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銀の天使とイツワリノカラダ  作者: 閲覧用
第三章 混沌の天使
33/48

第三十三話:腐った天使

 ──……ポツン、ポツン。……ポツン、ポツン。


 天井の隙間から少しずつ滲みだす水滴の音を引き金に、彼は目を覚ました。ベッドは寝返りを打つたびに身体に痛みを与えてくる石の床。何度も殴られた左頬の傷が刺激され、思わず苦悶の声を上げるが倒れたままの姿勢から立ち上がることはできない。

 理由は明白。背中で手首を縛られているからだ。奇妙な色合いをしたこの縄にはどうやら魔力を吸収する性質があるらしく、長時間放置された今では魔力が意識を保てるギリギリまで搾り取らていた。


 精神的にも、肉体的にも彼は──自治都市ラーチェスの長バジスは体力の限界を感じていた。


「お目覚めか。あんたはもうきついんじゃねえのか?」


「お前さんに言われたらお終いだよ……」


 満身創痍のバジスに声をかけるのは同じ牢屋の中に閉じ込められた獣人の大男。吐き捨てるように、だがどこか気遣いを見せるような口調で問う大男の状態はバジスよりもさらにひどかった。

 洞窟を改造されて作られたのがこの牢屋だ。もちろん壁の材料は床と同じく石であり、そこから伸びた鎖で両の手首を吊るされている。自然、強制的に立つ続けることを強要されていた。

 空の見えない地下の檻に閉じ込められていたため、体内時計は最早機能していない。だが、バジスが仕事帰りに誘拐されここに放り込まれてから数日、下手したら一週間は経っていると思われる。そして、この大男の話を信じるならばバジスがここに来る倍の日数は今の状態が続いていた。


 つまり、二週間近くこの大男は拷問まがいの行為を受け続けているのだ。おかげで脚にはまともに力が込められておらず、その分の負担を受けた手首は手錠がめり込み、今にも千切れそうなほど肉を抉られていた。

 命を保つことはおろか、まともな意識を保っているのが奇跡にしか思えない。


「気にするな。俺は盗賊、今までやってきた悪事のツケが回ってきただけだ」


 諦めが付いたように息を吐く彼は、本当に生への執着が無いように思えた。だが、そうだと言うのに自殺と言う逃げの一手を選択しようとはしない。命が惜しくなく今の拷問が続くのであれば、それが一番楽なはずなのに。


「だが、あんたは違う。真っ当に生きてきたあんたと家族が、こんなところに閉じこめられる必要はねぇ」


「それでお前さんに得があるとは思えないがな」


「いいや、あるな。地獄に落ちた後で少しだけ、地獄の主か何かが容赦してくれるかもしれねえだろ?」


 何度バジスが尋ねても彼は同じ答えしか返そうとしない。ここまで自己犠牲の精神を持つ男が、盗賊などという犯罪者だったのか。バジスはあくまで書類上の情報だったが理由を知っている。


「ホルガー……お前さんだって、ここで朽ちる必要は無いだろうに……」


 大男──ホルガーはその言葉に何も返そうとしない。彼は確かに盗賊団のドンであったが、襲う対象は法律を犯した不正商人のみ、さらには殺しも一切しない所謂義賊だった。

 都市長と言う立場上、バジスは彼を犯罪者として手配するほか無い。しかし、ホルガーが捕まえた商人の身ぐるみを剥いだ後に都市の近くへ放棄し、衛兵が回収するという無言の協力関係が築かれていた。


 確かに法律上ではホルガーは犯罪者以外の何者でもなく、バジスも表向きはそう対応している。しかし、個人的な目線に立てば彼を悪と断言することは難しいだろう。周囲の眼が無いこの場所だからこそ、バジスは都市長としてでは無く、一人の人間として話すことができているのだ。


 それきり、会話は続かなくなる。二人とも既に口を開くだけの体力も惜しいからだ。今は少しでも体力を温存し、都市から助けが来るのを待つ。

 その後にホルガーをどうするか困りものだが、決して悪いようにはしないつもりだった。


 それから、どれだけ時間が経ったのだろうか。時間の感覚を失った二人には分からず、ふと通路の向こう側から足音と薄っすらとした光に気が付いた。

 地面に倒れたままバジスは近づいてくる正体を確認しようと、顔を何とかして上げ即座に落胆する。ほんの一瞬だけ芽生えた希望は儚く散り、見えたのは魔術師風の若い男だった。


