第二十三話:器の憤怒
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蜘蛛のように体勢を低くしたまま“天使狩り”がオリヴァー目掛けて走り込んできた。股下からすくい上げる様に放たれた切り上げを剣の腹で受け流し、すぐさま刃を返して攻撃へ転じる。
そこには無駄な動作など微塵もない。そして完璧な剣技であっても、そこには美しさもまた微塵も存在しない。彼らの剣は魅せるためのものではなく、命を奪うためだけのもの。それがこの二人に刻まれた呪いなのだから。
しかし、殺すための剣としてはこれ以上のものはなかった。王国最強の騎士の名は伊達では無い。同時に、その最強と対等に渡り合う“天使狩り”もまた規格外の存在であった。
横なぎに放たれたオリヴァーの斬撃を背面飛びの要領で回避し、空中で身体を捻ると再び腕を振るう。地面に足が付いていないのにも関わらず、その一撃は重たく速い。
オリヴァーでさえも、受け止めるのが限界。結局お互いに攻撃を加えることは叶わずに、ぶつけ合った剣の勢いで距離を開けた。
「……ここまでやりますか」
「逆にお前は思っていたほどではないな。剣士とはいえ、今時魔法を使えなくてはやっていけないだろう?」
「生憎、私の身体は魔法を使えるように創られていないものでしてな」
言葉少なく、再び剣をぶつけ始める。二人の剣の実力は拮抗しており、お互いに決定打は与えられない。だが、そこに剣技以外の要因が含まれれば変化は生じる。
一合、二合、三合──そこまで均衡していた力が突如オリヴァーへと傾き、四合目で“天使狩り”が大きく体勢を崩した。強者たちの戦いでそれは勝負が付きかねない致命的な隙であるのだが、オリヴァーは追撃をしない、否、追撃できない。
すぐさま背後へ振り返ると、突きを放ってきた二人の“天使狩り”へ剣を向ける。右からの突きを体捌きで回避し、鏡写しのように左から迫るもう一発を横から剣を当てて弾いた。
体勢を崩す二人目、三人目の“天使狩り”を横目に正面へ跳躍すると、直前まで立っていた地面が“天使狩り”本体の斬撃で吹き飛ぶ。
「自身の魔力を分け与え、仮初の肉体を生み出す魔法。ここまで精巧な人体をどうやって生み出しているのか分からないが……イツワリの人生だとか叫んでいたやつがイツワリの身体を創るとは。いやはや、皮肉なものだ」
「“あいつ”に埋め込まれた能力だ。俺だって気に食わないが……それで復讐ができるのならいくらでも活用してやる」
「“あいつ”とは“あの方”のことですか。やはり貴様は……」
「そうだとしたらどうするんだ、オリヴァー? 犠牲を払ってまで栄光を手にしたお前が、犠牲を払って復讐をしようとする俺を裁くのか?」
「っ!?」
"天使狩り"の言葉にオリヴァーは苦々しく顔を歪め、再び血の躍りは始まる。いつの間にか"天使狩り"の分身は消滅しており、元の力を取り戻した彼とオリヴァーとの実力に差はなくなっていた。
お互いに一本の剣へ、全てをかけて斬る、斬る──斬る。
「お前は何故俺たちと戦う? 忘れたのか、俺たちの生まれを。この世界が存在する意味を、お前は忘れたのか?」
「生まれなど関係ない!! 今の私は王国の剣にして盾。第一騎士団長オリヴァー。王国に刃を向けた貴様らを倒す。それだけだッ!!」
「全く強情だな。あの時から何一つ変わらない。──だからこそ、お前は中途半端にしかなれない」
刃と刃がぶつかり合い、火花を散らす中。"天使狩り"は街中で雑談をするような態度で言葉を発する。それに対して聞く耳を持たないオリヴァーに、小さく苦笑すると、剣の叫びを邪魔する音は再び無くなった。
「くっ!」
