エルフの長。
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アインの前で気合を入れたクリス。
すると、元気そうにキッチンに戻っていき、食事の支度にとりかかる。
少しずつ届く料理の香りに、アインの胃も活発に活動を始め、届くのが待ちきれないという様子を見せはじめた。
クリスの姿が完全に見えなくなると同時に、アインの腹部から空腹の知らせが鳴る。
「……結構疲れてたのかな」
ため息交じりに呟けば、瞼がとろんと重くなり、気怠い感覚と共に眠気が少しずつ襲い掛かる。
休憩を挟んでいたとはいえ、歩きにくい道を半日も進んできたのだから、身体が睡眠を求めるのも当然だった。
それに加えて、クリスの家の雰囲気も影響している気がしてならない。
クリスのように優しげで暖かな雰囲気のつくりが、アインに寛ぎの感覚を与え続けるのだ。
「帰ってきたら早めに休もう……。長に聞ける話も、今日一日で終わるとは思えないし」
それに、長以外にも情報を持っているエルフが居るかもしれない。
あるいは用意があれば、古い書物でも見せてもらえばいいのだ。
残念なことに文字は読めないので、クリス頼りなのは否定できないのだが。
「アイン様ー!もうすぐですから、待っていてくださいねー!」
キッチンから聞こえたクリスに声に返事を返すと、気怠い頬を叩いて気合を込める。
食事をとって、英気を養おう。長との会話に向けて気を引き締めた。
*
食事をとり、一時間程度の休憩を終えて、クリスに連れられてアインは外に出る。
目指すところは長の住む屋敷で、アインは正装に着替え、腰にはマルコの剣を携えた。
念のためにと認めたシルヴァードの手紙を手に取り、夜のエルフの里を進む。
「さっきとは雰囲気が違うね」
「火の見張りが数人いるんです。外敵からの攻撃に備えるという意味でも大切な仕事なんですよ」
一定の距離を空けて松明が立てられているのに気が付く。
それと共に、泉に映った月明かりが青く反射し、独特の雰囲気を醸し出していた。
夕方と比べれば人通りはめっきりと減り、見張りや大人が数人外にいる程度。
里にやってきた時と同じように、彼らは左胸に手を当てて頭を下げるのだった。
「はは……」
苦笑いを浮かべ、アインは手で挨拶を返す。
「ねぇ、クリス。あの左胸に手を当てる仕草ってどういう意味?」
「――あれはですね、仕草としては魔石とは真逆を差す行為なんです」
「魔石……あぁ、そういえばエルフの魔石って、右胸だったね」
将来の事で迷っていた時、クリスとしたとある儀式があった。
お互いの右胸に手を当てるという、エルフ特有の古い儀式とのことだが。
「ア、アイン様?恥ずかしくなるので、今は思い出さないでください……お願いします……」
アインが何を考えてるのか察した様子で、顔を赤くしてクリスが口を開く。
思えば、確かにお互いに大胆な行動をしていたと思う。
アインの左手にあの感触がよみがえり、ピクッと手が動く。
「ご……ごめん。それで、魔石と真逆を差すってどういう意味になるの?」
挙動不審になりながら、アインは苦笑してクリスに尋ねた。
「――あれはですね。忠誠や服従のような気持ちを伝える行動です。ですので、友人同士や家族同士では行いません。……多分ですけど、今のエルフたちも、長にしかしていない仕草だったと思いますよ」
「……なるほどね。嫌われてないようでよかった」
古くからの考えを重要視するエルフたちがそのような仕草をしたのだ。
どうやら嫌々頭を下げているという事では無さそうで、アインは小さく笑みを浮かべた。
「あ、見えてきましたよ。あれが長のお屋敷です」
すると、クリスが前方を指し示した。
アインもその方角を見てみると、ひときわ大きな建物が見える。
……屋敷という言葉より、もっとふさわしい言葉があると思うが、どうにもその言葉が思い浮かばない。
「すっごい大きな切り株だけど……そこに家を建ててるんだね」
それだけ聞けばクリスの家と同じことだが、違うのはその切り株には大きな穴が開いており、それが屋敷への入り口になっているという事だ。
切り株の奥には自然物ではなく、完全に人の手によって建てられた建物があり、大きな平屋のような作りが続いている。
エルフに王がいるのであれば、確実にそこに住んでいると思わされる姿をしていたのだった。
「あの切り株は、恐らく大陸イシュタルで最も長生きだった大樹のものです。名はありませんが、世界樹信仰をしている我々エルフにとっては、同じく畏敬の念を感じさせます。そのため、長の住まいはあの大樹の傍に設けられたのですよ」
何千年?あるいは万にまで遡るのだろうか?
