第三十一話:見覚えのある短剣
人間二人が入れるかといった大きさの金属製の箱がある。前面を華やかな布のカーテンで開閉可能にされた、所謂試着室と呼ばれるものだ。
その箱の前で腕を組んで佇むのは金髪をサイドテールに結んだ女性、つまりジェシカ。彼女は内から湧き出る抑えきれない笑みを顔面に貼り付けながら、妙な迫力を放っていた。
ふと試着室のカーテンを内側から白く綺麗な指が掴む。それを見たジェシカは子供のように目を光らせ、待ちきれないのか忙しなく足と指を動かし続ける。
それに対して指の方の動きからして中の人間はあまり乗り気でないようだった。カーテンを掴み一度は開けようと力を入れたものの、直前で指を離してしまう。そのまま何かに耐えるようにカーテンを握りしめ動かない。
そんなもどかしさを感じるような動作までも、ジェシカは楽しんでいるようだった。これが小動物を愛でるような姿であれば、ジェシカの容姿も相まって微笑ましい景観になっていただろう。
しかし、今の彼女の笑みは完全に変質者のそれだ。微笑ましい要素など何一つ無く、むしろ通報されかねない。
そんな笑みを向けられていると気づいているのか、いないのか。覚悟を決めたように試着室の中の誰かは手を握りしめると、勢いよくカーテンを開け放った。
「おお、いいねえ……!」
「……っ!」
視界を遮るものがなくなり、試着室の中の人物が姿を現す。露出度が高い服装で真っ白な肌を晒し、俯いているその表情を見ることはできない。しかし、掴むことさえ難しいほど短い丈のスカートを握りしめている姿を見れば、想像など容易かった。
「“僕”の中身を分かっていてやってるんですか……!? 男がこんなの着ているなんて完全に変態ですよ……!」
「いや、だって今は女の子だもん。セーフよ、セーフ」
何を言っているのだと、当たり前のように返され俯く少女、ターナは思わず反撃の言葉を取りこぼす。そうなってしまえばもう負けも当然だ。
遠慮なく観察してくるジェシカの視線に恥ずかしさで目を合わせることもできない。自然と視線は程よく膨らんだ胸を通り、足元へ向かうわけで自分の服装を再認識させられる。
何度見ても肌色の比率が大きすぎる姿だ。大胆にもお腹がへそごと丸出しであり、特にスカートの丈など下着が辛うじて見えない程度しかない。
少し走るどころか、一歩でも歩いたら丸見えになりそうだ。ジェシカと店員曰く、この程度なら見えやしない、だそうだがターナは一片たりとも信じていない。
「もう十分でしょう……? 着替えますよっ」
「うん、まあいいよ」
意外とジェシカの許可が簡単に引き出せ、僅かに肩透かしを受けつつも安堵の息を吐く。ただのワンピースでもレベルが高いと思っていたのに、こんな服装では恥ずかしさで死んでしまいそうだ。
さっさと終わらせようとカーテンに手をかけ、ふわりと腕に乗せるように何かが放り投げられた。もちろん、投げ手はジェシカであり意地悪そうな笑みを浮かべている。嫌な予感を覚えつつ、布の正体を見極める。
真っ黒なワンピースのような服に大量のフリルなどで、これでもかと装飾の施された所謂ゴスロリ衣装と言うものだった。
「えっと、これは?」
「次よ、一着で終わりなわけがないじゃない」
「ちょ、もう十分付き合って……」
「ルーカスさんから受け取ったお金は無駄遣いできないし、それ以外にはあたししか持っていないのよ。昼飯抜きにする?」
羞恥心で真っ赤に染まっていた顔面が、恐怖で真っ青に上書きされる。獰猛な笑みを浮かべるジェシカから逃げられない。食事を人質に取られて、為す術無いターナは甘んじて受け居る他なかった。
この羞恥攻めから解放されたのは、午後一時過ぎ。お昼時を逃した後だった。
☆ ☆ ☆ ☆
「本当に、もう二度とやりませんよ……」
「いいじゃない、どれも似合ってたわよ!」
ジェシカの、ジェシカによる、ジェシカのためのターナ着せ替えショーが終わった後、街のカフェの一角に疲れ切った様子のターナと元気いっぱいなジェシカの姿があった。
机に突っ伏し、頬を潰しながら不思議な色のジュースをストローでかき混ぜるターナは正に満身創痍。逆に鼻歌を歌いながら別の飲み物を楽しむジェシカは対照的だ。彼女のペースに巻き込まれたものは大抵このような状態になる。アリシアなどは常にそうだろう。
「んじゃ、昼ごはん食べたら武器屋とかを眺めて、それで時間かしら。思っていたより回る時間は無かったわね」
