夜空と本。
発売まであと一週間を切りました!
今回は冒険者の町バルト編と、マルコの話が描かれています。
五万文字以上書き下ろしておりまして、改稿も重ねてweb版でお付き合いいただけてる方にも楽しんでいただけるように仕上げた一冊です。
成瀬先生の挿絵と共に楽しんでいただけますと幸いです。
ご予約のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
目が覚めた時、アインが居たのは魔王城の一室だった。
腕はライルに伸ばしていたままで、ベッドの上で天井に向けて手が伸びている。窓の外から入り込む茜色の夕日に一瞬、目が眩んだ。
「まだ勝負の最中なのか?」
起き上がってみると、確かにここは魔王城だ。
違うのは、過去の世界に比べて随分と物静かなことぐらい。
不意にアインの脳裏を嫌な予感が掠める。もしかすると今回の時系列は、アーシェと戦う直前だったのではないか、と。
考えてしまうとじっとしていられなかった。
ベッドを勢いよく降りたアインは、何も確認することなく部屋を飛び出す。どうやら自分が寝ていた部屋は客間のようだ。
廊下に出て、勢いよく駆け出したアインは玉座の間に向かった。
不自然なほどの静けさに包まれた魔王城の中を、駆け抜ける足音が響き渡る。
すると。
「あら」
と、シルビアと邂逅する。
慌てていたアインは呼吸を整えると、彼女の目の前で立ち止って口を開く。
……この時、アインはシルビアよりも高い自分の身長に気づかず、ついさっきまでの呼び慣れた固有名詞を口にしたのだ。
「よかった。目が覚めたのね、アインく――――」
「母上! 俺はどうして客間にッ!?」
「ッ――――!?」
「何かあったんですか!? もしかして姉上に何か――――母上?」
はじめは呆気にとられた様子だったシルビアが、急にアインを抱きしめた。力強く、ぎゅっと服まで握りしめていた。彼女はアインの胸元に顔を埋めて嗚咽を漏らすと、小さく「ごめんなさい」と何度も呟く。
訳も分からず困惑したアインはされるがまま。
やがてシルビアは急に走り去っていってしまう。
アインは彼女の背をじっと見つめるぐらいしかできなかった。
「……あ」
手持ち無沙汰そうにしていると、腰にあるはずの剣がないことに気が付く。
アインは行きなれた道を進み自室を目指した。
階段をいくつも上り、廊下を進む。
やがてたどり着いた先を見て、見慣れた景色があったことに安堵する。
軽く呼吸を整えて扉に手をかけると、中の様子を確認した。
よし、ここもいつも通りだ。
すぐに足を踏み入れると、ベッドに置かれた黒剣イシュタルを視界に映した。
「とりあえず持っておかないと」
武器がなくとも戦えるがあったほうがいい。
腰に携えたところで息をつくと。
「騒がしいな」
扉に背を預けたカインが声をかけてきた。
「父上……えっと、城が静かすぎて」
「……ああ、そりゃそうだろうな。時代が時代だ」
するとカインは部屋に入ってきて、窓の前に立つ。
「なぁ、マール」
「何ですか?」
「アーシェが謁見の間にいるんだが、会ってきたらどうだ」
「そ、そうだ! 姉上を探してたんです!」
「ならいってこい」
アインは大慌てで部屋を出て、勢いよく駆け出した。
部屋の中。
窓際でいまだに佇むカインは眼下に広がる城下町を眺め、過去の賑わいに想いを馳せる。
シルビアと違い涙を流す事は無かったが、代わりに詫言を漏らした。
◇ ◇ ◇ ◇
謁見の間に進む道は一際静けさに包まれていた。
並ぶ窓から差し込む茜色が、漆黒の絨毯を鮮血で濡らしたような錯覚を抱かせる。
ただの一人も戦士の姿はなくて、魔王アーシェが待ち受ける先が別世界のように思えてならない。
讃美歌でも奏でれば、更に不気味さを際立てただろうか。
「…………」
謁見の間の扉に立ったアイン。
すぅっ……と深く深呼吸をして手を伸ばす。
――――扉は重厚な見た目と違い、軽々と開かれた。
「居た」
姉上と慕うアーシェの姿がそこにある。
大きな玉座にちょこんと身体を預け、肘置きに頭をのせて眠りこけていた。
アインは中央に敷かれた絨毯の上を進んでいく。左右からはこれまでと同じ茜色が、窓の形にそって四角形に並んで注がれる。
