初日の終わり。
1/12日の更新です。
「ふむ……」
ウォーレンが、たった今見せたローガスの姿について考える。
腐ってもローガスは大将軍。……状況を見る力は悪くないようだ。
とはいえ、今回のように武が関する場合のみと思われるが。
「だが、模擬戦も無しならば……」
先程までの勢いは消え去ったようで、ラルフは煩わしさを隠そうともしない。
何をどう反論するのかを考えていたのだが、中々に、このウォーレンという男が面倒だった。
エレナがマグナに来る以前ならば、ハイムもまだ反論の手段があっただろう。
だが、現状ではハイムの主力ともいえる文官、エレナが気軽に口を開ける状況にない。
ティグルの不興を買った影響もあってか、エレナを冷遇するに近い状況の今、まさに、自分の首を自分で絞めていると言えよう。
ウォーレンとしても、策がここまで成功してしまうと、若干の苦笑いすら浮かべる程だ。
むしろ、拍子抜けですらある。
「はぁ……。面倒な話だ」
すると、ローガスの指摘もあってか、ラルフは一旦、考える様子をみせた。
会話の流れが自分たちハイムにとって、良好とはいえない現状。
その現状を鑑みてか、ラルフは一つの事を提案した。
「……もうすぐ夕刻となる。本日の会談は、これで終わるとしよう」
ウォーレンはこれを聞くと、口元に手を当てて、どうするかを考えた。
はっきり言ってしまえば、個人的には、まだ話足りない部分がある。
だが"取れ高"として考えるならば、悪くない結果である。そう考えて、迷った後には同意の返事をした。
ラルフから先に、逃げ帰るような提案をさせたことは、決して悪い気がしない。
「承知致しました。まぁ、まだ初日です。明日には、また"実り"ある会談となりますように」
そうして微笑んだウォーレンを見ると、ラルフは勢いよく立ち上がり、背後の扉に向かって行った。
「……帰るぞ。ティグル」
苛立ちを隠すこともなく、大きな足音を立てながら、扉も乱暴に開いて出ていく。
「あっ……ち、父上っ!」
ティグルは一瞬、ウォーレンを睨み付けた後、父のラルフを追ってこの場を後にする。
二人が去っていったのを見て、ハイムの一行も慌てて外に進む。
だが全員が出て行った後、エレナは足を止めて、イシュタリカに向かって声を届けた。
「……アイン王太子殿下。一つよろしいでしょうか?」
まさか、声を掛けられるとは思ってなかったアイン。
だが、他でもないクローネの母だ。アインとしても、会話をしたかったのも事実。
「はい。なんでしょうか、エレナさん」
アインは優し気な声色で、エレナに向かって返事をした。
「……マグナでは、本当にお世話になりました」
アインはてっきり、クローネの事を語られると思っていた。
当然、隣に座るクローネ本人も、そうなるだろうと予想していたのだが、その予想は裏切られる。
エレナは言葉を届け終えると、足早に大会議室から立ち去っていく。
その言葉を聞いたアインが、返事を口にする前の事だった。
「ちょっ……ちょっと、アイン!?」
「——……はっ!?ご、ごめん。一瞬気を失ってた」
マグナで世話になったと言われ、一瞬硬直していたアインが、クローネに体を揺さぶられ正気に戻る。
「ど、どういうこと!?お母様とマグナで会ってたの!?」
「知らないってっ!俺だって、エレナさんをマグナでお世話した記憶なんてないってば!」
さっきまでの会談とは、全く違うイシュタリカの空気。
二人のやり取りを見ると、皆も顔に笑みを浮かべた。
「……嘘ついてない?」
「ついてないってば!そもそも、隠す必要もないって!」
ジト目でアインを見つめながらも、問いただし続けるクローネ。
だが、アインが必死になって否定するのをみて、本当に違うのかと思い始めてきた。
「はっはっは!クローネ殿、アイン様は嘘をついておりませんよ」
