3.5 □世界の歯車◼
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イデア歴2990年
ヴェルの月17日
都市リバエル東の街道付近
馬車が横倒しになった場所から2カイル程先の小高い丘の上に大小二人の影が居た。
二人は、背の高い雑草に覆われた丘で、同色のマントを羽織り隠れ潜み、馬車とその周辺の戦闘を観察していた。
小さい方の影、望遠鏡と手元の計器を交互に見ていた少女は、降りだした雨に迷惑そうに顔をしかめながら、横で片膝を立てて身を低くしている大柄な男に計器の結果を報告する。
「時空波動?って言うんですっけ?閣下の言ってた魔力の波動、観測出来ました。すっごい微量で、他のノイズめっちゃ多いですけど。て言うかこれがノイズの一つっぽいですけど。一応閣下に教えて貰った時のパターンとは酷似してますよ。」
褐色の肌、緑色の髪、そして濃いブラウンの眼、人族でいえば十歳位にしか見えない身長。だが、そんな容姿の少女の出す声は成人女性のそれである。
道具をしまう彼女の手の指は、まるで戦士のようにごつごつとしており、腕も少女とは思えない程に鍛えられている。
詳しい人間が見れば、一発でドワーフの成人女性だと分かるだろう。
「一応、こっちでも確認できた。こっちきて一週間位か、閣下が言ってた予測との時間的な誤差は?」
馬車の方を油断なく、だが無表情で見つめている男の方は、どこにでも居そうな、取り立てて特徴のない顔つきだ。
やや大柄な体つき。くすんだ茶色の短く刈られた髪の毛。やや高い鼻に薄い唇。人族の街ならば、酒場にでも、市場にでも、一般人がいる所であればどこに居ても溶け込める顔だ。
だが今、彼の目を見れば、誰も普通だとは思わない。
普通の人間は、右目と左目を別々にグルグル回し、その虹彩を様々な色、形、大きさに変える事など出来ない。また、特徴はその異常な動きだけではない。彼の瞳が動く度に、雨の音に掻き消されそうな位の小さな音だが、ウィン、ウィンと不思議な音が響き、瞬きをする度にカシャカシャと音が鳴っている。
機械種、というゴーレム種の亜種がいる。魔力を動力とした機関を内蔵しており、その身体は技術と材料さえ有れば自ら改造、換装できるという、有機物と無機物の間にあるような種族だ。寿命も長いが、種族を増やす事に対しての欲求がほぼ無く、個体数はとても少ない為、人族でも知っているものは稀だろう。
「閣下の示された予定時刻の範囲内ですよ。でも、これが本当に転生ってやつなんですか?時間移動術式にせよ、蘇生術式にせよ、神の許可やら、宝珠の使用やら、実行するまでの難易度半端ないって話しだった気がしますけど。」
「移動すんのが魂だけなら、そこまで魔力は食わないんじゃないか。とはいえ、飛んでる間に魂自体散らない様に加工したり、転生先の指定だったり、色々とめんどくさい過程をどうしたか分からないが。神様の許可取る辺りで、色々その神様がやってくれたんじゃねーの」
「神様がそれをする理由ってのもわかんないですけどねー。未来だか過去だかの勇者召喚でなんかありましたかね」
「勇者召喚の術式って身体ごと召喚されるって話しだったが」
「んー、もうちょっと近くで観測したかったなぁ」
「これ以上近づくと、幾ら隠れてるとはいえ、あのハーフの魔力感知に引っかかるぜ」
「しょうがないかー…。まあ、一応任務は終了したと言う事で。連絡はどうします?」
ドワーフの女は、望遠鏡から眼を離すと、かちゃかちゃと音を立てながら、扱い慣れた様子で望遠鏡を分解して直した後は、取りだした乾いた布で、計器を大事そうに一拭きすると、傍らに置いていた皮の大きな背負い鞄にてきぱきとしまう。
「一度転移陣のある場所まで戻るしかないだろ。一番近いのは、こっからどの位だ?」