一歩、二歩。
何歩進んでもアーシェが目覚める気配がない。
するとアインは意を決して彼女を呼んだ。
「姉上」
と、いつものように呼び掛けたのだ。
するとアーシェの眉が動き、頭がゆっくりと持ち上げられる。不満げに目をこすり「はぁ……」とため息交じりに言うと、瞳を光を反射した宝石のように光らせて。
「気持ちよく寝てたのに――――ッ!」
毛穴が逆立ちそうな圧が辺りを覆うと、窓の外の空が紫色に変わった。
アーシェはまばたきの刹那に玉座を離れていて、アインの面前に姿を見せる。
「え……?」
この光景と彼女の姿を見て、アインは急な頭痛に苛まれた。
そして思わず目を閉じる。こうしていると、瞼の裏に映像が流れた。
自身の手元を見ると傷だらけで、指は何本も欠損していて満身創痍だ。目の前にいるアーシェは赤黒い魔力に包まれていて、瞳を見ていると頭が考える事を放棄してしまいそう。
しかし次の瞬間、アインは白銀色の魔力を放ちアーシェに膝をつかせた。
つづけてゆっくりと足を進めると、頬に一筋の涙を流して「ごめん」と謝罪する。
やがて、振り上げていた剣を彼女の胸元に突き立てたのだ。
映像に困惑しているアインの前で、アーシェが「え?」と言って立ち止った。
「どうしたの……? 大丈夫?」
「――――あれ、姉上が無事……じゃあ今のは」
「ッ……今、何て言ったの」
「へ? だから姉上が無事だって」
アーシェの瞳にはアインがどう映ったのだろう。
彼女はすがるように手を伸ばして、アインの服を強く掴んだ。胸元に顔を押し付け犬や猫のように甘える。
「気持ちよく寝てた。だからまだ夢の途中だったみたい」
そう言いつつも、アーシェは積もり積もった自責の念に駆られて懺悔する。
「マールとここで会える夢なんて、はじめてみる」
「夢、ですか?」
「そう、夢。私は魔石でいた頃、お城にやって来た貴方をみたときは他人の空似だって思ってた。でも、お兄ちゃんとお姉ちゃんが居たから本人だと思った。……たくさんの夢を見てきたけど、マールとここで再会できたのはこれがはじめてだから」
「…………それって」
どちらが夢を見ていると思ってるのか。
答えは両方だ。
アインはアインで勝負の最中、夢のような世界での出来事だと信じていたし、アーシェはアーシェで、これが甘美な夢の中であると信じていた。
「何よりも謝らなきゃいけなかったのに、私はマールを拒絶した」
つづけてうわ言のように謝罪を繰り返した彼女は、遂に気が付く。
アインの腰にある剣が、過去の自分が見ていたそれではなかったことに。
この事実を簡単に納得しきれず、じっと眺めた。
「どうして」
するとアインはその言葉を聞いてから、頭痛に負けて意識を失ってしまった。
彼の身体をすぐに支えたアーシェ。
「…………何が、どうしてマールの記憶が戻ってるの」
呟き、支えたアインの顔を見る姿。
今日まで決して口にすることはなかったが、今のアインの姿は、自分が最後に見たマルクの姿とよく似ている。
戸惑う彼女の元へ、カインとシルビアの二人が足を運ぶ。
「アーシェ」
「お兄ちゃん、これはどうなってるの」
カインは首を横に振り、シルビアもそれに倣った。
「なぁ、シルビア。マールは確かあっちの城で倒れたんだったな」
「え、ええ……症状は不明で、体力や魔力に影響もない。だけどずっと目を覚まさなかったからってあの子――――ウォーレンが私を頼って来たんだもの」
「そして今日で昏睡から数週間が経った、と。目が覚めた今はああなってるようだが」
「勇者の力を取り戻したことによる影響……なのかもしれないわ」
二人はこうしてアインの下に近寄ると、眠りこけたアインをカインが抱き上げた。
「ここで問題となるのがマールと呼んでよいものか、という話になる。俺たちにとってみればマールでありアインなわけだが」
「魔石はマール君のものよ。けど……ごめんなさい」
さすがのシルビアも判断に迷った。
倫理的、そして感情的にすぐに判断が出来なかったのだろう。
しかしアーシェは違う。
「私は私たちしかいない場所でなら、マールって呼ぶ」
彼女は強く言い切った。
