お忍び[後]
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「ふんふふーん……」
念のためにとフードを深く被り、アインは宿の裏口から外に出る。
外に出ると、一層よく聞こえる波の音がアインを包み込んだ。
「……真っ赤だ」
マグナの夕暮れは、海をも赤く染め上げる。
水平線のかなたまで、余すとこなくその色が広がっていた。
「それじゃ、大通りの方に行ってみようかな」
海辺から方向を変えて、町の中心を目指して進み始める。
いくつかの陰から、慣れた気配を感じる。恐らくは、それがウォーレンの部下たちだろう。
「すっごい人だかり。こりゃ、昼間は歩くの大変だったろうな」
ディルの報告によると、これでも人が少なくなったらしい。
だがそれでも、朝のホワイトローズのように、多くの人でごった返している。
人にぶつからないようにと気を付けて歩き、徐々に町中に進むアイン。
かき入れ時ということもあってか、多くの出店が立ち並び、炭火で焼かれる海鮮の香りが憎らしい。
「畜生……。全部買って帰りたい」
少なくとも安心できるのは、オリビアへのお土産に迷うことは無いということだ。
恐らくオリビアならば、見えるどの食べ物でも喜んでくれるだろう。
「あー……」
ある店は炭火。またある店は鉄板の上で焼いて、ソースを使っていた。するとソースが焦げる香りが広がって、アインの食欲を促す。
——じゅるり。
溜まった生唾を飲み込む程に、通りに漂う香りがアインの鼻腔をくすぐる。
つい、チラチラと顔を振り回してしまう程だった。
「そこのローブの方!気になったなら買ってってよ!焼きたてでうまいぞー!」
そうした仕草のアインを見て、出店の店主が声を掛ける。
「俺?」
「そーそーそーっ!旅人さんか冒険者さんだろ?せっかくマグナに来たんだから、出店通りを楽しまにゃ損ってもんだ!」
「ここは出店通りっていうんですか」
「地元で使ってるだけの通り名だけどな、それでどうすんだお兄さん!買ってかないか?」
一つ勉強になった。
こうして、出店が多く立ち並ぶ通りは、出店通りというらしい。
「んー、どうしようかな」
声を掛けた店主の出店を見ると、串に刺された多くの貝。それが香ばしい香りの魚醤で焼かれ、美味しそうに湯気を立てている。
目を移すと、看板には100Gとの記載がある。……随分とリーズナブルな価格だ。
「こりゃだめだ。食べなきゃやってらんないね、おじさん一本頂戴!」
「はいまいどーっ!」
串の中から、いい焼き具合のものをアインに手渡し、アインも代金を支払った。
「ありがと、おじさん」
「あぁ!それじゃ美味かったら、帰りにでもよってくれや!日暮れまではやってるからよ!」
威勢のいい店主と別れ、アインは歩きながらその串に目線を移す。
「……こりゃ、やばいね」
分厚く育った貝柱に、幅が広い貝ヒモ。それが1、2、3……合計5つも付いている。
香り高い魚醤の香りも嬉しくて、アインは勢いよく頬張った。
「……うん、うん」
貝柱は弾力が気持ちいい歯ごたえに、貝ヒモもコリコリという音を立てて歯切れがいい。
甘いような旨味に溢れ、噛むたびにその美味しさが口中に広がっていく。
「多めに買って帰ろう。お母様も喜ぶ」
とりあえず、土産となる品が1点決まったのは良いことだ。
一度噛んだ瞬間に、帰りにまた購入することを決めたアイン。
「大体さ、こんなのが一本100Gってのが犯罪的だよ。もう騎士に通報するレベルの案件だよ、これは」
訳の分からないことを口走るほど、串にささった貝が美味しすぎた。
「ほーらほら、そこの貝の串持ってるローブの方!だめだよそれじゃー!」
「んー?俺?」
また声を掛けれたアインは、その方向に顔を向ける。
「そう!お兄さんの事だ!せっかくマグナにきたんだ、貝なんて食べてないで、魚も食べなきゃ!……ほーら見てよこれ、うちの自慢の塩焼き!」
——パタパタ。
扇で風を送り、アインの待つ方へと香りを届ける。