様子を窺っていたウォーレンが、アインに助け船を出した。
「ウォ、ウォーレン様……?どうしてそれが分かるのですか?」
助け船が来たことにアインも安堵したが、ウォーレンが、なぜ確証を持ってるのかが疑問だった。
「実はですね、私と陛下。そして、リリや一部の者達しか知り得なかった情報ですが、エレナ殿はイシュタリカに来ていたのですよ」
こう語ったウォーレンの隣では、シルヴァードが頷いていた。
「うむ。そういうことなのだ、アイン」
「そういうことなのだって……全く説明になってないのですが」
会談の際の雰囲気は、とうに何処かへ行ってしまったようで、いつものように、イシュタリカの会話が始まる。
ハイムの重鎮がイシュタリカに来ていたと聞いて、一同は例外なく驚きの表情を浮かべた。
「へ、陛下……?私も聞いておらぬのですが」
ロイドが驚きに染まった表情で、シルヴァードに声を掛ける。
「それはそうだろう。なにせ、片手に数える程しか、この話は聞いておらぬのだから」
「お爺様?ロイドさんにも教えてなかったのは驚きなんですが、俺がエレナさんに会っていたっていうのは……?」
二人の会話に割り込んで、アインはシルヴァードに説明を求める。
自分がいつ、エレナと顔を合わせていたのか。それを早く教えてほしかったのだ。
「ウォーレンよ。お主の方が詳しく説明できるだろう?」
「えぇ、お任せください。——……アイン様、マグナでお忍びの最中に、一人の女性を宿に案内しませんでしたか?」
「……うん。したけど、その人がどうしたの?」
隣で聞いていたクローネは、お忍びと聞いて、むしろそれに文句を付けたくなった。
だがそれ以上に、自分の母が関わっている話題に興味があった。
「ローブを被って、一人で座っておりましたよね?」
「……詳しいね。でも、それで合ってるよ」
「実はその方が、エレナ殿だったのです」
「……は?」
マグナでのお忍びはよく覚えている。
出店通りを散策して、多くの美食を味わった。
宿を案内した女性に関しては、休憩中に、ベンチで座っている時に出会ったはずだ。
だが、その女性がエレナだったと言われても、理由がさっぱりわからない。
「お母様が、どうしてマグナに一人で……」
普通ならば有り得ない話だ。
エレナの様な重鎮が、わざわざマグナまで海を渡ってくる、それは信じられない事。
「我々がしていた事を、ハイムも真似てきたのです。つまりは密偵行為ですね。そして、その人選の中に、エレナ殿が入っていたということです」
「ハ、ハイムがイシュタリカに密偵を……?」
クローネが、声に出して驚いた様子を見せる。
なにせ、海を渡るのは多くの危険を伴う。
イシュタリカの民は安全に渡れるが、それはイシュタリカが誇る船があってこそだ。
だからこそ、自殺行為に近い何かを感じてしまうところがあった。
「冒険者も多く雇っていたみたいですが、冒険者の乗る船は転覆したらしく、イシュタリカに着いたのは僅かに二人。そのうちの一人が、エレナ殿という訳です」
「ウォーレン様?では、もう一人っていうのは一体……」
「もう一人というのは、ハイムからの亡命のことです。それはお二人にも伝えてあるかと思いますが、実は亡命者とエレナ殿は、同じ船でイシュタリカに来ていたのですよ」
それを聞いて、アインとクローネはハッとした。
確かに亡命した者が一人いた。マグナからの帰り道で、クローネがアインに語った話だ。
エレナがその亡命者と共に来ていたとは、想像したこともない。
「そ、それより……どういうことなの、アイン!そこからどうして、アインがお母様を案内することに……っ!」
ある程度の話は理解したクローネが、再度アインに詰め寄る。
隣に座っていることを良い事に、アインの片腕を締め付けるように近づいた。
「だ……だから!俺は知らなかったんだってば!」
慌てた様子のクローネに対して、アインは必至な様子で弁解をする。
