果実と"果実"
「いえ、アイン様?立派な果実がどうの……なんて言ってる場合じゃ」
ディルの指摘も尤もだ。
「あぁ、ごめん。あまりの事態に、俺もそれしか考えられなかったよ」
「……お気持ちは理解できますが」
二人して苦笑いを浮かべるしかなかったが、徐々に参加者たちが声を上げ始めた。
何が起きたんだ、王太子殿下が何かしたのだろうか……と、多くの声が聞こえる。
——どうしよう?
アインとしても、咄嗟の事で判断が付かなかったが、その様子を見て、オリビアが口を開いた。
「……これは未来のイシュタリカ王。王太子アインの力の象徴です。王太子はドライアドの血を引き継ぎ、数少ないドライアドという存在の中でも、更に稀有な力に恵まれた王太子。そのため、王太子が望んだからこそ、このような大樹が生まれたのです」
つい先ほどまで、オリビアも動揺した姿を見せていた。
それでもアインが困っているのを見て、咄嗟にこうした説明を口にしだす。
「王太子は海龍討伐の英雄というだけでなく、自然界にも影響力を持ちます。初代陛下が統一なさったこのイシュタリカへと、豊かな自然の恵みをもたらすのです」
いつもは大きな声なんて上げないオリビアが、珍しく、演説するかのように大きな声を上げる。
「王太子は自ら、この記念植樹の集いを祝いました。お帰りの際には、この果実を1つ持ち帰るといいでしょう」
最後に微笑んだオリビアが語り終え、数秒の間静寂に包まれた。
アインはどうなるかと反応が不安だったが、その心配は杞憂に終わる。
「王太子殿下は……まさに初代陛下の再来なのかもしれん!」
「我らが英雄であり、自然の恵みをくださるとは……もはや、その偉業に驚くばかりだ!」
「おぉ!我らが王太子に栄光あれっ!」
アインが元から好意的に思われていた、その影響も確かにある。
それだけでなく、オリビアの演説も功を成したのは事実。アインは心の中で礼をした。
——あとでちゃんと、口に出してお礼をしないと。
「オ、オリビア様……?その様な事をいって大丈夫なのですか?」
マーサが小声でオリビアに尋ねる。
「えぇ、実際アインがしたことだもの。それにしても大きいのね……こんなリプルの木なんて、見たことがないもの」
10mを軽く超え、その高さは30mに届くほどの大樹。
リプルの木は高くとも、10mにすら届かない。だからこそ、この異常な成長が衝撃的だったのだ。
「確かに大きいですが……アイン様、一体何をなさったのですか?」
オリビアの言葉を聞き、マーサは今度はアインに尋ねる。
「大きくなれよって声かけただけなんだけどね。……俺も大きくなっちゃったし、なんか親近感沸いてきた」
へらへらと笑うアインを見て、マーサは額に手を当てた。
一方アインとしては、ドライアドの血を引く魔王。その影響があると考えていたが、そのことは口にしなかった。
「はぁ……。アイン様、少し失礼します。お母様、梯子でも借りて参りますね」
いつものことだ。
特にディルからすれば、アインが突拍子もないことをするのは当たり前のことで、もはや慣れっこ。
オリビアが果実を持ち帰ってといったので、ディルは梯子を借りに向かう。
「ありがと、頼むねディル」
歩き出したディルを見送り、アインはリプルの大樹に視線を戻す。
——それにしてもでかい。
「ねぇねぇアイン」
「はい?なんでしょう」
するとオリビアが、楽しそうな様子でアインに声を掛ける。
「あのリプル。美味しそうね」
「木も大きいんですが、果実も大きいですよねあれ。それにいい色で……」
何を話すかと思えば、この親子はすぐに味の話か、と。
先程まで慌てていたオリビアが、あっさり順応している姿を見て、マーサは深くため息をつく。
「俺たちも持って帰りましょうか。せっかくですし、王都にも土産として送りましょう」
「えぇ、そうですね。きっとお父様も気に入ると思うの」
「美味しかったら、城でも試してみますね。マーサさん、多分大丈夫だよね?」
「……はい。きっと、大丈夫かと」
ただただ呑気な会話を聞き、割とどうでもよくなってきた部分がある。
アインが原因という事も分かっているため、緊急事態とも思えなかったからだ。
「ただいま戻りました。大きめの梯子を借りてきたので、きっと届くかと……あれ?お母様どうかしましたか?」
「……別に、何でもない」
戻ってきたディルは、疲れているマーサを見て不思議そうな顔を浮かべた。
——その後。騎士が梯子で木に登り、豊かな果実をもぎ取り参加者に配ったのだった。
*
夕方になり、ようやく宿に戻ってきたアイン一行。
アインの希望通り、リプルの大樹から果実をもぎ取り、傷がつかないように持って帰った。
美しい色艶に、皮を剥かずともわかる芳醇な香り。そしてそれ以上に驚きだったのが……。
「すごい……立派で、とても大きいですね」
大事そうに、果実を両手で包み込むように持つオリビア。
