はじめて公務を嫌がった日。
魔石グルメがシリーズ累計60万部となりました。
お手に取ってくださった皆様、本当にありがとうございます。
また、先日は9巻が発売となりましたが、八月にはコミックス4巻も発売となります。
コミックス4巻では海龍編が描かれますので、是非是非、原作、コミックス共に楽しんでいただけますと幸いです!
ある日、城に仕える者たちは唐突の事態に驚いていた。
つい数日前にはシュトロムで歴史に名を刻む騒動が起こったばかりで、その余波が未だ消えていなかったというのに、今度は王城なのか、と。
「…………先ほどの者らはいったい?」
一人の騎士が城内で呟いた。
彼は今さっき、十数人の御用職人が城内にやって来たのを見て、ただ茫然と見送ったばかりである。
今日まで似た光景を見なかったわけではない。
城で騎士をする様になっておよそ二十年。城の改装や点検で御用職人が来る機会は何度も経験していた。
だが、そのいずれも事前に連絡があった。
しかし今回、その連絡が無かった。
小首を傾げていると、彼のすぐ傍を近衛騎士が通りかかった。
「先ほどの者らは何用で城内に参られたのでしょうか」
近衛騎士は立ち止ってから、僅かに沈黙した。
腕を組み、答えるか否か迷っていた。
それでも最後には、ふっと微笑んで口を開いた。
「案ずる必要はない。慶事のようなものだ」
「け、慶事……ですか?」
「数日中に皆にも連絡が届こう。今はこれで勘弁願いたいが、構わないか?」
「――――はっ」
口止めされてるか、それに準ずる状況だったというのに答えた近衛騎士に感謝して、騎士は頭を下げる。
その後、近衛騎士が立ち去ったのを確認してから天井を、城の上を見上げて。
「慶事のようなもの……ような……」
御用職人が来る慶事のようなものとはいったい?
騎士は予想が付かぬまま、また新たに現れた御用職人を見送った。
――――更に数日後、城に勤める者たち全員に連絡が届いた。
まず、クリスがこれまで使っていた部屋が空き部屋となるということ。クリスは新たに設けられたとある階層に部屋が移るということ。
加えて、新たな決まりごとが付随していた。
クリスに用事がある際は、彼女が騎士として勤務中に限り、身分や役職にかかわらず今まで通りに振舞って問題ない。
だが、それ以外の時間はこれまでと違い、基本的に近衛騎士を介すように、とあった。
これは今の時代は形骸化した古くからのしきたりだ。
そしてそのしきたりは、王族に連なる者たちに適用されるものだ。
最近ではカティマのように自由な王女が居て、アインのようにときに奔放な王太子が居た。
それ故、昔に比べて強い意味をなすわけではなく、あくまでも常識の範囲内で――――と添えられる程度のしきたりとなっている。
だが、しきたりの意味はこの際どうでもいい。
これがクリスに適用されるようになったことと、そのクリスの部屋の場所が変わったことこそが皆の興味を引いた。
――――なぜならその部屋が。
「姫様、こちらの部屋にはもう慣れましたか?」
「あの……マーサさん? だからそう言う呼び方は……」
「これは失礼致しました。クリス様がようやくこちらの階層にお住みになられた思うと、喜ばずにはいられなかったものでして」
王族の部屋が並ぶ最上層だったことが、城に居る皆にある事実を思わせた。
アインとクリスの二人には、関係が変わる大きな出来事があったということを。
「で、でも展開が早すぎませんか!?」
「それはもう、私も同じことを考えました。ところでお茶のお代わりはいかがですか?」
「……いただきます」
少し迷ってから頷いたクリスのカップの中に、マーサは夏の昼下がりに持ってこいな冷たい茶を注いだ。
「取り掛かってから一週間と経たぬうちに完成しましたからね。我々、給仕の間でもクローネ様の手腕を再確認してましたよ」
「え?」
「え、とは――――っとと。これは失礼しました。そう言えば、一連の流れがクローネ様の発案によるものとお教えしておりませんでしたか」
「だ……だから話が早かったんですね……」
「はい。クローネ様はシュトロムでの騒動が起こった日の晩のうちに計画をまとめ、グラーフ様へ連絡を取り、資材の確保や御用職人たちの予定を抑えたのですよ」
その日のクローネはアインと違って城は出ず、城内で執務に追われていた。
同時に魔物の襲撃を受けた町々への対応を検討しながら、必要な物資の輸送スケジュールを組み、騎士たちの動き方を何度も何度も調整していた。
彼女の仕事ぶりを者たちは、その仕事の速さに驚嘆したという。
そんな中、マーサは何度もクローネの執務室へ足を運んだ。
クローネが執務中にとる休憩時間に行くと、いつもならしっかり休憩を取っていたはずの彼女が、こうした場では珍しく城内の備品――――それも、王族向けの備品が書かれた書類を確認していたのだ。
マーサはつい口を開いてしまった。
珍しいですね、と様子を伺うように尋ねてみれば、クローネは「ふふっ、すぐに必要になりますから」と優し気な笑みを浮かべて答えた。首をひねったマーサに対し、「さっきマルコから聞いたので確実なんです」とつづけて言った。