「たださ、食べ歩き終わってから休憩してたんだ。その時に、なんか困ってそうな声が聞こえたから話しかけたんだ」
その日のマグナは、祭り以上の混み合いを見せていた。
宿の多くも満室となっていて、部屋を用意するのも一苦労。
「ほら、俺とお母様が行くって話だから、マグナの人混みも凄かったんだよ」
「……うん。それは知ってるわ」
「それで、俺も罪悪感じゃないけど……なんか申し訳ない気持ちになったんだよ。だってそうでしょ?マグナが混み合ってる原因は、俺だったわけだしさ」
通常のマグナならば、宿を用意するのに苦労しない。
そのため、宿をとれない理由は確実にアイン達だったのだ。
「それで、困ってる様子だったから、宿を紹介した。……ってわけなんだけど」
「……えぇ。アインが知らずに、お母様を案内したっていうのは分かったわ」
当時のアインは、それがエレナだなんて知らなかった。
むしろ知っていたならば、王都に連れ帰るぐらいの事はしたのだから。
「だから……ウォーレンさん。もう少し教えてもらえないかな?情報が少なすぎて、俺も良く分からないんだ」
困った様子で、ウォーレンに話しかけた。
やはり、アインとしても情報が少なすぎる。
そしてウォーレンは、アインのその声を聞き、優しげな表情で答えを口にする。
「どうして、私がエレナ殿の事を知っているのに、彼女がハイムに無事に戻れたのか……ですね?」
「うん、それが気になってしょうがないよ」
ウォーレンが情報を得ていたのならば、普通なら、ハイムに戻るのを止めるはずだ。
だが、彼はエレナの事を止めなかったのだろう。
だからこそ、エレナに関する情報は、アイン達があずかり知らぬ出来事となっているのだから。
「私には、ちょっとした考えがありました」
——……やっぱりか。
ウォーレンが、ただで敵国の人間を返すわけがない。
それがクローネの母ならば、温情や気遣いはあったと思うが、それでも何か仕込むことに違和感はなかった。
「それを達成させるため、エレナ殿にはマグナを見学させ、リリを遣わして持て成しました」
「も、持て成した?」
その言葉に、アインが驚きの声を上げた。
「申し訳ないのですが、ハイムの思惑を逆に利用したのです。……クローネ殿には恨まれるかもしれませんが、エレナ殿を利用したのです」
「……お母様を利用?」
「はい。エレナ殿は、ハイムから密偵として送り込まれました。ですので、リリに案内をさせて、戦艦などを視察していただいた。そして利用した結果が、先ほどの成果ですよ」
苦笑いを浮かべ、少しばかり申し訳なさそうに語るウォーレンの姿。
クローネとアインは静かに耳を傾け、ウォーレンの言葉を待つ。
「ハイムの文官筆頭。それがエレナ殿です。イシュタリカに悪影響をもたらす前に、その口を封じさせていただきました」
淡々と語るウォーレンを見て、アインとクローネの二人は、少しずつ理解し始める。
「エレナ殿は、ハイムの忠臣でした。ですので、イシュタリカで見たことを確実に報告するでしょう。なにせ、報告しなければ逆臣となるのだから」
ウォーレンが自分を恨むかもしれないといった理由が、徐々に明らかにされていく。
「分かり切っていた事です。我々の戦力を見たら、エレナ殿は、確実に穏便に済ませようとする。その考えを、ティグル王子たちに伝えるはずですから」
ティグルの性格を分かっていたアインは、クローネ以上にそのことを理解した。
例えエレナであろうとも、イシュタリカの件に対して、自分の意に反することを口にでもすれば、多少の冷遇ぐらいされるだろう、と。
「後はもう、語らずともわかりますよね?——……クローネ殿。私の事を、恨みますか?」
「……」
ウォーレンの言葉を聞き終えたクローネは、神妙な顔つきで数度頷いた。
すると、大きく息を吸った後、ウォーレンに対して向き直る。
