第八話:器のID
「ターナ! こっちを頼むよ」
「分かりました!」
たくさんの服が詰められた籠を持ちながらこちらに向かってくるミリアに、ターナから駆け寄るとそれを受け取る。ここらの気候がそうなのか、あるいはこの世界での季節が夏なのか、太陽が頭の真上にあるのも手伝ってただ外にいるだけでも汗ばむほどに熱かった。
ターナがリグル村へやってきてから──この世界へ降り立ってから二週間ほど。すっかり村の生活に馴染み始めてしまっていた。当初は機械のない暮らしに慣れるには相当時間が有すると思われたが、人間の適応力は凄まじい。
最も未だに“ターナ”の、少女の身体での生活のほうには全くと言っていいほど慣れないのだが。一度ミリアとマリーに水浴びに行こうと誘われたときは全力で誤魔化し同行を拒否したりすることもあった。
しかしターナは一生をこの村で過ごすつもりなど毛頭ない。確かに無いのだが、ミリアに頼み調べている記憶が無い原因──実際にはこの世界に転移してしまった原因の調査は今のところ著しくなかった。
この世界の常識をあまり理解してないターナでは一人で行動することもできず、結局は現状維持が当面の方針になってしまっているのである。
(せめて、ゲームの時の知識が少しでも役に立っていたらなあ……)
世界がゲームを元に創造されたのか、ゲームが世界をモデルにしたのかどちらかは分からないが、この世界が元の世界で遊んでいたMMORPGに酷似しているのは間違いない。
しかし、ゲームが照準を合わせるのは華やかな戦いなどを行うプレイヤーから見た世界だ。それに対して今のターナの立場は村人。同じような世界なのにやっていることはまるで異なり、それではゲームの知識が役に立たないのは当たり前だった。
「ずっとこの姿でいたら色々と戻れなくなりそうだし……ってうわ!?」
大量の洗濯物で視界の大半が塞がられ上で、思考に没頭していたターナは足元をおろそかにし盛大にひっくり返った。もちろん、籠に乗せられていた服たちは盛大にぶちまけられる。
「あちゃー、お姉ちゃん大丈夫?」
そこに丁度近くにいたマリーが駆け寄ってきた。それを見ると慌てて立ち上がり服の回収を急ぐ。
「どうしたの? ぼーっとしていたよ?」
心配げに可愛らしい顔で屈んでいるターナを覗き込んでくる。そんなマリーと目が合い思わず視線を逸らした。実際、今の生活は大変だが楽しくもある。しかしこの生活をずっと続けるつもりはターナには無く、また元の世界へ帰れたとして再びこの村を訪れることができるかは少し怪しい。
ターナのことをお姉ちゃんと呼ぶこの少女は、一生の別れだと聞いたらどんな反応をするだろうか。自惚れではないつもりだがきっとターナとの別れを惜しんで泣いてくれるはずだ。僅か二週間とはいえ一緒に暮らして情が生まれている今、それは非常に心苦しい。
「お姉ちゃん?」
「いえ、何でもないですから」
思えば常に敬語で話すのもすっかり板についてしまっていた。元々“ターナ”の外見でも違和感が無く、男が話していてもおかしくない口調として使っていただけなのに。
──そのようにマイナスの思考になっていたのがいけなかったのだろうか。
「なんだろう?」
何か強烈な違和感を遠くから覚え、反射的にそちらの方向へ顔を上げた。隣にいるマリーは何も感じなかったのかターナの動きを不思議そうに見つめている。そんな間にも村の外から、ちょうど森の方角から魔力とも違う不可解な気配が伝わってきて、
「魔獣だ! 魔獣の群れが突っ込んでくるぞ!!」
慌てた様子で走ってきた青年の叫び声が村の中に木霊した。それを聞いた村人たちの反応は様々だ。ヒステリックに叫ぶ年配の女性、真偽を疑う男性、何が起きたのか理解できない幼い少年。
混沌としていく村の中でターナは、この世界は平和な日本とはまるで違うのだと今更ながらに実感していた。
☆ ☆ ☆ ☆
魔獣の襲撃の知らせが入った後、村人たちは村長であるアルフレッドの指示で避難を始めていた。報告の真偽に関しては既にアルフレッドが直々に確認している。視界の開けた平原に作られている村のため、森から村へ走ってくる狼の魔獣の姿は容易に視認することが出来たのだ。
「落ち着いて避難しろ! 大丈夫、ミリアが暴れればあんな魔獣ぐらいあっという間だからな!!」
