第二十五話:憂鬱な戦後処理
まばゆい光が視界を埋め尽くす。実体のないものであるはずなのに、まるで何かに抱かれているような奇妙な質感をそれは持っていて、ターナにはそれ以上のことは感じられなかった。
「一体何が……?」
地面に倒れたまま思わず疑問の声を漏らす。あれだけ巨大な魔力を使ったのだから大きな変化があるはずだ。それが何かを探ろうと、治り始めている視界を見渡しそれを見つけた。
「お、おい、どこに行ったんだよ?」
「こっちもだ、二人いなくなってる!?」
「一体どこに隠れてるのよ? 帰ったら私あなたに……」
困惑したように仲間の姿を探す騎士と冒険者だ。彼らの言葉を聞き顔ぶれを見てみるが、確かに先ほどまでいたはずの数人がいない。“天の落とし子”だと言っていた人物が皆いなくなっている。
だが、今の状況で一斉にかくれんぼなどあり得ない。何が起きたのか分からないが、消えた人間はもしかしたら──そのことに気が付くと他の“天の落とし子”、ミリアの無事を確認しようとし慌ててその姿を探す。
「姉御!! しっかりするっすよ!」
「はあ、はあ……クソ、たれ……! あいつら……何をし、たっていうんだい……?」
呼吸を荒く苦しそうに膝をつくミリアと、それを庇うように短剣を油断なく構えるルーカスの姿が見えた。ターナには何ともなかった光はミリアには何故か大きな影響をもたらしたらしい。彼女の額には玉汗が浮かび、その顔色は見ていて怖いほど青かった。
そしてルーカスが向かい合うのはアーネットと“天使狩り”に他ならない。ここにも変化は生じていて、“天使狩り”の背後に山となっていた遺体が全てきれいさっぱり無くなっていた。見間違いだったのでは本気で思わされるほど、一切の痕跡を残さずにだ。
「さすがにお前は抵抗するか。できれば潰しておきたかったのだがな」
「黙れ! 姉御に、うちの仲間に一体何をしたんでやすか!?」
怒りを隠そうともせずにルーカスが疑問を叩き付ける。ここにいる冒険者は彼の所属するクランの構成員。仕事仲間として非常に親しい人物もいるはずだ。それは恐らく消えてしまった人物も例外ではない。
激情に駆られるルーカスの姿を見てアーネットが肩をすくめると、何かを確認する様に“天使狩り”へ視線を向ける。それに同じく目線で答えられたのを見るとアーネットは口を開いた。
「今のはあっちの子たちが一生懸命探していた、召喚魔法だね!」
「ふざけてるんじゃないっすよ! 召喚するどころか人間を消してやすよね?」
「いくら創造神様のお力を借りているとはいっても、そう都合が良い儀式じゃないんだよ? 別の世界の人間をぱっと呼び出すだなんて無理、だから器が必要なのさ!」
「器……? もしかしてそれが姉御たちだって言うんでやすか?」
“天使狩り”が幾度となく口にしていた単語だ。今まで意味の分からなかった言葉をようやく納得できた。すると、共に言っていた“天使”が差す意味もおのずと分かってくる。その結論に達する前に今度は“天使狩り”が一歩前に出てきた。
「“天の落とし子”を器に、召喚した天使の魂を注ぎ込む。それが召喚魔法の基本原理だ。実体を持つ肉体を世界間で運ぶのは困難だが、魂だけならどうとでもなる。それでも大量の魔力を使うがな」
つまり召喚者たち、今のターナたちが“天使”と言う訳だ。ずいぶんと大げさな呼び名だと思うが今はそのようなことどうでもよい。彼らが言っていることに嘘偽りが無いのであればつまり、
「ま、待ってくれ! じゃあ俺たちの、俺たちの元の身体はどうなってる!? 魂だけを召喚したっていうのなら置き去りにされた身体は……」
「さあな。魂を抜き取られたのなら、肉体は死んでいるのではないか?」
「嘘、だろ……?」
ターナたちが元の世界へ帰還する方法は無いことになってしまう。仮に魂を元の世界へと送り返せたとしても、宿る肉体が無ければどうしようもない。クリスもそれを理解したのか絶望の表情を浮かべ、その場に俯く。
「じゃあ、魂を入れられた“天の落とし子”はどうなるでやすか!?」
「抵抗できなければ同化して魂は消える。そして天使の魂が入り込んだ肉体は王国のどこか適当な場所に飛ばされる。抵抗される以上、弱らせるか死体の状態での一番成功率が高い」
「そうすか……お前らはここで殺すッ!! 絶対に許さねぇ!!」
これまた絶望的な情報だ。今の召喚魔法の影響で消えた人間は、肉体は生きていても中身は既に別物になっている。それは死亡したことと同義と言ってもよい。ただのそっくりさんが代わりに現れただけである。
