ある種、無害な人。
ついに150話です。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!
「良い対戦相手……ですと?」
ロイドは自分が戦えないことは気になるが、それと同じぐらいに、ウォーレンが考える者のことが気になった。
「まさか、ディル護衛官ですか?」
だが、一足先に気が付いたのはクローネ。
ウォーレンはその声を聞き、満足そうに頷く。
「さすがはクローネ殿。その通りです」
「ディ、ディルをローガス殿の相手にですと!?なんとも羨まし……い、いや!それはいくらなんでも……」
思わず本音が出たロイド。
慌てる様子のロイドを見ながらも、ウォーレンは落ち着いた様子で尋ねる。
「ロイド殿はどう思われますか?ローガス殿についてと、ディル殿についてを」
「……それは、戦えばという意味で間違いありませんな?」
「えぇ。それで結構です」
「……ふむ」
言ってしまえば、ローガスの戦いはその目で確認したわけじゃない。
そのため、想像や情報を元に考える事になるが、それでもロイドは二人の戦いを考えてみた。
「確かに、ディルはローガス殿と相性が悪くない。なにせ、私と毎日のように訓練をしているのだ。私とよく似た手合いの騎士が相手ならば、明らかな遅れをとることもないでしょうな」
簡単にまとめれば、ロイドはローガスの上位互換だ。
つまり、ディルにとっては悪い相手じゃないどころか、むしろ持ってこいの相手。
「えぇ、そうでしょうね。息子のグリント殿はディル殿に、それはもう見事に倒されました。となれば、次に相手をするのはその父でも悪くないでしょう?」
ウォーレンはその場面を自分の目で見ていたため、実感を込めた声で言葉にした。
「……だが、負けてしまってはハイムにいい顔をさせてしまうのでは?」
それだけが懸念材料だ。
イシュタリカとしては、ハイムにいい顔をさせる気が無いのだから。
「ですので、戦いに条件を付けます。三本勝負にしましょう。そうすれば、仮に勝利数が一つであろうとも、ハイムとしては良い気がしないはず」
「……確かに。ハイムにとっては絶対的な存在が、一本であろうとも奪われるのだ。それは恐らく、屈辱的な事でしょうな」
更に情報を付け加えるならば、ディルはまだ二十歳にすらなっていない。
そんなディルが勝ち星を得るのならば、むしろその方が屈辱的な思いかもしれない。
「まぁ、ロイド殿が徹底的にやるというのも悪くないでしょう。ですがそれは、私の事情という事で抑えていただけませんか?」
今日の会談で、あれほどの成果を上げて来たウォーレンの言葉だ。
ロイドとしても、それを無下にすることは出来ない。
「……はぁ。ウォーレン殿にそう言われてしまえば、折れるしかないではないか」
だが楽しみでもあった。
なにせ、自分の息子がハイム最強に土を付けると考えれば、心躍る自分が居たのだから。
*
ホワイトキングにアイン達が集まっていた頃。
プリンセスオリビアには、まさかの来客がやって来ていた。
近衛騎士達は、不愉快そうな表情をなんとか抑え、その男に対して対応をしていた。
「では、剣をお預かりします」
「あぁ」
彼の名はローガス。
現在のラウンドハート家当主であり、ハイムの大将軍を務める男。
船に戻ってからダメ元で送った自分の使者が、慌てた様子で帰ってきたのだった。
——お、お会いになるそうですっ……!
