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[閑話]彼の新たな生活

時系列的には、アインがエルフの里にむかう一週間ちょっと前ぐらいになります。


 ――この国は変な国だ。



「では、ご自由にお使いください」



 案内をした給仕がそう口にすると、随分とあっさりとした様子で足早に立ち去る。



「……あぁ。感謝する」



 イシュタリカという国を言葉にするならば。

 甘さ、寛容さ、我慢強さ……加えて、力強さが思い浮かぶ。

 強固な岩石の上に立っている大国ながら、非情に過ぎるということは無いらしい。



 だが、その甘さとやらも私に影響をもたらしたようだ。



「……ふふ。まさか、この私がイシュタリカの人間……それも、たかが給仕如きに感謝の言葉を述べるとはな」



 自己嫌悪で無ければ内疎外親でもない。

 自然と漏れたこの心境を表現するならば、大器晩成とでもいえばいいか?……意外と、精神的には成長した気がするのだ。

 ん?……いや、大器なんて言える器じゃなかったな。となれば、小器晩成だ。はは。



「はぁ……。下らぬことを考える前に、荷物を置くとしよう」



 ハイムから持ち込んだ数少ない私物を手に持つと、私は真っ白なソファの近くに運んだ。

 小さいながらも小貴族が住んでいたこともあるというこの屋敷だが、ハイム生まれの私からすれば、大貴族が住んでいてもおかしくない屋敷だ。

 足元に荷物を置くと、ソファの座り心地を確かめる。

 ……ふむ。悪くないどころか、ハイム城の私のベッドよりいい感触をしている。憎らしい気持ちが無いわけじゃないが、素直に感触を確かめるほどには余裕があった。



「――今の私(・・・)は、本当に以前の私(・・・・)と同じ私なのだろうか」



 内心を吐露するという、王族として恥じ入る真似をした。

 それも、相手はウォーレンというイシュタリカの宰相の前でだ。

 意地や矜持、そして今までの行いを全て否定するかのような行動は、私を私たらしめる何かを失ったようにも感じる。



 こう言っては何だが、兄二人よりは器や素養に優れていたように思える。

 ハイムの民からも私が次期国王との声を受け、私自身そのつもりで過ごしてきた。

 だが、今の体たらくはなんと表現すればいい?



「敵国に保護された挙句、居心地の良い屋敷を借り、寝床だけでなく食事や安全まで保障された。……逃げる最中、エレナの縁まで頼ってきたのだからな」



 すると、私は壁際にある鏡に気が付き、そこに近寄る。

 傷一つない、美しい鏡だ。……前に立つと映るのは、いつもの自分だ。

 そりゃ、私以外が映ったら恐ろしいものだが、今の心境では尋ねたくもなる。



「……なぁ。お前は誰だ?」



 鏡の中のティグルが同じように口を開き、私をじっと見つめる。

 同じようにまばたきを繰り返し、表情に注視すれば、以前と比べて眉間の皺が薄い。

 髪は整えた。顔も洗った。服も清潔に保たれている。

 だが、やはりどこか違うようにしか見えない。



「――もう一度だ。ハイム王国第三王子……ティグル・フォン・ハイムが命じる。お前は誰だ?」



 こう口にすると、鏡の中のティグルが薄っすらと笑う。

 嘲るように私を見ると、慰めるような瞳で私を見つめる。



「っき、貴様……私を相手に、そのような顔をっ……!」



 鏡に殴りかかりそうになったが、ふと、我に返るのだ。



「……そうか。私を笑ったのも、私を慰めたのも……すべてが私なのだな」



 あぁ、頭痛がしてきた。ソファに戻って水でも飲もう。

 毒見役が居ないが、もうそんなのはどうでもいいか。

 殺されるなら殺されるで仕方ない。だが、こんな気持ちがあるのに、スッキリとしない感情はなんだ。



「分からん。分からん、分からん、分からん、分からん……分からんッ!」



 こないだ王太子と話した時は、どうにも肩の荷が下りたような、気分が楽になる思いがあった。

 私の負けと自覚したことで、自由になれた気がしたのだ。

 だというのに、なぜ今の私はこうまで落ち着きが無いのだ!



「今の私は、どうなってしまったというのだ……。どうして、以前のように強気に振舞えない……!」



 こんな時、以前の私ならこの気持ちも律することができたはず。

 今の体たらくでは誰も信用しないと思うが、それに関しては自信があった。

 何が違う?もう、王太子を相手にするのは負けを認めた!