そんな昔の事は分からないが、それほどの長寿だったというのも納得させられる太い幹だ。
「長に相応しい家だと思う。本当にすごい木だ」
徐々に近づく長の家を見ながら、アインはしみじみと頷いた。
「あれ?あそこにいるのってサイラスさん?」
「……みたいですね。恐らく、私たちが来るという事で待っていたんだと思います」
切り株の脇には、サイラスの姿が見える。
彼はとても身長が高く、アインと比べても若干高い背をしていた。
エルフらしい長い金髪をゆるく一本に束ねており、革製の防具を身に着けている。
彼の武器は長弓のようだが、腰には短剣を携えていた。
……それに加えて、やはり美男子な顔つきをしているのが印象的。
――と考えているうちに、とうとうアインとクリスは長の屋敷に到着する。
「よく参られました。長が中でお待ちです」
例の仕草で頭を下げると、長が待っているとアインに告げる。
「あぁ。それじゃ、クリスと一緒に向かうよ」
アインがこう答えると、クリスが一歩前を進み中に入ろうとする。
するとサイラスは慌てた様子で声を掛けた。
「ま、待ってほしいクリス殿」
「――なんですか?」
クリスにとっては、アインが進むのを邪魔された形になる。
そのせいか、クリスは若干棘のある態度で答えた。
「長の部屋には、何人たりとも武器を持って向かうことは許されない。申し訳ないのだが、お二人の武器はこの私が預かって――」
あぁ、そういうことね。
アインが納得してベルトに手を掛けると、クリスは冷静な声で答えるのだ。
「その慣例は存じております。ですが、今回ばかりはそれには及びません。向かうのは王太子殿下。王太子アイン様に命令できるのは陛下ただ一人です」
エルフは異人種として、イシュタリカの国民となっている。
ある種、自治的なものが認められこの地に住んでいるわけだが、だからと言って、長が王族よりも上の立場という事にはならない。
「えぇっと、クリス?俺は大丈夫だから」
アインが心配したのは、強引にそれを行いエルフたちの反感を買う事。
王太子だから下手に出すぎるのは出来ないが、それでも聞きに来た立場ぐらいは……と考えていたのだ。
だが、クリスはそれでも引くことが無い。
「アイン様。アイン様のお身体を守るためにも、これは必ず必要な事です」
クリスの言い分も正しい。
……とはいえ、生まれ故郷であるエルフの里にいて、クリスがこんなに警戒をしているのが気になってしょうがない。
「サイラスさん。構いませんか?」
「む、むむむ……言ってることは分かるのだが、それでは慣例を……」
一方のサイラスは慣例を守りたいようで、クリスの言葉を聞いても迷っていた。
代替案として、長に切り株のところまで来てもらうべきかと考え、アインが間を取って提案しようとした瞬間。
屋敷の奥の方から、一人の女性が歩いてきたのだった。
「――サイラス様。この件は私が預かります」
すると、その女性はサイラスにこう告げると、クリスに一礼してからアインを見る。
その女性は身長が低く、銀髪を腰まで伸ばした肌の白い容姿をしていた。
顔つきは眼鏡を掛けており、どこかお堅いと思わせる印象を感じた。
「尊き血を引く王太子殿下。長がお待ちです。どうぞ、クリスと共にそのままいらしてください」
「ま、待ってくれ!シエラ殿!それでは慣例が……っ」
「長のお言葉です。お二方に慣例を強いることはできないとのこと。ですので、今回はその慣例も適用されません」
シエラと呼ばれた女性は淡々と答えると、サイラスは諦めたように腰に手を当て俯いた。
「では、ここからは私がご案内いたします。どうぞ」
*
シエラの登場により、アインとクリスは中に進む。
