第四十七話:真理の探求者
声高らかに宣言し、剣先を突き上げるターナ。その青白く輝く刃を向けられながら、宙に浮かぶユアンは興味深そうに瞳を細めた。
何やら思考しているようなその様子は若い姿には似合わず、老練な科学者のようなものにさえ見て取れる。臨戦態勢のまま剣を構え続けるターナと、状況についていけていないクリスは、瞬きさえ忘れて彼の次なる挙動を見守り、
「おもしろい。その魔力は一体どこから発生させている?」
ユアンが子供のような無邪気な表情でそう疑問を口にした。
「歯痒いものだが、本当に分からない。感情の高ぶりによる影響にしては大きすぎる。だが、外部機構によるもの、例えば魔道具などで魔力を補給しているにしては、魔力の質は先ほどと相違ない。一体どのような手段を用いているのだ?」
ゆっくりと、だが相手に口を開く暇を無くさせるような、押しつけがましい口調。一息に言いたいことを好き勝手吐き出したユアンは、その視線で答えを催促する。その様子は明らかに当初のものと変わってしまっていた。
──それはまるで別の人格が表に出ているかのようで。
「その前にお前は誰なんだ? さっきまでのユアンとは別人だよな……」
「……まあ、こちらも質問との対価として答えよう。我は“ユアン”。しがない魔道研究者だよ。この身体の本来の持ち主だ」
問答無用で攻撃してきた割には、まともに会話が成立することに驚きを隠せない。クリスの発言も思わずと言った心境で口にした、期待のしていない問いかけだったはずだ。それは困惑した様子を見せ続ける彼の様子からも窺える。
「それってどういう……」
「一つは先に答えた。今度はこちらの質問に答えてもらおうか」
だが、決して友好的とも言えなかった。あくまで対等に相手をしてくれるようになっただけで、有無を言わせない口調に変わりはない。ギラギラと、ユアンとは別の意味で濁った視線をクリスへ突き刺す“ユアン”。
これ以上、気を悪くさせるのは良くないだろうとターナも判断して、剣を一度下ろした。
「あなたと似たような状態ですよ。この身体の本来の持ち主から、魔力を分けてもらっています」
命の奪い合いにまで発展していた相手に、情報を開示するのは危険とも考えたが、それよりも会話を続ける方がメリットが大きいと判断。身体の奥底から溢れだしてくる魔力の全能感に満たされながら、“ユアン”の求めるものを口にした。
「分けてもらっている? その肉体の魂は既に消えているはずでは」
「“僕”の場合は例外みたいですね。理由までは分かりませんが、確かに“私”の意識も生きている」
「……信じ難いな」
納得がいかないとばかりに“ユアン”は眉を潜める。そのまま長考するかのような姿勢に入ってしまうが、ターナとしては勘弁願いたい。今の膨大な魔力をまとった状態をいつまで維持できるのか、自分でも分からないのだから。
意識のどこかで、淡々と時を刻む限界に焦燥感を煽られながら、それを表に出さぬように表情を取り繕う。
「後でいくらでも話の相手にはなります。だから、今はこの空間から出してもらえませんか?」
制限時間を設けられながらも、ターナは冷静だった。戦うための力ではあるが、戦わないに越したことは無いのだ。
敵対している関係ではあるが、あくまでその理由を持っていたのは転移者であるユアンの方だ。今の“ユアン”に殺し合いを演じる必要性は全く無い。
もちろん、彼がどうして表に出てきたのか、ユアンの意識はどうなっているのか、疑問は際限なく湧いてくる。それでも、今はここからの脱出が先決だった。だから、平和的に会話での解決を期待して、
「言っておくが、貴様らを逃がすつもりはない」
無慈悲にも冷たい声で拒否される。
「どうしてですか!? もう“僕”たちが戦う理由は……」
「貴様のように自覚が無いこと。そういうところに不快感を抱かざるを得ないのだよ」
何とか意見を変えさせようと、宙に浮く“ユアン”を見上げて視線が絡み合い、ゾッと背筋に冷たいものが走るのを感じた。
