第四十四話:精霊と盗賊と都市長、そして死霊
この世界に来た直後の数日間は、今でも夢に思い出すことがある。光源が存在せず、どこまでも闇だけが続く世界。頼りにできるのは自分自身と精霊のフウだけ。
いや、自分を頼れる対象に含めるのは微妙なところだろう。何もできず、恐怖に足を震わせるだけで何一つ意味のある行動をとれていなかったのだから。
そのような足手まといを見捨てることもできず、必死に小さな身体で守り続けてくれたフウには感謝してもし切れない。
だが、その必死な介護も軟弱な少年を完全に守り切ることはできていなかった。
「リオンさん、リオンさん! 目が覚めましたか?」
「うっ……あれ……、フウ、どこ?」
リオンの肩を揺すりながら気遣いの様子の兵士に見向きもせず、リオンは慌ててパートナーの子龍の姿を探す。
「大丈夫、ボクはここにいるって」
僅かにリオンの声に焦燥感が混じり始めた時、件の風の精霊はリオンのすぐ傍へ舞い降りてきた。健在なパートナーの姿にリオンは露骨に安堵の様子を見せ、それからようやく兵士に意識を向ける。
「兵士さん、一体どうなって?」
「敵の罠にかかってしまいました。その結果、どうやら分断されてしまったようでして。ひとまず、精霊様ともう一人に辺りの探索をしていただいたのですが……」
「うん、見てきたところ近くに敵の姿はいないね。ただ予想通り、本隊の方にはかなり近づいているみたい。生活跡のある場所も多かったし、正に敵地のど真ん中ってところだよ」
再び兵士の目線の高さに浮遊したフウが皆に説明する。それを聞き、リオンに構っていた兵士は、もう一人のフウと行動を共にしていた兵士へ意味深な視線を送ると頷き合っていた。
フウを信用できない、とは言いすぎだが極論的にはそういうことだ。いくら上司が信用できる仲間と判断しそれを伝えられても、すぐに絶対的な信頼を置けるほど人間は単純ではない。
信頼を置けてしまっていたら、それはそれで問題だ。
そのことを理解しているのだろうフウは、真偽を確認する兵士を特に物申すこともせずに、人間でいう腕を組むような姿勢を取って、
「それにしても相手も詰めが甘いね……分断した先に戦力を配置せずに、それどころか隙だらけの本拠地に飛ばすなんて」
「ですが、我々には好機です。都市長の監禁されている場所も決して遠くないでしょう」
これが罠という可能性も否定はできないが、だからと言って引くという選択肢は論外。罠に警戒するのなら分断された時点で間違いだ。それならいっそのこと奥地に足を踏み入れるべきだろう。
そして何よりも、
「これ……崩れたりしないよね?」
「岩盤を補強する魔法を使っていますので、平時よりかは頑丈なはずですが……それも魔法を発動した洞窟の入り口周辺だけです。ここまで奥地となると大した効果は望めません」
「さすがに天井が降ってきたら誰も助からないね。それで敵が潰れるならラッキーだけど、ボクたちまで巻き込まれちゃ目も当てられないよ」
本隊と敵の主力がぶつかり合っている戦闘音が激しく響いていた。それは転移させられた時よりも大きく聞こえており、今すぐ崩落を始めても驚きはしない。このようなことで命を落とすのは無駄死にも良いところだ。
「それじゃあ、行こうか。風の流れで行き止まりか、そうじゃないのかぐらいは判断するよ」
「よろしくお願いいたします。精霊様。リオンさんも接近戦は苦手でしょうから、我々が前を歩きましょう」
そう言った兵士が前に出て、もう一人の兵士がランタンを持って光源を確保する。最後にリオンとフウだ。かなり小規模になってしまったが、冷静に判断を続けるフウと兵士に頼もしさをリオンは感じていた。
☆ ☆ ☆ ☆
「この先に人の気配が……二つあるね。かなり衰弱しているみたい」
「それって……」
「都市長か、そのご家族かもしれません!」
行動開始から十分ほど経過した頃のことだ。普段と比べれば圧倒的に精度も範囲も低くなっているフウの索敵だが、光源の存在しない洞窟内ではそれすらも有用だった。
事実、目的の場所にこうも素早く辿り着けそうなのは行き止まりを看破し、効率的に探索を進められたからである。
「見張りがいるかもしれないし、それがある程度の手練れだとボクの索敵を抜けることもあり得るから慎重にいこう」
「そ、そうですね。ここまで来て失敗は許されませんから」
フウの言葉に若干興奮気味だった兵士が、軽く息を吐いて自身を落ち着かせる。そうやって冷静さを保っている辺り、彼らの練度の高さをうかがえる。
兵士長リカルドの教育が良いのだろうか。国一番の精鋭である近衛騎士団と比べるのはさすがに気の毒だが、どこに出しても恥ずかしくない軍隊だろう。
「えっと、都市長さんを助けたら近くの小隊に連絡して、合流しながら脱出でしたよね?」
