使者は追い返されました。
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そして、ウォーレンが語り終えた後、シルヴァードが口を開く。
「さて。そろそろ、我らも船に戻るとしようではないか。良い時間だ、食事と休憩をとるとしよう」
気が付けば、たしかに良い時間だ
いつもなら夕食の席についている頃で、それに気が付くと、皆が空腹になっていたことに気が付く。
会談の空気が影響していたのか、それを自覚することは無かった。
だがやはり、こうして落ち着ける状況となれば、自覚することも当たり前だった。
そして、シルヴァードが立ち上がったのを切っ掛けに、イシュタリカの一行は、この大会議室を後にしていくのだった。
*
島の雰囲気は、まさに南国の一言に尽きる。
暖かい地域特有の木々に、白い砂浜。海原を染め上げる茜色も、マグナのそれとは違った印象を受けた。
会談という名目を抜きにしても、足を運びたくなるような場所だ。
立ち並ぶイシュタリカの艦隊の姿も、独特の雰囲気を醸し出している。
「うーん……明日はどうしよっか」
アインがこう呟くと、傍を歩く二人がそれに反応した。
「……えぇ。予定では、私たちも出席だったものね」
「私の場合は、アイン様の護衛ですので、常に付き従いますが……」
というのも、会談についてだ。
予定ではアイン達も出席するはずだったのが、ウォーレンの言葉によって、必要なくなった。
こうなってしまえば、その空いた時間をどうするかが迷いどころだった。
「全然することなかったら、双子と遊んであげましょう?こんなに遠くまで護衛してくれたんだもの。それぐらいしてあげていいと思うの」
困った様子のアインを見て、クローネが提案した。
「そうですね。それもいいかと思いますよ」
すると、それを聞いて、クリスも同意の声を上げる。
「あー……。確かに、それも悪くないか」
会談に来たのに、そんなことでいいのかと考えることもあるが、何もしないよりは有効的だろう。
そう考えたアインは、ふと今日の会談の事を思い返す。
「いやー、見事な自爆だったね」
夕日を見つめながらこう語ったアインの顔は、微笑ましいものを見るような、そんな優し気な顔つきをしている。
「第三王子の事かしら?」
「ハイム王もだけど、主に第三王子かな」
アインの言葉を聞き、クローネとクリスが笑みを浮かべる。
「今日の会談って、どれぐらい効いてると思う?」
「もう、半分ぐらいは折れてるのでは?」
「そうね……。私も、それぐらいだと思う」
初日の会談、その成果について意見を問う。
一日で半分も折ってしまえば、十分な成果と言えよう。
「あとはそうね。ウォーレン様も仰っていたけど、安心感……それが最後の砦だと思うの」
イシュタリカが先制攻撃を行わない。
それを絶対的な安心として考えるのが、ハイム王家の人間たちだ。
言い方を変えれば、それを利用しているとも言える。
「まぁ、気持ちは分かるけどね。ツケって言い方は駄目かもしれないけど、俺たちイシュタリカが、自分たちで決めてきた事だから」
それを付け入る隙と言ってしまえば、アインとしても、それが分からない訳ではない。
王族としての立場で言えば、それを発言するのは難しくもあるのだが。
「……ウォーレン様は、一体何をするおつもりなのでしょうか」
会話をしていると、クリスがこう呟いた。
確かにウォーレンは、その安心を崩してみせると皆に宣言した。
その席にはアイン達は同席しないのだが、一体どうやって、その安心を崩すつもりなのかが気になるところ。
「クローネさん。クローネさんは、ウォーレン様が何をするのか分かりますか?」
「……ごめんなさい。実は、私も良く分かっていないんです」
分かっていたのは、シルヴァードとロイドの二人だけだ。
アイン達三人は、皆がそれを分かっていない。
「ウォーレン様が宣言したのですから、結果は持ち帰ると思うのですが……」
三人で語っても、その手段は判明しなかった。
だが、他でもないウォーレンが宣言したのだから、それを疑うつもりはない。
「とりあえず、船で疲れを取ろう。明るいうちから会談をしてたんだから、体調を崩さないためにもね」
三人は語り合う内に、プリンセスオリビアの手前までやってくる。
初日の会談の成果は上々。アイン達は悪くない表情を浮かべ、船に戻ってくることができた。
二日目はウォーレンだけが会談に向かうが、きっと彼なら大丈夫。そんな安心感が、アイン達を包み込んでいるのだった。
*