「一番近いのはミリタニアの城で、こっから馬で急げば1週間未満でいけますねー」
「わざと言ってんだろ。遺跡やらダンジョンやらの方は?」
ドワーフの女性は、背負い鞄の横についているポケットから、折りたたまれた紙を取りだし、丁寧に広げ確認する。
「んー…来たとこが直ぐには使えないから、こっからだと一番近くて一ヶ月位ですかねー。神樹国の森の中に記録だと2か所あります」
「エルフの巣に潜入ですか。長耳には俺、嫌われてるから行きたくねえな。別の所無い?」
顔は無表情であるのに、声は驚くほど感情豊かだ。
「我儘ですね。もう大内海泳いで帰ればいいんじゃないですか?海岸まで半月、そっからずっと西に泳げば着きますよ。いつ着くのかは努力次第で変わるんで、私は何とも言えませんが」
「着く前に錆びて死ぬわ。ぁー神樹国かー楽しみだなー百年ぶりくらいだわー知り合い生きてるかなー死んでたらいいなー」
「はいはい。行きますよ。取り敢えず報告したら、しばらく休暇とっていいって事ですし、もうひと頑張りです」
地図を同じ場所にしまい、大きな鞄を背負いフードを被る。
「あいよ。片付け終わったか?ハーフエルフが行ったみたいだし、そろそろ移動すんぞ。」
男も立ち上がり、マントについたフードをかぶる。立ち上がる際にも、ウィーンと妙な音が響いた。
「了解です。あと右足の音また出てますよ。この雨の中で野営嫌なんで。今日は宿取りますけど、ちゃんと油注しといてくださいね」
「へいへい。分かったよ。」
そのやり取りを最後に、潜んでいた丘を降り馬に乗る。リバエルの街から南に遠ざかる大小二つの影は、誰にも見つかることなく、激しくなりつつある雨の中に消えていった。
□ □ □
蒼き神界
神の宮殿
真っ青な海に、屋根に美しい城を載せた、巨大な白亜の宮殿が聳え立っている。その宮殿の上は、海の青に負けない、雲一つない青い空が広がっていた。
人々の生を移す海面が小さく揺れる。
「ん」
神の宮殿の屋根の端に立ち、じっと海に映る人の運命を見守っていた運命の女神ヴェルは、僅かに感じた、不可思議な波の波紋を捉えた。
「どうしたのじゃ?ヴェル」
すぐ近くで豪奢な椅子にゆったりとすわり、水晶で下界を見守っていた人族の女神ミューリアが、後ろから声を掛ける。
「今、何か、下界に違和感。時間移動の気配」
じっと海面を見つめたまま、振り返りもせず答える女神ヴェルは、微かに眉を寄せた。
「移動じゃと?どういう事じゃ。そんな魔法が発動するような神力や魔力が使われれば妾にも感じると思うが」
失礼ともいえるヴェルの態度には慣れているのか、女神ミューリアは気にする風も無く水晶の数を増やし、見ている範囲を次々と増やしていく。
「未来か、過去から来た方。多分未来の方だと思う」
「で、あれば、ヴェルの方が見れるかの。どうじゃ?」
「よくわからない。最近は、未来の分化が激しすぎる。次の勇者召喚の場か、その先の未来か。大体の出発点はその辺りだとは思う」
「そんな大がかりなものであるのかの?」
「移動してきたものは、多分、物質ならとても小さいもの。もしかしたら魂だけ未来から飛んできた可能性もある。なんだか色んな運命とか、未来が混在していてよく見れない。何かに邪魔されてるみたい」
「ふむ…物は置いておいても、魂だけとなると、生の女神ウィータか死の神モルスも関わっておるのか。うぬう、邪神どもの仕業かの」
「でも、変。邪神なら気配や力の種類で分かる。それにあいつらはこんなに強い妨害は出来ないはず」
たった一つの物を隠すために、沢山の未来を産み、見たい未来を見え憎くするような力は、神とて容易には振るえない。そしてそんな力を使えば、さすがに此方の神々にも分かる。
「その魂がどこに行ったかは分かるかの?人族に転生なら、妾も感知してみるが」