「……」
手つきが卑猥に思えたのは、自分の心が汚れているからだ。
アインはそう考えて、邪念を振り払う。
「数倍はありますね、アイン」
「そう、ですね。本当に大きくて驚きました」
オリビアが大きさを称えたように、このリプルの果実はとても大きい。通常の4,5倍はありそうな大きさで、手に取った時は本当に驚いたのだ。
「マーサ。切ってもらえるかしら」
「畏まりました。では、少々お待ちくださいね」
オリビアから果実を受け取ると、マーサはそれを皿の上に置き、器用な手さばきで切り始める。
ちなみに、ディルはドアの外で警備をしている。
「っ……すごい果汁に、香り」
ナイフを入れると、一気に漏れ出す黄金色の果汁。
その漏れ出した果汁に比例して、今まで以上に芳醇な香りが部屋中に広がる。
この香りだけでも、ちょっとしたアロマと思える程の香りだった。
「蜜も多く詰まっております。あの数秒でどうやってここまで立派に成長したのか……本当に不思議です」
不思議そうにしながらも、マーサはナイフを丁寧に使って、その果実を切り分ける。
城で食べることができるリプルは、高い品質のものが選ばれ搬入される。
そのはずだったというのに、アインが育てたリプルは、城のリプルよりも遥かに高水準のようだ。
「では、切り分け終わりましたので、どうぞお召し上がりください」
「ごめんなさい、マーサ。悪いけど、もう一つ切ってもらえるかしら?」
「……構いませんが、結構な量となりますよ?」
「いいのよ。私とアインが食べるわけじゃないの」
首を傾げて、何を言ってるのかと疑問に思ったマーサ。
「食べなくてもわかるわ。それはマーサもでしょう?」
「……はい。確実に、このリプルは今まででも、類を見ない程の品かと思われます」
香りと果汁、そして蜜を見る。すると、舌が肥えているこの面々であれば、食べずとも多少の事は分かってしまう。
「だからよ。せっかくの機会だもの、マーサとディルも食べなさい。丁度いい時間だから、休憩ついでに食べてきていいわよ」
「あぁ、なるほど。それはいいですねお母様。そういうことなので、ディルにも食べさせてやってください」
アインもすぐに同意して、オリビアの言葉を後押しした。
「……で、ではお言葉に甘えまして、1つ頂戴いたします」
マーサは急いでナイフを滑らせて、すぐにもう一つを切り終える。
「こちらをどうぞ。アイン様、オリビア様」
マーサは、手に付着した果汁をふき取って、切り終えたリプルを並べた皿を置く。
目の前に来ると、更にその香りが強く漂ってくる。
「えぇ、ありがとう。じゃあ何かあったら声を掛けるから、しばらく休憩してきてね」
「畏まりました。ではアイン様、お一つ頂戴して行きますね」
「うん。美味しく無かったらごめんね、それじゃまた後で」
多分、美味しくないという事はないだろう。
それはマーサも分かっていたので、静かに頬を綻ばせてドアに向かった。
「一般的な果物だったのに、こうなると高級食材ね」
「言われてみるとそうですね。まずは食べてみましょうか」
アインの言葉をきっかけに、二人はフォークでリプルを口に運ぶ。
「……」
「……」
口に運んだ後。二人は何も語ることなく、ただ黙々と咀嚼し続けた。
噛むたびに広がる果汁の瑞々しさに、柔らかくもシャキッとした食感。極めつけは芳醇な蜜で、貴金属を思わせるような、高貴な甘さが続いて来た。
「はぁ……これがアインの味なのね」
一切れ目を食べ終えたオリビアが、恍惚とした表情でそう口にした。
頬を若干赤らめて、艶めかしい声をしている。
「え、えぇ。俺が育てたリプルの……ですが」
自分の味と言われれば、アインも色々と危険信号を発する必要がある。
「でも、似たようなものでしょう?」
「聞き取り方によっては、ちょっと危険というかなんというか」
これ以上は口にできないので、察してほしい。
「あらあら、アインは何を考えちゃったんですか?……ふふ」
オリビアは、近年でも稀に見る程のご機嫌な様子。それは恐らく、アインとの時間が多く取れているからだろう。
……ペロ、と果汁を舐める仕草が、狙っているようにしか思えない。
「美味しかったですね。……それじゃ、傷む前に全部いただきましょう」
オリビアの仕草に関しては、一考する価値がある。
しかしながら、今はこの果実が主役だ。オリビアの言葉を聞き、アインも再度フォークを伸ばす。
「本当に美味しいですね、これ」
「えぇ、そうね。でももしかすると、植樹された他の苗は成長できないかもしれないですね」
二切れ目を頬張っていたオリビアが、飲み込み終えてからそう返事をした。
「音を立てて水を吸ってたぐらいだもの。きっと、一生懸命土の中の栄養も吸い取ってると思うわ……」
「……肥料かなにかを、追加しておいた方がいいですね」
言われてみれば確かに。
