第二十四話:天使と器
“ターナ”の首を絞めていた"天使狩り"は、憎悪の叫びを聞くと慌ててその手を離した。直後、手首のあったところに膨大な魔力を纏った手刀が通り過ぎる。
オリヴァーを見張るために分身を一人残している現状では、"天使狩り"であっても手首から先を落とされかねない。それほどまでの威力をそれは持っていた。
「やっと、やっと出てこられた! これ以上お前の好きにはさせないッ!!!」
「ターナ、なのか……?」
その手刀を放ち、雄叫びを上げる“ターナ”を見て地面に倒れていたクリスが唖然と疑問を口にする。憤怒の形相を浮かべる彼女は、とてもクリスの知っている友人と同じ人間には見えなかった。
「召喚の初期段階にしか発生しない、天使と同化しきれない器。一つの身体に二つの魂を内包するとは奇妙なものだな」
「死んだはずの私がどうして生きているのかなんて、そんなことどうでも良い! 兄さんの、みんなの仇だあぁ!!」
“ターナ”が吠えその姿が消える。ルーカスのように隠密の魔法を使っているわけではない、純粋な高速移動で視界から消えて見せたのだ。
そして一瞬後には"天使狩り"の背後へ現れた。その手には、先ほど首を絞められた際に落としたはずの剣が握られていて、
「っ!? はや」
「しぃぃぃ!!」
その早業は"天使狩り"でさえもワンテンポ対処が遅れるほどだ。“ターナ”は大上段から冷気を纏った斬撃を振り下ろし、"天使狩り"がそれを受け止めた。束の間の拮抗。しかし、"天使狩り"の持つ白銀の刀身が凍り付いていくのを見ると、慌てて力を受け流し後ろへ飛び下がる。
オリヴァーでさえ互角であった"天使狩り"を圧倒するターナの姿に、驚きと希望が騎士たちの中に沸き立つ。しかし、"天使狩り"は一種の納得のような表情を見せていた。
「魔力は魂に宿るもの……自分のものと天使のもの、二つの魔力で肉体を強化しているな」
「向こうの私には悪いと思ってる。だけど、今は力を貸して貰うしかないの」
可視化するほどの膨大な魔力を肉体と剣に纏わせながら“ターナ”が答える。それだけ言うと“ターナ”はまともに対話する気はないようで、天使狩り”に向けて飛び出した。
その速度は相変わらず規格外と言って良い。正に弾丸のごとき速さである銀色の少女の身体は目標の前にたどり着くと、これまたとんでもない力で踏み込み勢いを殺す。何の小細工も無い真正面からの斬りおろし。だが、今の“ターナ”の身体能力から放たれるそれは、まともに受け止めることさえままならない。
「魔力の保有量がそのまま戦闘力に直結するのが強化魔法。だが、その勢いでは消耗も早いだろう。魔力が切れた時点で天使の方の意識に戻るのではないか?」
「向こうの私じゃお前には勝てないかな……だけど、その前にお前を殺せれば問題ないッ!!」
その斬撃を“天使狩り”は半歩身体の動かすと紙一重で回避。目標を無くした一撃がそのまま地面に喰らいつき、大量の土埃が舞った。だが、視界が塞がれた程度でこの二人は止まらない。耳で、鼻で、肌で、全身の感覚を総動員して視界が無くとも敵を察知することならできる。
(このままじゃ魔力が先に尽きる!!)