「誰のせいで時間を浪費したと思ってるんですかね……」
ジト目でジェシカを睨み付けながらストローに口を付ける。果物特有の甘さが口に広がるが、記憶の中に思い当たるものが無い。奇妙な味に疑問を抱かないことも無いが、今は純粋に舌を楽しませてもらう。
「それと、ジェシカさん。いつの間にこの世界のお金を手に入れてたんですか?」
元の世界でのオフ会の真っ最中にターナは召喚魔法に巻き込まれ、それはジェシカたち他のギルドメンバーも同じだったはずだ。そしてこの世界に召喚されて二週間足らずで、既に騎士団に保護されていたのを確認している。
「たぶん、騎士団に保護される前ですよね?」
つまり、召喚直後の一週間と少しの期間を除き、貨幣を入手できたタイミングは無いはずだった。
「うん、正解。あたしは王都にある宿屋の食糧庫に中に飛ばされちゃってね。いやー、今なら笑い話にできるけど真っ暗闇で丸一日も閉じ込められてたもんだから、凄い心細かったわよ。それで宿の持ち主の家族に見つけられた後は、そこで手伝いをしてたわけ。お金はその時に受け取ったものね」
「良くもまあ、そんなピンポイントな場所に飛ばされましたね。運が良いのか、悪いのか」
召喚魔法の詳しい原理が分からない以上、召喚先の座標は王国内のランダムと言うのがターナたち共通の推測だ。それで正しいと仮定して、大した広さは無いだろう倉庫の中に飛ばされるとは運が無さすぎる。
「そういえば聞いていなかったわね。ターナちゃんはどこに? ミリアさんに助けられたってことは村の近くなんだろうけど」
「“僕”は魔獣が住み着いてる森の奥でしたね……ミリアさんが来てくれなかったら今頃狼たちの腹の中ですよ」
「ええ!? あたしはやっぱりマシな方だったのか。まあ、無事で何よりよ」
ターナの言葉にジェシカは目を見開きながら驚きの声を上げ、すぐに安堵したように息を吐いた。今思い返してみても、状況は最悪と言えただろう。多少なりとも剣と魔法を今でも、殲滅しきる前に数の暴力に蹂躙されていたのは目に見えている。
未だ自覚の薄い、元の身体の持ち主とやらが表に出てくれば話は違うのだろうが。
「本当にミリアさんには感謝してもしきれませんよ」
今更だがミリアにどれだけ助けられているのか再認識。この事件が落ち着いてそれでもまだこの世界に留まることがあれば最大限の恩返しをせねばならない。
「それじゃあ、他のみんなはどこに召喚されたのか知っているんですか?」
「クリスさんがクリノ平原で、アリシアがラプター湖。リオン君は……まあ言っちゃっても大丈夫かしら」
「……何かあったんですか?」
常に明るい雰囲気を崩さないジェシカが、悪い系統の表情を顔に浮かび上がらせる。それだけでこれから話すことが、気分の良い話題で無いことは明白だった。
「まあ、本人が居ない今こそ話すチャンスかも。あまり思い出したくないだろうし」
そう言ってジェシカは一度頭の中で話を整理するように目をつむる。そして一度ジュースで口を湿らせると、話し始めた。
「リオンくんが飛ばされた先は、岩の森。ゲームの時にも存在してた中盤のダンジョンね」
「岩の森って、リオンさんのレベルならフルPTで行くようなダンジョンじゃないですか……。ゲームの時でさえ厳しいのに、現実になったこの世界でそこに一人で?」
岩の森。スキル性を採用されていたゲームであったため、指標となる数字を上げにくいが、PTでクリアできれば上級者の仲間入りと言った難易度のマップだ。
名称の通り、岩のようなに固くて脆い木々で構成された地底の森林。アンデット系統の魔獣や魔物が多く出没し、一日中暗闇覆われたフィールドである。あくまでゲーム時代の知識だが、この世界でも大きくは違うまい。
それこそ全てをMMOに捧げたトップランカーであればソロで攻略する猛者もいるだろうが、ターナたち社会人プレイヤーにソロクリアは荷が重い。
「正確にはフウと二人ね。あたしたちと違って、自由に魔法を使えたフウが居なかったらリオンはたぶん助からなかったわ」
「それでもフウだけじゃ、突破するのは難しいはずですよ。どうやって脱出したんですか?」
「必死に逃げ回ってた先で、偶然に鉢合わせた冒険者に助けられたそうよ。そのまま何事も無く脱出できたら良かったんだけど……」
言葉を一度区切るジェシカ。どうやらそれだけでリオンの不幸は終わらないらしい。