気持ちの整理はもう何年も前についている。
クリスのことも好きで大切だとはっきりと言ったクローネは、その言葉通り二人のことを喜んでいたのである。
『私です。入ってもいいですか?』
するとそこへ、頃合いを見計らったかのようにクローネがやってきた。
「はい! 大丈夫です!」
と、クリスが答えたところでクローネが部屋の中に足を踏み入れた。
そのクローネを見て、本当に綺麗な人だ――――と部屋の中に居た二人は思った。
同性でも、むしろ同性だからこそ気が付く細かな所作や振る舞いの雅やかさに息を呑んだ。向けられた澄んだ双眸は浄く、歩くたびに揺れる絹のような髪が翼のようだった。
「お二人とも、どうしてじっと私のことを……」
「……本当に綺麗な人だなーって思っちゃって、つい」
「もう、急にどうしたんですか? クリスさんったら、私を立てようとしなくてもいいのに」
「ううん、違います。ほんとにほんとに綺麗な人だなって思って、見惚れちゃっただけなんです。だから本心なんですよ」
傍らで控えていたマーサは思った。
イシュタリカの歴史では王妃同士で仲違いする者も居たが、この二人なら大丈夫。
そう確信して、未来の王妃たちを静かに見守った。
◇ ◇ ◇ ◇
本日、騎士たちの訓練場は貸切だった。
武舞台の中央に立つはアイン。
アインに対してロイドにディル、そしてマルコの三名が剣を構え、脱力し、自然体に剣を構えたアインを見る。
はじまりの言葉はなかった。もう十度を超える立ち合いは、いずれも三名が仕掛けることが合図だった。
これまではいずれもマルコが先陣を切った。アインの真正面を抑えることで、残る二人がどうにか隙をつくべく挑戦した。
結果はいずれも惨敗だ。
前提としてアインを抑えきれるかが大きな課題で、一度たりとも達成は叶わなかった。
そして、今回もそうだった。
「もう一度、胸をお借りします」
「ああ、何度でも――――ッ」
けれどマルコはアインの面前で身体をひねり、彼が持つ黒剣イシュタルに身体を滑らせるように旋転させた。
一見すれば清流のように、あるいは蔓のように柔らかくアインの背に回る。
対するアインはマルコの剣の気配から気をそらさず、でも振り返ることなく面前を見た。
ディルの姿がない。そしてロイドが猛然と距離を詰めてくる。
「もっとも、胸をお借りするのは私ですがッ! ぬぅぅああああああッ!」
空を揺らす元帥の膂力を以てして、アインの頭上に近づく巨剣の影。
それとは別に、一陣の風がアインの真横から近づく。アインの流し目が端に映し出したのは、金色のたてがみを靡かせた弾丸のようなディルの突進だった。
「このような攻撃は不本意ですが……ご容赦をッ!」
攻撃が届く順だが、一番は面前のロイドだ。
次点で背後を取ろうと旋転の最中にあるマルコか、真横から迫るディルであろう。
一瞬の出来事に多すぎる要素が詰め込まれる。すべてがアインから一本を取るべく向けられた剣戟の連撃だ。
(――――狙いは)
アインは冷静だった。
この時点で自分の脅威となる攻撃を冷静に見極めながら、ロイドの剣だって寸前まで受け止めるか考えた。
その結論は。
「押し返すのが正解か」
ロイドの剣を受け止めながら、前に押し出して足場を広げた。
「ぬぅっ!?」
うめき声を上げたロイドの巨躯があっさりと圧され、いつの間にか沈んだ腰に逆らうことなく床に膝をつく。
気が付くとアインの剣が頭上にあり、ロイドの剣を押しのけ巨躯を弾いた。
「決め手はマルコ――――のようにも見えるけど、最後にディルが一本取るための布陣だ」
アインはそのまま振り向かず、ディルに切りつけることもない。
ただ、一点に向けて鋭い一突きを見舞っただけ。
もう動きを止められないほどの勢いを秘め、剣を振り上げる動作に入っていたディルに躱すことは難しかった。自らの眉間に向かってくる切っ先には、自分が吸い寄せられてるような錯覚を覚えた。
出来ることは諦めることだけ。
攻撃を止めることはできないが、情けなくも身体を反らして逃げることは可能だった。
残るは一人。燕尾服のデーモンのみ。
彼はディルにも、そしてロイドにも到達できていない境地に立つ剣の魔物だ。
見学していた騎士たちもそれは良く分かっている。マルコは普段から、時間があれば騎士の訓練に顔を出すこともあったから、その実力は身をもって知っていた。
だが、それがどうだ。
マルコは振り向くことなく振ったアインの剣を受け止めるや否や、頬を歪ませてじり……じり……と足が後退した。
完全な膂力を前に身体に痺れすら感じ、唖然とした。
「まだ……まだ……っ!」
足元に力を入れようと試みるが一切入らない。
逆に膝が震えを催し下がっていく。向かう先は床の上だ。
ここでようやく気が付く。
先ほどの剣は膂力に満ちていただけでなく、精緻に組み合わさった技術の結晶である。剣を通じてやってきた衝撃が、自分の身体を蝕んでいたのだと。
――――それまでッ!
