第七話:氷の魔女の魔法レッスン
ターナが村での生活を始めてから数日後の朝食中。ミリアの発した言葉にターナは首をかしげていた。
「魔法の練習……ですか?」
「そう、魔法の練習。数日おきにマリーに教えているんだけどターナも混ざってみないかい?」
「面白そうですけど、大丈夫なんですか?」
「ああ、どうやら魔力はそこそこあるみたいだしね。それに一人も二人もそこまで変わらないから」
魔力はそこそこあると言われ、何となく手のひらを見つめてみる。右手には木製のスプーンを持っているため左手だ。
長い指の付いた白くて綺麗な手。長年付き合ってきた男の手とはあまりに違ってため息をつきそうになる。
「いまいち、魔力ってものが分からないんですよね」
ターナの中での魔力とはゲームの画面に数字で表示されているものだけだ。当たり前だが脳裏にその数字が出てくるわけでもないし、どのように感じるかも良く分からない。
ただゲームの時の"ターナ"が魔法剣士だったのを考えると、この身体にもその魔力が反映されていても不思議ではないだろう。
「大抵の人は魔道具で少し消費するぐらいだし、イメージが沸かないのも無理はないかもね」
「でも小さな魔法だったら簡単だよ!」
そう言い、見せびらかすように右手を突き出すマリーを見て、反射的に体をビクつかせた。何の悪気も無い満面の笑みだ。
ターナはいつでも退避できるよう腰を浮かし、そのやり取りを見たミリアはため息と共にマリーの耳を容赦なくつねった。
「いたい、いたいっ!! お母さん、やめてよ!」
「嫌だったら魔法を人に向けちゃダメでしょ」
「ほんとうに撃たないって!!」
「そう言って、いつも調子乗ると撃っちゃうよね?」
涙目になりながら抗議するマリーはかわいそうにも思うが、実際に彼女の魔法の餌食になっている立場としては止める気も起きない。その親子の光景を眺めながら黙って食事を続ける。
今日の朝食は、黒くて日本のものと比べると圧倒的に固いパン。それとジャガイモと豆などを煮込み、塩コショウで味付けしただけのシンプルなスープだ。
唯一異質なのは一緒に煮込まれているやけに黒い肉。これは魔獣の──ここに来た直後に襲われた森の狼の──肉らしい。魔獣はいくら狩っても狩っても減らないらしく取り放題だとか。
そのため庶民でも気軽に食べられるタンパク質として重宝されている。
魔道具が存在するため、当初の印象よりも圧倒的にこの村の文化水準は高かったのだが、ここだけ妙に中世ヨーロッパである。黒くて固いパンをスープに浸けて食べるのは、確かに一度はやってみたかった。しかし毎日になると素朴過ぎて正直飽きる。
居候の立場で贅沢など言えないし、ミリアがいなかったら森に屍を晒していたかもしれないのだから、文句は決して言えないけれども。
「危ないんだから、絶対に気を付けること」
「はーい……」
そんなわがままを考えていると、どうやらミリアの説教は終了したようであった。耳を摩りながらテーブルに突っ伏せるマリーと何事も無かったように食事を再開するミリアの姿が見える。一児の母にして魔女である彼女は、下手をしたら二十歳以下にさえ見える外見に似合わずスパルタなところがあった。
「それで話逸らしちゃって悪かったけど魔法の練習、どうするんだい?」
現在のターナは所謂居候であり、ミリアには迷惑をかけてしまっている状態だ。いくら本人が構わないと言っていてもさらに苦労をかけるのは気が引ける。
しかし、今出されている提案は魔法という実にファンタジーなもの。それが本当に使えると聞けば非常に興味が引かれるのも事実。
「是非、お願いします!」
遠慮と興味、勝ったのは興味であった。
☆ ☆ ☆ ☆
そしてその日の午後、昼食後。三人は村から少し離れ平原のど真ん中に集合していた。相変わらず村と森以外に何も見えないだだっ広い場所だ。その分いくら暴れても被害が出ることは無いだろう。
「よし、じゃあ始めようか」
「はーいー!」
「お願いします!」
ミリアの開始宣言にマリーとターナは大きく返事をする。マリーは平常運転だがターナもかなりテンションが高かった。
理由は言わずもがな、魔法なんて厨二心くすぐるものを使えると聞けば興奮もする。成人しているとはいえ、まだまだこの手の話題は大好きだ。
一応は普段通りを装っているつもりなのに、ミリアにはバレバレで温かい目を向けられていることにも気づかないほどには。
「まず魔法を使う前に絶対に忘れちゃいけないことがある。一つ目に不用意に使用しないこと。まあこれは当たり前だね」
一瞬だけミリアがマリーへ視線を寄越すと慌てて目線をはずした。