船に戻ったアイン達を待っていたのは、オリビアとマーサの二人。
オリビアの部屋で皆で夕食を摂ると、ようやく落ち着いた時間がやってくる。
クリスとクローネは、早い時間から自室に戻っていき、マーサも部屋の外に出ていった。
アインはまだオリビアの傍にいた為、この部屋には、アインとオリビアの二人だけが残る。
——ちょうどいいか。
アインはそう考えると、疑問に思っていたことをオリビアに尋ねる。
「お母様。一つ聞いてもいいですか?」
「はーい。なにかしら?」
唐突な質問であっても、オリビアは気分よく返事をした。
「……答えづらかったら大丈夫なんですが、どうして、お母様はこんなに落ち着いてたのかな……って思って」
島に着いてからも、オリビアは常に落ち着いていた。
何せ今は、こんなにも身近に、ローガスやグリントたちが居るのだ。
だというのに、全く動揺していない様子なのが、どうしてなのか疑問だった。
「ふふ……何かと思ったら、そんなことね」
オリビアが気を悪くしなかったことにほっとした。
先程までは対面に腰かけていたが、オリビアはアインの隣に席を移す。
今日も今日とて美しいオリビアは、歩く所作も美しい。
「もうね、関係無いからですよ」
「関係が無い……?」
「えぇ、そう」
関係無いと言われ、アインは次の言葉を待つ。
「ラウンドハートは、私の家族ではありません。それに、愛するイシュタリカの民でも無いわ。だからきっとね、もうどうでもいい……そんな感覚なの」
聖女と呼ばれたオリビアと言えども、その慈愛が与えられる対象は、決して無制限ではない。
ハイムへの愛を失ったのが、良く分かる時があった。
それは、港町でプリンセスオリビアに乗り込むときの事。
プリンセスオリビアが港町ラウンドハートに来航。
それに動じた港町の住民たちは、オリビアに頼るような声を上げていた。
しかしオリビアは、その声に応じることは無く、アインの様子しか気にしていなかった。
その時にはもう、ハイムに向ける愛情は、完全に消え去っていたのだろう。
「会談で変な事があって、アイン達が嫌な気持ちになってしまったら、私も同じく嫌な気持ちになりますよ。でも、あの人たちが居るからって、何か特別な感情があるかと聞かれれば……それは少しも無いの」
困ったように笑みを浮かべ、アインに対してこう語ったオリビア。
今のオリビアの言葉をまとめるならば、ラウンドハートの人間たちは、他のハイムの民とそう変わらない。こういうことだろう。
だからこそ、ローガスやグリントがやってこようとも、特別に考えることは無かった。
「アインは今日の会談で、声を交わすことがあったんですか?」
「……"あっち"は驚いた様子でしたが、特に語ることは無かったです」
「ふふ。アインがこんなにも、大きく立派になったんだもの。驚くのは当たり前の事ですね」
ローガスが声を出すことはあったが、アインと会話を交わした訳じゃない。
となれば、アインが見た反応というのも、驚いていた表情だけだ。
「実はね、アイン達が会談に行った後、私の船にラウンドハートの使いが来てたの」
「っ……ほ、本当ですか?」
「えぇ、本当ですよ。……私と話がしたい、ってあの人が使者を送ってきたの」
——何を今更になって……。
アインは、ローガスのその行いを認められなかった。
何を話したいのかは気になるが、そうして接近されるといい気持ちはしない。
「近衛に追い返されたのだけど、使者はそんなことを言っていたらしいわ」
「追い返されて当たり前ですね」
「えぇ、そうね。それに、私も話をする気はなかったから、どちらにせよ結果は同じなのだけど」
だがそれでも、一向に機嫌が良さそうなオリビアの姿。
そうした不愉快な事があったというのに、なぜこんなにも機嫌がいいのだろう。
「……お母様。そんなことがあったというのに、どうしてこんなに上機嫌なんですか?」
「あら。そんな簡単な事も分からなかったの?」
するとオリビアは、大胆にもアインの頭に手を回すと、胸元に抱き寄せて頭を撫でる。
「簡単な事ですよ。……こうして、アインが私の傍にいるなら、ハイムの面倒事なんて小さなことなの」
オリビアの甘い香りと、暖かな感触に頭をクラクラさせながら、その言葉に耳を傾ける。
気恥ずかしさや様々な感情が渦巻くが、オリビアに撫でられるのは、何時になっても麻薬のような何かがあった。
「さ……さすがに、ちょっと恥ずかしいのですが……」
「はーい。いい子ですねー、アイン」
アインはオリビアの胸元で、恥ずかしそうに言葉を漏らす。