肝心の避難先は村長宅の隠し階段から入れる地下通路。アルフレッドのエルフ族の魔法を駆使し、長い時間をかけて作られていたその避難通路は村から離れた場所の地上につながっているらしい。
と言っても今回はそこまで避難する必要はない。この村にはミリアという高位の魔法使いがいるのだから、殲滅が終わるまで通路内で待機していれば良いのだ。
次々と森から出てくる狼は数え切れないほどで、先頭の集団はもうすぐ村にたどり着きそうだがその程度ミリアにかかれば訳が無い。
「ったく、暴れるって女性に対しての言い方が本当になっていないね」
事実、ミリアは大した緊張をした様子も無く愛用の短杖を持ち、臨戦態勢に入っている。異常事態だが慌てる必要もないのだろう。しかし、ターナはこの状況にどうにもきな臭さを感じずにはいられなかった。
「魔獣がこんな一斉に移動することってあり得るんですか?」
「普通は無いね。ただ特殊な状況で……例えば巨大な魔力が発生したりするとそれに釣られて集まってくることはある。今回は違うから正直、原因はさっぱりだけど」
「この変な感じはどうなんですか!? 森のほうから感じるもやもやした違和感は」
先ほどからずっと感じ続ける違和感。ターナからしてみれば魔力も不思議な感覚なのだが、それとも別の歪んだような奇妙な気配だ。原因不明の魔獣の襲来の発生個所から漂ってくるこの不可思議な感覚がこの事態の原因なのではないか。逆にどうしてそう思わないのか不思議に思いながらミリアに疑問をぶつけるが、
「違和感? そんなものは感じないけど。魔力とは違うのかい?」
「違います! 確かに似たような感覚ですが絶対に違います!」
ミリアがこの違和感に気づいていないと聞き、驚きを隠せない。魔法などの、この世界特有の技術についてはミリアに聞けば大抵分かるという印象がターナには付いていた。
もちろんミリアが魔法について全知全能だとは思っていないが、これほどの存在感を誇る違和感をミリアが気づけないとは予想外である。
「本当に分からないんですか?」
「悪いけどさっぱりだね。それが勘違いじゃないのなら確かに怪しいけど……考えている暇はなさそうだよ」
ミリアが民家の裏へ向けて単杖を構え、それに釣られるように視線を寄越すと数匹の狼がターナとミリアに向かって飛び込んでくるのが目に写った。
まだまだ容易に対処できる数だが、これから加速的に増えていくだろう。住民の避難は残り僅かながらも終わっておらず急がなければならない。
「ターナの嬢ちゃんも早く来い! 逃げ遅れるぞ!」
「お姉ちゃん、早く!!」
村長宅の玄関前でアルフレッドとマリーが叫んでいるのが聞こえる。ターナを呼ぶその二つの声に反射的に振り返り、隙を見せたターナへ二匹の狼が飛びかかった。
死角からの攻撃にターナは全く反応できずその牙の餌食に──
「させるとでも?」
体を跳ねさせ、宙に浮いた狼をミリアが見逃すはずがない。ターナを護るよう両者の間に氷の刃が発現されると、狼の首を掻き切る。空中で命を失った元魔獣の肉塊は勢いを無くしターナの足元に落ちた。
ミリアはそれを見届けることもせず、次々と村へ侵入してくる狼を一匹一匹、淡々と作業のように処理していく。
魔法を発現、氷の刃を発射し、喉から血を吹き出した狼が地に伏せる。
(魔女だ……)
日本では滅多に見ないであろう大量の血と死体、そしてそれを量産するミリアの姿を思わずそう称した。この真っ赤な景色を作り出している彼女は一体何を考えているのだろうか。表情から判断しようにも背中を向けた魔女の顔はターナの位置から確認できない。
ショッキングな光景を見たことで唖然としたままミリアの横顔を見つめ、
「どうしたの!? 護りきるにも限界があるよ!」
「お姉ちゃん!!」
焦燥に駆られた二人の叫び声で我に返った。ターナがここにいてもできることはほとんど無く、暴発気味の不完全な魔法をたった一発だけ撃つので精いっぱいだ。むしろターナを庇いながら戦わなければならないミリアに大きな負担をかけてしまう。
それでも恩人が一人で戦場に残るということに気が引けてしまったターナは、
「さっき言った違和感、どんどん大きくなっています! 気をつけてください」