 ――だというのに、どうして自分で自分を苦しめているのだ……。



「……あぁ。分かってしまった」



 頭を抱えていると、今までの失敗という言葉がよぎった。

 すると、失敗という言葉だけが頭の中を漂い続ける。

 合点がいったように気が付いてしまうのだ。王太子を相手にするのに負けたという以上に、私にとっての複雑な感情に。



「失敗――あぁ、失敗したんだ。……私は失敗したのだな」



 見る者によれば、今の私は情緒不安定と思われるだろうな。

 つい、渇いた表情で笑みを浮かべてしまうが、今度こそ自己嫌悪の感情に包まれた。



「私は今までの人生を……失敗したのだな」



 次期ハイム王になるため、勉学や帝王学など……多くの分野に力を入れてきた。

 それに加えて、クローネとの件も気持ちを入れていたが、一度でも結果を出せたことがあったか?

 そして、これから先……これらの面で結果を出せる状況が来るだろうか?



「いや。もうすべて終わったようなものだ。イシュタリカは、確実にアノン……そして、状況によっては父上の事も討つのだろう」



 明確に言葉で伝えられてはいないが、それぐらい私にだって予想が付く。

 となれば、それ以降の結果も簡単に予想できる。事実上の、ハイム王家の滅亡だ。



「……以前の私と違うように感じたのは、以前の私がすでに死んでしまったからだ。どうやら、私の考えは正しかったようだな」



 これまでで一番の合点がいく事実だ。

 急に頭の中がヒヤリと冷えると、両目から自然と涙が流れる。

 すると、今の自分をよく目にしておこうと考えて、私はもう一度鏡の前に進む。



「――弔いだな。墓標は要らぬが、悲しむ気持ちがあってもいいだろう」



 少しばかり手元が震えている。

 全く、ここ数日で二度も涙を流すとは……本当にただの男児に成り下がったようだ。



「はっはっは……!こんな姿、他の誰にも見せられ――」



 ――ガチャ。



「あ、なんで泣いてるんですか?……ていうか、鏡の前で独り言を言いながら泣いてるって……そういうお年頃なのかもしれませんけど、悲しくなりません?」


「――う、うおああああっ!?」


「あははははっ!すっごい!今ビクってなりましたね!」



 部屋をノックするぐらいしろ。

 文句を口にしたくなったが、大笑いしているこの女を前に、私の口は開いたり閉じたりを繰り返すばかり。

 ……一番見られたくない相手に見られたことが、さっきまでの私の感情を何処かへ放り投げた。



「な、何しに来たのだ……!そ、それよりもドアをノックするぐらいは」


「ただ飯食らいってのも居心地悪いですよね?知ってますよ。なんで、一つお仕事をお願いしようと思いましてー」


「……王子相手に、相変わらずな態度だな貴様は」



 リリ……この女を前にすると、自分が王子という事を忘れてしまいそうだ。

 当然ながら、男女の仲というロマンに溢れた感情は一切ない。

 細工が仕掛けられた箱を開ける時のように、いつもびくびく(・・・・)とさせられるだけだからな。



「――それで、仕事とはなんだ」



 だが、確かにただ飯食らいってのは性に合わない。

 顔をハンカチで拭い、リリに強い口調で尋ねる。



「珍しく給仕の方達も空き時間が少ないらしくてですね?それで、一人見習いの女の子がいるんですけど、その子の実習をこのお屋敷でさせますんで、ついでにティグル王子の世話係にしてあげてください」


「……よ、よろしくお願いします!」



 すると、リリの背後から姿を現したのは小さな女だ。身長は145cm程度だろうか。顔立ちは可愛らしいが、どこか垢抜けてない素朴な一面が垣間見える。

 窮屈そうに給仕服を着こなしているが、その動きはたどたどしい。



「この子、ヘリオンって言うんですけど、孤児なんですよ。新たに行われているスラム街の救済政策の一環で、この子は給仕見習いに回されたんです。ですけど、やっぱり人手が足りないというかですね」


「訳が分からん。私のような者に預けるには可哀そうではないか?いくら見張りが屋敷に居るとはいえ……」


「スラムの生まれなんで、ハイムに対しての詳しい事情とか知らないんです。後々教えることになりますけど、その前に給仕の修行ですからねー」


「……」


「年齢は十三歳です。満足な食事と教育を受けられてなかったんで、その分、成長とか足りない部分がありますけど……しょうがないですよね?」



 私が黙ると、リリは説明を続ける。

 口の中が渇くのではないか?そう私が考えるほど、リリの語る速度は速い。



「しょうがないですよね?」


「――あぁ!わかった!しょうがないな!」


「ご理解いただけて何よりですー。じゃ、という訳なんでお任せしますね」


「お、おい待て……!お任せしますねと言われても、なにをどうしろと――」


「あー……。ヘリオンちゃんは、毎朝城に来てからこの屋敷に来るんで、課題とか持ってくると思うんでお願いしますよ」



 つまり、私は実習を行われる屋敷の人間としているだけでいいのか?

 説明が足りな過ぎる……後で別の人間にも尋ねたいところだが。

 最後は軽い口調で『さようならー』と言って、リリが立ち去った。



「はぁ……。全く、いつもながら良く分からない女だ」



 こう呟くと、私は戸惑うままのヘリオンを見て、どうしたものかと考えるのだった。



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