オリビアに送った自らの使者は、信じられないと言わんばかりに、ローガスにこう告げた。
ローガスはすぐに身支度をする。正装を身に纏うと、頭髪も整え直した。
相手は離縁した相手とはいえ、立場は自分よりもはるかに上だ。
そんなオリビアに使いを送る事すらおこがましいが、ローガスはオリビアに会話を求めたのだった。
「次に、その防具もお預かりします」
「……防具もか?」
「ええ。なにせ相手は第二王女殿下ですので、そうした物は全てお預かりいたします」
近衛騎士に囲まれて、ローガスはその言葉を素直に聞き入れる。
皆が見事な体躯に、立ち居振る舞いも一級品。
ローガスが感じたイシュタリカの強さに、間違いは無かった。
「では最後に、もう一度お調べさせていただきます」
数人がかりでローガスの身体を調べ、凶器が隠されていないかを確認する。
靴まで脱がされ、その底まで調べられる徹底具合だ。
すると、確認の最中に近衛騎士の動きが止まった。
何故止まったのかと注視すると、船の上から、一人の女性がやってきたからのようで……。
「ク、クリスティーナ様っ……!」
「危険物の確認は?」
「はっ!ただ今終わったばかりです」
「ならいい。私が引き継ぎ案内する。貴方たちは、所定の配置につきなさい」
突如やってきたクリスの言葉に、近衛騎士達が緊張した面持ちで返事をする。
いつもならこうまで緊張した様子ではないのだが、今日のクリスは様子が違った。
表情はいつも通りに見えたが、殺気を帯びているのが良く分かる姿をしていたのだから。
「ローガス殿。私が案内いたします。どうぞ船へ」
「あ、あぁ……わかった」
クリスが歩き始めたのをきっかけに、ローガスもプリンセスオリビアのタラップを進む。
遅れて近衛騎士達も、距離を空けて付いてくるのだった。
「……」
目の前を歩く、クリスティーナと呼ばれた女性を見るローガス。
確か彼女は、ラルフが気に入っていたと口にしていた騎士のはずだ。
詳しく情報は知らされていないが、近衛騎士達が頭を下げる辺りに、その立場の高さを感じさせられる。
……さらに言うならば、その動きに驚かされる。一挙一動が、まさに強者のそれだったのだ。
恐らく彼女は、イシュタリカでも最強格に位置する者だろうと、ローガスは強く考える。
「ローガス殿」
目の前を歩く姿を伺っていると、クリスから声がかけられた。
「あぁ、なんだろうか」
「……私の様子を窺うのは止めていただきたい。酷く不愉快ですから」
——気づかれていた?
たった一度も後ろを振り返らなかったというのに、どうして彼女はそれに気が付いたのだろう。
言葉に殺気を乗せられていた事も印象的だが、様子を窺っていただけだというのに、それに気が付かれた事実が憎らしい。
「なぜ、私が様子を窺っていたと?」
だからこそ、これは武人としての興味本位だ。
なぜ彼女が気が付いたのか、それを尋ねずにはいられなかった。
「……その程度の気配を察することができないならば、剣を扱う資格はありませんよ」
するとクリスは皮肉を口にするように、ローガスを煽るようにそれを告げる。
「イシュタリカの騎士は、どうにも優秀過ぎるようだ」
「当然です。少なくとも我らの騎士には、子を愛さないような者は存在しませんから」
明らかにローガスを皮肉った言葉に、当然ながら、そのローガスも気が付く。
だがそれでも、ローガスは聞こえなかったふりをするのだ。
それがクリスの逆鱗に触れそうになるのだが、クリスも寸での所でそれに耐える。
二人は口を閉じると、静かにオリビアの下へと向かう。
だがその通り道が気になった。
中に進んでいく様子はなく、通る道はずっと外側を歩いている。
本当に案内をする気があるのかと疑問に思ったが、ローガスは黙ってクリスの後に続いた。
……それが数分もの間続くと、クリスが歩く速さを緩める。
「……?」
ローガスがどうしたものかと様子を窺うと、クリスがその理由を語った。
「もうすぐ到着ですので、ご安心を」
「あ、あぁ。わかった」
お見通しと言わんばかりにそれを指摘され、ローガスも呆気にとられる。
だが、クリスがそう伝えた通り、オリビアの下へはあと少しだった。
「念のため伝えておきますが、オリビア様のお傍に近づくことや、無理に話しかけることはご遠慮下さい」
ご遠慮下さいと言ってるが、それをしたら覚悟しろという意思表示だ。
それを語ったクリスの腰には、彼女専用の細剣が携えてある。
「……見事な剣だ」
「えぇ、自慢の一品です。ご所望でしたら、切れ味を披露致しますが」
振り返らずに、そっと剣の柄に手を当てたクリス。
「それはまたの機会に。今日は遠慮させていただこう」
笑えない冗談だ。
だが、クリスが冗談でそれを口にしているのかは、クリス本人にしか分からない。
……とやり取りをしていたら、ついにオリビアの待つ場所へと到着した。
そこは開けた場所で、ちょっとした庭園のように整備されており、緑も美しい。
中央近くにはオリビアが腰かける席があり、茶会でも開けそうな、煌びやかな空間がそこにはある。
オリビアは気が付いた様子を見せながらも、視線を向けることは無く、手に持ったティーカップを口に運んでいた。
「オリビア様。ただいま戻りました」
「えぇ。お帰りなさい、クリス」
——クリス?あぁ、クリスティーナという名の愛称か。
ふと、一瞬誰の事かと不思議に思ったが、すぐに返事をした彼女を見てローガスは察する。
顔を上げたオリビアは、全く変わらず美しかった。
少なくとも、ローガスが知る中では、誰よりも美しく感じられる。
久しぶりに見たオリビアに見とれてしまったが、拳を強く握り、その事を考えないようにした。
「……久しぶりだな、オリビ——」
そのままオリビアと呼ぼうとしたが、目の前にいたクリスが姿を消す。
すると次の瞬間には、ローガスの隣に立ち、剣を首に密着させていたのだ。
「っ……な、なにをっ……」
「無礼な呼び方はお止め下さい。今目の前にいらっしゃるのは、我らがイシュタリカの第二王女殿下です」
久しぶりの再会で動揺でもしていたのか?