「二つ目に魔力を決して枯渇させないこと。可能な限り半分は常に保っておきたいね」
「魔力が枯渇しちゃうのはまずいんですか?」
「まずいも何も枯渇したら死ぬよ」
想像以上に重たいデメリットに後込みしそうになるが、あんな超常現象を起こすのにリスクが無いわけがないだろう。
考えてみれば当たり前だが、ゲームでMPが空になったからといって死亡などはしない。やはりまだゲーム感覚がどこかに残っていた。
「最初は怖がる人も多いけど、自力で枯渇させるのは難しいから気にしすぎなくて平気だって」
「ずっと魔法を使い続けていたら無くなりそうですけど、違うんですか?」
「空になった瞬間に死ぬ訳じゃないんだよ。一般的に半分を切った辺りで体調が悪くなってきて、三割を過ぎると意識を失う人が出てくる。そんな状態で魔法を行使し続けてられる人なんて……まあ、滅多にいないから」
最後だけやや言葉に詰まり、どこか遠くを見るような目をする。昔は冒険者をやっていたと聞いているが、もしかしたら枯渇させて死亡した人を目撃したことがあるのかもしれない。
「とにかく、滅多なことじゃ枯渇するなんて無いはずだけど決して忘れはしないこと。私は二人を殺したくて教えるんじゃないからね」
「……胸に刻んでおきます。でもそれだと魔道具を魔力の少ない人が使うのって危険じゃないですか?」
魔道具は一見、リソース無しで動いているように見えるが実際には触れている人間から自動で魔力を吸い上げているらしい。自動で吸いとられるということは全て持ってかれてしまうのではないだろうか。そう心配気に尋ねてみたが、
「普段の生活に使うようなものだったらほとんど消耗しないから問題ないよ。魔法自体は人族だったら誰でも使えるから。戦闘を目的にした火力を出すのは才能か努力が必要になるだけで」
小さな穴から水を流すだけではすぐに容器の水は空にはならないが、底に大きな穴を開ければ一瞬で無くなってしまう。そして小さな火種を作るのと、人間を焼き尽くすほどの炎を生み出すのでは出力に大きな違いがある。つまりそういうことなのだろう。
「よし、今のことは絶対忘れないこと。じゃあ早速実践だけど……マリー」
「はーい!」
名前を呼ばれた茶髪の少女は元気よく右手を振り上げる。
「ターナに教えてあげるから言う通りにお願いね。いい、魔法ってのは知っての通り魔力を使って行う術のことで、基本的には自分自身に備わっている魔力を消耗するの」
「基本的にってことはそうじゃない時も?」
「そうだね、大気中の魔力を使う術式もあるし、高位の術者だと敵の魔力を強引に奪い取って利用する人もいる。まあそういったものは難易度も高いから今は考えないでいいよ。じゃあマリー、手に魔力を集めて」
マリーはその言葉に元気よく返事を返すと、いつかのように手を突き出す。一瞬ターナに向けられたがすぐに思い直したように方向をずらした。
「今魔力が集まっているんだけど分かる?」
マリーの手をじっと睨みつけてみる。何となく違和感があるような気もするが言われてなければ分からない程度だ。それでも何とかその違和感を探ろうと意識を集中し続けていると突然感じる何かが大きくなった。
「あ、分かります! なんかもやもやした感じが!」
よく分からないが魔法的な不思議現象を感じて思わず声を大きくする。思わず興奮して銀色の頭を揺らすターナを、ミリアは微笑ましそうに見てからマリーへ顔を向けた。
「ちょうど良かったけど勝手に魔力を大きくしちゃダメでしょ」
「もう、これぐらいだったら失敗して爆発させたりしないもん」
失敗したら爆発するのかと、苦笑いしながら若干後ろへ下がる。
「分かったならよし、こうやって魔力を一か所に集めてからそれを色々なものに変化させるんだけど……とりあえず撃っちゃっていいよ」
「うん!」
元気な声をと共にマリーの小さな手から勢いよく水が放たれる。さすがに今回はターナを直撃することなく、何も無い空間を通り過ぎて地面を湿らすだけに終わった。
「マリーはいつも通り魔力を練る練習をしていて。ターナは……まずは自分の魔力を感知することからだね」
魔法を撃ち終わったマリーはミリアの言葉へ素直に従い、その場に座り込むと目を瞑り難しそうな顔をしながら集中させる。そんな可愛らしい姿で目の保養をさせてもらうと、近づいてくるミリアへ意識を切り替えた。
すぐ隣に来たミリアを何をするのかと見ていると、唐突にターナの右手を掴んだ。突然の行動にターナの心臓が高鳴る。言わせてもらうと、ミリアは一児の母親であるのに見た目は異常なほどに若々しく、何よりも美人だ。
