第四話:騎士と天使と魔女
水浴びをしてさっぱりとした優理はミリアの家に戻ってきていた。ミリアに案内され潜った木製のドアの先で、まず目につくのは煉瓦造りの暖炉だ。現代日本ではお洒落目的のこだわりある家以外ほとんど見ることはないであろう、その原始的な暖房設備は現在は沈黙を保っている。
どうやら玄関を潜った先がすぐにリビングになっているようだった。そこにあるのは全て木製の家具。椅子や簡素な長机、半分以上が空白になっている中サイズの本棚が置いてある。
電気なんて便利なものはないのか、照明器具らしきものは見当たらなく最初は暗くて何も見えなかった。それもミリアが机に置いてある水晶に触れると暖かな光が漏れたことによりすぐに改善される。
電池などが入っているようにも見えずどういう原理で光っているのかと興味津々で調べていたが、ミリアに椅子を勧められると慌てて腰を下ろした。
「もう遅いけど色々聞きたいことがあるからね。悪いけど少し付き合ってくれ」
「いえ、少し眠いですがそれくらい大丈夫です」
その返答に悪いね、とミリアはもう一度小さく謝ると椅子に座り直す。そして真剣な目付きで眼を合わせられ、言外に大事な話をするのだと思わせられた。
「じゃあ先に質問させてもらうよ。今のあんたは記憶が無い、それか混乱している……それは合ってるね?」
一瞬どう答えるか迷ったものの、それは表には出さず頷いた。それを確認するとミリアは言葉を続ける。
「それで何でここにいるのか、自分の名前さえも分からないと?」
「いや、名前は……たぶん、"ターナ"です」
先ほど自分の姿を確認できたからこその発言だ。名前というのは人と関わっていく限り必ず必要なもの。だからと言って今の姿で"優理"と呼ばれるのも違和感がある。
それなら体に合わせた名前の方が良いだろうといった考えだ。発言の仕方が自信無さげなのは自分でもこの判断が正しいのか、分からないから。嘘はついていないが名前を偽っているように感じるからだ。
「思い出せた、にしては自信無さそうだけど名前が無いのは不便だからね。そう呼ばせてもらうよ、ターナ。他に何か思い出せたことは?」
それには首を横に振って答える。口にすると余計なことまで言ってしまわないか不安だった。
「ここはアイリヤ王国の首都ハイデルから馬で五日ほどの位置にあるリグル村。首都に近いくせにまるで人の往来が無い小さな村さ」
──アイリヤ王国首都ハイデル、それには聞き覚えがあった。"ターナ"と同じく"優理"が遊んでいたMMORPGに登場した名前だからだ。ネトゲのキャラの姿に変化していて、地名までも同じと、あのゲームと何かしら関わりがあるのは間違いないだろう。
「アイリヤ王国……聞き覚えはあります」
「聞き覚えがある、ね。他にも色々と見れば何か思い出せるかもしれないか。……じゃあ一番確認したことがあるんだけど」
そう言ってミリアはターナが持つボロボロの騎士服を指差した。大量の血を吸い、損傷が激しい服としての機能を喪失した布切れ。それに何の用があるのかと疑問に思いつつも素直に手渡す。
受け取ったミリアはそれを大きく広げるとちょうど右胸の辺りに指を置いた。そこには刺繍によって描かれた紋章のようなものが縫い付けられている。
服の損傷はそこにも例外なく及んでいるがまだ原型が分からなくなるほどではない。無事な部分から見た限り、赤い花の上に一本の剣を乗せたようなシンプルなデザインだった。
全く見覚えが無く、ミリアへ視線で疑問を訴えると彼女は怪訝そうな顔をしていた。
「何か思い出したりしないのかい? この紋章は私の予想が正しければターナに関わり深いもののはずだけど」
「すいません、全く記憶に無くて。この紋章何なんですか?」
その質問にはすぐに答えずターナの眼を真っ直ぐに見つめていたが、嘘をついていないと判断すると一度だけ眼をつむり口を開く。
「騎士団、それはアイリヤ王国の騎士団の紋章だよ。部隊名が書かれてるところは破けちまって分からないけど、騎士が身に付ける制服だってことは間違いない」
突然出てきた騎士団という単語を聞き、今度はターナが怪訝に思う番だ。ミリアには意図して伝えてないため仕方がないのだが、ターナがこの世界に降り立ったのはつい数時間前。国の騎士なんて大層な身分どころか国籍──そんなものがこの国にあるかは分からないが──すら無いだろう。
またゲーム上での"ターナ"は魔法剣士と分類される育成をしていたのだから騎士ではなかったし、装備も騎士服だなんてものは所持していなかった。
そもそもターナの体以外には何一つゲームのことを引き継いでいないのだ。それもそれで何か引っ掛かるが少なくともターナと騎士という言葉に何一つ接点は無いはずだった。
「うーん、特に何かを思い出したりは……無いですね」
「でも関係無い人間が着ていることも無いはず。……ターナが"天の落とし子"だっていうならこう悩む必要もないのだけどね」
「さっきも聞きましたけどその、"天の落とし子"って一体何ですか?」
「魔法同様に原理が分かっていないのに世界に馴染んでる不思議な存在。この国では突然、十歳ぐらいの子供が文字通り降って沸いてくることがあってね。彼らと彼女らは何故か自分が普通でない自覚と、最低限の知識を生まれつき持っている。さらにその多くが何かしらの高い才能があるうえに、ある程度の年齢に達すると成長が止まって不老になるんだ」