「まだちょっと、わからない。探してみるけど、今のこの時に死んでいたものか、この時か、数か月以内に生まれたもの中にいるはず」
「うぬぬ…ちょっと、多いの。もうちょっと絞れんか?」
「今すぐは、無理。私も変な未来のものがいないか少し探してみる」
「そうか、頼む。邪神がらみじゃと人族やら、魔王やらに対して影響が及ぶかもしれん。たったひとつの魂であるなら、そこまで気にするほどではないとは思うが」
そこで、女神ヴェルは初めて振りかえり、何かを訴えるようにミューリアをじっと見つめた。
細く美しい糸のような、切り揃えられた髪がさらりと揺れる。余り感情を感じさせない一対の瞳が此方を居抜く様に見つめている。
「うむ。まあ、自然発生した時空の歪み、だったらいいのう…だが先ほど聞いた飛んできた先からすると、ヴェルが前から言っておった混沌の未来から、ということかの」
その気迫に押されてか、若干目をそらしながら、ミューリアは前々からヴェルに警告されていた未来の事に思い当った。
「多分そう。だから、気になる。確認すべき」
女神ヴェルの力が及ばなくなるほどの未来がある。との報告はヴェル自身から聞いている。過去、現在、未来がある時点から妙な絡まり方をしていて、不透明になっているらしい。
恐らくは、後30年ほど先の未来での事らしいが、兆候は、500年ほど前から視られていた。
その兆候も、良く分からない時間移動がはじまりだった。
今のように、魔力の発動は感知したものの、移動してきたはずのものが見つからないのだ。
(今回と同じような感じだの。)
だが、その時に見えなかったのは邪神勢との戦いの最中であった事も考えられる。
その戦いが一段落した後、五百年間、ヴェルは下界へとつながる海を眺め、人々を見守っていたのだが、捜索の成果は芳しくない。恐らく、邪神側の勢力にいるであろうという予測しかたっていない。
混沌の未来が近づいて来ている。五百年前から、徐々に下界の邪神側の勢力に与する種族が増えてきている。
こちら側の勢力の種族も数を増やし、こちらの力は増しているが、全体的な割合はほぼ五分になって来ていた。
各々の勢力が所持する宝珠の数はあちらが僅かに上。
各々の支配する地域の広さはこちらが上。
今回の未来からの現在へ移動して来たのが、物であれ、魂であれ、今の微妙な現状を鑑みるに無視はできない。
「見つけたら、下界に降りる。此方にとって、良きものか悪しきものか見極めたい。」
「それほど気になる事かの。ふむ…」
しばし、目を瞑って考える。
現状の状態は確かに悪い。邪神の信者どもの心は読みにくい、全く読めないものまでいる。
そう言った者達が増えていく不安もある。邪神の勢力が拡大する要因となったと、運命の神ヴェルが考えている五百年前の時間移動の件は調査ができる状態ではなかった。
今回の移動の要因が何であったにせよ。確認する必要はある。
「判った。神の法の範囲でなら構わぬだろう。供はつけるか?」
「いや、今回は良い。増やすと、多分邪神に気付かれる。邪神が降りてきて、今回、移動してきたものが見つかって、それが力あるものであれば厄介な事になる。」
「判った。そうなると、調査範囲はこちら側の勢力圏のみかの。ある程度探して、目途が着いたら連絡しよう」
「感謝する」
運命の女神はそう言って、赤い頭をこちらに下げ、また海面を見つめた。
運命の女神の横に並び、その横顔を見ながら、ミューリアは、言いようもない不安に襲われた。
(大海に落ちた一滴、か…。この一滴の起こした波が、津波と、ならなければ良いがの)
その前に見つけたいものだ。
二人の女神は、神の海を見つめる。自らが生み出し、育て、導いた愛しき子らを、ずっと見つめ続けた。
