第十七話:転移者たちの湯煙事情
これを書くためにTSファンタジーにしたと言っても過言ではないです。しかし調子乗ってシリアスまでぶち込んだら、文字数が普段の四割増し。反省も後悔もしていません。
「来た来た、おかえりー!」
王城からの渡り廊下を通り宿舎に戻ってくると、ジェシカがターナに向かって手を振っているのが見えた。他にもクリス、アリシア、リオンもおりどうやらターナが戻ってくるのを待っていた様子である。
「?」
その中、黒髪の少女アリシアが壁にもたれかかり死んだ魚のような眼をしているのが気にかかったが、ひとまずジェシカの元へ向かった。
「思ったより早かったわね。あ、どうもターナちゃんの友人のジェシカです」
ジェシカは一度ターナから眼を離しその背後へ、ミリア達に軽く頭を下げた。何に対しても軽い印象の彼女だが、律儀に挨拶したりするところは日本人である。ジェシカのあいさつに背後の三人はそれぞれ一言返事を返す。
「しばらくここで生活するだろうから、よろしく頼むよ」
「オレはアルフレッドだ、まあよろしくな」
「よろしくー!」
「それでどうしたんですか?」
簡易ながらも挨拶が終わったところでターナは尋ねる。待っていたということは何か用があったということだ。
「えっと、もうすぐ四時ぐらいでしょ? もう少ししちゃうと騎士に人達が殺到して混雑しちゃうんだけど」
そこで一旦言葉を区切る。それからどういうわけか自慢げな表情──世間一般的に言い換えるならばどや顔を作ると、
「何とこの宿舎お風呂があるのよ!」
「なんだか久しぶりに聞いたような……こっちに来てから身体を拭くだけでしたから、嬉しいですね!」
風呂──日本では当たり前であったはずのその単語を聞いて、ターナもテンションが上がるのを自覚する。風呂と言えば日本人の魂の一つと言っても過言ではないはず。一日の終わりにはお湯に浸かりリラックスするのがお決まりだ。
リグル村で生活していたときは残念なことにそのような娯楽設備は無かった。身体を清めるのもシャワーさえ無い村での生活では、ぬるま湯で湿らせた布で身体を拭くだけ。今でこそ日本人離れした容姿になってしまっているが、風呂が好きなことに変わりはない。
「それをお前が自慢する意味が分からねえけどな……」
どや顔のままのジェシカに背後のアリシアが未だに死んだ眼のまま弱々しく突っ込む。いつもの荒々しい態度からは考えられないほど弱気だ。だからと言って肉体的な問題であるようには見えず、疑問だけが募る。
「いいじゃないの。みんなびっくりしたことなんだし、ターナちゃんの反応が見たかったのよ」
「ところで……アリシアさん、どうしたんですか? 元気無さそうですが」
あまりの暗いオーラに躊躇っていたが、原因が気になって仕方がない。その質問にアリシアはターナへと振り向き、禍々しく唇を歪めた。まるで自分と同じ犠牲者を呼び込もうと、躍起になっている亡者のような姿に思わず一歩下がる。
「いいのかよ、ターナ……? お前も同じなんだ……色々無くすぜ?」
その迫力に呑まれそうになりながらも、アリシアの返答を咀嚼していく。同じとはなんだ。日本人、転移者であるということか。それならクリスやジェシカ、リオンだって含まれる。しかしアリシアの言葉はターナ個人にのみ向けられているように感じられた。
アリシアとターナだけに存在する共通点、それは──。
「まさか……」
「ふふふ。ターナちゃんはもちろん、女湯だからね……!」
アリシアとは違うベクトルでジェシカが禍々しく笑みを浮かべる。完全に失念していた。認めなくないがターナの今の性別は正真正銘の女性。村で着替えたりするときも最初は色々と大変だったが、最近ようやく無心で済ませられるようになってきていたのだ。
しかしそれも自分の身体に限定される。個室に風呂があったわけでは無いため、恐らく共有の大浴場だろう。他者が一緒にいるのは色々とまずい。
「ミリアさんでしたよね? 娘さんとご一緒にいかがですか?」
「風呂なんて昔に何回か入ったぐらいだけど……たまには良いかもしれないね」
「お母さん、フロってなに?」
ターナがこの後に起きることを考え、戦慄している間にジェシカが着々と人数を増やしていく。少し距離を離したところではクリスとリオンが早速アルフレッドと意気投合しているようだ。誰にでも友好的なクリスとアルフレッドがうまく噛みあったのか、三人も一緒に風呂へ向かうようであった。本来であればターナもそっちにいるはずであったのに。