現在の戦況だけを見るのなら“ターナ”が圧倒的に優勢だ。惜しげも無く二人分の魔力を全身に流し込み、小さな嵐のようにさえ見える彼女相手に“天使狩り”は防戦一方。しかし、先ほどの指摘通りこのままでは遠からず“ターナ”の意識は再び肉体の奥底に沈む。
最悪の場合はそのまま気絶。良くてもターナの意識が交代するだけであり、素人に毛が生えた程度の実力では抵抗さえ難しい。実際に不利なのは“ターナ”の方であった。
それが分かっていて“天使狩り”は守りに尽くしているのだ。オリヴァーさえも下して見せた男が守りに専念すれば、それを崩すことは容易ではない。だからこそ、“ターナ”は何かしら賭けに出るしかなかった。
(これはアリシアの方が得意だけど)
今や別人と化してしまった仲間のことを思い浮かべながら、少しずつ剣に込める魔力を増やしていく。元々ターナが借りていた騎士団の量産品だ。それでも性能は悪くないのだが、さすがに高価な魔法金属製では無い。下手に魔力を込めれば爆散しかねず、剣を振ることと並行作業で行われるそれは非常に困難なはずだが──憤怒により極限まで高められた集中力がそれを僅かな時間で完成させる。それを見た“天使狩り”が警戒する様に一度大きく後方へ飛び下がると、興味深そうに声を出した。
「ほう」
「────」
元々騎士の中でも多い方であった“ターナ”の魔力を倍にして、それを全力で込めた剣は触れただけで永遠の眠りに落とされそうな小さな吹雪と化していた。それを拡散しないよう一点に圧縮し、剣身が見えなくなるほどの圧倒的魔力。
驚いたように声を出す“天使狩り”に対して“ターナ”には言葉を発する余裕すらない。全身の強化に規格外の氷結付与 、それと剣を振ることだけに“ターナ”の集中力は注ぎ込まれていた。
“ターナ”が表に出てこられる残り時間も少なく、これを捌き切れば“天使狩り”の勝利は揺るがない。お互いに示し合わせたように駆け出し、
──決着が付くのはほんの一瞬だ。
両者の距離が半分ほどになったところで、“ターナ”の背後より小さな魔力の流れと着地音が響く。十中八九、“天使狩り”の分身だ。何故このタイミングで、と疑問が頭をよぎるが身体はすぐに反応する。
強化された肉体ならば弱体化している分身など、剣を使う必要も無い。後方へ回し蹴りの要領で振り返り、一体だけの分身をそのまま吹き飛ばす。勢いそのままに再び前方へ向き直ると、目前にまで迫り剣を振り出した本体の姿があった。
分身にリソースを割いたためにその剣は非常にゆったりしたものであり、後から動いても“ターナ”の方が早い。真っ直ぐ構え放たれた突きは、“天使狩り”の持つ白銀の剣を圧し折り──そのままに心臓を貫いた。
クルクルと剣身が地面に落ち甲高い音を立てる。それと同時に“ターナ”の剣から流し込まれた冷気によって命を失いつつある肉体を急速に凍らせていった。
「危険なのはオリヴァーだけかと思っていたが、あのエルフ然り油断するものではないな」
「それが遺言? ずいぶんとつまらないね」
“天使狩り”が言い終えると同時に喉も凍てつき、“ターナ”の言葉が届いたかは分からない。
“天使狩り”は確かに死に、その遺体がゾンビ化して動きだすようなことも無い。確実に、心臓を潰された挙句全身を氷漬けにされて“天使狩り”は死んだ。それを確認すると集中力の切れた“ターナ”の魔力が霧散し、その場に倒れ込む。
「アベル兄さん……仇は取ったよ」
力を使いきり全身を疲労が支配しているが、同時に達成感も身体を満たしていた。満足げに、悲しげに愛しい兄の名を呼ぶと視界が闇に閉ざされていく。
「向こうの私には悪いことをしたかな……」
肉体が同じ以上、この疲労感はそのままターナに引き継がれる。そのことを申し訳なく思いながら意識を手放した。
──その直前に目の前の氷像が崩れたのは気にせいだと思いたかった。
☆ ☆ ☆ ☆
眼を覚ましたターナは状況をまるで飲みこめずにいた。記憶は“天使狩り”に首を絞められていたところで途切れている。それだけなら酸素不足で意識を失っただけと判断できた。
しかし、魔力が半分以上無くなっているのは何故なのか。目の前の小さな氷の山があるのは何故なのか。
──身体の調子を確かめるように、“天使狩り”が手を握りしめているのは何故なのか。