この後のことだが、アインはしばらくの間、そのまま撫でられ続けることとなる。
オリビアが気の済むまで、黙ってその身を委ねる事になるのだった。
*
翌朝。
ウォーレンが会談に向かう支度を終え、大会議室に向かう最中の事だ。
「リリ、支度は終わってますか?」
「はっ。すべて滞りなく」
ウォーレンが持つ隠密集団には、実は制服が存在する。
全身を黒で覆うローブという、随分と分かりやすい格好だが、一応そんなものがあった。
そのローブに身を包んだ者達が、リリを加えて十名ほど、ウォーレンに付き従っている。
「汽笛を鳴らす時間も、指示が完了していますね?」
「問題ありません」
「えぇ。結構な事です。三日目の会談は、クローネ殿に任せるつもりですから。……面倒事は、今日の内に終わらせたいものですね」
初日の面々と比べれば、どうにも寂しげに見えるイシュタリカの一行。
というのも、重鎮と言える者はウォーレンのみで、彼が自分だけで行くと口にしたのだから。
「閣下。アイン様の影響力があってこそ出来る事ですね……」
リリがウォーレンに語り掛けると、ウォーレンもそれに頷いた。
「えぇ、その通りです。これはアイン様が英雄と呼ばれ、初代陛下と並ぶ程の評価を得ているからこそ、選ぶことができる手段ですから」
「聞いた話によれば、なんでも、フォルス公爵家も賛成派だとか」
「ご子息のレオナード殿と、アイン様の友好は深い。その影響もあってか、フォルス公爵は賛成派のようですね」
「なるほど。素晴らしい事です」
すると、ウォーレンは歩きながら一枚の書類を取り出すと、それをリリに手渡した。
「これは?」
「賛成派と、反対派。そして、どちらとも言えない者達の分布ですよ」
それを聞いたリリは、手渡された紙に目線を向ける。
「……マグナと王都の賛成派が目立ちますね。特にマグナは、ほぼ全体が賛成派ですか」
「これは、昨年の春に調べた結果です。公に出せる情報ではありませんので、皆が仮定の上で答えた形となりますがね」
「となれば、マグナの比率はもっと偏っている可能性が?」
「確実にそうなるでしょう。先日のマグナでの植樹の集い……その影響もあってか、更にアイン様に対する声は多くなる一方ですから」
アインが植樹の際、大きなリプルの大樹を作った話は、瞬く間に広まった。
そうした、大地の恵みも与えてくれる王太子。元から人気の高いアインの話が、話題にならないはずが無かった。
「……中々、興味深い資料でした」
読み終えた紙を、ウォーレンに返すリリ。
「そうでしょう?こうした時にも使えるのですから、情報というのは、多いに越したことがありませんね」
ウォーレンは楽しそうに語り、上機嫌な様子を見せる。
「リリ。一つ教えて差し上げますね」
「閣下のお言葉とあらば、しかとこの胸に刻みます」
こう答えると、リリはウォーレンの次の言葉を待つ。
すると、立ち止まったウォーレンが、リリに向かってこう語った。
「武官というのは、その国の強さの象徴です。そして文官というのは、その強さを知らしめるのが仕事なんですよ」
——もちろん、他にも仕事はありますがね。
ウォーレンはこう語って、文官の持つ一面をリリに伝えたのだった。
*
それから一時間ほど経ち、ハイムの一行が大会議室にやってくる。
だが彼らは、反対側に居るウォーレン達を見て、その感じたことのない威圧感に、戸惑いの表情を浮かべるのだった。
困惑した様子を見せながらも、ハイムの重鎮たちも席に着く。
そこにはすでに、ウォーレンがリリに見せたのと同じ書類が置かれており、皆はそれを手に取って目を通した。
……そんな中、ティグルの席にだけ、小さく薄い木箱が置かれていたのだった。
「ウォーレンよ。私の席に置かれた箱はなんだ」
警戒心を露にして、ウォーレンに尋ねるティグル。
「開けてくださっても結構ですよ。ご安心ください。それを開けたからといって、ハイムに不利益が発生することや、皆様に何か危害が発生することはありませんから」
それを聞いたティグルは、傍に居るラルフに顔を向けた。
するとラルフは護衛の騎士を呼び、箱を開けるように指示を出す。
「そこの。この箱を開けて見せよ」
「っ……はっ!」
一瞬、戸惑った様子を見せるが、命令に背く真似は出来ない。
騎士はティグルの傍に近寄ると、その木箱に手をかけた。
「ウォーレン……貴様!こんなものを私に見せてどうするつもりだ!」
ティグルは開いた木箱に目を向けると、その中に入っていた物に気が付く。
すると、それの意味が全く理解できずに、大きな声で不満を口にした。