楽園の覇者【後】
発売日は10日ですが、すでに多くの書店さんに並んでいるようです。
5巻ですが、今回も多くの加筆を加えております。
ハイムとの会談についても多くの展開やエピソードを書き下ろさせて頂きました。その他にもすべて書下ろしの章もありますし、クライマックスやエピローグはすべて新規書下ろしです。
bookwalkerさんでは試し読みも出来ますので
(成瀬先生が描いてくださったイラストも見れます)
是非、試し読みだけでもご覧いただけますと幸いです。
炎王の抱擁が放たれる直前。
アインの視界が、そして世界が停止した。目に見えるすべてが真っ白な光に浸食され、存在と色を主張するのは背を預けていた木だけだった。
走馬灯みたいなものだ。だが、悔しさとそれによく似た感情ばかりが心の中を蠢いていて、正の感情は微塵も見当たらない。
やがて、アインは瞼を閉じた。
もう目を開けている体力も全く残っていなかったのだ。
(…………ごめんなさい)
もうシルヴァードに謝ることしかできない。
次に目を覚ましたときには、セラが言うように船内のベッドの上なのだろう。
そして、神隠しのダンジョンに残された二人の痕跡は二度と探せず、シルヴァードにも何かを伝えることは難しくなる。
この前の、彼が甲板で見せた姿を思い出して心が痛んだ。
――――不意に。
アインが背を預けている木の反対側から、懐かしさを覚える香りが漂ってきた。甘くて気品があり、無意識に吸い寄せられそうな蠱惑的な香りだった。
その香りにはさっきまでと別の悔しさを髣髴とさせられた。
「どうして私の力を使わないの」
不満そうで、もの言いたげな声が聞こえてきた。
「…………」
アインは自分でも驚くほど冷静に思案する。
考えてみれば、この戦いの中で一度も彼女の力を使おうとは思わなかった。きっとそれは心情的に、無意識に避けていたからだと思う。
救えなかった相手の力をどうして使えようか。
まるで都合のいいような扱いが、個人的にも好きになれなかったのだろう。
「別に。気持ちの問題だよ」
仮にシルヴァードの為という大義名分があろうとも、だ。
「ふぅん、私の事が嫌いってこと?」
「好きとか嫌いとかの話じゃないよ。ただ、キミの力を借りるに値しないと思ったからだ」
「どうして?」
「どうしてって……そりゃ」
そんなあっけらかんと尋ねられても返事に困る。
彼女の過去を聞き、感情を吐露され、その後もアインにとっては救えたと言えない終わりを迎えたのだから、当たり前のことなのだ。
言い淀んでいると、彼女はアインの気持ちを知った様子で嘲る。
「馬鹿なの? 私は満足してるのに?」
「――――でも、ただのお人好しで終わっただけだ」
セラが言っていたように、本当にお人好しなのだと自嘲した。
「私の目には貴方が救世主のように映ってた」
「大袈裟な……」
「何よ、私がそう思ってるならいいでしょ」
蠱惑的な香りが近づいて来る。
同時に彼女が歩いてくる気配もした。
「ただのお人好しのほうがずっと素敵だと思うの。何もしてくれない人たちなんかより、ずっとずっとね。そのお人好しが貴方だって言うのなら、これ以上の喜びはないわ」
アインは乾いた笑いを零してから、彼女の言葉に「そうだといいんだけどね」と小さな声で言った。
ふと、手に暖かな体温が伝わってきた。
滑らかな肌が擦れ合い、手が優しく撫でさすられる。
「もう頑張りたくない?」
「……いや、頑張りたいよ」
「うん。貴方ならそう言うと思った」
「けど――――」
もう限界だという想いは言葉にする直前で飲み込んだのだ。
「目を開けて」
彼女はそう言うと、両手でアインの頬を包みこむ。
これまで重かったはずの瞼がゆっくりと開いた。
アインの目の前に居たのは、あの日、魔王城の牢屋で最後に見たときのまま。晴れやかな顔と明るい笑みをこぼすシャノンの姿だ。
「私は不幸だったの。我ながら、他に比べられる人が居ないくらいにはね」
だからって許されることのないこともしたけどね、と最後に添えた。
けど、アインは素直に頷いて返す。
「私の力が使われる事が嬉しいって言っても、それでも嫌なの?」
「…………」
「あー、もうっ! 貴方ってほんとにじれったい男! 私がいいって言ってるのに、どうしてそんなにうじうじしてるのよ!? 馬鹿なの!?」
散々な言われようにアインは言葉を返せず、つい苦笑した。
そんな彼を見て仕方なそうにため息をついたシャノンは、意外と不機嫌そうではない。怒るに怒れないというか、アインの性格を知ってるからの諦めだ。
「ちょ…………勝手に何を!」
アインの手に黒く、紫にも見える魔力が宿りだす。