少し進みサイラスと離れた頃、シエラがクリスに語り掛けた。
「……ねぇ、クリス。貴方の気持ちは分かるけど、もう少し言い方を考えたら?」
呆れたように言葉を投げかけると、彼女は歩く速さを落とす。
呼び捨てにしているあたり、シエラとクリスは友人関係にでもあるのだろうか。
アインはシエラと呼ばれた女性を見てそう感じた。
「わかってます。けど、強く言わないと通してくれないと思って……」
すると、クリスが初めて柔らかな口調で返事を返す。
エルフの里に来てから、そんな姿を見るのはこれが初めてだった。
「――はぁ……。気持ちは分かるのだけどね」
こう答えると、シエラは歩みを止めて振り返る。
「っと……大変失礼致しました。私はシエラと申します。長の付き人をしておりまして、クリスティーナとは幼馴染でございます」
左胸に手を当て頭を下げると、アインに自己紹介をした。
幼馴染と聞き、クリスの態度に納得がいった。
「初めまして。王太子のアイン・フォン・イシュタリカだ。クリスには、いつも傍で護衛をしてもらってるよ」
「これはこれは。御名を聞けて心より僥倖にございます」
アインの自己紹介を聞くと、シエラは心からの笑みを浮かべる。
「海龍を討伐した英雄。そして、大樹の恵みをもたらした聖人……我らがエルフの里にも、そのように伝わっております」
「――……うん。ちょっと大げさすぎるね」
「そんなことはございません。海龍を討伐したという事も素晴らしいのですが、やはり我々エルフとしては、大樹の恵みと聞いて、居ても立っても居られなくなりまして」
堅い印象を受けたが、シエラは楽しそうにアインと語らう。
「当然。長も殿下がいらっしゃるのをお待ちしております」
「それは良かった。急な事だったから申し訳なかったけどね」
微笑むアインを見て、シエラがアインの斜め前に立って前に進む。
「それにしても広い屋敷だ。木の香りが気持ちいいね」
高い天井に広々とした廊下。
当たり前のように木製だらけだが、森を歩くよりも森の香りに浸っている気がした。
「是非ご堪能下さい。長のいらっしゃる場所も、同じくいい香りがすると思いますよ」
中々リラックスして会話できそうだ。
そう考えると、アインはクリスに視線を向ける。
「あ、そういえばクリス」
「はい。どうなさいましたか?」
「お爺様の手紙もあるから、俺が一人で長に会うよ」
これは口実に過ぎないのだが、最初は一対一にしてもらおうと思っていた。
エウロで出現した生物についても尋ねるが、アインは先に聞きたいことがある。
それは勿論、ヴェルンシュタインという名についてだ。
確証はないが、期待感は持っている。
エルフの長老と聞けば、もしかすると魔王城での文字についても知っているかもしれないからだ。
「ど、どうしてですかっ!?私は要らない子なんですか……?」
「違うって!お爺様の手紙は俺が渡すべきだし、聞きに来たのは俺だからさ。だから、初日は一人で会おうと思ってたんだよ。明日とか時間を貰えたら、その時はクリスも一緒に来てもらうから」
我ながら一人で行くという理由には乏しかったが、この言葉でクリスを押し切ることを決意。
不思議と、シルヴァードの手紙というのが影響力があるようで、クリスは難しい表情をして考え込む。
「それにね、部屋の前でクリスが番をしてくれれば安心できるんだ。……だから頼むよ」
嘘は言ってないんだ。
実際、クリスが番をしてくれれば安心できるし、俺も話に集中できる。
心の中でこう言い訳をすると、クリスの返事を待った。
「――……わかりました。そう言ってくださるなら、しっかりと番をしていますね」
未だ若干の不満があるのだろう。