「だから私は今日まで「貴方」とかでしか呼んでなかった。私にとってはマールに違いない」
彼女は鼻息荒く言うが二人は苦笑する。
「俺にとっても、マールだっていう気持ちはある」
「けど、今はアインっていう名前と個人があるわけだから……」
さっきは狼狽えてしまったシルビアも、今では冷静に考える余裕があった。
今の再会がはじめてであれば、彼女だってマールと呼ぶことに固執しただろう。けど、すでに十年近くの時が過ぎている。
感動や喜び、そして家族としての愛情はとどまることを知らない。
いわゆる複雑な感情に苛まれていた。
◇ ◇ ◇ ◇
次にアインが目を覚ましたのは夜だった。
「起きたか」
と、ベッド横に座っていたカインが口を開く。
今のアインは冷静に、気を失う前のことを考えながら口を開く。
「ここは何時のイシュタリカですか?」
「アインという少年が生きるイシュタリカだ」
「……なるほど」
上半身をベッドの上で起こすと、今度はマルクの部屋だと気が付かされる。
「色々と話すべきことはある。だが先に、どうしてお前がここにいるのか伝えなければ」
語られるのは、先ほどカインとシルビアが口にしていたことと同じだ。
何故ここにいるのか、そしてどれぐらい昏睡していたのか。
事細かに語られたアインは時に驚き、ライルとの出来事を思い返して苦笑いを浮かべた。
「あー……道理で目が覚めたときに父上が――――っとと」
二人は顔を見合わせて苦笑する。
今の呼び方がどうあるべきなのか迷っていて、答えが見いだせなかったからだ。
「一つだけ、だからしっくりきてたんだって思ったことがあります」
「ああ、なんだ?」
「マルコと戦う前に二人と会ったときのことです。俺はあの時、父っていうのはこの人みたいな存在なんだなって思ってました。色々と分かって、この感情は当然だったんだと分かりました」
「……だろうな。昔も同じように剣を教えていたんだ」
「昔の俺と今の俺って、どっちの方が覚えが良かったですかね」
「残念なことに大して変わらず、いつの時代も剣の才能はないな」
「まったく成長出来てない……」
少し重苦しかった空気が緩和すると、二人の顔に穏やかな笑みが浮かんだ。
すると二人はしばらくの間、沈黙を交わした。
アインは多くのことを考えていて、次の言葉を発するまでに一つの結論を得ようとしていた。
まだ知らないことは多いがそれでも事実は事実だ。
分かったことも多いし、しっくり来て、道理でと納得できることばかりだった。
思えば過去の世界での自分たちの触れ合いは、現在の今と比べてまったくの大差がない。変わったことと言えば呼び方ぐらい、こう言っても過言ではなかったのだ。
ふと、アインは魔石がある胸に手を置いた。
目を伏せながら口を開く。
「俺はアインであり、マルクです。優劣をつけることは出来ないですし、一方の価値がどちらかに劣っているなんて考えられません」
「ああ」
「だから多分」
ここでアインは顔を上げ、カインを見る。
屈託のない晴れやかな笑みで、よどみのない言葉ではっきりと言う。
「三人はきっと俺にとって……父上と母上、そして姉上でもあるんだと思います」
「――――ああ、間違いない」
立ちあがったカインはアインを強く抱きしめた。
やはり、彼の愛情には父性が感じられる。
ローガスからは全く感じられなかったそれが、彼からは溢れんばかりに感じるほどだ。
「おかえり」
と、カインの言葉にアインの胸が震える。
この地にはじめてやってきたとき、アインは「ただいま」と口にした。それはカインとシルビアの言葉を代弁するための言葉だったが。
「なんか、あの時の返事が聞けたみたいです」
自分にとってもそうだったらしい、と理解した。
「それが聞けただけで俺は、いや、シルビアとアーシェも十分なはずだ」
「でも、これから何て呼んでいけば……」
「互いにこれまで通りに呼んだほうが無難だろう。この場合のこれまでとは、アインにとってのこれまでだ。ただまぁ、俺たちからすればたまには前みたく呼んでくれても喜ばしいが」
少しの悲哀もない。
今のは前向きな判断で、絆にも感情にも少しの傷も入っていなかった。
やがて椅子に戻ったカインを見て、アインは分かりましたと頷く。
