第六話:小さな魔法使い
「それだとやりすぎ! もっと早く、それでしっかり汚れ落としてっ!」
「こ、こうですか?」
ミリアと村長宅で別れたターナは、マリーの仕事を手伝うために村の近くを流れる川に来ていた。
のんびりとした様子で流れるその川は深いところでも膝に達するかどうか。そのため水浴びをするには向かないだろうが洗濯をするにはちょうど良かった。
そう、洗濯である。この村、というよりもこの世界には洗濯機なんて便利な機械はもちろん無い。そのため服を洗う手段は自然と原始的な洗濯板を使う方法になる。
だが生まれた頃から科学文明の恩恵を受けてきたターナにそんな道具を使った経験などあるわけがない。
「お姉ちゃん、洗濯したことないの?」
「別の方法だったらあるのですけどね……」
難しいことはあまり考えてなさそうなマリーにさえ呆れられてしまった。だが初めて使うものを完璧に使いこなせと言われても無理だろう。そう心の内で言い訳していると隣のマリーの作業が視界の端に映った。
(う、巧い……!)
中々作業が進まないターナに比べ、年下のはずの彼女は細かい汚れまでしっかり落とした上で、尚且つ素早く終わらせていく。その無駄のない動きは正に手馴れているという言葉が相応しい。
そして等分に分けたはずの布の山も気がつけばその標高に大きな差ができていた。
精神年齢で言えばターナの半分ほどの子供に仕事速度で負けているとは情けないことこの上無い。それにターナにとっては恩人の家事を手伝うはずだったのだから、逆に足を引っ張るなどあってはならない。
少しでも役に立てるよう一心不乱に作業を続けた。
それから一時間ほどたってようやく全ての洗い物が終了した。結局、途中からはターナの分までマリーに加勢してもらい申し訳ないのやら、情けないのやらとっても複雑な気持ちになる。
「まあ、慣れてないのならしょうがないから」
そう言って慰めてくれたのは近くで同じように服と格闘していた村の女性の一人だった。ひたすら単調な作業をしていても気が滅入るため、手が止まらない程度にマリーを含めて雑談をしていたがすっかり仲良くなってしまったのだ。
「それにしてもこれ、便利ですよね」
マリーから借りていた青い水晶を弄りながら言う。縮んでしまったターナの手でも十分に収まってしまう水晶へ力を注ぐようなイメージをすると水が溢れ出てくる。
これはファンタジーと言ったらもはや定番とさえも言える魔道具とやらの一種だ。鉱山などで取れる魔結晶を加工し自動的に魔法が発現されるようにしたもので、これのようにただ水が出てくるだけの物なら誰にでも買えるほど安価らしい。
ちなみに全て、村の女性が教えてくれたことの受け売りであり、細かい原理などはさっぱりだ。それにはゲーム時代の知識がまるで役に立たないのも原因である。そもそもMMORPGで村人の生活に焦点を合わせることなど無いため仕方ないが、今のところ地名程度しかターナの知識にある言葉を聞いていない。
「魔法ってどれも便利だからね。まあ私みたいな一般人じゃ、この水晶とかの道具を使わないとすぐに魔力は無くなっちゃうのだけど」
「わたしならたくさん使えるよ!」
会話の中に出てきた魔法という言葉に妙に反応したマリーが右腕をターナと女性の方向へ突き出し、左手を添える。体を大きく使った可愛らしい動きに思わず頬が緩むのを感じながら眺めていたのだが、隣の女性が何故か慌てながらマリーの背後へ回り込んでいった。
何でそんな必死なのだろうか、まさか本当に魔法が飛んでくるわけでもあるまい。そう思ったちょうどその時、マリーの右の手の平から光を漏れ出し、
「え?」
「いけーっ!!」
元気のよい掛け声とともに放たれた、小さな手には不相応の激流にターナの体が飲みこまれていった。
☆ ☆ ☆ ☆
体が濁流に飲みこまれ上下が分からなくなる感覚。それがここほどまでの恐怖を生むとは溺れた経験の無かったターナは知らなかった。体の自由が一切聞かず、何がどうなっているのかよく分からない。ただ分かったことはようやくその水の流れから抜け出せたことと、
「ああ……やりすぎちゃった」
今の大惨事がマリーによって引き起こされたことである。その小さな犯人も悪気は無かったのか申し訳なさそうな表情をしていた。
「ちょっと、ターナちゃん大丈夫?」
「あ、あまり大丈、夫では、無いです……」
心配げに駆け寄ってくる村の女性に何とか言葉を返す。マリーが魔法を使えるとは知らずに身構えてなかったため、まともに喰らってしまったのだ。それでも目立った怪我がないのだから攻撃の意志は無かったのだろう。怪我が無いだけでダメージはかなり多いのだが。
「ご、ごめんなさい」
女性に続いて駆け寄ってきたマリーは、少し目を逸らし言いにくそうにしながらもしっかり謝罪を口にする。だが元々子供のやったことなのだし、悪意も無い。それに大きな怪我も無いのだ。そのためターナは自身あまり怒ってはおらず、その謝罪だけで十分だった。
「怪我もしていないので大丈夫ですよ。……ただ、二回目は勘弁してください」