そして見た目は銀髪の少女でも中身はまだ若い男性であるターナからしてみれば、そんな女性に突然手を握られるなど動揺するには十分である。
「どうしたんだい?」
「ナンデモナイデス」
口をパクパクさせてぎこちない動きするターナを不思議そうに見ると、気にする必要はないと判断したのかすぐに作業を再開する。
「今からターナの手を通じて魔力を少しずつ吸い上げるから頑張ってそれを感じてみて」
すぐに握られた手が熱くなるのが分かった。そこから何かが抜ける感覚も同時にだ。まるで血を次々と抜かれていくようなあまり気持ちの良くない現象に今は敢えて集中する。
「魔力は命を持つもの全てを流れているもの。どこかに留まっているんじゃなくて身体中を巡っているんだよ。私はその中でも大きな流れからほんの僅かに貰っているの」
目を閉じ黙々と魔力を探ろうとしているターナを見て、ミリアもアドバイスを送る。それを聞いてミリアが吸いとっている何かを──魔力を辿っていった。少しずつ、身体の中の血とは別の流れの大元へと近づいていき、
「あった、大きな流れ……」
「見つけたかい? そしたら一回手を離すから集中を続けて」
ミリアは言葉通りに魔力を吸い上げるのを止めると手を離した。それを意識の隅で感じながら、魔力の流れを決して見失わないと限界まで集中を続ける。それぐらいその感覚は薄く、小さなものだった。
「次に魔力を手の方向へ流して。ちょうど手のひらに集まるようにイメージが重要だよ」
言われた通りその大きな魔力の流れが手のひらへ向かって流れ込むようにイメージ。しかし始めてやることは早々うまくいかず時間だけが過ぎていく。
今の状況を言うならば、少しでも視線を外せば見失ってしまうほど細い糸を確保しながらパズルをやっているようなものである。そんな状態では集中力も長くは持たず限界だと諦めかけたとき、いつの間にか上へ向けていた手に熱が帯びた。
「よし、いいよ! 最後はその溜まった魔力をイメージで別のものに変換する。炎……は危ないから水か氷に魔力が変わるのをイメージして一気に体の外に放出して!」
「は、はい! イメージ、イメージ……!」
もう少しで成功だと焦る気持ちを押さえながらイメージする。肝心の内容だがそれには氷を使った。詳しく言えば、ゲームのときの"ターナ"が初心者の頃に愛用していた下級の氷魔法だ。
非常に不本意ながら、今の自分の姿がその少女なのだからそれが一番あっているだろう。うっすらとそう考えながらイメージを続けて魔力に指向性を与える。
──もう止めていいはずの魔力の供給が続いているとは気づかずに。
「ちょ、ちょっとターナ? 初めて使うには魔力の量が……!? マリー防御して!!」
初めての魔法行使に集中しているターナは、外部が慌ただしくなることを気にもとめず──魔力が弾ける。
直後、何もなかった平原が光に包まれた。
☆ ☆ ☆ ☆
ドーム状に発現させた氷の防護壁を解除し、開けた視界でミリアは大きなため息を付いた。何もなくただ広いだけだった緑色の平原は数秒の間に真っ白な銀世界に変わっていた。その範囲は決して大きくないが走り回れる程度の広さはある。
何気なく視線を向ければ同じく防御したマリーが雪だーっ!! とはしゃいでいるのが視界に映る。間に合いそうになかったら二人分まとめて壁を出すつもりだったがマリーは自力で身を守っていた。
そんな娘の成長を嬉しく思いながらもう一人の少女を探し、雪の中にうつ伏せで埋もれている姿を発見する。彼女の銀色の髪や白い肌は雪の中で保護色として働いており非常に見つけづらい。
そんな間抜けな姿のどうでもいい分析をしながら再び大きなため息を付くとこの惨事の犯人の元へ歩いていった。
「ターナ、意識はあるかい?」
「すごい、頭がクラクラします……。身体に力が入らないです……」
「意識があるだけ結構。慣れていないのに一気に魔力を放出したせいだね」
元々ターナの魔力はかなり大きかった。さすがにミリアには届かないがそれでも魔法を使ったことがない人間が持つ量ではない。そのためターナが覚えていないだけで魔法を日常的に使用していたとミリアは考えていたのだが──閑話休題。
そんな大きな魔力の四割以上浪費してこの大惨事は引き起こされていた。恐らく見習い魔法使い丸々数人分ほどのだ。それなのに被害がこれだけで済んだのはターナの魔力操作が下手くそだったことに他ならない。
「なんで、なんで……もっとこう異世界に来たらかっこよくできても」
「訳の分からないことを言っていないでしばらく休んでな」
こんなことをしでかすとはマリー並みに危険だろう。早めに魔法を教えることにして良かったと、ぶつぶつと誰に対してでもなく呟く少女を見ながら思った。