「えっと、おなかが凄く空いていまして……何か食べてから自分は行くので皆さんはお先に」
「そういえば忘れていたね。それじゃあ残念だけど、ターナはまた今度一緒に……」
「いやいや。今行かないと混んじゃうから、ターナちゃんも少しぐらい我慢できるよね?」
どうにかして脱出を図るがジェシカがそれを遮った。それでも何とかして突破しようと頭を働かせ、ふとワンピースの裾を掴まれていることに気づく。その手から腕へとその持ち主を確認し、
「おら、来いよ……同じ境遇の友達だろ……?」
先ほどよりさらに濃いオーラを漂わすアリシアがいた。今にも魔力となって可視化するのではと本気で思わせるほど、暗い雰囲気の彼女はターナを掴んで離さない。
仮に今日は逃げられても明日、明後日がある。逃亡が不可能なことにようやく気づき、ターナは心の底からため息をついた。
「まあ、頑張れよな!」
やり取りを眺めていたクリスからエールが送られる。しかし彼の顔は笑い声を抑えるのに必死と言った様子で、どう解釈してもバカにしているようにしか思えない。後で殴ってやろうとターナにしては乱暴な考えが頭をよぎった。
☆ ☆ ☆ ☆
「どうしてこうなった……」
場所は移して宿舎の風呂場。その入り口つまりは脱衣所にターナはいた。今は壁に視線を向け全力で意識の外へ追いやっているが、周りにはそれぞれの服を脱ぎ生まれたままの姿になっていく女性陣が居る。
彼女たちの裸を見るのも恥ずかしいが、自分が裸になるのも羞恥心が刺激され耐え難い。元の身体の時にはそんなこと気にしたことも無かったのだが、変に意識してしまっているせいか。
「どうしたんだい?」
そしていつまでも固まっているターナをミリアが不思議そうに覗き込んでくる。反射的に振り向き、露出度百パーセントの白い肌が視界に入ると顔を赤くしながら正面へ視線を戻した。
せめてタオルぐらい巻いてくれと心の中で叫ぶが、男勝りな性格のミリアなら裸で堂々としていてもむしろ納得してしまう。俯き再び停止するターナをミリアは不思議そうに見るばかりだ。
彼女は子持ちで実年齢は三十を超えているが、“天の落とし子”という特殊な存在であるために肉体年齢は二十歳程度で止まっている。つまり女性として最も輝いている年齢と言ってもよいわけでしかも美人。そんな女性の裸が目の前にあると考えると顔だけでなく思考まで沸騰しそうだった。
「ほらほら、どうしたの? ターナちゃん?」
ミリアとは逆方向を横目に見てみると裸の、こちらはさすがにタオルを巻いたジェシカがにやけ顔で尋ねてくる。完全にこちらの反応を見て楽しんでいた。
(大体何も知らないミリアさんはともかく、どうしてジェシカさんも裸になれるんだか……)
ターナの性別事情を知らないミリアはまだ納得できる。しかしジェシカはターナの中身の性別を、元々男性だったことを知っているし顔を合わせたことだってあった。その上でどうして平然としていられるのか理解しがたい。
「向こうは最近反応しなくなっちゃったからなあ」
ドアの開けられる音が響き、ミリア達をできる限り視界から外して音源を見てみる。黒い髪を降ろし平たい胸からタオルで身を包んだ少女、アリシアの背中が風呂場へ一人で入っていくのが見えた。
きっとターナが来る前からジェシカに弄られ続けていたのだろう。そして風呂がトラウマに近い何かになってしまったのから、あのように暗い雰囲気をまとっていたのか。ターナは自分のことを一旦棚に上げて同情した。
「お姉ちゃん、早く!」
続いて下の方から声が聞こえる。今度は視線さえ寄越さないが確実にマリーだ。彼女の場合年齢は十歳。見た目は少女、しかし中身が成人男性のターナが下手に見ればそれは最早事件だ。事案発生だ。
「もう脱ぎますから、先に行っていてください……」
「ほら、マリーいくよ」
「早くしてね!」
とりあえず見られていると落ち着かない。そのためお願いして茶髪の親子に先行してもらったが、ジェシカはターナに視線を吸いつかせたまま動こうとしなかった。仁王立ちで腰に手を当てたまま瞬き一つする気配が無い。
「あの……脱ぐので先に……」
「嫌。その隙に逃げるかもしれないし、恥ずかしがってる女の子の脱衣シーンとか見逃せない!」
