第四十五話:死と暴風の踊り
暗い暗い洞窟に濃厚な死の香りが広がっていく。それは命の奪い合いの場に流れる独特の緊張感──ではない。もっと単純に率直な意味で死の香り、死者の匂いが漂っているのだ。
その根元は明らかにただならぬ雰囲気の女と、彼女に付き従う悪魔の軍勢。
人の頭ほどはある蝙蝠に、所々腐敗している歩く死体。子供ほどの体格の赤い悪魔など、選り取り見取りだ。
対してこちらの戦力は精霊使いが一人と標準装備の兵士が二人。そして満身創痍の獣人と非戦闘員である。
退路は無く、狭い洞窟の通路は悪魔と死者だけで埋め尽くされそうな勢い。そこまで確認したところで、ホルガーは背中に冷たいものを感じながら、
「最悪ってもんじゃねえ……」
あまりの状況の悪さに思わず悪態を付く。どうやっても誰一人欠けずに生還できる光景が思い描けない。もっとも、隣に並ぶ精霊使いや兵士が想像を絶する実力者であれば、話は違うのだが。
しかし、兵士二人はよく鍛錬の跡が見えるものの凡人の域を抜けておらず、精霊使いなどはその顔に激しい緊張の色を浮かべていた。
「ふぅ……ふぅ……っ!」
「リオン、落ち着いて。ここはあの森じゃないよ。それに他に仲間だっている。何も怖くないさ」
緊張と恐怖に蝕まれている様子の精霊使い。パートナーの子龍の姿をした精霊が宥めているため、最低限の判断力は残っていそうだが、この状態でどこまでの戦力を期待できるか。
「精霊さんよ。あんた、どこまでできるんだ?」
「本気を出せば、あの程度の悪魔は一掃できるね。それをしたらみんな仲良く生き埋めだけど」
「……アンデットの仲間入りもだが、その死に方も勘弁したいな」
ホルガーはともかく、何の罪も無いバジスが死ぬ道理はないのだ。相手を道連れに全滅確定の案は使えない。
「一応は聞いておくけど、ボクたちを通してくれる気はないかな?」
「ごめんなさいね。他のプレイヤーを使うわけにもいかないし、人間の素材は貴重なの。ましてや精霊なんて」
「それにしては、こっちの話し合いが終わるのを待ってくれているみたいだけどね」
最もな疑問だ。状況の有利不利は明白で、女からしてみれば何か策を思い付かれる前に速攻で片付けた方が勝率は高い。
精霊から疑問をぶつけられた女は長い髪の毛を指で弄びながら、
「逃がす気はないけど、生前の様子は良く見ておかないと。あとで人形遊びするときに困るでしょう?」
「……訳が分からない。イカれてる」
背後の兵士がぽつりと嫌悪感と共に吐き捨てた。これにはこの場にいる全員が満場一致で同意だ。
少なくとも、こちらから仕掛けない限りしばらくは攻撃されない。その事実だけを頭に残す。
必死に策を考えるが、長期間による拷問紛いの監禁生活で心身共にズタボロ。血も体力も足りない脳みそは名案を叩き出してはくれない。
『お兄さん、お兄さん。ちょっと聞いても良いかな?』
その疲労困憊の脳へ突如、声が直接届けられる。限界が訪れて幻聴でも始まったのかと、最初は疑ったがどうやら違う。
魔力の糸が繋げられているのを感じて、その先にいるのは精霊だった。
『お兄さん、だなんて俺の年だと、ちっとばかしおかしいな。ホルガーでいい。それで、何を聞きたい?』
『じゃあボクもフウでいいよ。──右側の壁を挟んで別の通路があったりしないかな?』
精霊の能力の一つである念話だ。女に悟られぬよう気にかけながら、洞窟の地図を頭に思い浮かべる。元々この洞窟を住みかにしていたのはホルガーなのだから、構造は完璧だ。
その地図を確かめ──間違いない、確かに薄い壁一枚を挟んで、向こう側には通路が伸びている。それも地上へ向かうルートにだ。
『あるぞ、確かにある! なるほどな、崩落が少しばかり心配だがこれなら逃げ切れるかもしれねえ』
『それに関しても、心配ご無用ってね。地盤を一時的に補強しているらしいから、よっぽど無茶しなければ平気だよ。まあ、そこまで大きな効果は無いらしいけどね』
だが、少しばかり壁に穴を開ける程度なら十分な効果だろう。隙を見て退路を確保し、撤退。全力で地上に逃げる。
ようやく希望が見えてきた。唯一の問題は女がそれを許すのか、ということだが、
『軽くやつを押し込むぞ。そっちの坊主は今は戦うのは厳しいだろうから、隙を見て壁の破壊を頼むように伝えてくれ。フウは、俺に合わせろ』
素早く簡単な方針を立て、了承の意志が伝わってきたのを感じると、僅かに前傾姿勢になる。
はっきりと言って体力の限界は目の前──否、既に限界は越えている。今のホルガーを支えているのは強靭な精神力。それだけだ。
それも一発身体を殴られただけで崩れ落ちる。戦士として、自分自身のコンディションを把握しているのだから分かった。だがそれでも、
「ここで下がってるのは俺の性分に合わねぇなぁ!!」
安定しないながらも確かに築いていた生活を踏みにじり、仲間たちを蹂躙した奴らを相手に黙っていられるか。
声を上げ一気に飛び出し、女に突貫する。だが、すぐに察知した悪魔たちがその間に立ち塞がった。三股に分かれた槍を構え、悪魔らしい卑劣な表情を浮かべる四体の悪魔。
しかし、咄嗟に左の拳を振り上げて強引に突破しようとするが、
「君たちには地獄がお似合いだよ」