「身体を持っていかれるのは久しぶりか。先にオリヴァーを潰しておいて正解だったな」
訳の分からないことを呟きながら、何かに蹴られたような腹の傷の具合を確かめていた。それも終えるとうつぶせに倒れていたターナを見下ろす。ターナが混乱していることに気づくと、“天使狩り”は納得したように頷いた。
「器と天使とでは意識に連続性は無い……か。なるほど、二重人格でも無く本当に別個の存在で肉体を共有しているのだな」
状況はさっぱり、しかしこのままでは“天使狩り”に殺される。魔力の消耗は激しいが何もしないわけにはいかない。右手に握りしめてあった剣を杖代わりに立ち上がる。どういうわけか身体が軋み、膝も笑いそうになるが強化魔法によって強引に抑え込んだ。
「はあ……はあ……」
「その状態でまだやるのか?」
必死に隙を探そうとするが、自分が斬り捨てられる場面しか想像できなかった。だが、少しでも時間を稼げばその間に周りの仲間たちが何か策を打ってくれるかもしれないのだ。そう自分に言い聞かせ、諦めることだけは決してしない。
「そろそろ頃合いか」
しかし、“天使狩り”はターナから興味を無くしたかのように放置する。魔獣との戦闘で徐々に負傷者が増え始めている騎士と冒険者たちを確認すると、どこからともなく剣を取り出した。元々持っていた白銀の剣と比べれば質は見るからに落ちていそうだが、決してなまくらではない。
「行かせるかッ!」
口調が素のものに変わりながら、その背中へターナは斬りかかった。徐々に激しくなっていく魔獣の進行に騎士や冒険者たちの負担は増える一方なのだ。そこに最大戦力の”天使狩り”まで混ざり始めれば、一気に戦況が傾く可能性が高い。
「下手に刺激したのは失敗だったか……」
何か言葉をこぼしたような気がしたが、戦いに集中するターナには聞き取れなかった。上段からの斬り下ろしを放ち、”天使狩り”が振り返りながらそれを受け止める。ターナでは力でも、技術でも、勝てるわけがない。
だからこそ、すぐさま反撃が来ると一撃離脱を心掛けていたのだが、思いのほかぶつけ合った剣が拮抗している。理由は分からず、今はどうでもよかった。ターナの剣を受け流し、横なぎの斬撃を放つ”天使狩り”へ集中する。
狙いは右肩だと一瞬で看破し、手元へ引き寄せた剣をすかさず斬撃と身体の間に差し込む。甲高い音が響き衝撃に腕がしびれそうになるが無事凌ぐことができた。
「『氷弾』!!」
剣はすぐさま動かせない。そう判断すると即座に詠唱し、氷のつぶてを放つ。ミリアなら無詠唱で大量に連射できる魔法も、ターナは一々魔力を集中させなければ発現さえ難しく威力もとても敵わない。
だが、今の戦いでは十分に効果を発揮した。胸へ向かって飛来する魔法を”天使狩り”は回避し、それによって押し込まれていた剣をターナから離れる。
(大丈夫、戦いにはなってる)
距離が開いている隙にそう判断した。ターナでも防戦であれば何とかできる程度には、”天使狩り”は弱っているのだ。しかし、体力の底が見えているのはターナだって同じ。そうなる前に何かしらの決定打が欲しいが、残念なことにターナは必殺技と呼べるようなものは持ち合わせていない。
──しかし、ターナは一人では無い。
「ごぁっ!? しまっ」
「はああぁぁぁッ!!」
”天使狩り”の後方より高まる魔力を感じるとターナは迷いなく駆けだす。直後、”天使狩り”の背中へ炎の斬撃が被弾した。壁にもたれかかったまま、弱々しくも魔法剣を放ったのはアリシアだ。彼女はターナへ己の戦績を自慢する様に笑みを浮かべると、魔力が尽きたのか意識を失う。
ギリギリの状態で放たれた炎には大した威力は無かったが、前めりに体勢を崩した”天使狩り”は隙だらけ。著しく能力を低下させている今の”天使狩り”なら、ターナにでも致命傷を与えられる。
走りながら剣を振り上げ、大きく一歩踏み込む。後は剣を勢いよく降ろせば”天使狩り”の血の海へ沈めることができるだろう。ただ、振り下ろすだけで”天使狩り”を倒せる。ミリアとマリーを仲間たちを傷つけた男を倒せる。
──人を、殺すことができる。
「躊躇ったな」