さっき、呼び名について、エレナから注意されたばかりじゃないか。
ローガスはその無礼に気が付き、素直に謝罪をした。
「……すまなかった。訂正しよう。……第二王女殿下」
それを聞くと、クリスは不満げながらも剣を引く。
ローガスは首筋に手を当てると、薄皮一枚切られているように感じ、その技術と速さに驚いた。
——なんという女性だ……。
万が一戦場であったならば、自分は気が付かずに殺されていた。
警戒していようとも、あの速度に反応するのは難しい。
一瞬、寒気が背筋を襲う。
一方、オリビアはクリスの行いを、全く気にする様子が無かった。
「ウォーレンは、ハイムとの区切りをつけると約束しました。ですので私も、一つの区切りをつけるべく、二日に続いた貴方の無礼を許し、時間を用意しました。……それで、何の御用でしょうか?」
顔を上げたのは一度だけで、それ以降はローガスの事を見ようともしない。
だがオリビアは、そんな状況ながらもローガスに声を掛ける。
「……聞きたいことがあって来たのだ」
クリスは、その語り口調も正したくなった。
しかし、オリビアが気にしていない様子だったので、そこは口にしない。
「続けてください」
当然の事だが、昔のオリビアとは態度が全く違う。
相手にされてないどころか、自分を"人"として見てるかも怪しい感覚がある。
「……王太子殿の力についてだ」
その声を聞き、オリビアはティーカップから目をそらす。
この時になって初めて、ローガスに対して視線を向けたのだ。
その目に込められた感情を考えないようにすれば、なんと澄んで宝石の様な瞳だろう。
男を虜にするのには、その視線だけでも十分に感じられる。それ程の魅力が秘められていた。
「もし……もしもアインの名を口にしていたら、貴方の首は地に落ちていた事でしょう」
「そう命令をしていた、ということだろうか?」
「いいえ。そこにいるクリスが、私の命令を聞かずとも、それをしてくれたはずですもの」
今度こそクリスは、間違いなく首を落としたことだろう。
それを達成することに、なんの障害も無いのだから。
「つまらない事を口にしたら、一言目から帰ってもらうつもりでした。ですが、アインの事ならば別です。貴方がそれを気にしているのは不愉快ですが、捨て置くだけも気分が悪いですから」
「……感謝する」
元・妻に頭を下げるつもりはなかったのだが、ローガスは素直に頭を下げた。
感情としては、ローガスは不愉快な気持ちは抱いていない。
ただ、自業自得とは知りながらも、こうした立ち合いとなった事に、筆舌にし難い複雑な感情が残るだけだ。
自分の行いに非があることは理解しているのだから。
「……使者を送ることに、苦言を呈する者は居なかったのですか?アウグスト家のご夫人の場合は、特にそうした事には厳しかったと記憶してますが」
「エレナ殿には止められた。だが、ティグル殿下が許可なさったのだ」
「……ふぅん。そうでしたか」
今更だが、随分と遠慮のない連中だ。
戦争に直結するような行いでなければ、構わないとでも思っているのだろうか?
冤罪のように、罪をでっち上げられて攻め込まれる。そんなことを考えたことが無いのだろうか?