オリヴァーの振り下ろしを受け止めきれずに、"天使狩り"が膝を着く。その姿を見るや否や、感覚を研ぎ澄ませて周囲に出現する分身を警戒し──オリヴァーの鋭い五感に引っ掛かるものはない。
今までにないパターンに一瞬の困惑、そして数秒後には己の間抜けさを理解させられた。
膝を着き、こちらを見上げていた"天使狩り"の腕にに力がこもる。それはオリヴァーが押し付ける剣を楽々と押し返し大きく弾くと、弾丸のような突きを放った。
大気さえも切り裂き、白銀の切っ先の向かう先はオリヴァーの胸──心臓だ。鎧も着てはいるが、動きやすさを重視した軽鎧では気休めにもならない。"天使狩り"ほどの実力者なら薄い装甲程度、平気で貫いて見せるだろう。
「ぐおおぉぉぉぉ!!」
故に無傷での突破など端から投げ捨てた。雄叫びをあげて自らに発破をかけながら、鎧の装甲で必殺の一撃を受け流す。本来なら剣の腹で行うことを鎧で代用しているのだ。
しかし、手で握る剣とは違い、胴体に身に付けている鎧では精密な動作を行うことなどできない。
ある程度の衝撃を受け流すことには成功するが、完璧には程遠かった。金属同士が擦れあう嫌な音を立てながら剣は鎧を貫通し、肉を切り裂く。
血肉を撒き散らしながら、剣は骨さえも砕いていき──それ以上に血を喰らうことは叶わない。結果的にオリヴァーの身体の表面、左胸から脇にかけて切り裂くのみに留まる。
「──ぁぁぁぁあぁっ!!!」
身体に刃を侵入させたまま、悲鳴とも雄叫びとも判別つかぬ意味のない叫び声を上げながら、オリヴァーは剣を振り上げた。鈍い光が二人の頭上より煌めき、体内の剣はより肉を抉り取っていく。
だが、同時に"天使狩り"の剣を止め、行動を著しく制限してもいた。血肉を喰らう刃も心臓の鼓動を止めるには届かない。
肉斬骨断。正にその言葉を地で行き、オリヴァーの剣はお返しとばかりに"天使狩り"の心臓に迫った。"天使狩り"が腕に力を込めても、オリヴァーの方が僅かに早い。
──戦場に真っ赤な花が咲いた。
☆ ☆ ☆ ☆
鋼越しに感じる生き物を両断する感触、それにターナは表情を歪めながらも腕を振り切った。
「はああぁぁぁぁ!!」
声をあげることで嫌悪感を、恐怖を可能な限り押さえつける。そうでもしないと目の前で断末魔を上げる猿の魔獣に屈してしまいそうだった。
ターナの拙い斬撃により、肩からバッサリと切り裂かれた二足歩行の猿は、こちらに寄り掛かるように倒れ伏す。血塗れのそれを避け、瞳から命が完全にこぼれ落ちたのを確認するとターナはようやく肩から力を抜いた。
「こ、これで三匹目……」
周囲の騎士たちや友人たちには悪いと思いつつも、すぐさま次の獲物を探すほど余裕はない。気を抜いたことで腕に集中させていた魔力も霧散してしまった。
だが、それを責める人間はこの場にはいない。いくら強靭の肉体と魔力を与えられたとはいえ、ターナたち転移者が命のやり取りをするのはこれが初めてなのだ。
むしろ弱い個体とはいえ魔獣を数匹葬っている時点で、初陣の剣士としては快挙と言っても良い。
「少しでも役に立たないと……!」
しかし、ターナ本人はそうだと考えていなかった。使命感に駆られる彼女の視線の先、本業の騎士たちに混じり戦い続けるクリスたちがその理由だったのかもしれない。
鼻息荒く鋭い牙で突進する猪。それの真っ正面に躍り出たのはクリスだ。彼は右腕に装備した盾を構えると歯を食い縛って圧倒的質量と向かい合う。
直後、彼の身体が盾ごと後方へ吹き飛んだ。
思わず悲鳴を上げそうになり──吹き飛んだ先でクリスは確かに大地を踏み締め、猪の突進を受け止めていた。
「頼むッ!」
「吹き飛びやがれえぇぇぇッ!!」
命懸けで隙を作り出したクリス、それに応じるのは黒髪の少女アリシアだ。戦場に立つには違和感だらけの小さな身体を全力で酷使し、振りかざす剣には巨大な炎が灯っていた。