無駄な思考が肉体の動きを阻害し、その間に”天使狩り”は体勢を立て直していた。慌てて腕に力を込めるが致命的に遅い。腹に何かが当たったと気づいた時には、身体は『く』の字に曲がり後方へ吹き飛んでいた。剣は腕を離れて遠くへ転がっていき、ターナの軽い身体は何度も跳ねてからようやく止まる。
「く……ぁ……」
やってしまった。土壇場で殺人という大罪を恐れて、ターナの剣は動かなくなってしまった。せっかくアリシアが作りだしてくれたチャンスを、覚悟が足りないがばかりに失ってしまった。
既に後悔しても遅いのは分かっている。だが、自分を責めずにはいられない。
「危なかった。交換したばかりの肉体ではほとんど力を出せないからな。本当に、油断はしてはいけないものだ」
今度こそ身体は動かず、首だけを何とかして上げると”天使狩り”がターナを見下ろしていた。もちろん、右手には剣が握られており、ターナの命は彼の手の中だと理解させられると途端に恐怖が湧いて出てくる。
「いやだ……死にたく、ない。こんな訳も分からず、別の世界に連れてこられて……まだ、何も分かっていないのに……!」
一度弱音を吐いてしまえばもう止まらない。ターナの戦意は完全に折られていた。
まだまだ粗がありつつも、先ほどまでのターナは確かに一人の剣士として、騎士として戦っていた。しかし、泣き顔で死を恐れる今の姿は違う。ただのか弱い女の子のようにしか見えない。
「まだ何も分かっていない、か。俺も……そうだった」
その情けない姿に”天使狩り”は何を思ったのか、行動を起こすことも無くその場で黙り込む。ターナは死の恐怖に怯え、眼を強く閉じるが耳までは塞げていない。僅かな足音が聞こえると身体を大きく震えさせ、しかし何も起きなかった。
「ぇ……?」
結局、”天使狩り”がターナに止めを刺すことは無かった。
☆ ☆ ☆ ☆
ターナを放置し”天使狩り”は走り出す。その向かう先は魔法の飛び交う一層激しい戦場──ミリアの元だ。アーネットとの撃ち合いに専念していたミリアは“天使狩り”が襲い掛かってくるのを見ると、苦しげな表情を浮かべ斬撃を大きく動いて回避する。
その間も魔法の射出は続けられており、彼女の魔法使いとしての才能が見て取れた。しかし、アーネットと“天使狩り”両方を相手取ることは難しく、即座に姿を現したルーカスが割って入る。
「団長さんも、ターナの嬢ちゃんもやられたのは困りやしたが……あんたも相当消耗してるっすね?」
長剣の一撃を短剣で受け止めつつ、ルーカスは答えを期待していない質問をした。奇襲、暗殺といったからめ手を得意とし、直接戦闘にはあまり向いていないルーカスでも十分に勝機はある。主力が次々とやられていく不利な戦況でも、ルーカスは冷静にそう判断できた。
「時間を掛け過ぎた。アーネット、術式を起動しろ」
「さすがに“氷の魔女”を相手しながらは厳しいよ?」
「なら結界と魔獣の操作は解除してもいい。それなら可能だろう?」
「分かりました! “聖典”を最大限利用してこの戦いの幕を引こうかっ!!」
二人はミリアたちに隠そうともせずに会話をする。やはり魔獣を操作できるのかという納得もあったが、それ以上に嫌な予感を全員が覚えていた。放置すればろくなことにならないのは確かで、ミリアは貯めていた切り札を使う決断をする。
「あんた、どういう原理か知らないけど周囲から大量に魔力をかき集めてるよね?」
「うーん、やっぱりバレちゃうか。そーだよ私は魔法使いとしての適性は無くて、よそから借りないとダメなのさ!」
「それじゃあ、これでお終いかい?」
惜しげも無く自身の戦い方を明かすアーネットに不気味なものを感じながら、ミリアは貯め込んでおいた魔力を解放した。それは頭に思い浮かべた術式を元に姿を変えていき、辺り一帯の空間に漂う氷の粒と化す。
光を反射し青く輝く空間は戦場であることを忘れさせるように幻想的だ。しかし、ただ見栄えが良いわけでは無い。この状況では最善の魔法ともいえるものなのだ。
「魔力が散らされて……」
「私の魔力をばら撒いたのさ。本当だったら他人が魔法を行使するのを妨害するものだけど、あんたの能力とは相性最悪だろう?」
簡単に言ってしまえば、大気に漂う魔力を凍結させる魔法である。アーネットがどのような手段で魔力を集めているのか分からないが、その大本を潰してしまえば関係ない。ただ、これを展開している間はミリアもまともに魔法を使えない。