「でも、それじゃあこの身体も……」
細く白い指の生えた手のひらを見て唖然と呟く。他人事では無いのだ。ターナも、“永瀬”も召喚魔法に巻き込まれた人間。今まで漠然と元の身体が変化したのではないかと、適当に考えていた。
しかし、実際は違う。自らの意志ではないとしても他人の肉体を奪い取って、今の“永瀬”は存在しているのだ。
──自分が生きるために赤の他人を殺した。
そう考えると罪悪感と恐怖で身体の震えが止まらなくなりそうになる。
「今にも崩れそうだな……そろそろ掃除を始めよう」
アーネットの魔力吸収によってあちこちから崩壊を始める廃墟。それを見て“天使狩り”が剣を構え、アーネットも魔力弾を周囲に浮かび上がらせる。口封じのつもりだろうか、騎士団を逃がすつもりはないらしい。
召喚魔法の影響で少なくない騎士と冒険者が消失し、ミリアも戦えるようにはとても見えない。オリヴァーも腹を貫かれたまま、動く気配は──
「ぶ」
そこまで思考を巡らせた時だった。“天使狩り”の腹から血塗れの刃が飛び出し、大量の鮮血を口から溢れださせる。
「使途様!?」
数秒遅れて状況を飲みこんだアーネットが待機させていた魔力弾を“天使狩り”の背後、剣を突き刺したまま動かないオリヴァーに向けて勢いよく打ち出した。たかが数発の魔法だったが、力を使い果たしたオリヴァーは受け身も取れずに転がっていく。
「よくもやってくれたな“天使狩り”……いや、カルロスッ!!」
「そうやって責任を他人に押し付ける。お前が私情を挟まずに情報を部下に教えていれば、俺たちの計画も失敗していたのかも知れないのだぞ?」
「使途様、分身のいない中でその傷はまずいってば!!」
お互いに致命傷を喰らいながらも会話を成り立たせているのはさすがと言うべきか。
「ターナ、聞こえているか分からないが助かったぞ……お前が“天使狩り”の本体を一度殺してくれたおかげで俺を押さえていた分身も弱まった。おかげで一発入れることができた」
「そんなことより、その怪我じゃ!?」
余裕が無いせいか素の口調でオリヴァーは感謝を述べる。しかし、腹に二つの穴が開いているのだから顔色は最悪だ。意識を保ち会話をしていることが異常なのである。だが、それは“天使狩り”も同じ。
「おいしいところだけを頂く形で気が引けますが、“天使狩り”お前は私が討たせてもらう」
そこに第三者の声が割り込む。美青年に相応しかった髪は乱れ、魔獣の返り血を浴び、身体の傷はいくつあるのか分からないほど。しかし、オリヴァーたちと比べればよっぽど無事である騎士、第二大隊長のキールだ。
彼は騎士団内でオリヴァーに次ぐ実力を持つ人物。ミリアとオリヴァーは動けなさそうだがルーカスとキール、余力を残している騎士たちを考えれば“天使狩り”と言えど勝つことは難しいだろう。
青い炎を纏わせた剣をキールが大上段に構えると、彼の部下たちも皆それを真似る。その隙を狙い、負傷者を治療術が使える騎士たちが回収していった。その中にはミリアとオリヴァーの姿もある。
「ここで朽ちるわけにはいかない……か。仕方がない撤退するぞ」
「了解したよ、使途様」
アーネットが右手を天井に向けるのと、キール達が一斉に走り出すのはほぼ同時だ。だが先頭を走るキールが剣を届かせる前に、アーネットの右腕から雷が迸る。それは天井に真っ直ぐ伸びていき、衝撃で巨大な瓦礫が降り注いだ。
「くっ!?」
元から崩壊の始まっていた建造物だ。それは次々と連鎖していきアーネットの立っていた場所を埋めていった。派手な自殺なわけがない。逃げられたと誰もが考え、即座にキールが指示を飛ばす。
「もう建物が持たない……第一大隊の騎士は負傷者を外に運び出すんだッ! 第二大隊は引き続き私と共に来るように。あの怪我ではそう遠くに逃げられないはず。小隊単位で周辺を捜索する!」
それに従い騎士たちが行動しだすが、士気が高いとは言えない。死傷者こそ出ていないが大量の負傷者。そして行方不明者──それも生存が絶望的どころか可能性がゼロだ。
中には気丈に振る舞う者もいるが、無理やりに表情を作っているのが見え見えであり逆効果。騎士の肩を借りて崩壊する廃墟から脱出するターナの心境も例外では無かった。
☆ ☆ ☆ ☆
目を覚まして最初に視界に入り込んだものは、布製の天井だった。就寝前の体調と、質の良いとは言えない寝床のせいか、身体中が痛いが少しぐらいは体力の回復ができただろう。そう回転の悪い頭で思考すると隣から声がかかってきた。