 先ほど見えた光源は男が持つランタンのようで、それを牢屋の前の地面に置くと男は懐から何かを放り投げる。空中で色鮮やかな野菜と白いパンの部分に分解され、バジスの前に落ちたのはサンドイッチだった物である。


「起きているのでしょう? そっちの盗賊はともかく、あなたに死なれては困りますからさっさと食べてください」


「おい、こいつの家族と俺の部下は無事なんだろうな?」


 口調は丁寧に頼み込むようなもの。だが、事実上の命令でしかない。バジスとしても死ぬわけにはいかず、這うように泥水が染み込んだパンへ口を近づけていくと、ホルガーが突然声を発した。

 それから感じられるのはとても瀕死の人間とは思えない、力強さだ。射殺すかのように睨み付けながら返答を要求する姿に、若い男は顔をそちらへ向けて、


「ハッ! 本当にあなたはバカですねッ!! こうやって無意味に何度も殴られて学習能力が無いのですか?」


「がぁ……答えろ……!」


 突然、若い男の身体が牢屋の中に移動した。鍵が開けられた形跡も無く一瞬で、正に瞬間移動としか言いようがない。

 腹を全力で蹴り飛ばされたホルガーは小さく悲鳴を上げるが、眼だけは決して屈していなかった。


「本当に何度も言っているでしょう。そこの都市長の方の家族は全員軟禁していますが、ここよりもよっぽど良い環境ですし、あなたの部下も約束通り逃がしました」


 それはホルガーが欲しかった返答に他ならない。だが、若い男のこれまでの言動を見ていればとても信用できなかった。だからこそ、ホルガーは暴力を振るわれることを分かっていながら何度も尋ねているのだ。


「……私からも一つ質問をいいか?」


「私も忙しい身なのですがね。まあ、良いでしょう。何ですか?」


「お前たちの目的は一体何なんだ……?」


 これまで何人かと話す機会はあり、ずっと疑問に思っていたことだった。都市長であるバジスと家族を大きな騒ぎを作らずに誘拐した手際の良さと裏腹に、その後の行動が不明瞭なのだ。

 特に気になるのが、話をする際にぺらぺらと情報を垂れ流す人物がいたり、他の人物と話す内容が矛盾していることがあることである。これでは組織として機能していないようにさえ思えてしまった。


「目的と言うと……最初に攻城戦の攻略ですかね」


「は……?」


 だが、定期的に食料を運んでくるこの男からはまだ、何か考えを持っているように感じられた。それ故に、バジスは少しでも情報を得ようと勝負を仕掛け、返ってきたのは訳の分からない言葉だった。


「ゲームの時でも攻城戦コンテンツはありましたが、せっかく現実になったからには挑戦してみないと勿体ないですからね。リーダーをあっけなく捕まえられたのは拍子抜けですが、所詮はNPC相手のチュートリアルのようなものですから、まあ良いでしょう。とりあえずこれで敵側も奪還せざるを得なくなりましたから、本陣から兵力が減るのを待って一気に攻撃する予定です。まあ兵士と言ってもチュートリアルレベルでは無双で終わってしまうと思うので、待つ必要性は一切感じられませんがノウハウの確認とは大事なもの。もっと上の難易度をやる際に効率よく動けなければ困りますから損は無いはずです。問題としては勝利条件が見えないことですが、まあ適当に本部らしきものを破壊すれば勝手に終わるでしょうし、だめならあなたを殺してみます。拠点の制圧か、リーダーの討伐がお約束ですからね。それでも終わらないのなら特殊な条件とも思えませんから、敵の全滅を狙うしかなくなってそれはそれはかなり面倒なことに──」


「ま、待て。落ち着いてくれ、一体何を話しているんだ?」


 早口に意味の分からない単語を交えながら語る姿に、得体の知れない恐怖を感じながらもバジスは何とか制止することに成功する。チラリと見てみればホルガーでさえも唖然としていた。


「失礼ですね。あなたが尋ねてきたことを答えていたというのに、それを止めますか?」


 若い男の方は苛立ち気にバジスを睨み付ける。それを見てからバジスは己の失敗を悟った。最初からまともな対談など諦めておくべきだったのだ。こいつらは人間では無い。人間の皮を被った狂気の悪魔なのだから。