まるで、エレナだけが危機感を抱いているように見えて、どことなく整合性が取れてないように思えた。
時折、妙に考え無しになるのはどうしてなのだろうか、と。
そうはいっても、オリビアとしてもそれ以上を考えるつもりはない。
なにせ彼女にとっては、もはやどうでもいい事なのだから。
「考え無しなのはわかりました。それで、アインの何を聞きたいのですか?」
「……強さについて、尋ねたい」
今度はオリビアだけでなく、クリスも同様に反応を見せる。
ローガスがどうしてそれを尋ねるのか、その理由が分からなかった。
「我が子グリントは、ディルという騎士に敗北した」
それを聞くと、オリビアは惚けた様子で答える。
「……ハイムご自慢の聖騎士様は、アインの護衛の一人に敗れたとか。それは貴方の子、グリントのことかしら?」
分かっていて、敢えて尋ねた。
ローガスは苛立ちを露にしそうなるのを抑える。
「あぁ。……それで間違いない。その時にイシュタリカの近衛騎士達が口にしていたと聞いた。王太子殿は、そのディルという男よりも強い……と」
——何を聞きに来たのかと思えば、そんなことか……。
オリビアは、面会の許可を出したことに後悔した。
結局この男は、アインに感じた直感が外れてしまったかどうか、それが気になっているだけなのだろう。
そう考えさせられるのだった。
「クリス。それについては、貴方の方が詳しいでしょ。答えて差し上げて」
「はっ」
声色が一段と冷たくなり、テーブルに視線を戻すオリビアの姿。
ここからの説明は、クリスに委ねられた。
「アイン様は、海龍を単独討伐した英雄です。そのお方が、いくら護衛とはいえ、一介の騎士に劣るはずがないでしょう」
「……すまんが、それでもわからないのだ。なにせ我らハイムには、その海龍というモノの恐ろしさが伝わらぬ」
「はぁ……そうですか。でしたら——」
何か分かりやすい例えは無いかと、クリスは思考し始めた。
そしてクリスは、手っ取り早く、イシュタリカが被った被害を説明することにした。
「このプリンセスオリビアの隣に並ぶ、いくつもの戦艦。それらのほとんどが沈められる程の、国難級の魔物が海龍です」
「っ……戦艦をいくつも沈める、だと?」
ローガスが見たイシュタリカの戦艦というのは、王族専用船でなくとも、強大で恐ろしさを秘めている金属の塊だ。
それらの多くを沈める魔物と言われては、ローガスはひたすらに驚くことしかできない。
「海龍の恐ろしさは理解していただけたと思いますが、それを単独討伐したのがアイン様です。私は海龍に殺される直前に、アイン様に助けられましたから」
嘘を言うような女性には思えなかった。
だが、あまりの話の大きさ故、ローガスも簡単には信じられない。
「信じられない様子ですが、事実ですので受け入れていただければと」
「……昔のことを思えば、にわかには信じられんな」
「昔の事というと、アイン様の幼少期の事でしょうか?」
「あ、あぁ。そうなる」
食い気味に尋ねたクリスを見て、ローガスは一瞬気圧される。
「でしたら、そう判断したことが間違いだったのではないかと」
「私の直感が、間違えていたという事か?」
「はい。なにせアイン様は、我らがイシュタリカにとっては英雄と呼ばれるお方。そのお方が弱いはずがありませんから」
結果論を言えば、尤もな話だ。
ローガスはクリスによって、真正面からその目を否定される結末となった。
だが、ローガスは分からない。一体何があって、そんな魔物を倒せるまでに成長したのだろう。
「そう口にするならば、恐らく、王太子殿は私よりも強いのだな?」
「……?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔を浮かべ、クリスがぼーっとローガスを見る。
一方オリビアは、俯いて笑みを零していたのだった。
「アイン様は、近ごろは私とも剣を交わしておりません。ですが、私にも勝てないような方が、アイン様に勝てるはずがないでしょう」
次にクリスは、心底驚いたような表情でそれを語り、何を馬鹿な事をいってるんだと言わんばかりに、ローガスに答えた。
「……そこまで言うならば、そなたにも一戦申し込みたいところだが」
「えぇ。真剣を使うならば構いませんが」
待ってましたと言わんばかりに、クリスが口を開く。
すると、ローガスの脳裏をよぎったのは、先程のクリスの早さと技量だ。
それを真剣で相手すると思えば、自分との相性は最悪でしかない。
暗にクリスは、命を賭けろと言ったも同然なのだから。
「……やめておこう。お互いに、怪我をするのは本意ではないだろうからな」
ここで、クリスの溜飲が少しばかり下がる。
ローガスに逃げの言葉を言わせたことが、心の中で、歓喜の声を上げる要因となる。
話の流れが徐々に変わってきたところで、オリビアが突然口を開いた。
