第三十四話:腐った天使-2
ルーカスが洞窟へ潜入してからおよそ五分後。中から巨大な爆発音が聞こえたクリスたちは慌てて入口の制圧に向かった。とは言っても見張りらしき影も見えないため、ただ入口でルーカスを待ち続けるだけのようなものだ。
だが、それも少し前までの話。
「……おい、どうすりゃあいいんだ。この状況よ」
アリシアが吐き捨てるように愚痴をこぼす。それに全面的に同意しながらクリスは必死に頭を巡らせていた。チラリと最低限の眼の動きで視界を動かすと、魔力を高め臨戦態勢に移っているリオンとフウが見える。
だが、一人と一匹の顔色もクリスやアリシア同様に優れない。アリシアも自身を奮い立たせるため軽口を放っていただけであり、余裕などは微塵も無いのだ。
──三人と一匹の視線を受ける、この白い外套の男から眼を離す余裕は。
(神出鬼没ってのは分かってたけど俺たちだけで“天使狩り”と遭遇か……笑えないぞ)
相変わらず、フードで隠された素顔は見えず、不気味でしかない。
“天使狩り”が現れたのは本当に突然だった。リオンとフウの索敵を潜り抜け、気が付いた時には背後を取られていたのだ。その時、咄嗟に距離を取ろうと洞窟内へ入ってしまったのは失敗である。
結果、退路を塞がれてしまい、中へ逃げ込もうにも恐らく大量の敵勢力がいるだろう。だからと言って入口を強行突破するには、それぞれの力量が足りなさすぎる。
唯一の救いは奇襲されなかったことぐらいか。もしも、クリスたちが姿を認める前に襲われていたら一人は、否、全員の命は無かった。肉体のスペックを全て引き出せれば防戦程度なら可能かもしれないが、中身が戦い慣れしていない日本人である限り、その領域に達するには時間が足りなさすぎる。
チラリとリオンが指示を、助けを求めるようにこちらを一瞥した。どうしてかは知らないが、クリスはいつも気が付けば集団のリーダーと言う扱いになっている。
求められたら答えたくなってしまうクリスの性格上、頼られるのも悪い気はしない。だが、今ばかりはその期待が重くクリスに圧し掛かってきた。
(そもそも“天使狩り”の目的は何なんだ? 俺たちを倒しに来たわけじゃないのか?)
緊張と恐怖と焦燥。目の前の男の挙動を一つも見逃さぬように集中しながら、様々な要因で動きの鈍い頭を必死に回転させる。先ほどの爆音からして恐らくルーカスは敵に見つかっているだろう。そうなった場合はこちらへ逃げてくる手筈であり、彼を追撃してくる敵勢力だってこちらに向かってきているはずだ。
そうなれば挟み撃ちにされ、状況は絶望的になる。それまでに何とかしなければならない。
「なあ、“天使狩り”さんよ。あんたは何をしにここに来たんだ? そこで立ってるだけなら通してくれるとありがたいんだけどな」
「…………」
友人に話しかけるように、気楽な口調で話すクリスにアリシアたちが目を見張ったのが、視界の隅に移るが無視する。戦うにせよ、逃げるにせよ、“天使狩り”が本気になればクリスたちなど赤子の手をひねるようにバラバラにしてしまう。
二つの選択肢が使えないのであればと、クリスは三つ目として対談を選んだのだ。理由は分からないが、今すぐに剣を抜き放つわけでは無さそうなのである。
とは言っても、クリスは内心で冷や汗だらだらだ。必死に顔には出さないよう努力してはいるが、どこまで効果が出ているかは不明。せめて何か返事をしてくれれば、この緊張を誤魔化せそうなものだが、生憎返答は来そうにない。
(どうして何も言わないんだよ……!? まさか本当にただ立っているだけじゃ……もしかすると本体では無い?)
