第十二話:王都からの来客
ベッドの上で目を覚ましたターナは上半身を起こすと大きく身体を伸ばした。朝が苦手なターナは普段であれば、目を覚ましすぐに起き上がることなどできないのだが今日は妙に目覚めが良い。見慣れない部屋の様子を確認しながら、今度はベッドを抜け出して自分の足で立ち上がる。
ふわりと長い銀髪が耳をくすぐり、一瞬の硬直の後に自分の姿を思い出した。二十年以上過ごしてきた身体が急激に変化したのをたった二週間程度では受け入れ切れていないのだ。密かに朝起きたら元の身体に戻っていることを期待しているのだが、冷静に考えると女装した男が突然部屋に現れることになるわけで、ミリアに見つかった瞬間殺されそうである。
「ってそうだった! ミリアさんは!?」
そこまで考えてようやくここがミリア家では無いことに気が付いた。今更ながらに部屋の様子を確認し、それと同時にドアが開くのを見る。大きな身体でドアを潜って現れるのは村長のアルフレッドだ。巨漢エルフの彼はベッドから降りたターナのことを確認すると安心したように口を開いた。
「良かった、やっと目を覚ましたか」
「それよりミリアさんは!?」
途中から記憶が曖昧だが男が村を襲撃し、ミリアが倒れる姿ははっきり覚えている。その際の危険な量の出血に最悪の考えも浮かんでしまっていて──。
「無事……とは言えねえ。だが峠は越えているし、今日中にはオレの伝手から治療術師が来るはずだ。心配はいらねえよ」
その言葉にターナは安堵の息を吐き出す。続いてもう一人の少女を、マリーの安否も尋ねようと思ったとき廊下から激しい足音が聞こえてくる。そんな行動をする人物は一人しか心当たりは無く、それはターナにとって吉報だ。
「ああー! アルフレッド!! 女の子の部屋に勝手にはいっちゃだめだよ!!」
肩で切りそろえた茶髪を振り回しながら少女──マリーはアルフレッドに駆け寄りその腰をボカボカと叩く。久しぶりに見たような気がする微笑ましい様子に思わず笑みがこぼれると、それに気が付いたマリーがこちらへ顔を向けた。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ええ、すっかり元気ですよ」
「良かった! マリーを助けてくれてすぐに倒れちゃったから……」
後半にいくにつれて元気の良さも尻すぼみになり、最後に方はうまく聞き取れないほど小さな声だった。男の襲われていたとき、マリーを抱きしめていたところで記憶が途切れているが、きっとそのあとアルフレッドが助けに来てくれたのだろう。その時にマリーを不安がらせてしまったと結論付ける。
「ごめんなさいね。最後まで護りきれなくて……助けてもらえなかったら危なかったです」
「……ターナは本当に覚えてないんだな?」
「え?」
何故か怪訝そうにこちらを見る二人を、ターナは理解できない。あの男に対抗できたのはミリアとアルフレッドだけだ。そしてミリアは重傷を負って倒れていた。今無事に全員が揃っているのは、アルフレッドが男を撃退したからのはず。
「男の本体はオレが追い返した。だけど分身を殺したのはお前だぞ?」
「いやいや、何を言っているんですか? “私”なんてちょっとだけ走ったあとは気絶していただけですよ」
平和な日本育ちのターナに分身とはいえ人を殺す覚悟など無いし、技術もまた無い。使えるのは数発撃っただけで倒れる、制御のできていない不完全な魔法だけ。それさえ時間稼ぎにしか使えていなかったのだから、男を倒せたわけがないのだ。そのはずなのに二人の目線はそれを否定し続ける。
「オレはその瞬間を見たわけじゃねえ。だがオレが駆け付けた時には男は既に倒された後だったし、マリーがそれを見てる」
「うん、でもお姉ちゃんがお姉ちゃんじゃないみたいで……。今はいつもの優しいお姉ちゃんだよ!」
真正面から満面の笑みで優しいと称され、恥ずかしさから顔をそむける。だが、それと同時に自分が分身とはいえ人を殺したのかもしれない、と得体の知れない恐怖に飲みこまれ思わず俯いた。
──故に嘘をついていないかと探るような目線を寄越すアルフレッドには気づかない。
「詳しい話はミリアも一緒にした方が好都合だ。移動するぞ」
確認は済んだのか、アルフレッドは視線を向けるのを止めると指示を出した。その言葉に反応して顔を上げると、アルフレッドが部屋から出ていくのが見える。心に少しだけもやもやを残したまま、ターナとマリーもそれに続いていった。