止まる年齢に個人差はあるけどね、ミリアはそう締めくくると椅子に座り直す。何とも突拍子の無い話だ。突然、子供が何もないところに現れる。しかも年を取らず不老というおまけ付きで。普段なら馬鹿馬鹿しいと一蹴にするがミリアが真剣に話してるのと、今の状況自体があり得ないことだらけなので信じるしかないだろう。
「何とも不思議な話ですね」
「一応学者の間では天の使いじゃないかと言われているらしいよ。"天の落とし子"なんて大層な呼び方もそこから由来してるとか」
「天の使い……"天使"ってことですか」
「実際、"天の落とし子"の中には技術革命を起こしたり英雄って呼ばれる冒険者になる人も多いからね。人類の発展って意味じゃ確かに天使って表現は正しいかもしれないよ」
「確かに。それで話が逸れちゃいましたけど何でぼ……じ、自分が"天の落とし子"なら話が早いんですか?」
今の会話で"天の落とし子"とやらが何なのかは分かったが、それで話が早くなる理由が分からなかった。それを尋ねると、
「簡単な話だよ。生まれ落ちた直後の"天の落とし子"だっていうなら記憶が無いのは当たり前だからね。……同時に何かを企んでる可能性もなくなる」
「──」
「私はターナが悪い人間ではないと思ってる。だけどそれは私の主観であって確証できる何かがある訳じゃない。自業自得なんだけどね、昔はちょっと荒れてた時代もあって恨みはそこらじゅうで買ってる自覚があるんだよ。狙いが私一人ならともかく、村の皆に被害が及ぶ可能性は0にしたい」
さっきまでの優しげな女性らしい声とは打って変わり、冷たい氷のような声と眼でこちらを射抜いてくる。物理的な圧力さえ幻視するほどの──否、決して幻覚などではない。
森の中で狼の群れを追い払ったとき同様の何かがミリアの体から滲み出てるのだ。それが圧力として部屋の中を侵食、同時に室温が急激に減少する。先ほどまで少し暑い程度のはずだったのに吐く息が白くなっているのだから間違いない。
「聞くよ。ターナは何か悪意のあること……この村へ悪事を働こうとはしていないよね?」
「──はい、そんなことは一切ありません」
一言も噛まずに言い切れたのは誉められても良いだろう。訳の分からない超常現状を引き起こせる人間に全力で威圧されている状況なのだ。例え腰が抜けても誰も笑ったりしないだろうし、させはしない。
「そうかい、ならいいよ」
「へ?」
あっさりとミリアの圧力が霧散した。今の一言だけでは到底信じてもらえないだろうと、長期戦を覚悟していたため思わず間の抜けた声を出してしまう。それを見たミリアは小さく笑うと、
「言ったでしょ、確証が無いだけで私自身は信用してるって。中々ハードな人生を送ってきた自負はあるから、人を見る目には自信があってね」
「はあ……信用してもらえるのは嬉しいですけど、さっきみたいなことはもう止めてくださいよ。心臓が止まるかと思った……」
「はっはっは、次は本気でやってみようか? さっきの森林狼ぐらいなら失神させられると思うけど」
「本当に勘弁してください」
降参だとばかりに両手を上げる。実際今のだけで本当に寿命が縮まる思いだったのだ。それ以上を受けたいなど冗談でも言えない。
「そうかね? 今のを耐えられる胆力があるなら失神まではいかないと……」
「止めてくださいよ?」
心底残念そうに肩を落とすミリアを見てこの人、ストレスでも溜まってるんじゃないかと本気で心配する。だが彼女なりの冗談だったのかすぐに居住まいを正していた。
「私から確認したいことはもう無いけど、ターナは何かある?」
「すぐに聞きたいことは無いですかね」
「よし、もう遅いし空き部屋に案内しようか」
☆ ☆ ☆ ☆
「その水晶は触ると光る照明用の魔道具。あまり長いこと付け続けるとしばらく動かなくなるからそこだけ注意ね。あとは自由に使っていいから」
「分かりました、わざわざありがとうございます」
「今は使ってない部屋だしいいよ。じゃあ、おやすみ」
簡素な木製のドアが閉まるのを見届け、しばらく間を置く。そして完全に一人なったのを確認すると部屋の隅に置かれているベッドへ飛び込んだ。
ここはミリア家の二階にある四つの個部屋の内の一つだ。二つはそれぞれミリアとマリーに割り振られており、余っている残り二つの片方を使わせてもらうことになった。
相変わらず電気照明なんてものは無かったが、代わりに魔道具とやらの照明はあり光源には困りそうにない。むしろリソースが実質不要な分こちらの方が高性能な気さえもする。
(そういえばどうしてベッドまで用意してあったんだろう)
少々違和感の残る枕へ顔を埋めながらふとそんな疑問が脳裏に浮かぶ。だが既に時刻は真夜中を過ぎて下手をしたら朝方かもしれない。いつ地平線の先から太陽が出てもおかしくない状況では眠気もピークであり、そんな疑問もすぐに霧散した。
強力な眠気、だがそれに抗う理由も無い。熟睡のための楽な体勢を取ろうと寝返りをうち、その際潰された二つの丘の感覚がダイレクトに伝わった。思わずつい少し前の水浴びを思いだしてしまい、顔を赤くしながらより深く顔を枕へ埋める。
本当にこの体には当分慣れそうにないと心の内でため息をつくと、本人も気がつかない間に意識は夢の世界へと旅立っていった。
冒頭なので毎日更新でしたが、ここからは書き溜めと相談しつつ数日おきの更新となります。私の体力が空になるのでご了承下さい。