「うん、気を付ける」
意気消沈するマリーにはいつもの元気が無い。きっと元気いっぱいな少女であると同時に優しく子でもあるのだろう。少しでもそれを払拭してあげようと話題を振ってみる。
「それにしても魔法ってとても難しいのですよね? まさか本当に使えるとはびっくりでしたよ」
「マリーちゃんはミリアさんの娘だもの。ミリアさんって昔は凄く有名な冒険者だったらしいし、マリーちゃんがその才能を受け継いでいても不思議じゃないわよ」
それを聞き納得した。ターナもミリアが威圧だけで狼の群れを蹴散らしたり、巨大な氷壁を一瞬で生み出したりするところを目撃している。その娘であるマリーがこの年から既に才能を開花させ始めているのもある意味当然なのだろう。
最も未だ落ち込んだままの様子で、女性に慰められているこの茶髪の少女にそんな大きな力があるとはあまり思えなかった。
☆ ☆ ☆ ☆
「それで、何が知りたいんだ?」
ターナが居なくなった後の村長宅でミリアはアルフレッドと改めて向かい合っていた。先ほどまでのふざけた様子はすっかり無くなり、少々固い雰囲気が流れている中で二人は会話を続ける。
「最近あった事件事故、何でもいいから騎士団関係のことだね」
「騎士団? また変な単語が出てきたな」
「いいから早く教えな」
急かされたアルフレッドはもう少し年長者を労えよ、とぼやきつつも素直に隣の部屋に向かう。そして一分もかけずに不思議な質感の紙束を持って戻ってきた。
「騎士団関係だとここらだな」
そう言ってその紙束から差し出された数枚を乱雑に奪い取る。次々と紙を捲りながら大まかな内容だけをすばやく読み取り、途中の一枚を見て思わず眼を見開いた。
一旦眼を閉じその内容を頭の中で整理するとアルフレッドに視線を向ける。
「第一騎士団……近衛騎士団の一個中隊が壊滅ってこれ本当なのかい?」
「オレも最初は驚いたが情報元は信用できるやつだ。ちょうど五日前に王国第一騎士団・第六中隊が東の廃教会で壊滅したことに間違いはねえ」
王国第一騎士団──通称、近衛騎士団は名実ともに国最強の部隊だ。通常の部隊と違い、一般兵士を一切引き連れない騎士のみで行動する少数精鋭でもある。
それの一個中隊、人数で言えば約五十人。全員が一騎当千の実力を持つ彼らなら、小さな都市ぐらい落として見せるだろう。それが壊滅した。
「確かに驚きだがあの……ターナだったか。あの嬢ちゃんに関係したことを調べているんだろ? どうして騎士団なんだ?」
「あの子、見つけたとき血塗れでボロボロになった騎士団の制服を着ていたんだよ」
「……まさか、それの生き残りか?」
咄嗟に出てきたのだろう考えをアルフレッドが呟く。確かに今の話だけを聞くのならそう考えるのも無理はないだろう。だがミリアはそれを否定する。
「それはあり得ないはずだよ。この情報が正しいなら事件があったのは五日前。ターナを見つけたのは昨日。その廃教会からここまで早馬でも十日はかかる。時系列が合わない」
「じゃあ何でそんなもの着ていたんだ? それに集団で動く騎士が一人で孤立なんて滅多にないはずだぞ」
「私にだって分からないよ。だから調べに来たんだけどね……私の古巣にでも依頼しておくからそっちでも詳しく調べるよう頼めるかい?」
「分かった、ちょうど他の調査は終わったところだしな」
どこか意味ありげにこちらを見てくる大男への苛立ちを隠さずに睨み返す。その反応にアルフレッドは肩をすくめると手元の紙束から新たな一枚を投げ渡してきた。
回転しながら飛んでくるそれを、苦をもなく二本の指で挟むように受け止めるとさっと目を通し、
「はあ、余計なお世話だよ」
「相変わらずオレの扱いはひどいよな。せっかくの好意をよ」
心底不本意そうなアルフレッドを適当にあしらい、もう一度紙へ、印が付けられ強調されているところへ目を向ける。
──Aランク冒険者 一人。
「確かにA-の冒険者が混じっているのは気になるけど、こんな小さな村なんかには関係ないんじゃないかい?」
「こんな村って言うなよ」
「さっきは自分で言っていたはずだけど?」
「……まあ、それは置いておいてだ。警戒だけはしておけ、あいつに加えてお前まで逝っちまったらマリーはどうするんだ?」
その一言を発した瞬間、部屋の空気が凍りついた。比喩でもなく何でもなく物理的に。原因は表情を隠すように俯くミリアだ。
ターナと対面したときと同じく──否、手加減していたあの時とは比べ物にならないほどの威圧感に魔力が乗せられて部屋を飲み込んでいく。
「人の心に土足で上がりすぎだよ?」
「だけどお前にはこう言うのが一番だ」
物理的にも精神的にも尋常でない圧力を当てられているはずなのに、アルフレッドは眉一つ動かさず言葉を返す。
ミリアはそんな余裕の様子をしばらく眺めていたが、少しすると自らを落ち着けるように大きく息を吐いた。彼女からあふれでていた魔力もそれで収まる。
「分かったよ、気を付けておく。……最近は物騒なことばかりだねえ」
「全くだな」
どこか疲れたようなため息が二つ、静かな部屋にこぼれた。