するとアインの鼻がピクッと反応し、その塩焼きに向かって足を動かした。
「美味しそうな匂いだね」
「だろだろ?うちのはね、朝獲れた魚じゃなくてもっと新鮮だから!」
「朝じゃない?」
「あったりまえよ!うちのは夕方に運ばれたばっかりの、一番新鮮なのしか使ってないよ!」
——ゴクリ。
先程と同じく、また生唾を飲み込んだアイン。
そこまで新鮮と聞けば、食指が動かないはずがない。……魚や調理法によっては、熟成させる方がいいものもある。
だがそれでも、こうして屋台で食べられるようなものならば、やはり新鮮なほうが美味しそうに思えた。
「貝も悪くないんだけどね、魚食べてこーよお兄さん!……一本150G!まずは一本食べちゃってよ!」
「ほい。150G」
もはや何も言うまい。
語る前に食べるのだ、アインはそう心に決めて、潔く代金を支払う。
「いいねお兄さん!はい、まいどー!骨も頭も全部食べられる魚だから、どこまでも食べちゃって!」
そうして手渡される塩焼き。
手に持つと、炭の香りに魚の油が合わさって、アインの唾液を更に分泌させる。
魚はおよそ15センチ程度。
屋台の店主曰く、全部食べられるとのことだが。
「頂きまーす」
串に対してそう呟いて、アインは腹の部分から口に運ぶ。
「はぐ……はぐっ……」
皮の上では、未だに脂がジュージューと音を立てている。
齧り付いたときは火傷するかと思ったが、アインの口は止まらなくなった。
「むむっ……むむむ……」
パリッと音を立てた皮の奥に、熱々にやけた白く濃厚な身が詰まっている。
身の味は淡泊ながらも、脂の香りと炭の香りが、調度いいアクセント。
「……さすがマグナ。塩まで違うのか」
カリッ、と音が鳴るほどのあら塩。それが少ししょっぱいぐらいに振られており、淡泊な身にはそれが嬉しい。
「これが150Gって危険すぎる。お爺様にも、しっかりと伝えなきゃいけないよ」
シルヴァードとしても、そんなことを教えられても何もできない。
それどころか、ただ唾液を分泌させて、悔しそうにすることぐらいだ。
「よし。これも買って帰ろ」
きっと、この出店通りにはハズレがないのだろう。
なにせ最初の2つの出店でこの結果だ。
「……恐ろしい所だ。一体どれほどの強さを隠し持ってるんだ」
残っていた魚と貝を勢いよく食べ尽し、近くにあったゴミ箱に串を捨てる。
「あ、旅人さん!うちの串見てってよ!美味しいからさ!」
——望むところだ。
アインの出店通り巡りは、ここから本番を迎えるのだった。
*
「ふぅ……食べ過ぎた」
あれからいくつの出店を周っただろうか。
どれも味が良すぎて、アインとしてもお土産に迷う始末。
「どれも捨てがたい……」
膨れた腹を労わりながら、オリビアへの土産を考えるアイン。
通りの端にあるベンチに腰かけて、休憩がてらそのことを考えていた。
今いる場所は、出店通りから少し出たところ。
歩いているうちに、出店通りからはみ出て、少し大きな通りに近づいていたのだ。
「うーん。でも最初の貝は捨てがたいし、迷いどころだ」
気になったのを全部買うのも、さすがに余らせてしまう。
「少し休憩してから考えようかな」
まずは膨れた腹の処理からだ。
かなり歩き食いをしたせいか、それなりに体が重くなっている。
呼吸を繰り返すたびに、咀嚼した海鮮が身体にしみこむような、そんな怠惰な感情に身をゆだねる。
そうして休憩する事数分。
隣に座っていた者が立ち上がり、入れ替わりに人が座る。
アイン同様ローブに身を包み、疲れた様子で腰を掛けた。
——あ、なにか親近感。
アインがそう考える程、こうした偶然が少し面白く感じていた。
「……さすがに、少し足が疲れてきたわ」
顔までは見えなかったが、声から察するに女性のようだ。
そのひとりごとを口にすると、彼女は自分の足をさすりはじめる。
「……」
彼女も歩き続けたのだろうか?
アインはそう思って、不躾ながら彼女の様子を窺った。
「さすがに野宿は……」
——……あ、あれ?