むしろ、リプルの大樹にとっても、栄養がない土は良くないだろう。
「そうですね。後でマーサにも伝えておきましょうか」
あんな成長を前にして、園芸に関する技術も知識も関係ないわけだが、やれることをやっておいても損はない。
「お爺様たちも、喜んでくださるでしょうか」
「ふふ、もちろんですよ。何をしてああなったのか、なんて問いただされるとは思いますけど……」
オリビアの言う通り、その可能性しかない。
とはいえ、シルヴァードは魔王化についての話を知っているので、意外とすんなり受け入れてくれるかもしれない。
アインとしても、原理が分かっていないので、それぐらいしか説明することが無いのだが。
「いつも苦労かけちゃってますから。申し訳ないですね」
苦笑しながらも、アインはこう口にした。
「大丈夫ですよ。お父様も、なんだかんだと楽しんでるみたいですもの」
アインにはまだわからないが、娘のオリビアからしてみると、そう感じる節があったのかもしれない。
アインとオリビアは、こうしてゆっくりと会話を楽しみながら、この特別なリプルの味を楽しんだ。
*
その後は、軽く仕事をしてから夕食を取り、入浴を終えてからベッドに入ろう。
アインはそのつもりだったのだが、その計画は途中から破綻することとなった。
「……はぁ、いいお湯だ」
少し早めに夕食を取り、オリビアが先に入ってといったので、アインは一足先に入浴をしていた。
昨日よりも早めの時間帯のせいか、海景色のほとんどが、ルビーの様な茜色に染まっている。
「うん。これなら、お母様が絶賛するのもわかる」
湯船の縁に体を乗り出して、窓いっぱいに広がる景色を目に焼き付ける。
「えぇ、そうでしょ?……アインと一緒に、この景色が見たかったんですよ?」
ふと、背中一杯に押し付けられる、柔らかく暖かな果実。
水風船でもなければ、決して固い肉質でもない。そんな特別な感触が、アインの背筋に伝わった。
同時にアインの首に手が回され、耳元へと彼女の顔が近づけられる。
「っ!?お、お母様!?え……え!?」
「はーい。お母様ですよー」
本当にどうしたのかと思う程、ご機嫌なオリビア。
酒を飲んでいるわけでもないため、完全に素面なオリビアの姿がここにある。
「急にどうしたんですかっ……?」
「うん?だって、アイン昨日言ってたじゃないですか。水着着たら一緒に入浴してくれるって」
「言いましたけど。それは昨日の話だったんじゃ……」
「そんなの聞いてないもの。アインが何時、昨日の限定だって言ってたんですか?」
オリビアが言う通り、アインは昨日限定なんて口にしていない。
もはやただの屁理屈だが、オリビアの口調で話されると、普通の理屈に聞こえてくるのが不思議だ。
「いや、その。お母様としても、そういう意味だったんじゃないのかなと……」
「いいえ?違いますよ。だって私も、そんなこと一言も言ってないでしょう?」
耳元に当たるオリビアの声がくすぐったくて、アインは少し体を震わせる。
するとオリビアの身体も連動して動き、背中にあたった物体が柔らかく震えた。
「あんっ……こら、暴れたらだめですよ?」
——色っぽい声もやめてください。
なんて言えるはずもないので、アインは心中で考えるだけに留めた。
男としての悲しい性を感じて、今日も脳内カティマに頼る必要があるのか、とアインは考える。
「はぁー……やっぱりお風呂はいいですね」
アインの心境なんて全くわからないオリビアは、アインに抱き着きながらも、湯船の温かさに浸っていた。
「景色もいいし、アインにもこうして近づけるもの。……これだけあれば、私はなんでも頑張れるんですから」
——……。
「……はい。お母様が言うように、たまにはこんな時間もいいですね」
ふと、先ほどまでの葛藤が消え去った。
産まれた時の事、ラウンドハートでの事を思い出す。
それまでの境遇を考えると、こんな葛藤なんて大したものじゃ無いのかもしれない。
オリビアの言葉を聞いていると、そんな感傷に浸ってしまった。
なにせ、掛け替えのない大切な家族なのだから。
「……あ、紐解けちゃった。ごめんなさい、その……水着、取ってもらってもいいですか?」
水面の揺れに乗りながら、アインの目の前にやってくる水着。
先程まで、オリビアの胸元を隠していた一品が、今アインの目の前へとやってきた。
「——はい。どうぞ、お母様」
聞き分けのいい声色で、目で見ないようにして水着を拾い、背後のオリビアに手渡す。
「ご、ごめんなさいね……アイン」
するとオリビアは一度離れて、水着を付け直しているようだ。
当然のことながら、アインは振り返ることなんて考えていない。
——……早速前言撤回だ。お帰りなさい、俺の葛藤。随分と早い帰宅だったね?
こうして、アインの二日目は賑やかに幕を下ろしたのだった。
次回からは、リリ&エレナサイドの話に移ります。(2,3話予定)