第二十六話:新たな事件の予感
良い香りと湯気をたてるスープを見つめながら、ターナは胃の痛みを感じていた。現在の時間は廃墟での戦闘から三日後の夜。最寄りの都市から来た救援に負傷者を受け入れてもらった後、その都市の兵士の食堂を使わせてもらっている。
とは言っても、突然百名を超える人間を完璧に受け入れられるわけでは無い。普段から利用している兵士たちの食事が終わってから利用さえてもらっていた。そのため時刻は午後十一時を回り、もうすぐ日付を跨ぐような時間帯だ。
それでも長いこと携帯食料だけで過ごしてきたターナにとって、食事の時間など大きな問題では無い。温かいスープと肉を食べられる、それだけで満足だ。可能なら和気あいあいとした雰囲気も付属してくれると嬉しいのであるが。
「……」
同じ机を囲んでいる人間は、ターナも含めた転移者五人に精霊一匹だ。ミリアとルーカスは冒険者側の人間たちと食事を共にしていて、今後のことを話していると言っていた。
冒険者たちは何名か仲間を失い意気消沈しているが、それを励ます二人のおかげでどうにかなっている。騎士団も悲しみよりかは“天使狩り”に対する怒りの方が勝っているようで、あまり良い傾向では無いものの致命的に士気が下がっているわけでは無かった。
そしてターナたち転移者はどうかと尋ねられると、死者のいないここが最も暗い雰囲気となっている。原因は分かりきっていた。元の世界に帰る手段が存在しない、その可能性が高いこと。
なにより普段ならムードメーカーの役割を果たすクリスがこの数日間、まともに口を開かないからだろう。
──だからこそ、ここでクリスが話題を振ってきたことに全員が驚きを隠せなかった。
「なあ、フウ。一つ聞きたいことがあるんだけどいいか?」
「ボクに答えられることなら何でもいいよ」
ただ一匹、精霊のフウを除いて。ここだけ切り取れば何ともない、平和な日常の会話に聞こえなくもないだろう。少しは雰囲気の改善になるかもしれない。そうターナは思い、直後に期待は裏切られる。
「フウはどこまで知っていたんだ?」
「君たちがボクの友人の身体を使っていて、原因を作ったのが“天使狩り”だなんて名乗っている男性。それとアーネット司祭が扱う奇妙な魔法。それぐらいかな」
「────」
あっけらかんと答えるフウにクリスは目を閉じて黙りこみ、ターナたちは絶句する。
「いつも不思議に思ってたんだよ。お前は俺たちと違ってこの世界の知識を最初から持っていたみたいだったからな」
「そうだよ、ボクは元々リオンと……クリスに分かりやすく言えばこっちの世界の“リオン”のパートナー精霊だった。近衛騎士団の一個中隊が“天使狩り”とアーネット司祭に全滅させられた時にも居合わせていたから、あの二人がどういう戦法を取るのかもある程度知っていたね」
「どうして黙ってたッ……? それだけ分かっていたなら、あの時の対応も変わっていたはずだ。もしかしたら“天使狩り”だって逃がさなかったかもしれない。お前も団長さんも、どうして情報を出し渋ってたんだ……!?」
叫びこそしないがクリスの激情はいやというほど伝わってくる。実際、彼らが知っていることを全て話していてくれたら状況はもっと良くなっていたはずなのだ。帰還手段が無いと言っていたのも“天使狩り”であり、捕縛して拷問でもすれば何か手がかりを吐いたかもしれない。
召喚魔法も確保できていれば術式の解析だってできた。所詮は仮定の話。しかし、今より良い方向に転がるのは間違いない。
「……それはボクの判断ミスとしか言えないよ。ボクと“リオン”は戦闘の早い段階でやられちゃったから、大した情報も持っていなかったし、てっきりオリヴァー団長が何かしらの対策をしていると思っていたんだ。だから、“天使狩り”は騎士団に任せて君たちには本当のことを伝えないほうが良いと判断した」
「そんな確証の無いことを理由に……一体何のメリットがあってそんなことをしたんですか……?」
「ターナが一番自覚しているんじゃない? こっちの世界でもそっちの世界でも変わらない。優しい君たちが他人の身体を奪ってしまったって聞いたら、きっと自責の念で苦しむよね」
図星だった。ターナは確かに毎晩悩まされている。自分に非が無いとそれは胸を張って答えられるが、それとはまた別の話なのだ。他人の身体を、人生を奪いそれによって生きながえるということは。
そのことはたった数日でもターナ、否、この場にいる転移者たち全員の心の内に、小さくないしこりとして存在している。