強引で、全身を侵食しようと試みた。
けど侵食するどころか、アインの魔力にゆだねるがままに馴染んでいく。
それを見たシャノンは口角を上げて見せた。
「ご覧なさい。貴方の事を侵食することが出来ず、身を任せることしか出来ていない私の魔力を」
その様子をアインは静かに眺めた。
「お人好しで頑固者の魔王様なら、きっと私よりも上手く使えるわ」
「……それ、褒めてるの?」
「ええ、勿論」
彼女はアインの頬から手を放し、彼の手を包み込む。
それから。
甘えるように額を押し付けて言うのだ。
「たくさんたくさん、ありがとう」
ふと、世界が色付きだした。辺りの芝生が瑞々しい緑に覆われる。
アインの手がシャノンに持ち上げられて間もなくだ。セラがいたところから強烈な熱が生じたと思うと、あっという間に収まった。同時に、活力を取り戻せるだけの魔力が吸収されてきた。
「これで頑張れる?」
もはや、頑張りたいという願望ではない。
確固たる自信をもって言葉にできた。
「ああ、頑張れる」
するとシャノンが屈託のない笑みを零して立ちあがった。
ほら、片手をアインに差し出して、彼にも立つように促す。そのまま彼を一歩前に進ませると、彼の背をポンッと押した。
「今度しっかりとお礼をしたい」
「じゃあ何処かに連れていって。あ、お礼をしてくれるのはいいけど、勝ってくれないと受け入れないから」
「え、えぇ…………」
「こんなところで負ける貴方じゃないでしょ。それでこそ――――貴方じゃない」
空が紺碧を取り戻した。
気持ちのいい風が目の前から吹いてくる。
「さぁ、誰よりも強くて優しい魔王様」
後ろを振り向かなくても分かる。
彼女は嬉しそうに、幸せそうにカーテシーをしてアインを見送っていた。
「――――お心のままに」
◇ ◇ ◇ ◇
セラから見れば、アインが立ち上がる様子は不気味ですらあった。
決して大袈裟な動きではなかったものの、立ち上がる際には少しずつ傷が治りながらで息を呑んだ。
「あやつが息を吹き返させたか」
無意識であったが、手足が動く。セラがもう一度糸を引き千切って見せたが、今度はびくともしなかった。
「そうです。情けなくも力を借りてきました」
「いい顔つきをしておる。救われたのか、憑き物が落ちたようじゃ」
アインは強く剣を握り締める。
余力はなかった気がするが、今はある。
ただ、いつもみたいな活力はない。
(十分だ)
これだけ動けるのなら上等だろう。
ジリッ――――。
灼熱が頬を刺激した。
見れば、セラの手元にあの業火が生じだしたところだ。
「偶然か否か、もう一度見せてみよッ!」
炎王の抱擁が産声を上げた。
灼熱を抱いた業火が波及していく様子には、今でも怖れを抱かせられる。
ほんのまばたきをした一瞬で、すべてを滅する畏怖すべき炎だ。
けど、今なら大丈夫。
そっと手を掲げたアイン。
「勝たないといけない理由がもう一つ出来たんです」
業火を前にして恐れている場合じゃない。
掲げられた手に業火がたどり着いた刹那だ。
目が眩む強烈で白い光がアインの手から発せられた。セラの手から放たれた炎王の抱擁が、今度はアインの手に飲み込まれていく。
竜巻に近づいた非力な人間のように。
絶対的な捕食者に貪られる小動物のようにだ。
「ッ――――たばかりではなさそうじゃな……!」
セラは思わず炎王の抱擁を抑え込んだ。
あれ以上、最後まで力を使っても敵に塩を送るばかり。優しい一面を持つ彼女であろうと、そこまでのお人好しではない。
「魅了……いや、支配したか」
アインは自分に放たれた攻撃の中でも、それに宿る魔力を支配した。
本来のシャノンの力の神髄は魅了にある。
スキル『魅惑の毒・孤独の呪い』
そこには好きと嫌い、相手の感情による効力の差があった。だが、今のアインが使うことで更にその上をいく。
現在はその条件が変わり、進化に近い変化を遂げている。
「これならどうじゃろうなッ!」
アインの不意を突いた神速の雷光。
雷光はヴェルグクの紫電より更に速く、更に苛烈に襲い掛かったが。
「――――させません」
直撃するどころかアインの剣にかき消され、吸収された。たったひと振りの前に、呼吸するように雲散したのだ。
この様子に、二人ははっきりと理解した。
コレは、アレは今や魅了なんてレベルにはない。イシュタリカ王家の人間が王族令を用いるかのように、絶対的な拒否権を持っていた。
アインに敵意を持つ魔力そのものが、彼の前に平伏させられたのであると。
……まさに王の力であるのだと。
そろそろ戦いも終わります。
今日もアクセスありがとうございました。