一切の動作を起こさないことに疑問を持ったクリスは一つの仮説を立てた。つまり、目の前にいる白い外套の男は“天使狩り”本人では無く、彼の能力で生み出された分身と言う可能性。
分身の方にどれだけの能力が備わっているのか分からないが、想定外だったクリスたちとの遭遇で判断に困っている可能性だってある。
(都合の良い妄想かもしれねえ……でも、まともに戦ったら殺られるだけだ。それなら一か八かってのも悪くないかもな)
悩んでいる間もお互いに動きは無い。それがクリスの背中を押すこととなった。悟られぬようにこっそりと息を整え、左手に持つ片手剣の切っ先を僅かに上げる。
右手の盾と左手の剣。未だ馴染んでいるとは言えないその重量感に頼もしさを覚えると、
「ぶちかませええッ!!!」
こちらに意識が集中するよう大声で叫んだ。クリスの意図を残さずくみ取ってくれたフウが暴風の塊を放ち、コンマ数秒遅れてリオンとアリシアも魔法を発現する。
風と炎が混じり、巨大な火の鳥が目の前の景色を覆いつくしていく。洞窟内と言っても放った方向は入口のすぐそばだ。熱が充満して自滅、なんて間抜けなことは起きずに全ての威力は狙い通りの場所に放射された。
「走るぞッ!!」
今の攻撃がどこまでの効果を“天使狩り”に発揮したかは未知数。だが、これが最初で最後のチャンスだ。クリスが真っ先に煙へ突っ込むと、その後にアリシアとフウを頭に乗せたリオンも続く。
ルーカスを見捨てることになってしまった罪悪感はあるが、あの場で横着したまま合流しても足手まといにしかならなかっただろう。隠密能力に長けている彼なら単独の方がよっぽど動きやすい。
それらを加味し、クリスが選択したのは逃走だった。ただし、後退するのではなく一撃入れてからの正面突破だ。攻撃を回避されそのまま皆殺しのリスクもあったが、それをされるのなら最初から殺されている。
そう自分に言い聞かせながら、煙の中で懸命に前へ進む足を決して止めない。煙幕の範囲はそこまで大きくないはずだが、背後から斬り捨てられるのではないかと考えれば恐怖などいくらでも湧く。
ただ一歩進むだけの時間が何時間にも感じられ、だがすぐに視界は開けた。煙幕と洞窟の中から抜け出したのだ。
「よし、このまま森に逃げ込んで──」
「クリス、後ろだ!!」
一瞬安堵の声が漏れたものの強制的に中断させられる。首を何かに掴まれ、勢いよく背後へ倒された。受け身を取れなかったせいで、肺から空気が強制的に吐き出されると思わず目を固く閉じ、苦痛の声を上げた。
痛みに耐えながらすぐさま状況を確認しようとし、目を再び開けるとすぐそこに“天使狩り”の姿。下から見上げているためにフードの中身を僅かに垣間見て──その黒髪の顔にどこか見覚えがあった。
「おおッ!?」
それに思考を巡らす暇も無く、クリスは右腕を掴まれ投げ飛ばされる。視界がぐるぐると回り、クリスの身体は木々の隙間を通り抜けると森の斜面へと着弾した。
勢いそのままにクリスの身体は転がり落ちていく。重装備と言うほどではないが、鎧を着こんでいるのだ。勢いを止めることなど不可能であり、斜面の一番下まで落下してようやく止まる。
「ああ、くっそ……!」
命の関わるほどの怪我は無いが、登るのに苦労しそうな程度には高い場所から落ちてきたのだ。身体に残るダメージは中々のものであり、すぐに立ち上がることはできない。
それでも何とかして起き上がろうとし、すぐそばに“天使狩り”着地した。彼は無言のまましばらくクリスを見下ろしていたが、どこからともなく二振りの剣を取り出した。
──ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ!!