「はい。その予定です。ただし、伝達結晶の術式に干渉された前例があるので、今回の連絡手段は少々特殊な方法となっています。若干合流に時間がかかるでしょうが、仕方がありません」
「その方法って……」
「──申し訳ありませんが、リオンさんには情報開示の許可が出ておりません」
純粋な興味から出た質問をはっきりと断られた。何だか怒られたような気分になり、少しばかり小さくなってしまう。
「ほら、年下を虐めてるんじゃないぞ」
「申し訳ありません。情報の管理は重要ですから、ご理解いただけると幸いです」
「こ、こちらこそごめんなさい。ダメなところ聞いてしまって」
リオンの様子に強く言い過ぎたと感じたのか、相方に肩を押された兵士が罪悪感を見え隠れさせながら謝罪する。だが、慌てて謝罪するのはリオンも同じだ。
リオンだって物わかりの悪い子供ではない。裏の事情だって人並みには理解している。ただ、気の弱さが表に出てしまっただけだった。
「近いね。この先が行き止まりになっていて、そこに誰かがいるみたいだよ」
「行き止まり……牢屋に閉じ込められてるのかな?」
「元々この洞窟は盗賊団のアジトとして利用されていたそうですから、そういった部屋があっても不思議ではありません」
それからさらに数分移動した先で、再びフウが索敵の状況を伝えてくる。その言葉が正しければ、目と鼻の先に今回の目的と言っても良い人物がいるはずだ。あるいは共に攫われたという家族や、全く関係ない人物の可能性もあるが、確かめなくては始まらない。
兵士の片割れがランタンを持ち、もう一人が剣を抜いて臨戦態勢を整える。それに習いリオンもいつでも魔法を打てるように身構えると、三人と一匹は顔を見合わせて頷き合い、慎重に通路を進んでいった。
「あれは……バジス殿……!!」
そして、ランタンの光が行き止まりに届くと、鉄格子とその奥に倒れる男性、天井から吊るされた大男の姿が映し出された。最初は目を凝らして正体を確認していた兵士だが、倒れる男性の姿を確認するや小走りになると、一人が鉄格子に手をかけ、
「ぐっ……おぉ!?」
「っ!? どうした大丈夫か?」
膝から脱力した兵士が崩れ落ちる。片割れの兵士が慌てて鉄格子から引き離し、尻餅をついた兵士は肩で息をしながら自身の両の掌を凝視した。
「分からない。急に力が抜けて……」
「──そいつには、魔力を……吸収す、る術式が……刻まれてる。下手、に……触る、な」
呟かれた兵士の疑問に答える声。その声の発生源に視線を向ければ、壁から伸びる鎖に両の手首を吊るされ、強制的に立たされている大男がこちらを見抜いていた。
ただし、力強い眼光に対して大男は見るからに満身創痍だった。鎖に先の手錠を付けられた手首から、乾いた血とその上からさらに流されていく血で禍々しいほどに赤く染まっている。膝の方にはもはや力などほとんど入っておらず、その分の負担を請け負ったのが手首の惨状の原因だろう。
あまりにもひどいその様子に目的も忘れて息を呑むリオン。場慣れしているはずの兵士二人でさえ言葉が見つからず、沈黙を破ったのは大男の隣で倒れていた男性だった。
「うっ……助けが、来たのか……?」
「バジス殿ですね! 我々は私兵団の一員と、こちらは協力関係にある冒険者です。バジス殿の救助部隊として派遣されてきました。只今、解放いたします!」
そう言って力強く断言する、が問題は牢屋の開け方だ。当たり前だが鍵は持っていないし、魔力を吸収されるとなれば風の刃で切断することも難しい。
直後に兵士二人も気づいた様子で、困った表情を浮かべる。
「坊主……」
「え、僕ですか?」
「ああ……お前、だ。俺が、牢屋をぶち、破る……。だ、から、精霊を……中にいれて、治、療をしてく、れ」
名指しで呼ばれてリオンが大男に顔を向けると、途切れ途切れながらもしっかりと伝えるところは伝えてくる。確かにフウの大きさであれば、鉄格子の隙間から中に入ることも可能だ。見るだけでも痛々しい様子に、リオンは言葉通り実行しようとするが、
「──待っていただきたい。あなたは盗賊団の首領ホルガーですね?」
「ああ、そう……だ」
兵士に一人に腕で制止され、もう一人の兵士が鉄格子に近づくと大男に質問する。それに頷かれたのを確認すると、兵士はリオンへ振り返った。
「それなら彼を治療するのは許可できません。万が一暴れられたら、都市長の安全を守り切れない」
「いや、私が許可する」
しかし、それに反論したのは当事者のバジスだった。驚いたような慌てたような表情を見せる兵士を無視し、バジスは倒れたままの姿勢でリオンを見上げる。
「少年、頼む」
「しかし、バジス殿……」
「大丈夫だ。ホルガーは罪人ではあるが、信用できない男ではない。それにここには市民の眼も無いからな。助けたところで騒ぐ連中もいないさ」