「数日も走り回っていたせいで、リオンくんを仕留めようと大量の魔獣が狙っていたそうなの。それに気づかずに人を見つけて気を抜いちゃったから、一気に襲われたらしくて……」
「その冒険者たちは壊滅、ですか」
ジェシカが小さく頷くのを確認して、ターナは自分の予想が正しいことを確信する。気が弱く、それ以上に優しいリオンのことだ。自身の不注意で人が死んでしまったのなら、相当なトラウマになってしまっていてもおかしくは無い。
「これはリオンくんを保護してくれた騎士の人に聞いた話で、本人はあたしたちが知らないと思ってるはずだわ。自分からは話すと思えないし、アンデットと出会ったときとかにさりげなく気にかけてあげて」
友人のためだ、断る理由も無く力強く頷く。特にリオンはターナたちの中で最年少である。大きく差がある訳ではないが人生の先輩として面倒を見てやるのが勤めだろう。優先順位を高めに心の中にとどめておくと、料理を持った店員がこちらへ向かってくるのが見えた。
「さあ、暗い話はやめて、腹ごしらえといきましょうか」
ターナの目線を追い、ジェシカも昼食の到着に気がつくと、お腹を叩きながら舌を少し出して見せる。暗い話題を塗り替えようと気を使う彼女の姿に一度小さく苦笑すると、机に置かれた料理へ手を伸ばした。
☆ ☆ ☆ ☆
時刻はまた少し進み、午後二時。人口密度がピークに達した大通りを何とか突破し、ターナとジェシカは先ほどまでいた区間とは別の場所、冒険者向け商店の並ぶ通りへとやってきていた。
冒険者向けと銘打っているだけあり、通りに見える店は武器、防具、それからポーションなどが売っている雑庫店らしきもの。意外と文明の発達しているこの世界では、せいぜい海外に来た程度の街並みしか見れなかったが、ようやく異世界らしき場所に来られたものだ。
「やっぱ、これですよね! これぞファンタジー世界ですよ!」
「気持ちも分からなくはないけど、凄いテンションね」
「ジェシカさんには言われたくはないです……」
どちらかと言うと控えめな性格のターナが大声を上げて喜んでいる。珍しいものを見たとばかりにジェシカから視線を向けられるが、この気持ちは男にしかわからないだろうか。
こうした武器へのときめきを忘れるほど、年を喰った覚えはターナには無いのだ。
「ここらは治安もあまり良くないらしいし、暗くなる前に済ませちゃうわよ」
「そうですね、さっさと回りましょうか」
ジェシカの言い分も最もであり、素直にターナは頷く。そうと決めれば早く行動に移そうと考え、まずは向かって右側少々離れた位置にある武器屋へ目を付けた。ジェシカを伴ってそこへ歩いていくが、見た目若い女性であるターナとジェシカへ不思議なものを見るような視線を他の通行人から浴びせられる。
中には身体や顔を嘗め回すような視線を遠慮なく向ける、チンピラ崩れのような者までいたが仕方ないのかもしれない。荒事を仕事にする冒険者の店の前を、戦いどころか喧嘩すらしたことが無さそうな二人組が歩いているのだ。
珍しい光景であることに間違いはない。
「なんか騒がしいわね」
「店の中からですね……どうしましょうか」
目標の店に前に到着し入口を開けようとした時、内側から男性の怒鳴り声が聞こえてきた。思わず隣のジェシカと顔を見合わせ、ガラス越しに店内を窺ってみる。ここからははっきり見えないが、茶髪の冒険者らしき男性が店員に向けて何かを話している。
今から入るには余計なトラブルに巻き込まれるのは明白だ。ジェシカと眼でお互いの意志を伝えあい、それが一致していることを確認。
そのまま黙ってその場を離れようと振り返ろうとし、ふとこちらに気が付いた男性と眼が合った。
(あ、これダメなやつだ)
この先の未来を瞬間的に幻視し、背中に冷や汗が流れるのを感じる。そんなターナの内情を知っているのかどうなのか。男性は嬉しそうにターナとジェシカの顔を見比べると、くいっと顎を引いた。
「来いってことかしら。ターナちゃん絶対にこれ、面倒になるわよ」
「すみません……」
ジェシカに攻めるような口調で言われるが頭を下げるほかない。逃げるにしても追い付かれたときに何をしてくるか、こういう輩は想像できず今は従うのが賢明だろう。
渋々入口を開け、店内に入り込むと改めて男性の姿を観察する。
髪は先ほど見た通り茶色。それをやや長めに伸ばし、顔つきは悪ガキをそのまま成長さえたような意地の悪いものだ。首から下はたれ下げられた黒い布で隠されており、体つきは判別できない。
(この人、どこかで……?)