「ボクが“リオン”に最期に言われた言葉は『みんなのことを護ってあげて』なんだ。その“みんなのこと”には心だって含まれるよ」
「最期の最期でこっちの僕はそんなこと言えたんだ……」
リオンにとってこっちの世界の“リオン”とは並行世界の自分のようなものだ。彼の立派な最期にリオンは悲しいような、誇るような様々な感情をかき混ぜた表情を浮かべる。その中には自分が生きていて本当に良いのだろうか、といった自虐的な疑問も含まれていそうだった。
「……俺たちのためを思って、黙ってたんだな? それだったら納得できる。でもただの怠惰の結果だっていうなら俺はお前を一生恨むぞ」
「それなら大丈夫。ボクはみんなが不幸になることは可能な限りしない。“リオン”に誓って絶対に」
「そうか……」
小さな身体から放たれた言葉には、嘘を付いているような雰囲気は一切ない。それを聞いてクリスも満足したのか、食事を再開する。それを見てアリシアとジェシカもほっとしたような表情を見せていた。
「またしばらく騎士団の情報待ち……いや、今回ので近衛騎士団は被害が大きいんだったな。調査に回す手は残ってんのか?」
「それは分からないわね。最悪、クリスが前に言っていたみたいに個人で情報収集する必要もあるかも」
久しぶりの会話にアリシアとジェシカも乗っていく。ここ最近の重苦しい空気で気が休まるときが少なかったのだから、会話に飢えていたのだろう。雑談と言うほど気楽な話題では無いが、それでも今は構わない。
「そうだね、きっと元の世界に帰る方法だってあるはずだよ。最悪、この身体のままって可能性はあるけど……」
「おい、そんな嫌な予想はやめてくれ! こんなちっこい女のまま一生過ごすなんてオレは勘弁だぞ!?」
「いいんじゃない? そのうち慣れるわよ」
「アリシアさん。協力しますよ、絶対元の身体で帰還しましょう」
元の世界での肉体が死んでしまっているのなら、確かにリオンの予想通りになる可能性は低くない。だが、アリシアはもちろんのことターナだって二十年以上男だったのだ。今更女として一生を過ごせてと言われても納得いくはずがない。
アリシアと眼が合い、お互いの意志が言葉は無くても通じ合う。それから誓うように大きく頷き合った。
「二人とも可愛いから、あたしはそのままで構わないんだけどねえ」
「断るッ!!」
「断らせてもらいますっ!」
図らずも声を上げるのはほぼ同時。意志が通じているのは何も比喩では無いのだ。
「そうだよな……行きがあったんだ、帰り道だってきっとあるに決まってるよな!」
「はいっ! 諦めなければどうにかなりますよ!」
少しはいつもの調子を取り戻したように見えるクリス。その姿にターナも笑顔で頷き、ようやく当たり障りのない雑談へと発展していく。久しぶりの明るい食卓を囲んでいる間だけは、悩みも全員が忘れることができていた。
そうして久しぶりに友人たちと笑いあえた食事の後。目の前に広がっていた夕食も既に皿だけとなり、そろそろ寝ようかと思っていたとき食堂に入ってくる気配を感じた。
今の超人染みた身体に慣れてくると、目で見ず耳で聞こえなくても誰かが来たことが察知できるようになってくる。一体どこの漫画だと自嘲気味に笑うと振り返り、気配の正体がキールだと判明した。彼はミリアとルーカスが居ることを確認すると、
「ミリア様とルーカス様、それと転移者の方から何名か……ターナ様とクリス様ですね。“天使狩り”への対応について会議があるのですが、冒険者と転移者の代表者として出席していただきたい」
「何も聞いていないけど、ずいぶんと急にだねえ」
「申し訳ありません。しかし、領主様が全員で顔を交えたほうが良いだろうと提案されたもので」
「領主が? 貴族があっしたち冒険者と顔を合わせたがるだなんて珍しいでやんすね」
これは聞いた話であるが、戦いを営みとして活動する冒険者にはどうしても野蛮な印象が付きまとっているらしい。冒険者ギルドとは職業安定所という側面もあるため、どうしてもチンピラなどが集まりやすいのだ。
しかし、そういう輩は一人前のラインと呼ばれるランクCまでに大抵は仕事中に死亡するか、何かしらのトラウマを受けて引退していくかのどちらかである。運よくそれ以上のランクに達したものも、利口になるというのかそれまでの経験で下手なことはしなくなる。
つまり、一人前と呼ばれる冒険者は最低限の常識を持ったまともな人間がほとんどなのだ。野蛮な集団と言うイメージは低ランクでは正しいが、高ランクになるにつれて間違いだった。
しかし、悲しいかな。集団の評判を決めるのは謙虚な常識人では無く、声の大きい少数の馬鹿なのだ。
