げられちゃうんです。冒険者に依頼を出そうにも……その……」
「お金がない、とか?」
「……はい。お恥ずかしい話なんですが」
ヤツメウサギを討伐するのにもそこそこの実力が必要で、彼女たちが言うように罠を仕掛けたところであまり意味をなさない。村の狩りで一年に二匹くらいなら討伐できるのだが、それも運がよかったときだけだ。
「このあたりに生息する魔物は天敵が少ないので、好き勝手しているみたいです」
クリスが情報を付け加えた。
「じゃあ、お土産にしようか」
お土産? ヤツメウサギを?
そのくらい話の流れから村娘たちも読み取れたが、ヤツメウサギはもうすでにどこかへ去ってしまった。だが、振り向いたままいったアインの言い方から冗談であるようには思えない。
どうするのだろう……二人の村娘が気にしていると、クリスがアインに「私も行っていいですか?」と聞いた。
「クリスは待ってて。すぐに討伐してくるから」
「あぅ……またお留守番ですか」
「ごめんって。でもすぐに終わるから、みんなで待っててもらったほうがいいよ」
苦笑いを浮かべたアインが木の根を蹴って、森の中へ飛び込んでいった。踏み込みが生んだ強風を残し、ついでに山の木々を揺らしていた。
アインはどこかへ行ってしまってから、数分後に戻った。
さすがに早すぎるかもしれないが、力の差を考えれば至極当然のことでもあり、アインがここで数十分も時間を要することのほうがおかしいだろう。
四匹の大きなヤツメウサギをツタで縛り、そのまま持ってきたアインを見て、
「ソフィー、私、よくわかんないわ」
「私もよ~」
王都で過ごした彼女たちにとっては非現実的ともとれる時間は終わったはずなのに、どうやらまだつづいていたらしい。
「ヤツメウサギはあげるから村で管理してね」
討伐されたヤツメウサギがアインから騎士に預けられた。
歩きなれたはずの山道が、村娘たちにとって別の道のように見えた。
彼女たちが生まれ育った村まで、あと少し。
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