ターナには何故か、その男性に見覚えがあった。実際に会ったことは無いはずだが、何と言うべきなのだろうか。知り合いの兄弟を偶然街中で見つけた、そう言い表すのが正しいのかもしれない。
「いやあ、良かった良かった。このジジイ頑固でよ。お前らからも言ってやってくれ」
「言うも何も状況がわからないんだけど」
「確かにそうだ。それでこれの金額についてなんだが……」
そう言って男がカウンターに乗せられていた短剣をこちらへ差し出す。それを受け取り様々な角度から見回してみるが、別段変わったところの無い、ごく普通の製品だ。
「えっと、普通の短剣に見えますが……」
「だろ? それをこいつはよ、銀貨九枚だなんて言いやがるんだ。こんなのぼったくりに決まってる」
断言されるが、ターナとジェシカには短剣一本がどの程度の価値があるのか、今いち分からないため答えようがない。困ったようにカウンターの向こうにいる初老の店長らしき人物へ視線を送ると、店長は仕方がないとばかりにターナの手から短剣を奪い取ると抜き放ち、
「こいつは一個一個俺が手作りしてるんだ。他の店よりかは多少値が張るがその分、性能は保障してやる。値を下げる気は毛頭ねえぞ」
掲げながら説明して見せた。その姿はどこか誇らしげで、商品に絶対の自信を持っているのが伝わってくる。きっと店長の言葉に嘘は無いのだろう。
だが、男性がそれで納得するかと言えばそうはならない。
「量産品とこれとで何が違うってんだ? あぁ!?」
「見る目が無さすぎる。そんなんなら冒険者なんてやめちまえッ!!」
お互いが怒鳴り声を上げながらヒートアップ。
──臨界点を突破し、男性が懐へ腕を入れるをターナは見逃さなかった。
勢いよく腕を振るう男性にターナの身体が最大限の警報を鳴らし、腕に魔力を流しこむと二人の間に割り込んだ。
すかさず、男性の手首を力任せに掴み──店長の鼻先ギリギリのところで止まった漆黒の短剣を横目に見て安堵の息を吐く。
「今の確実に殺す気でしたよね?」
「邪魔してんじゃねえぞ、この糞アマが」
ターナの問いかけを無視し、男性は構わず力を込める。店長の方は突然に強行に腰が抜けてしまったのか、眼を見開いたまま動けない。だが、強化魔法を使っている分、女性の身体のターナであっても純粋な力比べでは早々負けることは無かった。
いくら力を入れてもまるで動かない短剣を見て、男性は明らかな殺意の矛先をターナへと向け直す。顔を凶悪なものに変えると、ターナをにらみながら脅しをかけ、
「すぐに手を離せ。その綺麗な銀髪ごと切り裂いて……銀?」
ふと腕にかかっていた力が抜かれた。思わず拍子抜けするターナをよそに、男性はそのまま短剣をしまい込むと、いらだたしそうに右手で顔を抑える。
「銀髪の強化魔法の使い手。話が違うぞ……、どうしてこいつらがここに」
「何があったのか知らないけど、これ以上騒ぐなら警備の人を呼ぶわよ」
ブツブツと何事かを呟くが、ターナたちには内容まで判別付かない。
「っち。今のことは忘れておけ」
ジェシカの言葉には答えずに、男性は店長から短剣を奪い取ると、銀色の硬貨九枚をカウンターに叩き付けて言い放つ。突然、素直になった男性に状況を把握できないターナたちを置いて、さっさと逃げるように立ち去ってしまった。
「こんな嬢ちゃんに助けられるだなんて情けねえ。だけど、助かったぞ」
店長からのお礼の言葉も耳に入らず、ターナは男性が消えていった通りを見つめる。胸に残ったもやもやは何なのか、自分のことながら理解できずにいた。