彼の瞳に映っていたのは激しい怒りの炎だ。憎悪を糧に燃え続け、どす黒く染まってしまった憤怒だ。それをターナへ、彼女さえ突き抜けて目に見えぬ存在へと向けていて、
「ある日突然、気づかぬうちに世界へ産み落とされ、気づかぬうちにその大半が死んでいく。生命の繁殖ですらなく、世界中に繰り返される悪夢。その当事者になる気持ちが、貴様らに理解できるか?」
“ユアン”が一旦口を閉ざすと、唐突に空間中の魔力が集合し、闇が実体を持った。質量さえはらんだ暗黒の塊がターナとクリスへと前進し──光をまとった剣がそれを両断。黒が青に断たれ、霧散していく。
「お、おい! 話ぐらい聞いて……!」
「我は運よく安定した生活を得ることができ、それからずっと疑問だった。どうしてこのようなことが起こり、それを当たり前のように皆が受け入れるのか」
クリスの言葉へ、最早“ユアン”は聞く耳を持たず、次々と魔法陣が、闇が展開して地上のクリスとターナへと襲い掛かる。それをターナは魔力によるゴリ押しで叩き潰していき、時に身を動かしやり過ごす。
それをまるで部外者であるかのように、視界に入れず両手を掲げる“ユアン”は黙々と世界への恨みつらみを吐き出していった。
「だから、我は全てを暴いてやろうと研究者の道を進んだ。死に物狂いで知識を求め、それでも膨大な時間が必要になった。寿命の存在しない我らの境遇に感謝したのは、これが最初で最後だったか」
「タ、ターナ! 何をして」
「いいから、掴まっていてください!」
徐々に声質と攻撃が激しさを増していき、徐々に身を守ることさえ危うくなっていたクリスを抱え上げると、片手だけで剣を振り、何とか無傷でさばいていく。
成人男性が女性に抱え上げられる光景は滑稽に映るかもしれないが、この際そのようなことには構っていられない。クリスの抗議を無視して、自分よりも大きな身体を落とさぬように腕を回した。
「そうやって答えを探し続けて──原因不明という結論に落ち着いた。そもそも無から子供が産み落とされることが、理に沿っていない話なのだから当たり前だ。我は絶望した。我らは我らのルーツさえ、知ることはできないのかと」
その時の感情を思い出しているのか、“ユアン”は己の無力感で肩を落とし、顔を俯かせた。しかし、次の瞬間には狂気にぎらついた瞳と共に顔を勢いよく振り上げて、
「だが、それでも我は諦めなかったッ!」
上空にいるはずの“ユアン”とターナが至近距離で対面する。見れば地上には氷の防護壁に護られたクリスが残されており、他に魔法の痕跡は見当たらない。
ターナがただの跳躍でここまでたどり着いたのだと理解した“ユアン”は僅かに驚きを見せ、振るわれた斬撃を転移魔法で回避する。
「何十年も、何百年も我は研究を続けた。かつての友が皆、寿命でこの世界を去っていくの見届けて、その度に訪れる虚無感がより我を理の探求へと縛り付けた」
重力に逆らう術を持たないターナが墜落していき、それに向かって黒い魔力を叩きつけた。剣で魔法による暴力を受けた銀髪の少女は、その勢いによって高速で地面へと叩きつけられる。
「ついに我はこの世界の外側から干渉している存在を観測することに成功し、禁忌へと足を踏み入れた代償を支払うことになった」
「ターナッ!?」
先ほどの焼き直しのように紫色の地面にクレーターが生まれ、そこへ大量の光線が撃ち込まれた。次々と破壊を刻み、地面を盛大に破壊していく衝撃をターナももろに受けたのではと、クリスが顔を青くして、
「まともには喰らっていません!」
「その日から徐々に原因不明の病が我を蝕んでいったのだ。奇妙な偶然なのか、それとも神の逆鱗にでも触れたのか。だが、我は己の命に未練など既に無かった。治療法を探そうとも思わず、我は研究を続けていった」
光線の投射が途切れ、大量の土埃の中からターナが姿を現した。言葉通り、多少のかすり傷以外には無傷の彼女は上空に浮かぶ“ユアン”を睨み付ける。