「わ、悪かった。以後気を付ける」


「うるさいなあ、喋らないでください。NPCの分際で人間様と会話ができると思って──」


 話す速度が加速度的に上がっていき、その右手に暗い光が収束していく。間違いなく攻撃系統の魔法であり、バジスが冷や汗を流し始めた時だった。


 何かが吹き飛ぶような音が轟き、洞窟が振動する。小石や砂が天井からぱらぱらと崩れ落ち、それが何度も連続して続いた。それで我に返ったと言っていいのか、若い男は魔力を霧散させるとランタンを拾い直し、振り返る。


「おかしいですね。情報なしで敵側がここを発見できるとも思えませんし……」


 そのままブツブツと何事かを呟きながら、暗闇の広がる通路へ姿を消していった。あのまま魔法を放たれていれば、その先がバジスであろうとホルガーであろうと確実に死んでいた。その事実を噛みしめホット息をつき、すぐさま別の考えが浮かぶとバジスはもしやと顔を上げた。


「助けが来たのか……?」


「いや、あんたを奪還しに兵が攻め込んだにしては戦闘音が少ねえ。たぶん、少数か単独で偵察に侵入したやつがバレたんだろう」


「音だけでそこまで判断できるのか?」


「元々、ここは俺の縄張りだぜ?」


 自信満々に答える大男。その様子から、誤った情報ではないと認める。偵察が来たということは、もうすぐ救助が来るのかもしれない。一秒でも早くそれが来るように、そのためにも今逃げているであろう偵察の人物が無事であることをバジスは祈った。





 ☆ ☆ ☆ ☆





「これからあっしは洞窟に潜入するっす。もし、敵が中にいて気づかれた場合……きっと騒ぎになるはずでやすから、入口を確保してほしい」


 真剣な顔で説明するルーカスに、クリスたち三人は離れたところに見える崖に空いたほら穴を見つめながら頷く。見張りが居たことを考え、木の影に隠れながら話しているが今のところそのような影は無い。


「ただし、自分の命を最優先にするっす。あっしは最悪一人でも逃げ切れる可能性は低くないっすが、クリスたちが敵に囲まれたら危険っすからね」


「分かったけど、無理しない程度には居座るからな」


 正直に言えばクリスだって仲間を置いていくような真似はしたくない。だが、それを実行するには実力が足りなさすぎた。

 それはアリシアとリオンも同じであり、悔しそうにする三人を見てルーカスは気を引き締める。そもそもここがはずれか、当たりでもルーカスが発見されなければ良いだけのことだ。

 心優しい後輩たちに危険を負わせはしないと、気合を入れなおしたルーカスは洞窟へ向けて歩き出した。


 走りながらルーカスは魔力を集中させる。それはミリアでさえ、すぐさま理解できないほど複雑な術式。だが何百、何千、何万と繰り返してきたルーカスになら息をするように発動することも可能だった。

 魔法が発動するとルーカスは身体が小刻みにぶれるような奇妙な感覚に捕らわれる。目を閉じその感覚を無抵抗に受け入れ、眼を開けるとそこは別世界だ。


 視界の全てが白黒となり、まるで古いテレビを見ているかのような光景が広がっている。その他の感覚は全て消え失せ、頼りにできるのはひどくぼやけた白黒の視界だけ。だが、今のルーカスを他の人間が認識することは不可能となっていた。

『世界の裏側(アンダー・ワールド)』。ルーカスの完全な隠密能力はこの魔法のおかげと言っても良い。

 今のルーカスは他のあらゆる干渉を受け付けない代わりに、こちらからも干渉できない別の異空間に身体が存在している。そして感じ取ることができるのも視界だけと、正に世界の裏側にいる状態だ。


 これがあれば偵察なんてお手の物と思われるかもしれないが、残念ながらそこまで高性能なものでは無い。触れることができず、会話が聞こえず、文字を読むにも視界が粗過ぎて不可能とルーカスにだって何か行動を起こすのは事実上不可能なのだ。

 そのためこの状態で敵陣の懐に潜入した後、途中で通常の隠密魔法に切り替えるのがルーカスのスタイルだった。他には戦闘中に背後に移動してから察知不可能の奇襲を仕掛けるなど、十分すぎるほど有能な魔法である。