次の言葉は、野宿という言葉。
それを聞いたアインは、彼女がどういう境遇にいるのか興味を抱く。
マグナに来てまで野宿と聞いて、どうしたのかと気になった。
「本当に、早めに宿を取っておくべきだったのね……」
大きなため息をついてそう口にする彼女を見て、アインは少しばかり状況を察した。
もしかすると、彼女も自分たちが来るという事で、わざわざマグナまで来てくれたのかもしれない。
そう思うと、手助けの一つぐらいしてあげたくもなる。
小さく深呼吸をして、アインは彼女に向かって口を開いた。
「——……あの」
「……?」
足をさすっていた手を止めて、アインの方をみた彼女。無視されることも考えたが、反応してくれて安堵した。
「失礼ですが。もしかして今夜の宿が用意できてない……とかでしょうか?」
こんなことは聞かれたくないだろうが、今回ばかりは許してほしい。なにせそれが分からなければ、アインとしても手助けができないからだ。
「え、えぇ……。実は、こんなに混み合うとは知らなくて」
すると彼女の返事は、アインの想像通りの結末。
たとえ彼女が、アイン達を目的に来たわけじゃないとしても、女性が野宿というのは気分が悪い。アインも何とかしてあげたいと思い始める。
「ははっ、なるほど。確かにすごい人混みですよね」
だがしかし、いきなり宿を紹介すると言われても困惑するかもしれない。だからちょっとした会話として、世間話から始めることにした。
「本当に……。マグナって、こんなに賑やかな所だったんですね」
「そうですね。俺も何度か来てますけど、いつも驚きますよ」
「あら、そうなんですか。……お近くに御住みなのかしら」
初めてマグナに来たらしい。
といっても、アインも高々数回程度しか来たことがないため、そんなに違いは無いのだが。
「うーん……。実は王都に住んでるんです。それに、簡単に遠出させてもらえないので」
「ふふ。冒険者の方なのかしら……って思ってたけど、実は貴族の方なのね?」
ある程度話を濁しながら、彼女の問いに答えるアイン。
決して嘘はついていないから、罪悪感は特にない。
「貴族、貴族かー……。貴族ではないんですけど、色々と面倒な立場といいますか」
——王族です。
なんて言えるはずもなく、苦笑いを浮かべてそう口にした。
「なら詳しくは聞きません。その方が、貴方にとってもいいのでしょう?」
「はは……。いやはや、申し訳ないです」
理解が早くて助かった。だがアインは、この女性と話していると不思議な感覚になる。
まるで貴族のように洗練された、そして誰かに似ているような錯覚を覚える。
「では、深く追求しないでくれたお礼でもいかがでしょう?」
だがこれは都合がいい。せっかくだから、たったいま気を使ってくれたことを利用させてもらおう。
「……あら。私みたいな旅人と会話をしてくれた。それで私が礼をするべきでは?」
「たかが会話をしたぐらいで礼が必要なら、商人は死んでしまいますよ」
彼女の返しにはほんの一瞬戸惑ったが、我ながら良い返しだったと思う。
下手な詮索が返ってくる前に、アインはすっと立ち上がる。
「こういう時でも、部屋を残している宿を知っています。前に聞いた事があるので、そこに案内しますね」
「……宿?」
「えぇ、宿が無いんですよね?……俺も自分で確かめた訳じゃないですが、伯母から聞いた事があるんです。まぁその伯母も、全部が信用できるわけじゃないんですが……」
カティマから聞いた事がある。
なんでも、困った時は貴族向けの建物らしい。
いつ貴族が来てもいいようにと、そこそこの部屋はいつも開けていると聞いた。
それにそうした宿ならば、一目でわかるので問題ない。
「"無理"言って抜け出してきてるんで、急いで向かいましょうか。それじゃこっちですよ」
同じく立ち上がった彼女を見て、アインは了承してくれたのだろうと思った。
そのため、2歩程先を歩いて、アインは貴族が泊るような宿を探しに歩きはじめる。
「(あ、そういえば予算とか聞いてないや……)」
いざとなったら、自分が出そう。
自分が仕事をしてもらった給料からならば、国民に対しても不義には当たらない。アインはそう考えたのだった。
*
結論から言えば、目的の宿……いわゆる、貴族が泊るような宿はすぐに見つかる。
しかし、その宿の店主が不審な瞳でアイン達を見つめてきた。
「その、部屋はないわけじゃないのですが、すぐに用意できるかと聞かれると……」
良く分かる目線で、アイン達に返事をした。
——まぁ、普通なら冒険者とか旅人に貸すような部屋じゃないからね。
と、アインも宿屋の者の考えも理解できる。しかし、今はそんなことを気にしたくなかったので、此処で諦めずに言葉を続ける。
「用意できるまで待ちますので、お願いできませんか?」
あくまでも低姿勢だが、諦めないという意思を言葉に乗せた。
「で、ですからお待たせするのも申し訳なく……ですね」
「疲れているので、座って休んでいますよ。だから、なんとかなりませんか?」
一向にアインは諦めず、店主に言葉を投げかける。
「お金なら大丈夫ですから。お願いします」
「む、むむむっ……」
悩み始めた店主が、腕を組んで考え始めた。
……いざとなったら、フードを取って顔を見せるか?権力を使うのは嫌なため、それは最終手段なのだが。
「あ、あの。そこまで無理しなくても……」
連れてきた女性が困った声を上げるが、今の時間だと、こうして宿をとるしかない。
「オーナー。それじゃ搬入終わりましたんで、これで失礼しますよ」
そうして皆が悩み始めた時、アイン達が話す横を男がすれ違う。食材の搬入を行ったようで、手には大きな籠を持っていた。
——ドンッ!