アリシアたちとは距離を置かれ、“天使狩り”と二人きり。そもそもの実力差ですら歴然だと言うのに、クリスは立つことさえできていない。本体では無い可能性が高そうなのが不幸中の幸いと言えるかもしれないが、たとえ分身でもクリス単独では万全の状態ですら勝利をもぎ取ることは厳しいだろう。
そのような状況では“天使狩り”が剣を突きつけるのも容易だった。僅かに長さの違う二本の剣を両手にそれぞれ持ち、右手の切っ先が未だ仰向けに倒れるクリスに向けて放たれ、
「はあ、はあ、はあっ!?」
「────」
眼で追い付けない速度で、クリスに顔面すれすれの地面へと突き刺さった。言外にクリスの命は“天使狩り”の手の中にあると宣言されたようなものだ。どうにか打破しようと練り上げていた戦意も今の一撃で儚く散る。
今のクリスにはただ死への恐怖しか残っていない。極限の緊張と恐怖に眼を見開くクリスを“天使狩り”はしばらく見つめていたが、ふと口を開く。
「前だけに気を取られるな。背後への警戒を怠れば、足元をすくわれる」
「は……? お前は何を言って」
「クリスさんから離れろおおおお!!!」
直後、“天使狩り”の背後、クリスが転がり落ちてきた斜面を下りながらリオンが風の刃を撃ち込む。クリスから意識を外した“天使狩り”はリオンの拙い魔法を二刀の剣で切り裂きかき消した。
“天使狩り”はリオンと彼のすぐ後をついてくるアリシアを一瞥し、小さく笑みを浮かべると彼の周辺の景色が歪む。そして空間に生まれた隙間へ身を踊りこませると、後には倒れ伏すクリスだけが残った。
「クリス、大丈夫か!?」
「あ、ああ。大きな怪我はしてないぞ……」
駆け寄ってすぐに心配げに声を掛けるアリシアに無事だと答える。言葉通り怪我はしていないが、精神的にも肉体的にも疲労が激しい。地面に全身を預けたままその緊張を吐き出し、呼吸を整える。
「本当に無事で良かった……」
「全くだね。剣を振る音が聞こえた時は正直手遅れかと思ったよ」
リオンとフウもそれぞれクリスの無事を確認し、ほっと息をつく。そのまま安堵の表情をリオンは浮かべるが、フウは対照的に再び緊迫した空気を纏うとポツリと呟いた。
「……近くに誰かがいるよ。呼吸が荒いからたぶん怪我をしてる」
「誰かいるってぇ言ってもなぁ……クリス、どうする?」
「ルーカスを追いかけてきたやつらと鉢合わせが怖いけど……行ってみる価値はあるだろう」
すぐそこに敵勢力が潜伏しているとはいえ、ここは深い森の中だ。味方であれば救助が必要だろうし、敵であったのならば隙を見て捕虜にしてしまえばいい。
そうと決まれば、いつ敵が洞窟から出てくるか分からない現状、早く動くべきだ。身体の調子を確かめ、歩く程度なら問題ないと判断。地面に手をついて起き上がると、剣と盾がいつの間にか手の中に無いことに気が付いた。
“天使狩り”とにらみ合いの時から構えたままだったため、斜面へ投げ飛ばされた時にでも落としてしまったのだろう。安くないうえに借り物であるためかなり惜しいが諦めるほかない。
「金なんて一銭も無いから当分返さなそうだけど」
「まあ仕方ねぇだろ。命が最優先だってルーカスも言ってたしな」
クリスが立ち上がり、フウのナビゲーションの元、三人はやや小走り気味に人の気配がある場所へ向かう。大した距離も無く、間もなく岩場のような場所へたどり着くと、そこには予想外の人物がボロボロの姿で倒れているのが見えた。
「空間に穴を開けて他人の魔法の突っ込むなんて無茶苦茶なことしやがってぇ……! ちくしょう、久しぶりにでかいもん喰らったっすね……」
「ルーカス!?」
服と皮膚がところどころ黒く焦げ、明らかに無事な様子では無いのは先ほど洞窟内へ潜入したはずのルーカスその人だ。クリスの時と同じように三人は慌てて駆け寄ると、その火傷の具合を見て言葉を失う。
「フウ! 治療をお願い!」
「治癒魔法はあまり得意じゃないんだけど……努力はするよ」
リオンの頼みにフウはルーカスの身体に乗り、暖かな光を放つことで答えた。何度か目撃した治療術師の騎士たちやジェシカには及ばないが、少しずつ怪我が消えていくのが目に見えて分かる。
「みんなどうしてここにいるんっすか……?」
「それは俺たちのセリフだぞ」
辺りを見渡しても先ほどの洞窟とつながっていそうな洞穴は見当たらない。その中に入っていったはずのルーカスがどうしてここに倒れていたのか、説明ができず不思議でしかなかった。
(不思議と言えば“天使狩り”の野郎もそうだ。俺を殺そうともしなかったし……ここに投げ飛ばしたのもルーカスと合流させるため?)