(まあ、あっしも完璧に使いこなしているとは言えないんでやすがね)


 この魔法の開発にはルーカスももちろん深く関わっているが、最終的に完成さえたのは恩師であるミリアの亡き夫ルスベルだ。十年以上経った今でも、ルーカスはルスベル以上には使いこなせてはいないと自己評価していた。


 自虐的なことを考えつつも、洞窟を突き進む。まともな照明が無いようだが、今のルーカスには関係ない。ターナたち転移者が見れば口をそろえて言うだろうが、今の視界は赤外線カメラのようなものだからだ。

 そのため、特に不自由なくルーカスは開けた空間にたどり着き、


(ここが正解っすか)


 多くの人間がたむろしているのを発見した。広場はかなり大きく、軽く五メートルは超えるだろう天井は見上げるほど。学校の体育館ほどの広さはありそうで、壁には多くの魔水晶が明かりを放っていた。

 そこで何やらどんちゃん騒ぎをしているのは、様々な服装をした恐らく転移者であろう集団である。


(ずいぶんと呑気なことで……自分たちがやったこと分かっていないでやすか?)


 足元には大量の食べ残しが放り投げられ、あちらこちらで酒瓶が開けられている。酔いつぶれているのか、固いはずの地面に四肢をだらしなく投げ出している人も少なくない。

 まさに夜通し行われているパーティー会場と言った光景だ。見張りが居なかったこといい、危機管理があまりにも無さすぎる。実は関係ない秘密のクラブにでも侵入してしまったのではないかと疑うが、情報にあった場所はここで間違いない。

 捕虜の男が嘘を付いている可能性も否定できないが、関係ない集団という線は捨てても良いだろう。


(ここが当たりならどこかに都市長が閉じ込められているはずっす。今すぐ助け出せなくても場所さえ把握すれば……)


 本当なら敵の居場所を割り出せた時点で、帰還しても良い。だが、『世界の裏側』を発動させながらでも可能な情報収集はやっておきたい。

 そう判断し、大広場の奥に別の通路があることに気づいたルーカスはそちらへ歩き出す。


 ──その一歩目を踏み出した瞬間だった。


(ッ!?)


 背後から殺気を感じ取り、ルーカスは前方へ飛びながら素早く背後へ振り返る。そこにいたのは短剣を振り下ろしたままの姿勢で立つ男であり、何故か眼が合った。

 否、気のせいのはずだ。しかし、男はまるでルーカスを認識しているかのように懐から取り出した別の短剣を投擲する。


『世界の裏側』は未だ発動したままであり、他者からの干渉は受けないはず。故に、この短剣の投擲もルーカスに傷をつけることはおろか、触れることすら叶わぬはずなのだ。

 だが、ルーカスの長年の勘はこの攻撃に最大限の警報を鳴らしていた。


「くっそッ!!」


 視界がおぼつかないせいで判断が遅れる。投擲の狙いはルーカスの顔面。ワンテンポ遅れてそれに気が付くと、身体を横に捻り全力で射線から逃れる。短剣の切っ先はルーカスの頬を掠りだけに留まり──一筋の赤い傷を作っていった。

 傷を受けたことに驚愕しつつも、ルーカスの行動は早い。すぐさま入口の方向へ振り返ると、全力で走り始める。


(ちくしょう、どうやってあっしの術を感知してるっすか!? いやそれよりも四人が危ねえ!)


 幸いにもルーカスを認識しているのは短剣の男だけのようで、他の人間は突然武器を取り出し始めた男に戸惑うことはあれど、攻撃してくる様子は無い。

 今すぐに撤退すれば十分に逃げ切れる。外に待機しているクリスたちも騒ぎが起きた時点で逃走の用意はできているはずだ。敵側に気づかれてしまったのは失敗だったが、まだ致命的な段階には陥っていない。


 ルーカスを感知できている様子の男には注意しようと顔だけで振り返り、思わず戦慄する。短剣の男の隣に、本らしきものを持った女がいつの間にか立っていた。女は短剣の男に指さされた場所、言い換えるならばルーカスが走っている最中の地点を見つめ、本を開く。

 その本が一体何なのかは判別付かない。だがそれがルーカスの想像通り、例えば魔道書の類だとすれば──。


 ──直後、ルーカスの視界は真っ白に覆われた。


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