「その過程で様々なことが判明した。この世界のさらに上に別の世界が広がっている。そこの住民たちによってこの世界は創造され、我らは生み出された。正しく神の所業だ」
魔法の弾幕は激しさを増し続ける。突如、空間がねじ切れ、破裂し、轟音が空間を支配していく。そんな中、特に張り上げてもいない上空にいるユアンの声など、聞こえるはずはない。
その筈なのに、何故かユアンの声はターナたちの鼓膜を確かに揺らしていた。
「そして、我らを、“天の落とし子”を、生み出す存在と我らの魂の波長は、ほぼ一致しているのだ。ここまで来ると仮定に仮定を重ねた推測とも言えないようなものだが……“天の落とし子”とはここより上の世界の住民が、この地へ干渉するための足掛かりなのではないか」
「これは、ヤバくないか……!」
「人生の終わり際で、そうした結論を出した我は最期に賭けに出た。己の肉体を仮死状態で保存したのだ。その結果、こうして魂を追いやられることも無く肉体を取り戻すことができ、“天使”の記憶から真実を知ることもできた」
クリスを守っていた氷の結界も空間の断裂に巻き込まれ、消し去られていく。創造者の心理を反映するように、紫色の空間が崩壊を始める。
小さな世界の終わりが近づき、それにさえ意識を向けない“ユアン”は両腕で頭を抱えていた。この世の全てが憎いとばかりに、歯ぎしりし、地上を逃げ回るターナとクリスを見下して、
「なあ、滑稽だとは思わないか? 我らはネトゲと呼ばれる遊戯で産み落とされたのだろう。我が生涯をかけて求めた知識も、所詮貴様らにとっては只の遊びに過ぎなかったわけだ」
「それは……」
その問いかけに肯定も否定もターナとクリスには、否、誰にでもできなかった。ただ一つの謎への問いかけに人生を捧げ、答えを探して求めた男。
それが、今目の前にいる。創造者への憎悪の一部をこちらに向けて。
「もう少し、理由があれば良かった……。何でも良かった……。何かしらの使命があって生み出されたというのなら……この境遇にも納得できた」
今度は救いを求めるような声で語りかけてくる。
「だが、そんなものはなかったッ!!」
それは心の奥底からの叫びだった。憎悪と憤怒と無念とが入れ混じり、ドロドロになってしまった激情だった。
「ただ、上の世界に生まれたというだけの理由で、気紛れに命を創る“天使”どもめ! その命が如何に残酷な人生を歩むかも知らずに、無責任に、無自覚に悲しみを量産していく……それが貴様らなのだろう!?」
“ユアン”の周辺にこれまで以上の紫色の魔法陣が展開していく。空間を覆いつくすほどに大量の術式には、一つ一つに膨大な魔力を含んでおり、その圧力は当初のものとは比べ物にならない。
「何が“天使”だ! 何が“神”だ! 絶対的な存在を名乗るなら、自らの創造した人々に少しは不幸では無く幸福を送ってみたらどうだ!?」
「…………」
唾を飛ばし、血走った眼を向けて、激情を振りまく“ユアン”はその姿だけでも対面する相手を怖気づかせるには十分だ。それでも、ターナは無言で剣を構えた。目の前の脅威以上に己の中から響いてくる、もう一人の自分に勇気をもらって。
「確かに、あなたが“僕”たちを恨む理由は納得できます。ですが、その分の罪はこれからの行動で雪がせてもらいますから、ここで“私”たちが負けるわけにはいかない」
「それを信用する理由を我は持っていない」
冷たい魔力に、暗い魔力が、青と黒がぶつかり合う。お互いに二つの魂を内包する存在同士、その魔力の奔流は圧倒的。そのせめぎ合いに耐え切れずに、複雑難解な術式で創られたはずの空間がひび割れ始め、崩壊が加速していく。
できれば彼とは戦いたくなかった。“ユアン”の境遇は聞く限りでは同情に値するものであったし、ターナ側に戦う理由は存在しない。
しかし、お互いに譲れない目的がある以上、二人の選択は当に決まり切っている。
「力を借りますよ、“私”!」
「ここで我らの鎮魂のために散れ!」
青い斬撃と、黒い光線がそれぞれの信念を乗せて衝突した。




