第十八話:平和な夜
男にとって夢の地であり、実態は地獄だった女湯。そこからようやく抜け出したターナは、クリスたち男連中が座っているテーブルを見つけると、空いている席へ倒れ込むように座り込んだ。後続のアリシアも似たような様子であり、逆にジェシカは上機嫌。それをミリアとマリーが不思議そうに見ていた。
場所は宿舎一階の食堂だ。ターナが早飯を希望したのもそうだが、もう少しすると訓練を終え、夜間の業務も無い騎士たちが一斉に集まってくるらしい。そのため入浴を終えた一行はそのままの足で夕食を取りに来たと言う訳である。
「ターナ、アリシアおかえり。楽しかったか?」
「クリス、喧嘩売ってるのかぁ?」
悪意が見え見えのクリスの態度にアリシアが突っかかった。ストレスによって研ぎ澄まされたアリシアの暗い視線がクリスを貫く。しばらくそうしていたが悪い悪いと、手を上げて降参をするクリスを見て満足したのか力尽きたのか、再びテーブルへ突っ伏した。
アリシアと同じ立場であるターナだが、そのようなことをする気力は既にない。ここまで精神的に疲れる風呂は初めてだ。
「バイキング形式だから、順番に取りに行こうか」
「バイキング形式って……宿舎と言うよりホテルですよね」
さすが騎士団のトップ。毎日ホテル暮らしとは待遇もトップクラスだった。もっとも騎士でもなんでも無いのに施設を利用させてもらえているターナたちが言えたことではないのだが。
「ねえねえ、リオンさん! その頭の上にいるのなに?」
指を指すマリーに釣られてリオンの頭の上を見る。そこには彼の白髪、と銀色のモコモコな何かが乗っていた。色が似ていてちょっとした擬態になっていたことと、顔を上げる気力さえ無かったために気づかなかったのだ。
「ふあぁ……ボクのこと呼んだ?」
そして全員の視線が集まったことによってか、そのモコモコが動きだす。器用に丸めていた身体を起こし、その姿が露わになった。
まず目につくのは翠色でくりくりとした可愛らしい瞳。小さな身体からは四つの脚と一対の翼が伸びている。その全身隅々まで銀色のフワフワな毛で覆われており、愛着動物のような印象を受けた。
小さな銀色の龍の姿をした精霊、リオンの相棒である風の精霊フウだ。話には聞いていたもののゲーム上の電子データに過ぎなかった彼が、実際に命を持ち自分の意志で動いているところを見ると驚きを隠せない。
「かわいい! 抱っこしたい!!」
そしてその小動物のような容姿が琴線に触れたのか、マリーが目を輝かせながら手を伸ばす。その様子にフウは何を思ったのか狸寝入りで拒否を表明。だがそれに気づいているのか、いないのか、リオンが彼の身体を両手で持ちあげマリーへ差し出した。
「ほら、どうぞ」
「り、リオン!? 裏切り者―っ!!」
歓声を上げながらマリーはフウを撫でまわす。そのフワフワな毛皮を堪能したり、頬ずりしてみたり。幼い少女と小動物の触れ合いはとても和やかな雰囲気をターナ達に提供してくれたが、好き勝手弄り回されているフウにとってはいい迷惑だ。
「ちょ、やめ、やめて! 翼はやめて!!」
そう言えばジェシカとアリシアにもモフモフされて、怯えていたとリオンが風呂へ行く前に言っていたことを思い出す。何だか好き勝手に弄ばれていることなど、どこか親近感が湧いてきた。
「ここはレディーファーストで。男組で席は保持しておくから先に料理取ってきくれ」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうかね。マリーも……いや、私が二人分持ってくるよ」
暴れる精霊様と複雑な感情に呑まれるターナは一度放っておいて。クリスの提案にミリアが料理を取りに歩き出す。それにジェシカも続いていこうとし、未だテーブルに突っ伏しているアリシアとターナに気づくと首根っこを引っ張り上げた。
「ほら、二人もいくわよ」