「いいえ、恨むことなんて致しません。密偵行為をしに来たあげく、隙を見せてしまった方が悪いのです」
「……ほう」
それを聞いたウォーレンは、感嘆の声を漏らす。
クローネの答えが、彼にとっては最良の返事だったのだ。
「それにしても、ウォーレンさん。せめて、マグナから帰ってからは教えてくれても良かったんじゃ……」
「えぇ、その事も考えました。ですが、この会談はそう遠くない日でしたので、動揺を与えるのもどうかと思いまして」
「……いいのよ、アイン。多分ね、先に聞いてたら、私も動揺してたと思うの」
なにせ、数年ぶりに会う母なのだから、唐突に聞いてもさすがのクローネも動揺する。
そのため、今聞けて良かったと思う自分が居た。
「しかし分からんな、ウォーレン殿」
「む?何がですかな、ロイド殿」
腕を組み、納得がいかない様子でウォーレンに語り掛ける。
「聞いていたエレナという女性は、ハイムに取っての切り札とも言える女性なのだろう?ならば、こうして冷遇することに意味はないのでは?」
ロイドが語ったのは、当たり前の話。
だがそれをしたハイムの考えが、全く理解できなかった。
「……エレナ殿を冷遇できた理由。私が考える理由は二つです」
するとウォーレンは立ち上がり、机の前に進むと、皆の顔が見えるように場所を移す。
「一つ目は、海結晶の件かと。あれは、我々が密約を望むほど欲しかった代物です。それがハイム近海には眠っておりますので、だからこそ強気に出ることができたという理由」
人差し指を一本立てて、皆に語り掛けるウォーレン。
「エウロからの供給量は潤沢です。これから数十年は、確実に枯渇の心配が要らない程でしょう。それに、新技術の開発も順調ですので、海結晶に頼るのも、徐々に減ってくる見通しです」
万が一、海結晶が絶望的に足りていなければ、イシュタリカも多少は折れる部分があった事だろう。
だが現状では、その必要性は皆無だった。
「ハイムはその詳しい情報を知りません。ですので、エレナ殿が主力でなくとも、この会談に自信を持てたのではないかと」
「ふむ……なるほどな。だが、それでも愚の骨頂であろうに」
結局のところ、大陸で井の中の蛙をしていた影響だろう。
格上との戦いの経験が無い、それがこの結果なのかもしれない。
「それで、もう一つの理由とは一体?」
「ふむ……。もう一つの理由、ですか」
口元に手を当てると、慎重に言葉を選び始めたウォーレン。
彼のこんな姿は珍しい。
「……我々は殺されない。そんな安心感でしょうね」
その言葉が意味することはたった一つだ。
イシュタリカは、先制攻撃を行わない。
ハイムは狂信者のように、それを信じているのだから。
「初日の会談は、私にとっても悪くない結果でした。……ですので、明日の会談には、陛下達の出席は必要ございません」
ふと、会話の流れに変化を加えたウォーレン。
はっきりとしない言葉だったが、ロイドとシルヴァードはその真意に気が付く。
「……ウォーレン。余は、何か口に出すべきなのだろうか」
シルヴァードは神妙な顔つきで、ウォーレンに尋ねた。
「いえ、陛下は何も語る必要はございません。明日の会談を、私に任せると言っていただけるだけでいい」
「ならば、私は同席を……」
「ロイド殿も結構ですよ。常に陛下のお傍にいてくだされば、それで」
だが、この様子を見ても、アインとクローネ、そして静かにしていたクリスの三人は、どのような状況なのかが分からない。
理解し合えているのは、シルヴァードにロイド、そしてウォーレンの三人だけに思えた。
「私が明日の会談で、その絶対的な安心感を崩して参りましょう。ですので皆さまは、船の中で報告をお待ちくださいませ」
こう語ったウォーレンの声は、今までに無いほどの切れ味を感じさせるのだった。
今日もアクセスありがとうございました。