審判を買ってでた騎士には何が何だか分かっていなかった。
けれど、勝敗が付いたことだけを確認すると、額に汗を浮かべながらその言葉を発したのである。
◇ ◇ ◇ ◇
「爵位?」
そのあとも何度か立ち合いをして、計二十回をこなしたアインがそう言った。
相手の三人は今も尚疲れに苛まれて休憩していたが、アインはタオルを首に掛けながら、渡り廊下を進みながらウォーレンと会話をしていた。
「はい。クリス様に爵位を用意するつもりだったのですが、不要なのではないかと思いまして」
「…………俺が関係してるってことか」
「左様でございます。正直なことを言いますと、王族の相手となればそれなりの爵位がある方が恰好が付きますゆえ。そうはいっても、アイン様ですから今更ではないかと」
「えっと……え? どういうこと?」
アインは頬を伝う汗をタオルで拭いながら尋ね返した。
「血筋というよりは、偉業です。アイン様がこれまで成し遂げた偉業を鑑みると、たとえ大公であろうと些細なものでしかありません。となれば、わざわざ爵位を用意したところで……と思ったわけであります」
「なるほどね。んー……ちなみにクリスはどう思ってるのかな」
「実はすでに聞いております」
「で、答えは要らないって感じだったのかな」
「仰る通り、ご相談をはじめて早々に不要と言われました」
言ってしまえば、そもそもクリスの血統は良い。良すぎる。
考える者によれば現王家より格式高いと判断する者もいるだろう。
だが不要と言ったのはそう言う意味ではない。
「アイン様のお傍に居られるのなら、爵位は別に不要だと仰っておりました。……一応、爵位を与えるにもそれなりの費用は掛かりますゆえ、クリス様はそれがもったいないと思われたらしく」
「ははっ――――クリスらしいや」
「しかしながら、ご婚約についての正式発表は今しばらくお待ちください。具体的にはアイン様が即位するまででございます。その後すぐ、民に知らせることと致しましょう」
「落ち着いてからってことか」
「はい。慶事がつづくこともそれはそれで良いことなのですが、婚儀の前に立てつづけに――――となると、気にする者もおりますので」
とはいえ公然の秘密だ。
クリスの手元の宝石を見れば誰しも状況は分かるはず。彼女の部屋が王族が住まう階層に移動したことも含めれば、予想できない方が難しい。
「というわけですから、しばらくはゆっくりとお過ごしください」
「――――ん!? それだけ!?」
言ってしまえば第二王妃の話だから、それなりに仰々しい話になると思っていたアインは思わず当惑した。
「はい。別に何か要望があるわけではございませんよ。あくまでも中間報告。あくまでも状況の確認ですので」
「なるほどー……」
「言うなればいつも通りで結構ですよ。皆さまと仲睦まじくしていただければ結構です」
「それは問題ないと思う。皆とは喧嘩らしい喧嘩もしたことないしね」
「良いことです。喧嘩を経て仲を深めることもございましょうが、それがなくとも互いの理解をできるに越したことはありませんから。――――というわけですので、秋までは王都での仕事ばかりです」
「……何がというわけなんだろ」
「遠方での仕事がない方がゆっくりできますからな」
そう言ったウォーレンは懐を漁り、丸めて糸で止められた羊皮紙を取り出した。彼はそれをアインに手渡す。
「取り急ぎ、近くに迫った公務でございます。アイン様には各研究施設群への視察に加え、賢猫邸へ赴き、そちらの所長殿と会談をしていただきます」
「なにその最後に出てきた施設の名前」
「おや? ご存じでありませんでしたか?」
するとウォーレンは新たな羊皮紙を取り出し、アインに渡す。
紐をほどいたアインは歩きながら羊皮紙を広げ、二秒も目を通すと乱暴に綴じ直した。
「キャンセルで」
「ほっほっほ……なりません。あちらはそれなりに国費を投じて重要な研究を行っている場所ですので、是非お願いします」
「…………なんてこった」
「予定は正式に決まりましたらお伝えします」
アインはその日に限って風邪をひくことを願ったが、毒素分解EXを持つ自分がそういったものに罹りにくいことを思い出して項垂れた。
渡り廊下に注がれる豊かな陽光を見上げ、もう一度ため息をついてから。
「カティマさんの研究所の本拠地とか……絶対に行きたくない……」
この後、シャワーを浴びてから誰かに話を聞いてもらおう。
額を伝う汗をぬぐい、ウォーレンと共に城の中を進んでいった。
今日もアクセスありがとうございました。




