アインの仕掛けと。
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「どうしてって、何がですか?」
アインはあくまでも白を切る。
つづけて密着しているシャノンから、一歩距離をとった。
「――――」
一方で彼女は何も言わず、自身の手を眺めていた。
今、何を考えているのかアインには手に取るように分かる。現代では本当に苦労した能力が、何の影響力も見せられなかったことが不思議で堪らないはずだと。
「どうかしたの?」
「……いえ、何でもございませんの」
何事もなかったかのような空気が二人の間に漂う。
この硬直を断ち切るのも、やはりアインだった。
「貴女は最近、城の中で何をしてるんですか?」
「私が、ですか?」
「そうです。いや、これでは聞き方が悪かったですね。貴女は城内で、どのような仕事をされてるんですか?」
彼女はアインの問いの真意を探るも、どうしても答えが分からなかった。
「私は――――私がしているのは文官の真似事ですわ。後は時々、給仕がするような仕事も致しますし、シルビア様から、民の声を聞くことも任されておりますの」
「大切な仕事ばかりですね」
急に話題を変えたこともそうだが、アインがこの言葉を聞いて満足げなことも気になってしまう。
そっと手を伸ばし「あの」と口を開きかけた刹那。
「これからも、どうかよろしくお願いします。きっと父上たちも助かってるでしょうから」
逆にアインが彼女の手を取った。
彼女の手を両手で優しく包み込むと、彼の温かさが伝わっていく。
するとシャノンは呆気に取られ目を白黒させた。
「じゃ、俺はこれで。まだ疲れてるんで休みます」
「あっ…………」
去り行くアインの背をシャノンは何も言えず、あっさりと見送った。
彼が石の床を歩くたびに、人気の少ないこの場所に乾いた足音が響き渡る。
「…………やめてよ」
アインに包み込まれた自身の手を、まるで唾棄すべき塵のように壁を叩きつけた。皮膚に少しずつ傷が生じ、血が滲み、綺麗だったはずの壁が汚される。
もうすでに姿が見えないアインだったが、実はこのおかしな様子に気が付いていた。
とは言え思い通りに行かないことに苛立ってるだけだと思い、引き返して様子を見ることはなかったのだが。
「嫌、嫌ッ」
一方で、シャノンの異変はつづく。
誰もが見惚れる宝石のような瞳が光を失い、陰りが生じたところで目を閉じた。
もう一方の手を傷ついた手に重ねると、頬を刺す冷気を覆わせた。やがて両手で身体を抱いて、小刻みに震わせてしゃがみ込む。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫」
呼吸が荒くなり、呪詛のような呟き。
「もう大丈夫……違う、私の力はもう私のものだから……ッ」
不快に強い鼓動を繰り返す胸を握りしめ、思い出したくない記憶から意識を遠ざけたのだった。
いくつかの階段を上ったところで、アインは壁に背を預けたウォーレンと出会う。
「長には近づかない方がいいと思うが」
「どうして?」
「い、言わなくとも分かるだろう!? 貴方なら分かってるはずだ! 長は何か企んでいるに違いないと!」
「どうしてそう思ったの? 誰かから聞いた?」
「くっ……違う! 立ち居振る舞いや、以前ならアーシェ様への異常な執心があっただろ! 今ではどうしてか落ち着いているけど、僕からしたら妖しくてたまらない!」
この時代のウォーレンもやはりウォーレンなのだ。
シルビアがまだ気が付いていなかったことに気が付いていて、それに対して警戒もしてる。今は正史と違う流れとあって、こうして忠告に来たのだろう。
「同種族の長なんだから、余り変なことは言わない方がいいと思う」
しかし、現代のウォーレンに比べて警戒心が低い。
若さというべきか、それともアインを心配しての行動なのかもしれないが。
「僕らは同じ種族だからって特別な感情はない。それこそ、長やその近しい者たちは別だが……」
「君は違うんだ」
「ああ。少なくとも僕は、この国の民の一人だとしか思っていないし――――だから、僕のことは別にいいんだ。マルク様が長と関わり過ぎないようにと……ッ」
「ありがと、心配してくれてるんだ」
「ち、違うッ! 貴方に何かあると彼女が悲しむだろう!」