ルーカスの口ぶりからして、それを真に受けて冒険者を嫌悪する貴族もきっと多いのだろう。ルーカスが驚いた顔をしているのはそういうことだと考えた。
「その……俺も行って大丈夫なんですか?」
クリスが少し顔を俯かせながら尋ねる。きっとここ最近の自分自身の荒れ具合を指しているのだろう。理由があるとはいえ、キールにだって暴言に近いものを吐いてしまったのだ。信用を失ってもおかしくは無い。
「初陣で取り乱す兵士は必ずいるものです。あのような初陣には過酷すぎる戦闘のせいで混乱していただけ。そうですよね?」
「……はい。ありがとうございます」
キールにはしては珍しい、悪戯っぽい表情を浮かべる。職務に忠実な男性という印象であったが融通は効かせてくれるようだ。それを無駄にしないように、クリスは周りに聞こえないほど小さな声で感謝を述べた。
「ターナ様も同行できますか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
時刻は零時を少し過ぎたあたり。少々眠気を覚えなくもないが、睡眠よりも優先すべきことだ。
「ターナさん、任せちゃってごめんね」
「いえ、このぐらいなら全然。下手に大人数で言っても迷惑でしょうから」
申し訳なさそうにするリオンたちに苦笑すると、心の中で気合を入れなおす。そして、ターナは他のメンバーと共にキールの背を追っていった。
☆ ☆ ☆ ☆
「どうも皆さん。わたくし、ここら一帯の領主を務めさせていただいているオーウェン・マルティネスと申します。いやはや、有名な冒険者の方に加えて、別の世界の人間と会えるとは。実に貴重な体験ですよ」
そうにこやかに切り出したのは会議室の中央に座る少々太り気味の男性だ。柔和なその顔には裏表があるようには見えず、今の言葉も本心から発しているように思えた。
身に着けている衣類や装飾品の類は少々派手すぎる気もするが、貴族ならこの程度当たり前なのだろう。そう考えれば第一印象は悪くない物と言えた。
「私はもう現役じゃないんだけどねえ」
「貴様、侯爵相手にその口の利き方は何だ?」
「落ち着きなさい。貴族同士の会議でも無いのですから構いませんよ」
いつも通りの口調で話すミリアへ、オーウェンの隣に立つ男性が鋭い視線を飛ばす。しかし、オーウェン本人に言われては引き下がるしか無いようで、渋々と言った様子で口を閉ざした。
彼はオーウェンに使えている騎士であり、この都市の兵士を束ねている人物だそうだ。全団員を騎士で固めている近衛騎士団が例外なだけであり、普通はこのように数人の騎士が大勢の兵士を従えているのが軍隊というものである。
「それで……この会議の目的は何ですか?」
「もちろん、“天使狩り”と教会に対する今後の対応についてですよ」
当たり前のように答えるオーウェンだが、元々“天使狩り”を追っていたのは近衛騎士団つまり王家の命令の元だ。それについての会議を何故、王都では無くこの都市で行うのか疑問だった。
「領内に潜伏していた犯罪者をどうにもできずに放置するしかなかった。そのうえで近衛騎士団に力を借りたと、このままでは私のメンツがボロボロですよ。なので少しでも力を貸せたら良いと考えておりまして」
顔に出てしまっていたのか、ターナに向かってオーウェンが口を開く。理由として筋は通っているだろう。
「時間も遅いですし、本題に入りたいのですが……よろしいですか?」
キールは部屋にいる全員が頷くのを確認すると、手元の資料を見ながら説明を始めた。
「まず、アーネット司祭に関して。マルティネス家と王国第一騎士団より、教会に身柄の要求を送ったのですが証拠が無いと拒否されました」
「証拠が無いって……あれだけの人数が見てたのにか?」
「そのはずなのですが、我々と戦闘を行った日の正午には多数の信徒が教会に勤めているのを確認しています。この短時間では移動は不可能だと、教会側は主張していますね」
キールはさらに廃墟からアーネットが滞在している都市までの移動には数日かかる情報を付け足す。
「でもあれが偽物だとは思えないでやんすよ。その教会に勤めている方が影武者の可能性は無いっすか?」
「アーネット司祭は積極的に一般の人々とも会話するような人物だそうで、証言している信徒全員を騙せるとは到底思えません」
「廃墟で遭遇した司祭も、教会に勤めている司祭もどちらも本物だとすれば可能性は一つ。彼らが何かしらの高速移動の手段を保有している言うことですかな」