断言するバジスを見て、兵士は迷いながらも制止を止める。
「それじゃあ、フウ。お願い」
「了解したよ」
反対意見がなくなればあとは実行するのに躊躇いは無い。フウの小さな身体が鉄格子の隙間から中に入ると、魔力を収束。風の刃が放たれて、大男──獣人ホルガーの手首を拘束していた鎖を断ち切った。短く悲鳴を上げながらホルガーの身体が地面に倒れ、その上にフウが乗っかると一人と一匹の身体が淡く光り出す。
手首には未だ鮮血に塗れた手錠が付いているが、それぐらいはもうしばらく辛抱してもらいたい。それから不思議と錆び一つ浮いていない手錠に疑問を持ちながら、黙って治療行為を見守ること五分ほど。ふと、ホルガーが立ち上がり、フウも浮かび上がった。
「……助かった。本調子にはほど遠いが、最低限は動ける。鉄格子を壊すから離れてろ」
フウへ感謝を述べると、続いて牢屋の外にいる三人へ注意を呼び掛ける。それに素直に従って距離を取ると、ホルガーは狭い牢屋の中で息を吐き集中すると、
「ちっとばかしきついが……おりゃああぁぁ!!」
右腕を振り上げ──直後、巨大化する。内側からの膨張に耐え切れず手錠がはじけ飛び、その破片が新たな傷を作っていくがホルガーは気にした様子も見せない。それだけではなく、大木のようになった腕の表面には鎧のような茶色の毛皮が現れていた。
──才ある獣人族のみが扱える技能『獣化』だ。
獣の腕を手に入れたホルガーは、そのまま力強く踏み込むと鉄格子に向けて破壊を叩き込む。一瞬だけその衝撃に耐えた鉄格子だが、すぐに限界を迎えるといくつかに分かれながら吹き飛んで行った。
その中に一つがリオンの顔面すれすれを通り抜けていき、唖然としまま思わずそちらへ視線を向けてしまった。
「やっぱり無理しすぎか……」
「ホルガー。大丈夫なのか!?」
「何とかな……けど、命でも削らないともう部分的な『獣化』すらできねえ」
どんと、何かが倒れる音を聞いて慌てて振り返ると、ホルガーがうつぶせに倒れていた。見れば塞いだばかりの右手首の傷が再び出血しており、かなり無理をしていたことが分かる。
兵士たちもそこへ急いで駆け寄り、バジスの手を縛っていた縄をナイフで切り離していた。
「今の音で敵が感づかれたかもしれません。すぐに脱出しましょう」
「他にも……妻や娘たちもどこかにいるはずだ。そっちの捜索はどうなっている?」
「発見の報告は今のところ……探索部隊はかなりの数を導入しているので、そちらに任せましょう。今はご自身の安全をご考えください」
「そうか……分かった」
家族の心配をするバジスの表情に一瞬耐え難いものが浮かぶが、それもすぐに消え去る。都市の最重要の役人として、自分自身の価値を理解しているのだ。最低限でもバジス本人が助からなければ、今も戦っている兵士たちに申し訳が立たない。
兵士の一人がバジスに肩を貸して立ち上がらせる。それから困ったような視線を向けてくる兵士に頷くと、倒れるホルガーに意識を向け、
「ホルガーは何かしらの情報を持っている可能性を考え、捕虜として連れて帰る。ホルガーには悪いが……ホルガー?」
「──何か、来る。気を付けて」
「くそ、身体が言うこと聞かねえっていうのに……」
いつの間にか立ち上がり、リオン、フウと並んで拳を構えるホルガーへ怪訝そうに呼びかけた。だが呼ばれた側に余裕がないため、返事はない。同じく眉を潜めていた兵士も、フウの警告を聞くと何かに気が付いた様子で慌ててバジスを庇うように剣を構えた。
「可愛い男の子、イケメンなお兄さん、ワイルドな猫ちゃんに、精霊くんまで。ふふふ、どれも極上」
通路に広がる闇から現れたのは一人の妖艶な女性だった。茶色の髪の毛を腰まで届くほどに伸ばし、スカートの丈は長いものの、大胆なスリットが入り太ももが危険な位置まで晒されている。服もわきの下辺りの側面部と、背中の中央をそぎ落としたような形状をしており、肌色の面積が広すぎた。
それこそ街の裏通りで客引きでもしていそうな姿であり、戦場で見かけるには違和感が強い。
──溢れ出す禍々しい魔力を無視すればだが。
「さあ、みんな。新しいお友達よ! 出ておいで!」
甘い声で女性が声を上げると、周辺にいくつもの魔法陣が現れ──そこからさまざまな異形の存在たちが顕現する。
悪魔、巨大蝙蝠、三つ首の犬、生ける屍──どれも見る者に不快感を与える者ばかりだ。それらに囲まれながら、女性はこれまた妖艶な笑みを浮かべ、舌なめずりをする。
時と場所が場所であれば、大抵の男性は騙されそうな仕草。しかし、今の向けられても気味の悪さしか感じることは無い。
「さーて、順番はどうする? でも安心して。最後にはみんなちゃーんと、私のコレクションに加えてア・ゲ・ル」