廊下を通り、別の個室に入るとそこにはベッドで寝そべっているミリアの姿があった。アルフレッドの言葉通り、命に別状は無いようで極端に顔色が悪かったりもしない。現にミリアはターナ達三人が入ってくるのを見ると、
「良かった、ターナも目を覚ましたんだね。アルフレッド、私も平気だからそろそろ自由に動いてもいいんじゃないかい?」
「ダメに決まってんだろ。仕方が無かったとはいえ止血の仕方が乱暴すぎだ。おかげで傷口がぐちゃぐちゃで、しっかり治療してもらわないと痕が残るぞ?」
いくら背中とはいえ身体に傷跡が残るのは女性としてきつい。恐らく、アルフレッドはそう思っての気遣いだったのだろう。
「子持ちの、それも三十路の婆がそんなもの気にしないっての」
しかしその気遣いも実に男勝りな返答で両断される。それに対してアルフレッドは苦々しそうに表情を歪め、大きくため息をついた。
「お前は本当にオレの扱いがひでえな。見た目は若いんだからもう少し考えたらどうだ……?」
「残念だけど実年齢も若かったときからこうだよ。見栄えを気にするよりか、次の獲物の情報を調べるほうが街中では多かったからね」
アルフレッドが大きく肩を落とす。若い頃が冒険者だった弊害だろう。女性としてどうなのかと言わざるを得ないが、ミリアらしいと言えばミリアらしい。
そんな外見だけなら娘と頭の上がらない父親のやり取りにも見える光景を眺めていると、隣にいたマリーが突如右腕を振り上げた。頬を膨らませたりして怒っている、と全身を使ったアピールし、
「お母さんもアルフレッドも大事なお話があるんじゃないのっ!?」
話の続きを所望した。最年少児の正論にミリアとアルフレッドはバツが悪そうに頭をかく。外見は二十歳で実年齢が三十路のミリアと、外見は四十路で実年齢が400歳越えのアルフレッドが僅か十歳ほどの少女に叱られるシュールな光景だ。その年齢の逆転現象に思わずクスリと笑ってしまうと、アルフレッドがわざとらしく咳をした。
「マリー、悪かった。それじゃあ本題だが、もちろん先日の襲撃に関してだ」
居住まいを正し、神妙な顔つきで話し出すアルフレッドを見てターナ達も気持ちを入れ替える。
「あの男は最近になって活動を始めた犯罪者で、“天の落とし子”を片っ端から殺してその死体を回収しているクズだ。一部の間では“天使狩り”だなんて呼ばれてる」
「もう気づいていると思うけどね、私も“天の落とし子”なんだよ。容姿が二十歳で止まっているのもそのせいでね」
衝撃の告白、と言うほどではない。ターナも何となく感づいていたし、ミリアの容姿やら能力やらもそれで説明が付くからだ。
「だからあの男の目的はミリアを殺すことだったんだろうな。それと、もう一人ルスベルもターゲットに入っていたみたいでな……あいつの墓が荒らされていやがった」
その名前を聞くのはこれで二度目だ。一度目の時は恐怖やら怒りやらによってあまり理解できていなかったが、アルフレッドとミリアの反応を見る限り関わり深い人物なのだろう。特にミリアの反応は顕著で静かに目を閉じ、心の中で怒りの炎を燃やしているのが分かった。
「すごく聞き難いんですが……そのルスベルさんって誰なんですか?」
「ルスベルは、死んだ私の夫だよ。あいつも“天の落とし子”だったから、きっと遺骨でも回収していったんだろうね」
回収する死体が遺骨でも良いというのも驚きだが、それ以上にミリアのことが心配になる。娘であるマリーを一時は人質にされ、挙句の果てには亡き夫の尊厳を汚された。きっとミリアの怒りは目に見える以上に耐えがたいものなのだろう。
「“天使狩り”が三人目はきついだとか呟いていたのを聞いた。突然弱くなったのもルスベルの回収に向かっていた三人目の分身の影響だろうな」
「私が不意を撃たれなければあいつも戦力を分散できなかったはずなんだよ。私の責任さ……だからこそ、私の手であいつは氷漬けにしてから粉々にしてやる……!」
淡々と“氷の魔女”らしく冷たい声で怒りを発露させるミリアは怪我人とは思えない迫力を放っていた。マリーはそれを心配そうに見つめ、アルフレッドは静かに目を瞑っている。
そして話が途切れたまま沈黙。このままでは気まずいとターナが何か話題を出そうとした瞬間アルフレッドが瞼を開け、そのまま部屋から出ていってしまった。一体どうしたのだとそれを目で追っていると、