ゲーム時代の彼女の戦闘スタイルもターナと同じ魔法剣士と呼ばれるものだ。しかし、両者は似たような戦い方をしていても根本的には大きく異なる。
肉体や武器の強化に魔力を扱うターナは、言うなれば剣士よりの魔法剣士。
それに対して一般的には杖によって行う魔力の増幅を剣で代用するのアリシアは、魔法使いよりの魔法剣士と言えるだろう。接近戦や、長時間の戦闘ではターナの方が得意だが瞬間的な火力ではアリシアが大きく上回る。
「ブオォォォォォッ!!!」
アリシアの気合いの叫びに合わせ、剣から飛び立った炎の斬撃は体長四メートルはある巨大な猪を軽く包み込む。しかし、不完全な制御の元で行われた魔法剣では魔獣を一撃で粉砕するには足りない。
──足りないならば、足せば良いだけだ。
「フウ!」
「さてと、この程度で十分かなっ!」
全身を豪華で焼かれ、それでも尚反撃しようとしていた猪へクリスの背後から暴風が襲った。リオンとフウの精霊使いの魔法である。
吹き荒れる小さな嵐は、ただでさえ焼きただれていた強靭な皮を引き裂き、酸素を吸い込んだ炎はさらに成長する。
さすがの魔獣もこれには堪えられなかったのか、その場で身体を横倒しにすると二度と動くことはなかった。
「ターナ!!」
それを見届けたクリスがこちらを呼ぶのが聞こえ、ターナは周囲に気を払いながら駆け寄る。
「みんな大丈夫ですか!?」
「俺はもうしばらく平気だ。リオンもフウがいるから限界を見誤ることはないだろうな。ただアリシアが張り切りすぎてる。このままじゃ、もうすぐ魔力切れだ」
心配そうに遠くを見るクリスに釣られて視線を移すと、惜しげもなく魔法剣を連発するアリシアの姿が見えた。
純粋に火力に特化している彼女が戦場に与える影響は決して小さくない。だが、未熟な彼女の技量では効率良く魔力を扱えていないはすだ。今のペースではいずれ力尽きるのは目に見えている。
「自分を守る余裕は残しておかないといけないってのに……ったく。俺はアリシアを下がらせておく。治療に集中してるジェシカの護衛とでも言っておけば断れないよな」
困ったような様子のクリスだが、そこに怒りの感情はない。もしも、アリシアが魔獣を笑いながら吹き飛ばしていたらクリスも違った対応をしただろう。
しかし、実際のアリシアは消耗している騎士を手助けするように立ち回っていた。本人は否定するだろうが、何だかんだで心優しい人物なのだ。
クリスはアリシアを下がらせ、ターナは無理しない範囲で戦闘を継続する。お互いのやるべきことを確認した二人は、拳を合わせてそれぞれの無事を祈る。その時だった。
「団長が!!」
一人の騎士が声を上げ、余裕のあった騎士たちが一斉に振り向く。その中にはターナたちの姿もあり、離れたところで展開された光景に目を見開く。
鉄臭い戦場に、一際大きな赤い花が咲いていて──前後から二人の"天使狩り"に貫かれたオリヴァーが膝を付いていた。
☆ ☆ ☆ ☆
自身の身体で剣を捕らえ、その隙を着く。その捨て身の作戦は見事に実を結び、"天使狩り"に致命的な一撃を入れる、はずだった。
「なっ……貴様、いつの間に……?」
「最初からだ。それ以外に何がある?」
オリヴァーの渾身の刺突は"天使狩り"に僅かに届かず力を失っている。その代わりにオリヴァーの右胸と背中から白銀の刃が生えていた。
前方から突き刺さるのは"天使狩り"本体のものだ。それは良い、だが背中に現れた分身など考慮していない。
"天使狩り"が分身を、魔法を行使する暇など無かったはずなのだ。何より、分身を行っているはずの"天使狩り"の力が衰えていない。
「まさか……戦いが始ま、る前に……既に、分身、を?」
「英雄などと担ぎ上げられ大した修羅場を潜らなくなったお前が、地獄から這い上がってきた俺と互角に戦えるとでも? 楽観にもほどがある」