心をチクリと刺激する真っすぐな気持ちに、アインは心を打たれる。
だが、こればかりはどうしようもない。
だから敢えて言及せず、歩き出して無理やり話す。
「でも大丈夫。俺には俺で考えがあるからさ」
「考えだって?」
更に一歩、階段をのぼりながらアインは言う。
「そ、考え。俺があの腹黒宰相様から教わった悪知恵があるからね」
「いったい誰のことを言っているんだ? この国には、いや、僕は宰相なんて一人も知らないぞ」
「いつか分かると思う。すごく頼もしくて、すごく頭のいい宰相がいるんだよ」
アインは最後に、ウォーレンに笑いかけていった。
一つ階を過ぎたところで、彼はふっと笑って口を開く。
「さっき彼女と出会うことは想定外だったけど、流れは俺の想定の内だ」
これまで、ああして彼女の気を引けるように振舞ってきた。少し前に手を触れられそうになった時に避けたのは、まだ機が熟していないと思っていたから。
そしてもう機は熟した。
「もうアーシェさんの事なんて気にならないはず」
アインの振る舞いを差し引いても、アーシェが警戒してるから行動を起こすことが難しい。
で、ここにやってきたアインへの謎だ。
自分の力が通用しないと悟ったシャノンは、ほぼ確実に標的を改めるはず。
標的がアインに変わり、こうなれば正史のような悪夢はほぼ確実にやってこないだろう。
企みごとをしていたのはシャノンだけじゃなかったのだ。
エルフの里に行く前から、こうしてアインは標的を自分に移すために行動を起こしていたのだから。
加えて一つ、想定外の喜びがあった。
それはエドという男が離反まではいかずとも、シャノンから距離をとったことだ。
自分の目で見たわけじゃないが、今朝からの雰囲気でそんなのは分かる。
シャノン個人の能力は恐るべき力ではあるものの、彼女自身の戦闘力は他人に依存しているため、少しでも戦力が削られることが嬉しい。
残る重要戦力はオズのみのはずだ。
「ま、なんでアーシェさんを狙ってたのかは分からないけどね」
これについても、いずれ答えが得られることを願っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
漆黒の天球を星々が彩る深夜、アインはラビオラの部屋に居た。
今のアインは何故か、ベッドの上に座ったラビオラの、その膝の上に寝かされている。
「今度は私も行こうかしら」
「へ? 行くってどこに」
「貴方が王都を離れる時が来たら、私もいっしょに行くわ」
「……急すぎない?」
「別にそんなことはないわ。この前の時だって、本当は私も一緒に行きたかったの。マルクの傍に居たかったけど、まだ迷惑になると思ったから我慢したんだから」
本当に彼女は、クローネとよく似た性格をしている。
瓜二つの容姿と口調で言われると、現世で話している時と同じように語らえる。
「例え海を渡るような遠征だったとしても、次は絶対に傍にいたいの」
何か身に覚えのある台詞にアインが苦笑した。
照れくさくて視線を逸らす。
すると窓際を見て、小さな鉢植えがあることに気が付いた。
「あれは?」
鉢植えをよく見ると、何か植えられていた。
一本だけの茎の先には蕾が一つだけ、今にも花を咲かせそうなほどの膨らみだ。
「前にシルビア様から頂いていた種が育ったのよ。咲かせるのがすごく難しいお花なんですって」
「へぇー……」
「もう半年もあの様子なの……。シルビア様に相談したら、綺麗なお水と土がある場所に植えてあげるといいかもって。だから今度、お城の裏手にある泉に植えてあげようと思ってたのよ」
「……なるほどね」
アレはアレか、そういうことだったのか。やがてアレは大輪の花を咲かせ、泉全体を毒沼と化す例の花となるのだろう。
未来でどんな姿になるのか、すでにアインは良く知っていた。
「いいと思うよ」
「ふふっ、じゃあ今度一緒に植えに行きましょうね。ドライアドのマルクが植えてくれたら、きっとあの子も元気に育ってくれるかも」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日の朝、アインの部屋にシャノンが足を運んだ。
陽が昇ってから少し経つ頃のことだ。
「――――えっと、お待たせしました」