「たぶん、呼んでいた治療術師が来たんだろうね。今日で三日目だし頃合いだよ」
「それで急に……って三日目って自分はどれだけ寝ていたんですか!?」
ミリアの傷を治療できるのは朗報だが後半に聞き捨てならない単語を見つけ、思わず大きな声で尋ねた。耳元で大声を叩き付けられたミリアは僅かに顔をしかめる。それでも質問には律儀に答えてくれた。
「言った通り三日間だよ。魔力を半分以上も消費したんだからむしろ早いぐらいだね」
日常生活ではあり得ない時間、寝ていたと聞いて驚きだ。同時に魔法を使うデメリットの大きさに肝が冷える。枯渇したら死ぬとは聞いているが、それの折り返し地点までいっていたのだからゾッとしない。今後は気を付けようと心に誓う。
「大きな都市から人が来てるんでしょ? 会ってみよう!!」
「ってちょ!?」
そして難しい話だったためか、これまで黙っていたマリーが元気よく声を上げると何故かターナの手を掴んだままアルフレッドを追いかけ始める。年下の女の子を強引に振り払うことも罪悪感からできず、そのまま引っ張られていく。そんな仲睦まじい二人の少女をミリアは何も言わず静かに見届けた。
☆ ☆ ☆ ☆
マリーに引っ張られ村の入り口にまでやって来ると、ちょうど馬車がやって来るところだった。アルフレッドの誘導で柵に寄せるように馬車が停まると中から白い制服を来た男女が降りてくる。だが、彼らを呼んだはずのアルフレッドは怪訝そうな顔つきでその様子を見ていた。
「アルフレッド様。お久しぶりです」
人数は御者を含めて総勢六人。そしてその中の一人である青年が声を発した。年齢は外見からの判断で二十歳を少し超えた程度であり、髪は海のように澄んだ青色。身長は恐らく百八十を超えており、整った顔立ちと合わせて間違いなくイケメンに属する人間だろう。
体の線は細く見えるが、弱々しいのではなく引き締まった筋肉をまとっているからだ。その佇まいに隙が無いのが素人目にも窺えて、かなりの実力者でもあるのも分かった。
「お前は……ああそうか! お前、キールか! 十年ぶりぐらいだったよな? すっかりデカくなっちまいやがって。クソ真面目そうなのも相変わらずだな!」
どうやら旧知の仲らしく、アルフレッドが嬉しそうに声を上げる。しかしすぐに真面目な顔に戻すと、
「どうして近衛騎士団が来たんだ? オレは治療術師を頼んだはずだけどな」
「もちろん、近衛騎士団所属の治療術師もいます。私たちが着いてきたのは王都まで移動する際の護衛役としてですね」
アルフレッドはその言葉に眉をひそめ、僅かに思考する様な素振りを見せる。そしてすぐに納得したとばかりに顔を上げた。
「──ああ、そういうことか。親父にオレ達を連れてくるよう命令されてるんだな。護衛ってのも嘘じゃないが、それ以上に拒否権を与えないためだろ?」
「私の口からは何とも。ただ“天使狩り”と関わった人間は必ず保護するように言い付けられているとだけ」
アルフレッドの言葉を青年──キールは言外に肯定する。それを聞いたアルフレッドは頼む相手を間違えたか……、と小さく独りごちるとこちらへ振り返った。気づかれていないとばかり思っていたターナは、突然目を合わせられ思わず肩を跳ねさせる。
「らしいぞ。楽しい王都旅行が決定だ。参加は強制だがな」
そう言ってわざとらしく肩をすくめてみせる。アルフレッドが話しかけたことにより、その動作の先へ意識を向けたキール達の視線がターナとマリーへ集まって、
──何故か騎士たちの表情が一変した。
その表情は各々違ったが全員驚いていることは共通している。ターナとしては初対面の人間にそんな反応をされ、あまりいい気分ではない。自然と睨み返すような態度を取ってしまう。
それでも、ターナの心情などお構いなしに一人の女性が口を開こうとして、キールが手でそれを制した。
「失礼。あなたも“天使狩り”と接触を?」
「……はい、襲われたときに偶然居合わせまして」
「そうですか。それなら申し訳ないのですが、あなたにも同行してもらいます。ですが、悪いことばかりではないはずですよ?」
「それってどういう……」
言い終えるや否や、ミリアの治療のためにか騎士たちはアルフレッドの家に向かっていく。悪い人間では無さそうだが、良い印象も持てない人物だ。気持ち良いとは言えなかった今のやり取りで、無意識に顔に苛立ちを表情に浮かべたターナをマリーは心配げに見つめていた。