「よう、お前も起きたか」
「アリシアさん……」
同じように目が覚めてしまったのか、同じテントを割り当てられていた黒髪の少女は気分が悪そうに頭を押さえながら、こちらを見上げている。
「魔力を使いすぎってやつなんだろうな。頭が痛くてやってられねぇ」
実際、彼女は張り切りすぎていた。初陣であるのにも関わらず自分だけでなく味方の援護にまで回っていたのだから、魔力だってあっという間に尽きる。
こういっては不謹慎だが“天使狩り”に吹き飛ばされ、気絶させられたのは良かったのかもしれない。あのままでは魔力枯渇で最悪、命に関わる可能性だってあった。頭痛で済んでいるだけマシなのだ。
「ジェシカさんは……起きそうにないですね」
「こいつは魔力切れってぇ言うより、精神的な疲れだろうからな。ギリギリまで寝かせておけ」
乱暴な口調で気遣いを見せるアリシア。後方で治療術師に混じっていたジェシカは魔力の消耗こそ少ないが、繊細な作業で疲労が溜まっていた。そして同じ割り当ての最後の一人は、
「ミリアさんなら騎士たちと話をしてるぜ。冒険者側として今後についてらしいな」
ということらしい。ミリアもかなり消耗していたはずだが、半日しか経っていない中動き回れるのはさすがだ。無理をしている可能性も否定しきれないのだが。
「ちょっと外の空気を吸ってきます」
「おう、行ってきな。オレはまだ休んでらぁ」
ターナは立ち上がると、ひらひらと手を振るアリシアに見送られながらテントの外に出ていった。開けた視界に映るのは森を切り開いて即席に築かれた野営地だ。太陽は頭上高く登っているが、森の中だけあって熱さはそこまで感じない。
さらに言えば、そこらから漂う暗い雰囲気が肌寒さすら与えてきていた。行きの時より人数の減ってしまった警備の騎士も殺気立っているように見える。
気分転換のつもりだったが、このような陰湿な雰囲気ではそれもままならない。やはりテントに戻ろうかと思い当たった時、それは聞こえた。
「見つからないってどういうことだよッ!?」
少し離れたところにある大きめなテント。そこからクリスの怒鳴り声が響いていた。何事だろうかと、少々迷ったが足を運んでみることにする。内側から誰かが暴れているような物音が聞こえ、おっかなびっくりしながら中に入った。
「腹に穴が開いていたんだぞ! なんで捕まえられないんだ!?」
「視界の開けた平原で隠密系統の魔法が使われていないか、確かめてもいました。それでも見つからないということは、召喚魔法と同じく既存では無い技術を使われた可能性が高い。もうこの場で捕縛することは……」
「“天使狩り”は逃がして、何か知っていそうな団長さんも起きない。それならどうすればいんだよ……!?」
騎士に羽交い絞めにされながらクリスが吠える先にいるのはキールだ。あくまで冷静に言葉を返すキールに対してクリスは感情のままに暴れている。理由は分からないが、特別元の世界への帰還を望んでいたクリスだからこそ、その心情が荒れているのはターナにも理解できてしまう。
「ターナかい。ちょうどいい、あんたにも関係がある話だよ」
テント内の視線はほとんどがクリスに集中しており、それ故に傍観を決め込んでいたミリアが最初にターナに気が付いた。
「ターナ様、あなたどこまで覚えているのですか?」
「自分の中の別の人間のことでやんすよ」
「別の人間……?」
キールの質問をルーカスが具体的に説明してくれるが、ターナには訳が分からず首をかしげることしかできない。ターナは二重人格のような精神病を患ってはいないはずだ。だが、彼らの眼は本気であり、冗談を言っているようにも思えない。
「“天使狩り”の言葉を鵜呑みにするのはどうかと思うけど……あいつの言っていたことが本当ならね、ターナ。あんたは転移者の中でも例外の存在なんだよ」
「例外って……何かおかしいところあります?」
「本当に自覚がないんでやんすね……」
少し呆れたように言われるが本当に何も自覚が無いのだから仕方がないだろう。自分の身体を見下ろす。この世界に来てから何度も見た現在の身体だ。何もおかしなところは──性別が変わっていること以外にはない。
だが、それはアリシアも同じであり、例外とは呼べないだろう。
「もう言っちゃうけどね、あんたは他の転移者と違って器にされた“天の落とし子”……元々の身体の持ち主の人格が生きているんだよ」
「え、でも今身体を動かしてるのは間違いなく」