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紅い神界
神の巨城 円卓の間
石造りの巨大なホールの中心に百人は囲んで座れる程の大きな白い磨かれた石で出来た円卓が置かれている。天井近くに浮遊した七つの大きな水晶が、その円卓を照らしていた。円卓に備え付けられている三十程の椅子は、一つ一つが王座の様な大きさと豪華さである。大きな背もたれと座の上を覆う赤く染められた上張りの革、美しい装飾が施された、金と銀の縁取りが水晶からの明かりを美しく反射している。全ての椅子は寸分の違いもなく作られている。この円卓に座る全てが神の間に、上下の区別はない。
その円卓には、幾人かの神々が座り、鳥の神の齎した一報を聞いていた。
「あぁ!?また、何か来やがったって?」
額から角を生やし。銀色の髪を持った鬼が吠える。大柄な筋骨隆々と言った身体に、赤い鎧を鎧を身に纏い、黒き炎のような髪、口からは二本の丈夫そうな犬歯が覗く。荒々しいその姿は、見ただけで人を恐怖させるだろう。
「五百年ぶり時間移動術式か、だが今回は遺跡の力は使っとらんな」
それに応えるのは、小柄な老人だった。禿げあがった頭、白く長いひげ、同色の長い眉毛に隠れた目は、伺い知る事が出来ない。複雑な文様の刻まれた、白いローブを着て、一見すると唯の老人であるが、身から発する圧力は先ほどの鬼と同レベルのものである。身長の倍ほどの、石の杖をもっている。
「反応も、小さいな。魂かの?」
「多分そうかね。見た感じ、今回は向うさんの方だな。うちらはどうする?動くかい?」
鴉が一匹、玉座の一つの背もたれの上に乗り、それに答える。
「向こうにまかせて良いと思うよ。前回こっちだから、バランスとれるでしょ。そいつが勇者になるか、魔王になるかは解んないけど」
両目を覆う黒い布を顔につけた一人の少女が、自然な調子で言う。どこを見ているか分からないふわふわとした調子が愛らしい。流れるさらさらとした背中ほどまである長い髪、レースがあしらわれた黒いドレス。椅子に腰かけ足をぷらぷらとさせて居る姿は少女そのものだ。
「随分余裕だね。次負けてもいいのかい?」
鴉が羽ばたいて問いかける。
「少なくても今はまだ、勝っても負けても変わらないしね。封印だけは避けなきゃだけど。魔人の神滅ぼされちゃって。下界の、今の新しく生まれてる眷族の様子見た事ある?知恵も力も。どんどん落ちて行ってる。私の子たちがああなるのは流石に嫌かしら」
「あやつも、あやつらの子も、自業自得ではあるがの。」
「負ける前提の戦いってのも、くっそつまんねぇんだけどなぁ。まだ、勝っちまったらまずいのか?」
鬼がそう、頭をかきながら言う。だがそれに答える声は冷たい。
「まだ、決定打に欠けるかしらね。勝てたとして、その後どうするの?あの方が見つからないまま、ゆっくり滅ぶだけだと思うけど。」
「いまは、何にしても邪神達の目を戦いに向けておく必要がある。戦いは楽しみたいなら楽しめば良いが、此方の邪魔はしてくれるなよ」
「ぐぬう」
「まあ次の戦いまで少し間もある、落ちたモノの調査と、引き続き、あの方の居場所を探す事にしよう」
鴉がそう言うと、発言の無かった神たちも各々頷きを返す。
「では、皆その様に」
白い髭の老人が石の杖を掲げ、会談をまとめると、鴉は羽ばたき、円卓の間から去る。他の者達も、あるものは消え、あるものは乱暴に立ち去り、そしてあるものは蝙蝠に姿を変えて退出する。
最後の一人である老人が立ち去ると、そこには水晶に照らされる光に包まれた静寂だけが残った。
その静寂の中、七つの水晶の一つの光の僅かな陰りには。誰も気がつかなかった。
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