「話は済んだでしょう。では、そろそろお引き取りを」
切りが良さそうな時を狙い、オリビアが語り掛ける。
それを聞いたクリスは、チラッと近衛騎士に目を向ける。
「お帰りはあちらです。ローガス殿」
「……待ってくれ、もう少し詳しく——」
十年近く顔を合わせていなかった二人の再会は、あっさりとしたものから始まると、最後は半ば強引に打ち切られる。
ローガスはまだ聞き足りなそうだったが、オリビアはもうたくさんに感じていた。
「もう十分かと。オリビア様が申し上げた通り、お引き取りを。……案内してさしあげなさい」
有無を言わさぬ様子で、クリスの纏う空気が、ローガスの背中を蹴り飛ばすように押し寄せる。
「ローガス殿。こちらへ」
「待っ……くっ!」
囲むように近衛騎士が近寄り、ローガスを連れ出そうとする。
クリスはその様子を確認すると、オリビアの近くに足を運んでいった。
「私も区切り付けようと思ったのだけど、意味なかったかしら?」
クリスが近づいてきたのを見て、オリビアが顔を上げる。
「……私は、ローガス殿が良く分かりません」
「あら。何が分からないの?」
「彼の考えが、です」
オリビアに使いを出すことはあってはならない。
それはなぜなら、元は夫婦の関係はあろうとも、それは過去の事であり、立場の問題も重なってくるからだ。
両国の関係の悪さも思えば、そうした軽はずみな行動は慎むべきなのだが、それをする利点もクリスは分からなかった。
「あの人はね、本質が無害な人なの」
オリビアは呆れた様子で声に出し、クリスの疑問に答え出した。
「主体性とか柔軟性があるのは、武に関する一面だけ。それ以外は、親ともう一人の妻の言葉を優先するばかり。稀に気遣いみたいな一面もあるのだけど、それはいわゆる年の功みたいなもので、特筆すべきことじゃないもの」
この言葉を聞き、クリスは振り返る。
そこには、近衛騎士に囲まれて案内され始めたローガスの姿がある。
「……アレが無害、ですか?」
そんなローガスの姿を見て、クリスは不思議そうな表情でオリビアに視線を戻す。
オリビアはそんなクリスが面白くて、つい笑みを浮かべてしまう。
「ふふ……。えぇ、無害なの。多分ね、飼い主の影響を強く受けるんだと思うわ」
「飼い主というと、ティグル王子たちになるのでしょうか?」
「あとは、あの人の母とかね。飼い主の命令以外には、あまり気が回らないんだと思う。だから、飼い主の言葉次第では、毒にも薬にもなるんじゃないかしら」
「それはそれは……。ですが、アイン様のお力でも解毒出来そうにありませんね」
ふざけた言葉を口にしたクリスを見て、オリビアは口元に手を当てて、笑う様子を隠してしまう。
どうやら、オリビアにとってもツボに入ってしまった様子。
「もう、クリスったら。でも、そうね……アインでも無理かもしれないわ」
クリスの言葉に楽しんだ後、オリビアはそっと立ち上がる。
「お風呂入ろうかしら。禊の意味も兼ねてリラックスしたいわ。……ねぇ、クリスも一緒に来てくれる?」
「え、えぇ……構いませんが」
わざわざ断るようなことでもなかったため、クリスは一瞬戸惑いながらも頷いた。
「そろそろアインも帰ってくるわね。……アインも誘う?」
空気が凍ったかのように、クリスは体を硬直させる。
すると、硬直させたかと思いきや、顔を真っ赤に染め上げてオリビアに答える。
「っ……!?そ、それはそのう……またの機会という事で……っ」
「あら?クリスには、アインとお風呂に入る機会があるの?それとも、その予定でも考えてたのかしら……?」
「なっ……ななななっ……!ほ、ほらオリビア様!早く参りましょう!」
さっきまでの気持ちを払拭するように、クリスとのやり取りを楽しむオリビア。
機嫌よく歩き始めると、ウキウキした様子でマグナでのことを思い出した。
「そういえばね、最近のアインってば体も大きくなって、筋肉も付いて凄く逞しいのよ?」
「——オリビア様?どうして、そんなに詳しく知っているのですか?」
「……あ」
内緒のつもりだったのに、機嫌が良くてつい言葉に出してしまった。
先程のように、クリスは体を硬直させたが、今度は意味合いが違う。
更にいえば、赤かった顔も落ち着いて、氷のように冷静な顔つきに早変わりだ。
「——……さぁ、お風呂いきましょ?」
こういう時は知らんぷりだ。
言わなかったことにして、さっさと浴室に向かってしまおう。
忘れたことにして、オリビアは歩を進める。
長い髪の毛をさっと横に流すと、ストールを肩に掛ける。
海風に髪を揺らしながら、優雅な動きで進んでいく。
「オ、オリビア様!?説明を、説明をっ……!」
「……えーっと、今日はなんの香りにしようかしら?」
その後、浴室でも問いただしたクリスだったが、浴室でのオリビアの"悪戯"によって、それを聞くことは叶わなかった。
今日もアクセスありがとうございました。