鼻息を荒くして、興奮気味にターナを見つめる。中身だけ男のターナと、行動原理がオヤジのジェシカ。これではどちらが変態なのか怪しいところだ。そのことに呆れた気分になり、少しだけ心臓が落ち着いたのを確認すると意を決してワンピースの裾に手をかける。衣擦れの音が小さく響き、ほんの一分もしないうちに一糸まとわぬ姿となった。
「眼福、眼福……」
そのままターナが身体にタオルを巻きつける頃には、ジェシカは満足した様子で風呂場へ突入する。もうここまで来たらお湯を堪能しなければ割の合わないと、半ば自棄になりながらターナもそれに続いていった。
その大浴場へ簡単に感想を言わせてもらうのであれば、想像以上に完成度の高いものだった。魔力を使って稼働していたシャワーは、冷たい水でなくお湯がしっかりと出てくる。それが現代のホテルのようにいくつも設置されていた。
そして何より驚いたのは固形石鹸が存在していたことだ。この世界は産業革命すら起こっていない時代のような街並みだというのに、見る部分によっては現代日本に負けずとも劣らない。そんなことを改めて認識させられた。
「はあ、さっぱりする」
そしてターナも久しぶりになるシャワーを堪能していた。シャンプーまでもが用意されていることに、それを開発してくれたどこかの誰かに心から感謝の念を捧げる。しかし喜ばしい気持ちに水を差すようにすぐに問題が浮上した。
「面倒くさい……」
今のターナの髪は背中にまでかかるほど長い銀髪で、非常に洗いにくいのだ。それだけなら村での生活である程度慣れていたのだが、髪の量が多いためか中々泡立たない。だからと言って大量にシャンプーを消費するのも気が引け、少しずつ足していった。加えて言えば絹のようにサラサラだったそれを傷つけるのはひどく勿体なく感じられ、普段よりも丁寧扱う。その結果、元の身体だった時の倍以上の時間を掛けてようやく洗髪は終了した。
「ミリアさん、デカい……!」
「あっても邪魔なだけだよ。それに世の中もっとおかしい奴がいるからねえ」
「私もお母さんみたいになるの?」
銀色の絹との格闘が終わり、気が抜けたせいか近くから女性陣特有の会話が耳に届き、思い出すように顔が熱くなる。その邪念を振り払うように今度は身体の汚れを落としにかかるが、むしろ逆効果だった。
自分限定で慣れてきたはずの女性の身体も、変に意識してしまうせいか初日の水浴びのような気分だ。あの時は何故か血塗れになっていた身体を冷たい水で流していて、
(どうして血塗れだったんだろう?)
当たり前のような疑問が今更になって湧き出てきた。当時は訳の分からないことだらけで混乱していて頭が回らなかったがおかしいはずなのだ。ターナがどうやってか──騎士団からの情報によれば無差別の召喚魔法によってこの世界に降り立った。
その時に肉体も自分のものでは無く、MMORPGにおいてのサブキャラクターであった“ターナ”のものになっている。ターナはライトノベルなどの知識から無意識の内に自信の身体が変化したが、新しい身体に魂が入れられたなどと思っていたが──それでは辻褄が合わない。
熱くなっていた顔が急速に冷え、頭のどこかでこれ以上考えるなと叫ぶのが聞こえるが、それを無視して思考する。
仮に身体が変化したり、新しく創造されたとした場合、言うなれば生まれたての状態であるはずだ。しかし服はボロボロ、全身は赤く染まっていると、とてもそうとは言えなかった。
もちろん何か魔法のトラブルでそのようになっただけかもしれない。しかし、そうでなく血塗れであったことに何かしらの理由があったとすればそれは──。
「うんうん、これは手ごろな大きさね」
「ひゃっ!? って何してくれるんですか!?」
突如、胸を揉まれるくすぐったさを感じ取り、悲鳴を上げた。思わず出してしまった自分のものとは思えない声に羞恥心を盛大に刺激されながら、勢いよく背後へ振り返る。そこには、ジェシカがニヤニヤとした笑みでこちらの反応を楽しんで──おらずその代わりに彼女にしては珍しい真剣な表情を向けていた。
「何って、言ってみれば味見よ。……それと急に暗い顔になったからどうしたのかなって?」
少し離れた場所にいたのに気づくとは、そんなに顔に出ていたかと反省する。続いて心配げに見つめるジェシカにどう言い訳をするかと考え、
「また悪い癖が出てるわね」
「え……?」