背後から飛来した都合四発の風の刃が的確に悪魔たちを両断していく。その全てが致命傷を与え、悪魔の四人組が消滅する。想像以上のフウの実力に内心で舌を巻いて、同時に内心で感謝。
悪魔の軍勢に生まれた隙間へ身体をねじ込み、女の正面へ踏み込んだホルガーは右腕を振り上げると鉄格子を吹き飛ばした時と同じ要領で振り下ろし、
「あら。女性の顔を狙うだなんて。容赦無いわね」
「女として配慮されるのはそこの悪魔どもだけに期待しておけ!!」
女の顔を潰す直前で、歩く死体に阻まれた。顔面でホルガーの一撃を受け止めた死体の首は後ろ向きにあり得ない角度で折れるが、その足腰から力が失われることは無い。
当たり前だ。それは既に命の無い肉の塊。魔法という超常の力で動いているそれが、頭を吹き飛ばされた程度で止まるはずがあるものか。
自身の頭の重さに耐え切れなくなった死体の首が千切れ、地面へ不快な音を立てながら着弾した。それと同時に、死体から、首なし死体へと変化した肉塊が両の腕で振り下ろしたままのホルガーの右腕を掴む。
細腕からは想像できないような力を加えられ、ホルガーの逞しい腕が悲鳴を上げた。咄嗟に自由の利く左の手刀で死体の腕を引きちぎり、続いて身体を蹴り飛ばすことで死体を女に返却。
ここまで時間にしてほんの数秒の出来事である。そしてこれ以上は左右にいる残りの異形たちが襲い掛かってくる頃合だ。
もう一発当てるべきか、すぐに下がるべきか。少なくとも後ろの仕事が終わるまで判断は──
「はあぁっ!!」
「道を開けたよ。下がって!」
背後で少年の気合の声と共に壁が崩れる音が響く。それを耳にした直後、すかさず反転すると他のメンバーと合流を急いだ。
「え、ちょっと……!?」
「リオン、援護だよ!」
敵を目の前に背中を向けるのは自殺行為だが、それは一対一の場合。フウとリオンの実力が高いことを先ほどの援護で確信したホルガーは、初対面の相手に自分の命を任せたのだ。だが、こちらの方が走る速度は圧倒的に早い。
その思い切りの良さにリオンが驚き、フウも苦い顔をするが魔法の手は止めない。
首筋に襲い掛かる巨大蝙蝠、足を噛み千切ろうとする三つ首の犬に、歩く死体の拳。様々な方向から同時に降りかかる必死の一撃の防御を、他人に全て託してホルガーが牢屋の前にたどり着く。
「無茶苦茶だ……! 早く下がるぞ!」
素人目にも明らかに危険に映ったのだろう。戻ってきたホルガーにバジスが悪態を付くと、出来たてホヤホヤも横穴へ、兵士を引き連れて飛び込む。それにホルガーも続いていき、
「おい、お前らも早く……」
「待って、このままじゃすぐに追いつかれるだろうから」
何故かその場に立ち止まっているフウとリオン。すぐに下がるよう言い付けるが、フウはそれをやんわりと拒否した。細い通路からこちらに殺到してくる悪魔の軍勢はリオンの魔法によってうまいこと進軍できていないが、それでも限界がある。
事実、戦闘を走る死体の指先がリオンに届きかけ、間に割って入ろうかとして、
「『暴風』」
──暴風が洞窟に顕現した。圧倒的な風の暴力は、襲い掛かる敵を根こそぎ吹き飛ばしていく。面白いように死体が、悪魔が、異形が、通路の彼方へ飛んでいき、それは女も例外ではない。
その大惨事を起こした精霊とパートナーは少しばかり疲労した様子を見せながら、
「リオン、よく頑張ったね。これでかなり時間を稼げたよ」
「う、うん。早く逃げよう……!」
リオンは深呼吸をして自身を落ち着かせる。その間に唖然と状況を眺めていたホルガーにフウが向き直り、
「言っておくけど、いきなりあれを撃つには時間が足りなかったからね。ホルガーの突撃は必要だったさ」
「……分かってる。勿体ぶるメリットが無いからな。今のはただ、予想以上の実力で驚いてただけだ。そっちの……リオンか。坊主も同じことができるのか?」
精霊使いと精霊の間で、実力に大きな差があることは基本的にない。魔力を共有しているのもそうだが、精霊の能力は生み出した精霊使いのものに比例するからだ。
その後の訓練で差が開くこともあるが、生涯を共に生活するパートナーなのだからそれも誤差である。
「……前の“僕”だったらね。今の僕じゃフウに頼りっぱなしだよ」
「魔法の実力だけが全てじゃないのだから、そう悲観しないって」
微妙に違和感のある物言いだったが、初対面相手にそこまで踏み込むほどの図々しさをホルガーは持っていなかった。それにこれ以上時間を無駄にはできない。
二人と一匹は頷き合うと、先に出ていったバジスと兵士を追いかけていった。
「ふふふ。程よく抵抗してくれた方が楽しいわね」
暴風によって飛ばされた先で、女は楽しげに笑みを浮かべていた。男を魅せる計算しつくされた笑み。──あまりに計算されすぎた笑みだ。
最も隣に立つ、白い外套で全身を隠した男には効果が無いようだったが。その男は珍しく僅かに苛立ちを声に浮かべながら、
「……遊ぶのも大概にしろ。他の連中はどうなっても構わないが、あいつらだけは逃がすな。敵に撤退する理由を渡すことになる」
「分かってるわよ。それじゃあ、送ってくれるかしら?」
「必ず仕留めろとは言わん。だが、最低でも時間は稼ぐか、都市長と“天使”のどちらかは殺せ」
冷たく言い放たれたその言葉を最後に、二人は空間の亀裂へ消えていった。