「そうだね、それは確かにターナだよ。でもさっきの戦闘の時、それから村の時もだったんだろうね。あんたが限界まで追い込まれると別の“ターナ”が表に出てきてるんだ。その様子だと記憶が飛んでいるんじゃないかい?」
「確かに、そうです……ね」
ミリアの言う通り、“天使狩り”との戦いの最中にはいつも記憶が飛んでいる時間がある。とは言ってもただ気絶していただけとターナ自身は考えていた。
しかし、その間、別の人間が身体を動かしていたとすれば今まで不自然だったことも全て説明が付く。だからと言ってすぐに信じられる話では無い──元の世界でなら。この魔法が平然と存在する世界に、訳も分からず召喚された今なら大抵のことは飲みこめてしまう。
「“天使狩り”の言葉をどこまで信用するかはともかく、ターナ様の中にターナが……前回の任務で戦死したはずの近衛騎士の人格が残っていることは間違いないと言えるでしょう。問題は彼女が表に出てくる条件です。団長も目を覚まさない現状、少しでも情報源は……」
「ま、待ってください! 団長さんが目を覚まさないって大丈夫なんですか!?」
キールの口から不穏な文章が聞こえ、慌てて遮る。ターナがオリヴァーを最後の見たのは倒壊する廃墟から脱出したときだが、その時の怪我は致命傷に近いものに見えた。それから目を覚まさないということは、最悪の想像すら浮かんでしまう。
「……団長自身、丈夫な身体をしていますし、すぐに治療を始めたので峠は既に超えています。ですが、治療術で外傷を治せても失った血と体力は戻せない。いつまで昏睡状態が続くかは……」
「腹に二つ穴が開いたまま、あれだけ暴れてやしたか……それがいけなかったとあっしは思うっすね」
各々の説明を聞きターナも暗い表情を隠しきれない。オリヴァーはあくまで仕事上の付き合いのような一歩間を置いた接し方をしていた。しかし、本人の人柄もあり嫌いでは決してなく、昏睡状態と聞けば心配ぐらい当然する。
「でもそれと“私”のもう一人の人格とで何の関係があるんですか?」
「“天使狩り”の最初の犠牲者は一月ほど前、犯罪者グループの殲滅の任務を行っていた近衛騎士団です。その犯罪者グループが“天使狩り”……つまりあの廃墟に一個中隊で攻め込み、全滅しました」
「そこにいたのがこの身体の本当の持ち主……」
「そう、なりますね」
顔を俯かせるキールの表情は分からない。自分の死んだ部下の身体を別人が使っているのだ。それを改めて認識し、さぞ複雑な心境だろう。
「非常に残念なのですが……その時は伝令を送る間もなく全滅したようで情報が一切ありませんでした。“天使狩り”とアーネット司祭の行動が読めない今、少しでも情報が欲しい。それをあなたの中の彼女は持っている可能性がある」
「他に情報源は本当に無いんですか?」
「廃墟の倒壊に巻き込まれたのか、召喚魔法の術式は消えてしまい、重傷を負ったはずの“天使狩り”も見つかる気配がありません。何かを知っている様子だった団長も昏睡状態で……」
「団長さんは、俺たちにはともかく、どうしてキールさんにまで黙ってたんだよッ!? もしも知っていることを全部話していたらもう少しはまともに……!!」
そこにうなだれて、黙り続けていたクリスが再び怒号を上げた。突然、叫び出した彼の姿に思わず驚かされるが、ルーカスが冷静に言葉を返す。
「クリス。団長にも何か考えがあったんでやんすよ。それに今更それを言ったってどうしようもないっす。もっと今後のことを……」
「今後のことって何だってんだ!? 手掛かりは零で! 手詰まりのこの状況で! 何ができるっていうんだよ!?」
「クリスさん……」
クリスの訴えは子供のそれと変わらない。ただ感情のままにこの場にいる全員が分かっていることをネガティブに唱えているだけだ。だから、適当に殴りでもして止めても誰も攻めないだろう。
だが、それをやろうとしない。当たり前だ、叫び散らすクリスの表情──今にも泣き出してしまいそうな苦し気な表情を見れば、誰もが彼を叱る気も失せてしまう。普段とはかけ離れた言動だからこそ余計に。
「……最寄りの都市に救援を頼みましたから、合流次第その都市に負傷者を運び込みます。戦闘直後で皆さん落ち着けていないようなので、細かい話は都市に着いてからにすればよいでしょう」
そうキールが締めくくると、解散となる。クリスは暴れすぎと判断されたのか、他の騎士に捕らえられたまま別のテントに連行されていく。その後姿をターナはただ悲し気に見つめることしかできなかった。




