第三十二話:決して慣れてはいけないこと
雲一つない一面の青空に浮かぶ、太陽の位置を確認。その全容を現し、地平線を超え切り温かい朝日を放つそれから察すると、時刻は恐らく明朝五時ほどか。長年の勘からさほど誤差が無いことを確信して、ルーカスは焚火を挟んで向かい側に座る少年、リオンと彼の頭に上に鎮座する精霊フウに目配せした。
一人と一匹はそれを正しく受け取り、隣で寝ているクリスとアリシアを夢の世界から引き戻しにかかる。その間、ルーカスの仕事は周辺の警戒だ。地平線の先まで続くこの平原で襲撃を仕掛ける者はいないと思うが、万が一に備えることは大事である。
「二人とも、時間だよ」
「……よし、もう大丈夫だ。見張りご苦労さん」
警戒を続けつつ、ちらりと視線を向けると既に覚醒した様子のクリスと、中々起きそうにないアリシアが視界に映る。リオンが何度揺すっても起き上がる気配は無く、不意にフウが顔面に張り付いた。
口と鼻が塞がれ、アリシアの呼吸が乱れるがそれでも目覚めには足りない。その姿にフウは実に人間染みた呆れの表情を浮かべると、鋭い爪で鼻を突きさした。
「いってえッ!? 前も見えねえし……おい、フウ。もう少し起こし方があるんじゃねえか?」
「もっと早く起きてくれれば、ボクだってやらないよ」
悲鳴を上げながら飛び起きる黒髪の少女に、ルーカスとクリスは思わず顔を見合わせて苦笑する。立ち上がったアリシアは顔面に張り付いている銀色の精霊を両手で引き剥がすと、リオンへ向けて無造作に放り投げた。緊張感が無さすぎるのも問題だが、こうやって適度に騒ぐのも悪くない。
ルーカスが冒険者を名乗り始めて十五年以上。久しぶりに初心へ帰ったような気がして、さらに一つ笑みを零した。
「みんな起きたっすね?」
「おう、アリシアも……もう平気そうだな」
「おかげさまでな」
鼻に小さな傷を増やしつつ、不機嫌そうなアリシア。ターナ同様、朝に弱いアリシアは何度もフウの餌食となっているのだ。見張り番が後半の時、つまり深夜に起こされるときにはすぐに目を覚ますのだが、きっと就寝時の意識の問題だろう。
可能であれば常に素早く起きてもらいたいものだが、つい最近まで野宿など経験したことの無かった現代日本人にそれを要求するのは酷と言うものだ。
ルーカスを含むクリスたち三人が何故野営などをしているのか。それは都市長誘拐グループが潜伏している拠点の候補地の一つを調べるためだ。
捕虜とした例の転移者の男によれば、元々この辺りに住み着いていた大盗賊グループの拠点を奪い取り使用していると言う。巧妙な彼らは複数ある拠点を転々と回ることで、居場所を把握されないようにしていたらしい。
所詮、中身は現代日本人でしかない彼らが、それを効率的に活用できているのか疑問ではある。だが、盗賊を真似て拠点を移動し続けていることは確かであり、それならばしらみつぶしに居場所を特定しようと言う訳だ。
幸い、都市に雇われていた私兵とルーカスの連れである冒険者で人数は十分。各拠点へ小規模の偵察を送ることとなり、ここにいる四人もその一つだった。
「今日はいよいよ、候補地に到着っす。実際に潜入するのは明日になりやすが、例の集団……もしかしたら“天使狩り”と戦闘になってもおかしくはないっす。身を引き締めるように」
意識して真剣な顔つきを作ると、戦い慣れていない三人へ向かい合う。クリス、アリシア、リオン、フウ。こちらを見返してくるそれぞれの表情に遊びは一切含まれていない。一度だけであり、さらに多くの仲間が周りにいたとはいえ、実戦を経験したことが大きいのだろう。
少なくともゴブリン程度の魔物しか討伐経験の無い下級冒険者よりかは、よっぽど良い顔つきをしていた。だが、ルーカスやミリアなど超が付くほどの一流冒険者からしてみればまだまだ粗が多く──伸びもまた早い。
さらに言えば、“天の落とし子”ともまた違った境遇である彼らは、肉体だけで言えば既にある程度の標準に達しているのだ。後は技術を伸ばせば、かなりの戦力になるとルーカスは読んでいる。
はっきり言って現状では力不足の彼らに、同行を許可させているのはそのためだった。召喚魔法による一連の騒動がそう簡単に収まるとは到底思えない。戦力になりそうな人材は少しでも育成しておきたいのだ。
「分かってる、万が一戦闘になったら離脱を優先。ルーカスが勝てると判断した時だけ反撃だったよな?」
「その通りっす。命あってこその人生、恥だの何だの言われようと生きていたらいくらでも汚名を返上のチャンスはありやすから。でも死んだらそこでお終いっす」
信用、武器、金。冒険者をやるうえで、大事にしなくてはいけないものはいくらでもある。だが、最も失ってはいけないものは自分と仲間の命だ。これには商売道具である肉体に何らかの欠損を受けないようにと言う意味も含まれた。