仮にそうだとすれば、クリスたちの前に姿を現した理由も説明できるが、今度は“天使狩り”の目的が分からなくなる。一応周囲の警戒をするが、その疑問が頭から離れることはルーカスが動けるレベルまで回復するまで、ついに頭から離れることは無かった。
☆ ☆ ☆ ☆
「それで、一体何だったのか説明しなさいよ」
「だから言ってるだろ? 敵が侵入してたんだよ」
ルーカスが居なくなった後の洞窟内で短剣を握る茶髪の男性は、魔道書を抱える女性の言葉をめんどくさげに返していた。へらへらとした態度に女性の方は隠さずに怒りを発露する。
「そんなやつ影も形も無かったじゃない!」
「ステルスしてたんだよ。お前じゃ見抜けなかっただけじゃね?」
「あたしだってプレイヤーよ? NPCごときの隠密、見抜けないはずが無いわ」
一体何を根拠にしているのか、女性は自分が気づけなかったことを理由にして反論する。自信満々なその姿を男は心の中で嘲笑っていた。
どいつもこいつも気づいていないのだ。都合の良いアニメや小説違い、プレイヤー=チートでは無いことを。
ここに巣くっていた盗賊を正に無双して追い出せたのも単純に実力差もあったが、突然の奇襲と数の暴力に頼っただけなのだ。僅かにいる食料調達や情報集め、魔法陣の設置などを行った者以外、それ以外の戦闘を経験していないため当たり前なのだが。
しかし、つい先ほどまで“神の使い”を名乗る不気味な男の命令で都市を訪れていた男性は、この世界の住民は決して弱者でないと気づいていた。
せっかくの異世界転移でチートでは無いことは残念だが、実力が拮抗しているものを叩きつぶすのもそれはそれで愉快だろう。
「それで、あなたの言う敵とやらはちゃんとキルしたのかしら?」
「ああ、もちろん」
嘘だ。男性は殺す気で侵入者を攻撃していたが、最後の最後で壁をすり抜けながら逃走していくのを確かに目撃している。少なくないダメージは負わせたはずだが、死んではいないだろう。
男性と女性のゲームの時のレベルは大きく変わらないはずで、どうして男性だけが隠密を看破しそれに攻撃が出来たのか正直本人でも分かっていない。だが、どうすれば刃を魔法を届かせることができるか、身体が理解していた。
そのことが男性に自分は特別なプレイヤーの中でもさらに特別なのだと、増長させる原因となっていた。──NPCの強さを認め、それに対処して見せる自分は他のプレイヤーとは違うのだと。
そして仲間であるはずの転移者まで見下す男性は気づかない。その行為が先ほど心の中で嘲笑っていた女性と同じだと言うことに。
その身に余る力を与えられた愚かな強者は、気づこうとさえしなかった。