「っとと……申し訳ありませんお客様っ!」
バランスを崩し、アインと肩がぶつかった。すると、アインのフードがはらりと後ろに下がり、アインの顔が露になった。
「っ……お、お客……様……?」
アインの顔を知らないはずがない。
店主だけではなく、すれ違った男も驚きの表情を浮かべ、アインのことを見つめていた。
空いた口がふさがらず、ただただ驚きの表情を浮かべるばかり。
一方、ローブの女性は、何が起こったのか理解できていなかった。何が起こったのかと、ただ不思議そうに様子を窺うばかり。
「あ、あはは……。ごめん、そういうわけなんだ。こちらの方に一部屋用意してもらってもいい、かな……?」
こうなっては隠せないため、アインは開き直って店主へともう一度頼んだ。
「も、もももも……もちろんでございます!お、おい!こちらのお客様をお通ししなさい!」
別の従業員を呼び寄せて、客の案内を頼む店主。
「待ってくださいっ!その、お代金はいくら程度で……」
すっかり忘れていたアインが、その女性の言葉で思い出す。
「お代金はこちらですが……その、如何致しましょう」
そう言うと、アインの事をチラッと窺う店主。
料金表を女性に見せていたが、アインの反応が気になるのだろう。
「だ、大丈夫です……手持ちにあるので、二日分お願いします」
するとアインが何かを語る前に、ローブを着た女性がそう返事をした。
「か……畏まりました。では、お支払いはお部屋で結構ですので、まずはお通し致します」
その言葉を聞いて、アインはようやく安心した。
「よかったですね。是非、ゆっくり休んでください」
もはや完全に顔を出してしまったが、今更隠すわけにもいかない。
アインは笑顔を浮かべて、ローブの女性を見送る。
「本当にありがとうございましたっ……!是非、何かお礼を——」
「いいですよ、これぐらい。店主さん、こちらの方をお部屋に通してあげてください」
「勿論でございますっ!さぁお客様、案内の者がお連れしますので、どうぞ階段にお気をつけて……!」
すると案内が女性の前を進み始めたことで、女性は案内とアインを見比べる。
「ほ、本当に、本当にありがとうございました!」
何度も何度も頭を下げて、彼女はようやく階段を進む。
少しすると、彼女の姿が見えなくなり、アインは彼女の助けになれたことを喜んだ。
「……お忍びで町に来てるんだ。口外しないでもらってもいいかな?」
困ったように微笑むアインを見て、店主だけでなく宿に居た皆が承諾した。
「畏まりましたっ……!殿下のお言葉とあらば、命に掛けてそのお言葉を守らせて頂きますっ!」
「い、いやそこまではしなくていいんだけど」
そう言うと、アインも宿から去ろうとする。
しかし最後は店主に止められて……。
「で、殿下!無礼を承知でどうか……どうか、一度握手をしていただけませんか?」
何事かと思えば、そんなことか。
アインは快くその言葉に応じて、店主の近くに戻っていく。
「はい。無理を言って悪かったね、ありがとう」
そういって両手で店主の手を包みこむ。
「……この手は一生洗いません」
「お願いだから洗おうよ……」
こうして、アインの初めてのお忍びは幕を下ろす。
最後はオリビアへの土産を何点か購入し、嬉しそうに宿に戻っていくのだった。
*
「あれ?嘘、本当に……?」
宿の外、死角になる場所から見守っていたリリ。
彼女は先ほどまでのアインと、隣を歩いていた女性を思い出す。
「えぇー……なにしてるんですか、あの人。わざわざここまで来て?あの家畜が乗るような船に乗って……?」
衝撃的な光景をみてしまった、と。
リリはどうしたものかと考え始めた。
「大公家のご夫人が?わざわざ危険な海を渡って、単身このマグナまで?……嘘でしょ。どれだけ肝が据わってるんですか。エレナ様……」
もはや『様』とつける必要はないのだが、昔の癖でそう呼んでしまう。
「実際、単身なのかは疑問が残りますけど……。ちょっと情報が足りませんね」
口に手を当てて、どこから始めるかを検討する。
「ウォーレン様に連絡いれますか……」
この件は、自分の身に余ることだ。
そう結論付けて、まずはウォーレンへと連絡を届けることにした。
「元、とはいえ、上司があの家畜船に乗るのは気分悪いですね……。さてはて、どうしましょうか……エレナ様」
とはいえ、彼女がイシュタリカまでやってきたこと、その胆力の強さは称えるべきだろう。
「……あ、いっそのこと拉致っちゃって、王都に居てもらうとか?」
リリは一人、くすくすと笑みを零す。
「まぁ、拉致るもなにも……ここまで潜入してるんですし、自己責任ですよねー」
最後はニヤニヤと表情を変えて、『楽しくなってきたなー』、と喜んだ。