クリスたちは冒険者では無いが、戦場に身を置く者すべてにこの考えは適応される。
──ルーカスが恩人から受け取った多くの教えの内の一つだ。
「……それを仲間のために投げ捨てる人もいるっすがね」
優しく、強く、憧れだった人物。艶の良い茶髪が特徴的で、時々子供じみた活気のある笑顔を零す人だった。
思わず空を眺めながら遠い目をしてしまい、ふと視線を降ろすと怪訝そうにこちらを見るアリシアと眼が合う。早く指示を寄越せと、バカ正直に訴えていた。
失礼とも取れるその態度を良いものと捉えるか、悪いものと捉えるか。人によって大きく分かれるところだろうが、少なくともルーカスは嫌いでない。ついついそれを顔に出してしまって余計に不機嫌オーラを強めるアリシアへ苦笑すると、将来有望な後輩たちへ指示を飛ばした。
☆ ☆ ☆ ☆
既に三日目ともなる行軍は昼頃まで順調に進んでいた。先頭には盾による守りが得意なクリスが付き、その次に機動力の高く前後両方へ駆けつけられるルーカスとアリシア。殿にフウとの協力で索敵能力の高いリオンだ。
季節的に気温は程よく、遮るものの無い草原では気持ちの良い風が吹いている。目的を忘れることができれば気分はピクニックだろう。
「相変わらず、何もありやしねえ」
ただし、それが短時間であればの話である。一日中、僅かな休憩を除いて変わらぬ景色をひたすらに歩き続けるのは中々に堪えていた。いくら強靭な肉体を持っていても精神的な疲労は抑えられない。
ベテランのルーカスは疲労を一切見せていないが、クリスたち元日本人組はそう隠せるものでは無かった。
「ルーカスはよく平気な顔をしてるよなあ……俺は慣れそうにないよ」
「あっしだって最初は数日で根を上げてたっすよ。まあ、二、三年冒険者を続けてたら嫌でも慣れるっす」
後ろを見ずにクリスは言う。軽口を叩きつつも彼からは常に緊張感が漂っているのがルーカスには分かった。いつ何が起きても即座に対応できるように心がけているのだろう。
他の転移者と比べても、クリスだけは妙に元の世界への帰還を焦っている節がある。その姿勢がこういった場面でも表に出てきていた。いつ魔獣や魔物が現れてもおかしくないのだから、緊張感を保つのは良いことだ。
しかし、不慣れなこともあってかクリスは少々過剰である。可能であれば、疲労が溜まらない程度の適度な緊張感がベスト。今回のような一週間以内で終わる作戦や仕事であればまだ良いが、一か月単位での行動となるととても持たない。
──今回ばかりはそれが良い方向に転がったのだが。
「真っ直ぐ行った先に何かいるみたい。十匹以上はいるから魔獣か魔物の群れかな?」
最後尾のリオンから少々固い声が一行の耳へ届く。索敵の距離だけで言えば、風の精霊を使役するリオンの方がルーカスよりも上だ。そのためルーカスは確認できていないものの、補助としてフウが付いている以上、リオンの勘違いもあり得ない。
「種族は分かりやすか?」
振り返り詳しい情報を求めるとリオンは申し訳なさそうに首を横に振る。今のリオンの力量では“何かがいる”程度しか分からないのだろう。だが、気づくことができただけでも上出来。残りはもっと魔法を扱い慣れているフウへ尋ねることとした。
「人型の生物……生きているみたいだからアンデットじゃない普通の魔物だろうね。体格は小さいしたぶんゴブリンだよ。それが十三匹」
チラリと目線を寄越し、正確に意味を捉えてくれた小さな龍の精霊は求めていたことを伝えてくれる。ゴブリン──一人前の冒険者であれば一度ならず何度も討伐の経験があるであろう、ポピュラーな魔物だ。
非常に繁殖力に長けており、一匹いるのを確認したらその十倍はいると教えられるほど。実際、これが誇張どころか少なく見積もっているぐらいであり、一匹発見した時点で大掛かりな捜索活動が始まるほどである。魔物に分類されているだけに文明を築く程度の知能を持ち、放置すると手を付けられなくなるのだ。
一匹一匹は弱いが、増えすぎた数の暴力は都市を壊滅させるほどの災害になった事例も存在した。
要約してしまえば数だけが取り柄の魔物であり、たかが十三匹大した脅威では無い。近くにゴブリンの集落が作られている可能性は高いが、帰還した後に報告だけすれば後は金の匂いに釣られた中級冒険者たちが適当に処理してくれるだろう。
「迂回するのも時間がかかりやすから、このまま討伐していくっす。全員、戦闘準備を」
「大丈夫、いつでも行ける」
「おれも平気だぜ」
「ぼ、僕も大丈夫!」
ルーカスが指示を出すものの元から戦闘の可能性は考慮されていたのだ。気の弱いリオンだけは少々不安であるが、以前の廃墟での戦闘でも初陣にしては十分すぎるほど働いていたので問題は恐らく無く、他の二人も怖気づいている様子は無い。