だが彼女の口角が上がってるのは事実で、アインの言葉に喜んでいるのは目に見えて分かる。
クリスの心の中は、徐々に番をしなきゃ、番をしなきゃ……と目的が変わっていった。
「ふふっ……――では、殿下。こちらが長の待つお部屋です。お言葉の通り、私とクリスは入り口で控えてますので、何かありましたらお呼びくださいませ」
*
両開きの扉を開けて、アインが長の待つ部屋に入った。
半円状の天井が広がり、いくつものランプが置かれている。
真ん中には巨大な毛皮の絨毯が敷かれ、その最奥の床に一人の老婆が座っているのが見えた。
廊下よりも濃厚な森の香りに、一呼吸するたびに心が穏やかになっていく。
「大変な道だったでしょう。よく、このような森の奥まで来てくださいました」
背筋をしっかりと伸ばし、髪の毛は丁寧に留められていた。
ゆったりとした絹の服を着て、アインが近づくのを見て声を掛けたのだった。
「いえ。クリスの案内もあってか、苦労することなく来ることができましたから」
長の言葉に微笑みながら答えると、アインはゆっくりと毛皮の敷かれた場所に歩く。
「クリスティーナさんは、元気にしていますか?」
……クリスティーナさん?長は里の者をそう呼ぶのだろうか。
「えぇ。今も扉の外で俺の帰りを待ってくれています。ですが今日は俺一人で来ることにしていたので」
「それは何よりでした。――殿下とクリスティーナさんは、何か知りたいことがあるとのことでしたね。わざわざこんな森の奥にやってきて下さったのです。……この婆に分かる事でしたらいいのですが」
長が心配そうに口を開くと、アインが長の近くにたどり着く。
長に失礼しますと言って頭を下げると、彼女の近くに腰を下ろした。
「急な訪問で申し訳ありません。……実は二つ、尋ねたいことがあって足を運びました」
表情を変え、長の目をじっと見つめた。
なんて聞けばいい、どう聞くのが正しいのだろう。
アインはこんな事を悩んだが、まずは素直に言葉にすることを決める。
「お伺い致します。尊き血を引く殿下は、この婆に何を聞きたいのですか?」
優しげな表情を浮かべる長にアインは尋ねる。
「――まず一つ目は、魔物でもない生物が、身体に見合わない魔石を持つことがあるのか。ということです」
「……なるほど。穏やかではありませんね」
長はアインの言葉を聞き、優しげな表情から一変し、深刻そうに眼を見開いた。
「少しばかり心当たりがございます。――……そういえば、もう一つの疑問とは一体なんでしょうか?」
「もう一つはですね。ヴェルンシュタインという名について教えてほしいんです」
アインのなんてことない表情で語られた言葉に、一瞬、長の表情が固まった。
だが、それは本当に一瞬の事で、すぐに優しげな表情を浮かべる。
「えぇ、クリスティーナさんのことですね。彼女は内気でしたが、昔から一生懸命な子で……」
――知ってるんだな。
一瞬の変貌を見逃さなかったアインは、カマを賭けるというか、質問を変えることに決める。
間違いだったとしても情報が漏れないよう、言葉を選んでその内容を決め、それを口にしてもう一度訪ねる。
「言い方を変えますね。墓前に刻まれていたヴェルンシュタインという名と、クリスの関係を教えてくださいますか?」
どこの墓前なのかなんて口にしていない。
これならば、間違えだったとしても問題が無い聞き方だろう。
するとそれを聞いた長は、諦めたようにアインを見つめる。
「……旧王都の王家墓所に行ったのですね」
旧王都。
アインが初めて耳にする言葉だが、それはつまり、旧魔王領のことだろう。
皆が知らないイシュタリカの歴史……それが長の言葉には込められていたのだった。
シエラは身長140cmぐらいだと思います。