自室の浴室で軽く身だしなみを整えたアインが、ソファで待っていたシャノンの下に来た。
優雅に腰を下ろした彼女からは、現王家の者たちに劣らない高貴さと、優雅さが感じ取れる。加えて美貌は蠱惑的でありながら、距離の近しさもあって親しみやすさを思わせる。
「お茶をご用意致しますわ」
「ん、お茶?」
「ええ、これでも自信がありますの」
有無を言わさず、彼女は唐突に茶を淹れだした。
香ばしいアロマが部屋中に漂い出すと、アインもつい、引き寄せられそうになってしまう。
「折角だから頂くよ」
彼は何も警戒することなく、カップを口元に持っていく。
嚥下する音、はぁ……と茶を楽しんだ後の吐息。これらがシャノンの耳にも届き、彼女は昨日に引きつづいて、驚いていた。
「美味しかったけど、どうかした?」
「いえ……マルク様のようなお方が、毒見もなしにお飲みになってくださった事に驚きました」
「あーそれか。別に毒なんて仕込んでないですよね?」
「あ、ありませんわッ! ですが少しの警戒もされないだなんて……」
「その必要が感じられなかったからね」
さて、と言いアインがソファに深く座る。
「急にどうしたんですか?」
一段落したところで尋ねると。
「私の子が大変お世話になったと聞いておりますの。ご恩をお返しするべく、しばらくの間、マルク様の身の回りの些末事を私にお任せくだされば……と」
「傍仕えみたいなことをしてくれるってこと?」
「ええ、恐らく似たような意味になりますわ」
つまるところ、アインの予定通りに誘導されてきたのだ。
アインは決してほくそ笑むことも、余裕を抱くこともしていない。ただ純粋に、こうなったことに胸を撫で下ろしただけだ。
だから、つづけて彼女の振る舞いを受けて立つ。
その思いが乗せられた笑みと共に、アインは右手を差し出した。
「えっと」
言わずとも、これは握手のつもりで出したわけで。
しかしシャノンは一向に手を掴もうとせず、それどころか喉元を上下に、大きく一度だけ揺らす。
この態度は今の今まで、アインが異性からされたことのない仕草だ。まさに嫌悪している相手にするような、更に何処か恐れてるような弱々しい態度だった。
「俺のこと苦手だったりする?」
「そのようなことは……とんでもございませんわ」
じゃあなんだろう。
少なくもシャノンは以前にも、アインに触れようとしていたことがある。だが、昨日のアインから触れてきたことは想定外だ。
アインは不意に、昨日のことを思い出す。
(もしかして、触れられることは苦手なのかも)
逆に自分から相手に触れることは許容できる。
しかしそうだとすれば、アーシェとの触れ合いが多かったことに違和感がある。
自身の支配下にあれば違うのだろうか。
「人に触れられるのは苦手ですか?」
「ッ…………!?」
「あ、ああ! いえいえ! 別に咎めてるわけじゃありませんから! 苦手だったら俺も気を付けるので!」
はっとした面持ちでアインを見たシャノンだったが、彼女はすぐに落ち着きを取り戻した。
また微笑みを浮かべたと思いきや、すぐにアインと手を重ねる。
「御見苦しい姿をお見せ致しました。お仕えしてる主様の前での無礼、どうかお許しくださいまし」
手が重なった瞬間、氷のような冷たさがアインの手を覆った。
昨日とは全く違った温度に目を細めるも、追及はしないし、むしろ手元の冷たさを侵食するように強く握り返した。
すると。
「――――ぁ……」
彼女の口から漏れた吐息は、決して艶めいてはいない。
どちらかといえば、極度の緊張により漏れた弱さと言うべきだ。
しかし堪え、笑みを繕う。
「どうかよろしくお願い致しますわ」
最後は優雅に言ったところで、窓の外から慌ただしい声が届きだす。
『私が行けばいいだけだ! 迷惑を掛けるつもりは無い!』と、マルコの声だ。
アインが外の様子に気を向けたところで、シャノンは豊かな胸元に手を押し当てて、先ほどの緊張感を必死にほぐす。
「何かあったのかもしれないから」
俺はちょっと様子を見てくるよ。
こう言おうとしたのだが、落ち着きを取り戻したシャノン。
「私も参ります。今はお傍で使える身ですもの」
と、アインのそばを離れようとしなかったのだ。
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