だが、今は相手の手を封じるのが先決。この魔法を行使することにためらいは無かった。
「そうか、これで私は使命を全うできない……ああ、困った、困った!」
頭を抱え子供のように喚く。教会の幹部である彼はそこそこ有名で、変人として知られているのだが悪い評判は聞かなかった。それがこのような悪事に手を染めているとは正直残念だとミリアは思う。
だが、私情を挟める段階は当に過ぎている。せめて魔法を使えなくなり無力となった彼が投降してくれないかと声をかけようとし、ふとアーネットの動きが止まった。
「でも、この“聖典”が助けてくれるッ!」
顔を突然勢い良く振り上げ、右手に持った本──恐らく教会の聖書らしきものを掲げる。
「創造神様や、天使たちの住む世界には物理学と言う学問があるらしい。位置、運動、熱、光、電気、科学、核! その学問にはエネルギーという概念があって様々な種類があるんだってさ!」
「……何を言っているのか分からないね」
「分からなくて結構! 私にもよく分かってない! でもともかくね、この世界にだってエネルギーはある。しかもより分かりやすい形で、魔力として!」
元々言動が不思議な人物であったが今は特にそうだ。自分の手を封じられた状態であるのに、楽しげに語るアーネットにどう対処するかミリアでさえも迷う。それが命取りとなった。
「そして魔力は想像さえできればどんな物質にもなるよね? つまり、魔力はエネルギーにも物体にも、何にでもなる素晴らしいものなんだ! ──つまりこの世の全ては魔力だ。全部エネルギー、私の力なんだよ」
おぞましい声だった。にたりと粘つくような笑みを見せ、掲げていた聖書が輝きだす。そして劇的な変化が起こり出した。
光の当てられた瓦礫が表面から順にゆっくりと砂に姿を変えていく。その対価として生み出されたのは少量の魔力だ。大気中に放たれたそれは聖書に吸い込まれていった。
「私の魔法はまだ残ってるはずだよ! なんでそんな微量の魔力を吸収できるんだい!?」
「まだ気づいてないの?」
それを言われて初めて気が付いた。ミリアの展開した魔法が術式ごとアーネットに吸収されていることに。他人から魔力を奪い取る方法は確かに存在する。だがそれは何物にも変換されていない純粋な魔力にしかできないうえ、相手と肌で触れ合っている必要があった。
それをこの変人は既に構築された術式から奪い取り、さらには周辺にある物質からも問答無用で吸収していく。天井の隙間から差している日の光など、形ないものからさえも魔力を生産していた。
「本当に素晴らしい! 大勢いる信徒の中からこの私に力を、使命を与えてくださった創造神様に感謝を、敬意を送らせていただきます!」
一つ一つから生み出される魔力は僅かでも手あたり次第、それこそ生き物以外全てから魔力を奪いつくしていけば膨大な量にもなる。
魔力を奪われ、形を失っていく廃墟が崩壊を始めていく。アーネットの元に先ほどの“ターナ”でさえも及ばない量の魔力を蓄積され、それに応じて聖書の光も強くなっていった。その姿を見て、魔獣と戦っていた騎士と冒険者たちは動きを止め視線を釘づけにされる。
魔獣と戦う必要はもう無い。アーネットがこの行為を始めた段階で、我に返ったように散り散りになってしまったからだ。結界も同時に消滅し、外からキールたちが駆けつけるが理解しがたい光景にうかつに行動できなかった。
──あるいはここで動けていればこの先の未来は変わっていたかもしれない。
「いいぞ、やれ」
輝きが最高潮に達し、それを確認した“天使狩り”の背後の空間が割れる。そこから次々と出てくるのは大量の遺体や骨だ。恐らく殺害した直後そのまま回収したのか、中にはひどく腐敗が進み肉塊にしか見えない物さえある。
「さあ、さあ、さあ! これが世界を繋げる一歩! 私たちに授けられた使命を全うするための大きな一歩だよっ!!」
誰からも妨害されることなく、アーネットが聖書を持ったまま右手を床に叩き付けた。そして地面に浮かび上がるのは、この廃墟全体を覆いつくすほどの巨大な魔法陣。それが聖書から光を受け渡され術式が動きだす。
──膨大な光が廃墟を飲みこみ、王国中に広がる。大小様々な悲劇を生みだす魔法が世界へと干渉した。