「クリスは先行して注意を引き付ける。その間に俺とアリシアが一匹ずつ殲滅していくっす。リオンとフウはクリス援護と逃げ出したやつを仕留めてほしいでやす」
本当はルーカス一人で今の数の五倍ほどなら瞬時に殲滅できるのだが、口には出さない。せっかく良い実戦の機会なのだから一人で全て片付けては意味が無いのだ。
それを知らないクリスたちは指示を聞いて大きくを頷くと、クリスを先頭にゴブリンの群れへと向かっていった。
なるべく気配を消しながら進み数分。目視できる範囲に獲物を捉えるとフウの行った通り、十三匹のゴブリンが何かの死体に群がっていた。
恐らく狩りをしていたのだろう。だが、綺麗に切り分けるという概念が無いのか、むやみやたらに元の姿が判別できない肉塊を千切り、一匹のゴブリンが両手一杯に抱えていた。
「うわっ……見たくないもの見ちまった」
あまりにグロテスクな光景に対してアリシアが心の底から不快だとばかりに吐き捨てる。強がってはいるが、三人ともに顔色は悪かった。
「魔法使いが二匹っと……他は通常の個体っすね。リオンとフウで魔法使いの二匹を最初に仕留めて欲しいっす」
「う、うん。やってみる」
静かに目を閉じるとリオンが魔力を集中させていく。それに合わせてリオンの足元からそよ風が吹き始め、少し長めに伸ばした彼の髪の毛を撫でていった。
それに対しリオンの頭を離れて肩のあたりに浮遊しているフウからは魔法の前兆を一切感じない。これはフウがサボっているわけでは無く、周囲に全く漏れないほどの完璧な魔力のコントロールを行っているからだ。
そのためフウの方はとっくに魔法の準備は終わっており、リオンが目を開くのを合図に二つの魔法が放たれる。
「『風刃』!!」
「『風刃』」
少年と精霊、二つの詠唱が同時に行われ見えざる斬撃が飛び出す。それは獲物に夢中になっていたゴブリンの真横を通り抜けていき、奥に手持無沙汰に立っていた魔法使いらしきゴブリンをそれぞれ両断していった。
「バギョ、ラ!!」
下半身と上半身が泣き別れし、臓物と血を平原にまき散らす気持ちの悪い音が響くとようやくゴブリンたちは襲撃に気づく。人間には理解出来ない言語を叫ぶと、円を描くように陣形を築き──真っ直ぐに突っ込んでくるクリスを見ると、戦術など投げ捨ててバラバラに走り出した。
「ほらよ! こっちに来いッ!!」
そのまま守りに徹したまま逃げていれば、もう少し耐えることもできた。だが、それができる理性は残念ながら持ち合わせていない様子だ。
意味の分からない叫び声を上げながら武器を振り回すゴブリンたち。その頭の中にはクリスを八つ裂きにすること以外には存在しない。
「遭遇したのは偶然。それで殺されるあんたたちには少しだけ同情しやすが、手を抜く気はないっす」
つまり、他のメンバーから攻撃を無防備に受けることとなる。突然、ゴブリンたちの背後に現れたルーカスが短剣を一振りすると首が一つ吹き飛ぶ。慌ててゴブリンたちが振り返ったときにはその姿は消えていた。
代わりに眼を付けられたのは別の二匹をまとめて焼き払ったアリシアだ。炎を帯びた大剣を担ぐ黒髪の少女を見るや否や、クリスの時とは別の意味で興奮しながら襲い掛かる。
「てめぇら、気持ちわりぃんだよッ!!」
メスよりオスの方が圧倒的に個体数の多いゴブリンは、多種族を襲うことでも繁殖が可能な生態となっている。それだけ言えばアリシアへ向けられたゴブリンたちの目線がどのような物かは容易に想像できるはずだ。
アリシアが思わず怒鳴り散らしながら、数匹をまとめて炎の斬撃で焼却しても誰にも文句は言えまい。
そこからはひたすらに乱戦だった。あえてゴブリンのど真ん中に突っ込んでいったクリスに再び敵意が集まり、自由になったアリシアとルーカスとでテンポよく討伐。
「ごめんよ」
残り二匹となったところでようやく不利を悟ったのか、それぞれ違う方向に逃走を図ったものの片方はリオンの魔法によって縦に真っ二つ。もう片方はルーカスの短剣に首を切り裂かれて息絶えた。
最後の一匹が地に倒れる音を聞くと、クリスたち三人は肩から力を抜く。辺り一面真っ赤に染まってしまい、爽やかな風には鉄の匂いが混ざってしまった。
三人の中には戦いを終えた直後の高揚感もある。だが、それ以上に目の前の光景を自分たちが作りだしたのだと、嫌でも認識させられ気分の悪さが勝る。
戦闘が終わり、冷静になってくると余計にそれが強くなっていくのだ。
「やっぱり、“殺す”ってのは慣れないに無いな……」
ポツリとクリスが零した一言に、顔を真っ青にしたアリシアとリオンも同意だと頷いた。