「そういえば、俺が死んだ後にラビオラが生きてたのは……」
「根付いていたのにどうして、か?」
「はい」
「お前の子を孕んでいたからかもしれないな。ドライアドとピクシーの根付きなんて、特殊すぎて過去に例がない。そういうもんだと思っておくしかないだろう」
確かにもうそれで納得するしかないのかもしれない。
誰も調べられないのなら、仕方のないことだ。
「でも身体は違うのに魔石が体内にあっても平気なんて、すごいですよね」
「何を言う。そもそもお前には毒素分解があるだろうに」
そういうと、カインはおもむろに立ちあがった。
「だがどんな形であろうと、自分のものだった魔石に触れても異変は起こらないのだろうさ――――ラビオラの魔石がそうであったようにな」
最後の方は何て言ったのか聞き取れなかった。
アインが尋ねる間もなく、カインは部屋の扉に手を掛けた。
「アインが寝ている間に町の方からウォーレンを呼んでおいた。外で空を見てるようだから行ってこい」
「ッ――――ウォーレンさんが?」
「なにも驚くことはないだろう。奴に感謝しろよ、第一王女の婚儀の最中だというのに、わざわざ町にアインのために残っていたのだからな」
するとアインは勢いよくベッドから起き上がる。
そうだ、考えてみれば婚儀があった。数週間も昏睡していたなら、ディルとカティマの婚儀がはじまっている時期だ。
◇ ◇ ◇ ◇
アインが外に出るとウォーレンが居た。
魔王城の門の内側に、一人で佇み夜空を見上げていた。長い時間ここで待っていたのか、彼の片手には本が携えてあった。
「ウォーレンさん」
「ッ……アイン様! 本当にお目覚めだったのですね!」
喜び、駆け寄ったウォーレンがアインの手を握る。
「ごめん、ライル様の部屋に行ってから色々あって」
「おや……何か昏睡に関して、ご事情があったようで……いずれ詳しく聞ければと思います」
「うん、どう話せばいいか迷ってることだらけなんだけど、頑張ってみるよ」
アインは意気込んでから夜空を見上げた。
あの日、オズを倒したときとよく似た美しい夜空だ。
満点の空に天の川が流れ、煌めく星が目を惹いて止まない。
「迷うことだらけ、ですか」
いったい何があったのか予想もつかず、ウォーレンはアインの顔を見た。
彼は晴れやかな顔を浮かべ、ただじっと夜空を見上げている。
「……シルビア様の馬車をお借りして町に帰ります。まだアイン様もお話することがあるでしょうから、もう少ししてからこちらを発ちましょう」
するとウォーレンはアインから離れ、魔王城へ足を進めていく。
「きれいな空だね」
だが、アインは振り返りもせず言葉を投げかけた。
「仰る通り、見事な空ですな」
「うん。あの時と同じ奇麗な空だ」
「あの時……ですか」
オズを倒した日に限らず、共に野ばらをかけて多くを救ったときのこと。
夜、外にいたウォーレンが月と星の灯りを頼りに本を読んでいたことが記憶に新しい。
「ねぇ、ウォーレンさん」
立ち止ったウォーレンがアインの背を見た。
「星空の下で本を読むのと、星空を見上げるのはどっちが有意義かな」
「ッ――――」
もう多くが薄れたウォーレンの記憶が、今この瞬間、鮮明に思い返された。
共に大陸を駆け巡った頃の古くて、宝物のような記憶だ。
「いずれのことをお話されているのかは分かりませんが……そうですな」
今なら、当時と違う答えができる。
瞳に浮かんだ涙を服の袖で乱暴に拭いて、口角を上げたウォーレン。
「貴方と共に見上げる夜空は決して悪くない――――かと」
「……はいはい、やっぱり素直じゃない」
「おや、不満のようで。なら言い直しましょうか」
するとウォーレンは高笑いをあげて歩き出す。
魔王城へ向かいながら、彼はこれまでしたことのない、乱暴な仕草で持っていた本を放りなげた。それは器用にも、庭園に置かれた噴水に放り込まれる。
つづけて口を開くと。
「僕は本を読むことよりも、貴方と共に空を見上げることのほうが有意義に思うよ」
互いに背を向けあいながら、彼はこう口にした。
すぐに魔王城に足を踏み入れた彼を見ず、アインはふっと頬を緩めたのだった。
今日もアクセスありがとうございました。