「おれはこんなナリになっても心は男だ。レディーファーストには含まれねぇ」
「自分も右に同じです……」
「そんなこと聞いて無いっての!」
身体は変わっても心は男だと弱々しく示した。しかしジェシカは聞く耳を持たずに二人を強引に立ち上がらせると、そのまま引きづっていく。途中で観念したターナは当たり前のように女性扱いしてくる友人たちに、慣れない物を感じながら女性陣に続いた。
ちなみにアリシアは最後の最後まで抵抗し、食堂で遊んでいると勘違いした通りがかりの騎士にこっ酷く叱られていた。
そして全員がそれぞれ選んだ料理を席に持ってくると、誰が合図するわけでも無く自然と食事は始まった。ターナが持ってきたのは小さなパンが一つと、切り分けられた何かの肉を少々。それと具だくさんのスープが一杯だけだ。
「考えてみると丸一日何も食べてませんよ」
空腹で尚且つ久しぶりの御馳走と言える食事なのに量は少ない。良いのか悪いのか今の身体になってから著しく食事量が減っていた。食費を節約できて便利な反面、このようにおいしそうなものを見ても色々と食べられないのが残念で仕方がない。
「うん、やっぱり柔らかいパンはおいしいね。村で食べる固い奴も慣れちゃえば悪くないんだけど」
村で食べていた黒くてカチコチのパンと違い、このパンは日本で売っているようなふんわりとしたものだ。やはりパンは柔らかくないと、と心の中でミリアに同意する。
「前にも思ってたけどよ。精霊って肉食うんだな」
アリシアが肉、ではなく切り分けられた果物を齧りながら机の隅にちょこんと座っているフウへ視線を向けた。注目を集めた精霊は小皿の上に赤いソースのかかった肉料理を、魔法を使っているのか風の力で器用に口へ運んでいる。
愛着動物が口元を赤く染めながら肉を頬張るその姿は違和感しかない。アリシアも普段の言動に反してヘルシーな食事であるし、料理が逆なのではないかと一目見て思った。それはきっとこの場にいるほとんどの共通認識なのだろう。誰もがその二人の間を視線で行き来していたが一人と一匹が気づくことは無い。
「本当はリオンから魔力の供給さえあれば食事も呼吸も必要ないのだけどね。それでもこうやって食事を取れば魔力に変換して取り込めるし、その分リオンの負担が減らせるんだよ。おいしいものを食べたいってのもある」
「ほとんど、最後のが理由だよな?」
最後の最後でポロリと本音を零す精霊にクリスが鋭く突っ込む。フウもそれを特に否定せずに笑って誤魔化した。そう言った仕草は本当に人間臭い。
「リオンはフウのこと実体化しっぱなしで辛くねえのか? 同族の知り合いに精霊使いがいるが、常に現出するのはかなり魔力を使うって言ってたぞ」
エールの入ったグラスを左手に持ち、右の手で焼き魚をつまみながらアルフレッドは心配げに尋ねる。
「魔力は持て余してますし、フウが調整してくれているから日常生活は大丈夫ですよ。それに僕は一応エルフですから精霊との……親和性? が高いみたいですし」
魔法に関してさっぱりの転移者組だが、リオンの感覚だと特に問題は無いらしい。実際、ターナ達は大きな魔力こそ持っているものの、中の人間が魔法に詳しくないため宝の持ち腐れだ。
そこからフウの維持費に支払うぐらい問題は無い。それを聞いて納得したのか、アルフレッドはエールを呑む作業に戻った。
「あんたエルフだったのかい? 耳とか普通の人間にしか見えないけど」
続いて疑問をぶつけるミリアの言う通り、リオンにエルフ特有の耳などと言った特徴は無い。これは恐らくリオンの身体が元々ゲームとして設定されていたものと言うことが原因だろう。
ターナ達がプレイしていたMMORPGでは初期のキャラクターメイキングの際に人間以外の種族を選択できなかった。その代わりに一定条件を満たすと人間以外の種族へ後天的に転生できる、少々珍しいシステムを採用されていたのだ。