オーウェンの言葉に全員がその可能性について思考する。ちなみにこの世界には長距離転移魔法は存在しない。『転移』という魔法は存在しているが、移動できる距離はせいぜい目視できる範囲。さらには大量の魔力を消費する、緊急回避用のものだ。
アーネットの能力を考えれば、無限に連発することも可能そうだが、それでもたった数時間でたどり着けるほど短い距離では無い。
「確かにあいつらの使う魔法はどれも奇妙なものばかりだからねえ。一瞬で長距離を移動できる手段を用意していてもおかしくは無い」
「もしそうなら、“天使狩り”が見つからないのも納得できますね。その場から文字通り消えてしまえば、発見できるわけがありませんから」
確かにそうだと、全員が納得の表情を浮かべる。最も全て仮定に仮定を重ねた、根拠のない推理のため頭の片隅に残しておくぐらいの認識なのだが。
その後もしばらく話は続いたが、どれも最初の意見よりは弱くキールが次の議題へと進める。
「続いて今後の我々の動きになります。まず王国第一騎士団は、戦力の低下が著しくまたこれ以上王都を留守にもできません。そのため少数の騎士を残し、本隊は王都に帰還する予定です」
「それが妥当でしょうな。オリヴァー団長が目を覚まさないのは、家族としても騎士としてもキール殿には辛いものがあるでしょう」
「家族……?」
「ターナ知らなかったのかい? オリヴァー団長とキール隊長は血のつながった肉親だよ?」
「そうだったんですかっ!?」
思わず大きな声を出してしまい、慌てて自分の口を手で塞ぐ。オーウェンの隣に立つ騎士に鋭い視線を飛ばされ、思わず小さくなってしまった。
「確かに父さんって呼んだりしていましたね……ということは親子なんですか?」
「正確には先祖と子孫と言うべきでしょう。団長は寿命の存在しない“天の落とし子”のため、今も生きる一族の父として家族の皆に父さんと呼ばれています」
「なるほど」
それほど話す機会が無かったとはいえ、まさかの家族関係に驚きを隠せない。疑問が解決され満足していたが、話を逸らしてしまったと気づき再び小さくなる。
「あっしたち冒険者は継続して“天使狩り”を追うっす。身軽さがあっしたちの利点でやすからね。ただ姉御は……」
「わがままなんだから自分で言うよ。王都にマリーを残しているだろう? だから私は一度帰らせてもらいたいんだ。あの子寂しがり屋だからねえ」
普段から常に胸を張って生きているミリアにしては珍しい、申し訳なさそうな表情だ。確かにわがままと言えるだろうが、火急の要件がある訳でもなく娘の心配をすることは何も悪くないことである。
ミリアと言う大きな戦力が離れてしまうのは心配であるが、この世界に来てから彼女には世話になりすぎた。他に仲間だっているのだから、もうそろそろ自力で動きべきだろう。
「しばらくは調査が主となりますし、問題ないでしょう。次に転移者の方、クリス様とターナ様はどうなさいますか?」
「俺たちは……聞いてみないと分からないけど、たぶん“天使狩り”を追い続ける」
「まあ十中八九、他のみんなもそう言いますね。王都に戻るのなら残ったギルドのみんなにもよろしく言ってくれると助かります」
一瞬だけ迷ったが、すぐに答えを出す。ターナたち五人と一匹の目標は元の世界へ帰ること。この一点でまとまっている。それなら何かしらの情報を持っているはずの“天使狩り”を追うことが最善のはずだ。
「ミリア様を除く冒険者クラン『晴天の掃き溜め』、王国第一騎士団から少数、それに転移者の方々と私の私兵で調査を進めることになりそうですな。それでは、もう少し細かい部分のすり合わせを」
「し、失礼しますッ!!」
オーウェンが話を簡潔にまとめたその時だった。部屋の外の廊下から誰かが走ってくるのを感じ、直後息を荒くした兵士が扉を乱暴に開き会議室に駆け込んでくる。
「今は会議中だ! 何をしている貴様?」
「も、申し訳ありません!! しかし、火急の要件でして!」
「一体何があったのです?」
無礼を咎める騎士と、静かに報告を促すオーウェン。それを見た兵士は一度呼吸を整えると口を開き、直後発せられた言葉が会議室内の全員に少なくない衝撃を与えることとなる。
「先ほど隣接する自治都市ラーチェスより連絡が入りました。都市長バジスとその一家が正体不明の集団に誘拐されたとのことです。また、集団の中に数年前に死亡したはずのSランク冒険者などが紛れているとの情報もあります!」
これにて第二章は終了。第三章では集団転移ものらしい? 展開になっていく予定です。色々と拙い作品ですが、今後もよろしくお願いいたします。