余計だと分かっていながらも最後に声をかけた。魔法の詠唱を絶えず口にしているためミリアからの返答はない。だがミリアなら何があっても対処できるはずだ。そんな信頼を胸に今度こそ役目は終えたと、マリーとアルフレッドの元へ駆け寄った。
「心配するのも分かるがミリアなら大丈夫だ。あいつなら一晩中ずっと続けても耐えきれるだろうし、最悪地下に避難してくればいいからな」
チラチラとミリアを見ているのはバレバレだったのだろう。安心させるようにアルフレッドに言われ、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。思えばターナは勝手に危険地帯に残り散々周りに迷惑をかけただけである。
隣のマリーも同じように心配気な様子でミリアへ顔を向けているがしっかりと自制しているのだ。精神年齢で言えば、自分の半分ほどの少女でさえやるべきことを分かっているのにターナがこれでは怒られても文句は言えない。
「すいません、勝手が過ぎました」
「怪我もないし心配するのはお前が優しいからだよ。ちょっと自制が足りなかったが悪いことでもない。……あとはミリアに任せて俺たちは避難するぞ」
アルフレッドが玄関のドアに手をかけ、ターナは最後に振り返って小さな戦場を窺う。村の地面は次々と赤で染まっていき、そのうえ獣臭さと鉄の匂いが混じりあった悪臭が漂っていた。既に地に横たわる肉塊の数は数十、下手をしたら百に届く。
そしてその結果を生み出した氷の魔女は、返り血一つ浴びておらず洗練された動きには微塵も疲労が見当たらなかった。それを確認すると今度こそ安心して避難通路へ向かい、
「悪いが、逃げられては困るんだ」
いつの間にか見知らぬ男がマリーの背後に、ちょうどターナの正面に現れた。身長は高く、体線は細い。全身を覆う白い外套で身を包み、そのうえで頭には深々とフードを被った一切肌を露出させない不気味な男だ。その男は感情を一切感じられない冷たい声で言い放つと、手袋をはめた右手でマリーの口を抑え込み反対の手で体を抑え込んだ。
「っんー!!?」
「てめえ、一体どこから!!」
それに対してすぐに気づいたのは先頭を歩いていたアルフレッド。見知らぬ男がマリーを襲っているのを確認するや否や、躊躇いなく殴り掛かった。
鎧のようなアルフレッドの肉体から放たれる拳はただそれだけでも十分な凶器だ。右足で力強く踏み込み、綺麗な体重移動と共に放たれた右ストレートは男を吹き飛ばしてマリーをその魔の手から救い出す──
「それなりに鍛えているみたいだが、まだ甘い」
「ぐっ!?」
男の右頬から綺麗に決まるはずだった一撃は首を後ろに傾けるだけで回避されてしまう。それも拳が掠るかどうかギリギリで。当たると確信していたアルフレッドは体勢を大きく崩し、がら空きになった腹へ男の蹴りが入った。
男はマリーを抑え込んでいるため棒立ちのままであり、そのような状態ではまともに蹴りが繰り出せるはずもない。そのはずなのに巨漢のアルフレッドの体はいとも簡単に浮き上がり、押し殺した悲鳴を残して数メートルもの距離を吹き飛ばされていった。
「マリー、アルフレッド!? あんた、その汚い手をさっさと離せぇ!!」
狼との戦闘で対処に遅れていたミリアも魔力の消耗を度外視で魔法を発現、小さな吹雪が巻き起こり辺りの狼が一時的に殲滅される。そして決して逃がさないと男の全方位を包囲するように氷の刃が出現し、
「おっと、危ないぞ?」
男が懐からナイフを取り出しマリーの首筋へ突きつけたことでそれも止められた。それを見たミリアは元々怒りの形相だったのを憤怒の形相に昇華させる。冷気を纏いながらそれだけで男を殺せそうなほどに睨み付けるが、男の方は特に反応を示さない。
一瞬の間でアルフレッドを打ち負かし、マリーを人質に取ってミリアを無力化した男の早業にターナは何も反応できなかった。いつの間にか腰が抜けてしまって座り込んでいることにたった今気づいたほどである。
そんな間抜けなターナと怒り狂うミリアを順番に観察し、男は不気味なほど静かに言い放った。
「キャラクターID・B1097344『ターナ』、キャラクターID・B0894632『ミリア』その器を回収させてもらう」