その言葉を飲み込みオリヴァーは驚愕するしかない。"天使狩り"が分身の能力を使うとき、その数に比例して本体の力は弱まっていく。
最初から分身を隠していた"天使狩り"の言葉に嘘偽りが無いのだとすれば、半減した力でオリヴァーと互角に渡り合っていたということだ。
王国最強の騎士と大きなハンディキャップを持った状態で互角。これほどまでに絶望させる状況はない。
「お前はそこで這いつくばっていろ。俺は計画を実行する」
「ま、待てぇッ!!」
オリヴァーの正面にいた本体が剣を引き抜くと、今も尚、魔獣から負傷者を守るために奮闘する騎士たちの元へ、ゆっくりとだが確実に歩いていく。
倒れ伏すオリヴァーを見て唖然としていた騎士たちも、さすがと言うべきか向かってくる"天使狩り"へ即座に一個分隊が斬りかかった。オリヴァー程でないにしろ彼らも近衛騎士。その実力は折り紙付きだ。
「邪魔だ」
しかし、その称号も"天使狩り"相手では何の意味も持たなかった。包囲するように動き、一子乱れぬ連携で獲物を振るう。
四方八方から飛び交う斬撃を"天使狩り"は、あるものは回避し、あるものは剣で弾く。敢えて懐に飛び込んで威力を殺したりもして──全て捌ききった後には血を流し地面に口付けする六人の騎士だけが残った。
近衛騎士団から見ても彼我の実力差は圧倒的。さらに魔獣の進行も止まるどころか、徐々に過激になっている。正体不明の結界で隔離された廃墟からは撤退さえも不可能だ。
全員の頭に全滅の二文字が浮かんだのは当然のことだったのかもしれない。
この状況で"天使狩り"を止められる可能性があった者はミリアとルーカスのペア。あるいは騎士団の中隊長のみだろう。
しかし、前者はアーネットの相手で手がいっぱいであり、指揮系統の関係で倒れるわけにいかない後者も対応には回れない。
結局、白い外套を被った化け物は誰の妨害も受けずに目的の場所、ターナの元にまで辿り着くこととなった。
「あの村以来だな。お前の器の方は出てこれないのか?」
「ぁ……あっ……」
静かに"天使狩り"は質問するが、返答する余裕などターナにあるはずもない。目の前の男が少し腕を振るうだけでターナの命は無くなる。その恐怖からターナには震えることしかできなかった。
「ターナから離れろッ!!」
友人の危機に咄嗟に動いたのは三人の転移者。二人の間に割り込むように走り込んできたクリスが盾を構えながら片手剣を振り上げ、左右に回り込んだアリシアとリオンが全力で魔法を放つ。
「まだまだ甘いな」
斬撃と、炎と、風の一撃が迫り──その全てがただ剣を一度振るっただけで掻き消された。クリスはその余波で受け身も取れずに吹き飛ばされ、魔法を放った二人も一睨みされるとそれだけで膝を着く。
「あっあ……ぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」
軽々と無力化された友人たちを目にして、恐慌状態に陥ったターナは訳の分からない悲鳴を上げて剣を振り回す。もちろん、強化魔法を使うどころか、まともに体重の乗っていないへっぴり腰が通用するはずもない。
「うぅ……」
「出てこないなら、引きずり出してやろうか」
"天使狩り"の右手が白く細いターナの首を掴み、持ち上げた。呼吸ができなくなりターナは暴れまわるがその程度で解放されるほど甘くない。
─────酸素不足の身体からは徐々に力が抜けていき、意識も遠ざかる。
────視界が暗くなり、身体中の感覚が手から溢れ落ちる。
───そして、
──そして、
「殺してやるッ!! "天使狩り"ィィィィィィッ!!!」
憎悪にまみれた憤怒の絶叫がターナの口から、魂の底からあふれでた。