それを遮る様にため息交じりの言葉が放たれた。
「今の誤魔化そうとしてたでしょ? ターナちゃんは……“アベルくん”はいつもそう。人に迷惑かけないように、人を嫌な気分にさせないように気を使ってばっかり。敬語で話しているところにもそういう性格出てるよね」
「────」
「毎晩、ギルドのみんなで集まってるの。クリスとかリオンくん、アリシアにあたしもいるから今相談しにくいならその時に話してみなよ?」
返す言葉も見つからず、その場でうなだれる。自分では特に意識していないが、言われてみるとその通りだ。ターナは“誰かに相談する”という選択肢がいつも浮かんでこない。人に迷惑がかかるかもしれない、そう思うと躊躇ってしまい結局一人で抱え込み失敗する。
そんな自分の欠点をまさかネット上の付き合いだった人物に指摘されるとは驚きだった。この世界で出会ったミリアたち、リグル村の人々やジェシカたちと友人に恵まれている。そのことに感謝しながら、優しく気にかけてくれたことに感謝を伝えようとし、
「これさえなければ、完璧だったんですけどね……」
「バレタ?」
未だターナの胸に添えられたままだったジェシカの腕を引き剥がす。そしてシャワーの出力を全開にすると、
「ありがとうございました、でもこれとは別ですよね」
とぼけた顔をするジェシカへ勢いよくお湯を吹きかけてやった。
☆ ☆ ☆ ☆
髪と身体を洗うだけで色々とあり、ようやくターナは湯船に浸かっていた。とても大きく温度も適度に熱い、文句なしの湯船を楽しみながら──隅っこで壁を凝視していた。理由は簡単、下手にどこかを見ているとチラチラと直視しがたいものが映るからだ。
「気持ちいいな、これで男湯だったら最高だったな」
「今の格好で男湯に行ったら別の意味でまずいですよ」
隣で同じように目の前の壁から決して目線を逸らさないようにしているのはアリシアだ。唯一、今の複雑な気持ちを理解し合える彼女だけがターナの同志である。
「高校生の時とかよ、友達同士でエロイ話とかするじゃねえか?」
「しましたね」
「その中で、透明になって女湯に入るとか定番だったよな?」
「何度か出てきましたね」
「でもよぉ……」
そこで小さくため息をついて一度区切る。それから可愛らしい顔に影を落としながら、ポツリと零した。
「実際入ってみるとそう嬉しくねえよな……」
「……」
完全に同意であったが、掛ける言葉は見つからない。そうやって少々暗い雑談をしながら久しぶりのお湯を堪能していると、僅かにだが背中に水面の揺れを感じ取った。一瞬のうちにそれが何かを察し、さりげなくその場から移動する。
「キャッチ!」
「っ!? だからてめえやめろって何度もよッ!?」
そして予想通り、飛びかかってきたジェシカの魔の手がアリシアの胸へクリーンヒット。小さく悲鳴を上げたアリシアが怒鳴りかかるが、
「可愛いな、このやろー!」
女子中学生のような容姿の彼女が可愛らしい声で叫んでも、怖さなど微塵も無い。ただ微笑ましいだけだ。それを本人は気づいているのかいないのか、ジェシカを喜ばせているだけとは少なくとも気づいていない。
「ターナもこっちに来ないのかい? そんな端っこに居てもつまんないだろう」
背後から掛けられたミリアの誘いにどう返すか迷う。ターナを女性だと信じて疑わないミリアからしてみれば、ここで断るのは不自然。しかしそちらへ向かえば少なからず、裸体を見ることになる。堂々と拝むほどの度胸があれば、と思うがターナにはそのような蛮勇備え付けられていなかった。
「お姉ちゃん、また来ないの?」
そこにマリーの寂しそうな声が追撃に入る。本気で悲しそうだと声だけで判断できるそれを聞いてしまうと、行かなくてはと使命感に駆られる。数秒の葛藤の後、もう少しなら近づいても平気だろうと結論付けた。
「えへへ……」
そしてミリアの横へ若干距離を置いて再び落ち着くと、何を考えたのかマリーがターナの膝の上に座ってきた。
「え、ちょ、ちょ、マリーさん?」
身長の低いマリーでは頭まで浸かってしまうためだろう。それは分かるのだが、なぜミリアの元からこっちに移ったのか。そして視界の端に一瞬、ジェシカが含み笑いをしてこちらを見ているのが映る。
悪意の全くないマリーの行動に半分パニックになりながら、この世界の風呂は危険で怖い場所と中々に訳の分からない感想を抱いていた。