転生の際に容姿の変更もできたのだがリオン曰く、耳が長いと顔のバランスが崩れるとのことで容姿は人間のまま弄られていない。もちろん現実となったこの世界で転生システムなどある訳が無いため、今のリオンのような見た目は人間、中身はエルフと言ったおかしなことが起きているのだろう。
「ちょっとおかしいっすけど別の世界の人、特有のやつですよ」
まさか転生システムについて説明するわけにもいかず、困っていたリオンに助け舟を出すのはクリス。ミリアも地球に付いて何も知らないため、違和感無く誤魔化すことはできる。普段ふざけているくせにこういうところで気遣いできるのがこの男だった。
「なるほどね……そっちの世界はどんなところだったんだい?」
「どんなところって言われてもなあ……。魔法が無くて代わりに科学が発展していたって……科学って分かりますか?」
「一応はこっちでもある単語だよ。空想のものであって真面目に口したら笑われるような類の話だけどね」
どうやらこの世界では魔法と科学と言う言葉が逆転しているらしい。日本人にとって魔法がフィクションの中の技術だったように、こちらの世界の住民も科学は作り話の中の技術と言うことだろう。
「あたしたちからしたら魔法の方があり得ないんだけどね」
「オレからすると科学はあり得ないって訳でもねえな。ただそれを研究してるよりも魔法の方が便利だったから廃れただけで」
「あり得なくないって……あんた、それいつの話だい?」
「大体二百年前ぐらいだったか? そのぐらいまでは真面目に研究してるやつも少しはいたな」
長寿の種族らしく、ターナ達からしてみれば歴史上のようなことを当たり前のように話すアルフレッド。確か四百歳を超えていると聞いているが、どういった身体の仕組みになっているのか疑問だった。
生活習慣なども人間と変わらなそうであるし──酒好きの彼はむしろ短命のタイプだ。
「魔法は確かに凄いです。でもあっちの世界の科学技術と比べると一長一短だと思いますよ?」
「カガクってどんなことができるの?」
何だか魔法に負けたような気がして、科学の凄さもアピールしにかかる。それに反応してくれたのはマリーだ。村では食べたことの無いような料理の数々に眼を輝かせていた彼女だが、大量の皿を積み重ね満足げにお腹を叩いていた。
しかし一体小さな彼女の身体のどこに大量の料理が収まったのか。それが分からない。
「例えば病気を治したり、色々な薬を作ったり。怪我を治すのは魔法の方が優秀ですけどね」
村にいた時にミリアに教わった知識によると、この世界の治癒魔法は“外傷”に限り現代科学の医療を遥かに上回る。王国随一の術者ともなれば死んでいない限り、一時間足らずで完治させることも可能だそうだ。
しかし病気の治療に対して魔法は無力である。つまりこの世界では漢方薬のような原始的な治療法に頼っているそうだ。切断された四肢さえも復元する魔法は正に奇跡だが、病魔に侵された人間を救える科学もまた奇跡だろう。
「ふーん、よく分からない」
だが幼い少女にはあまり理解できなかったようだった。別腹として用意していたのか果物を摘み出す。こちらもどこにその果物が消えているのか不思議でたまらない。
「怪我を治す魔法と、病気を治す科学。もしもお互いの世界が自由に行き来出来ればたくさんの人が助かるかもね」
「そうだな。もしもそれが出来てたらルスベルも……」
「アルフレッド。その話はやめておくれ」
しみじみと何かを思い出すようにミリアとアルフレッドは言葉を投げ合う。ここは日本と比べて生きるだけでも厳しい世界だ。特に冒険者だったミリアなどは人の生き死に触れる機会も多かったのだろう。
(もしも行き来出来れば、日本に帰ってもいつでも会えるのかな)
ミリアやマリー、アルフレッドとはすっかり仲良くなってしまったが、日本へ帰るという目標がある限りいつかは別れがくる。その時お互いの世界を自由に渡り歩けるようになっていたら。そう思わずにはいられなかった。




