第十話:二週間越しの殺意
男に斬りつけられた背中から危険な量の血を流し、ミリアは膝を付いた。目を凝らしてみると彼女の背中には氷の欠片が幾つか付着しており、直前に魔法で防御し直撃するのだけは避けたのが窺える。
──そんなこと、気休めにもならないが。
「くそ、やっちまったね……」
攻撃を受けたのが背中だったのが幸いし致命傷には届いてないだろう。だがこれ以上の出血は命に関わる。
「てめぇ、一体なんだ……!?」
「そこのコピーのことを言っているのか? だったらこういう魔法もあるとだけ言っておく」
アルフレッドは背後にいる右肩を負傷した方の"男"を指しながら尋ね、その返答を聞くと絶句する。男がコピーと呼ぶ“男”はつまり魔法によって作られた分身と言うことなのだろう。だがそのコピーは血を流し、痛みに苦悶の声をあげ、流ちょうに喋っていた。
そんな精巧なコピーを生み出せるなど少なくともアルフレッドは聞いたことが無い。そして最悪の考えが浮かび、アルフレッドは顔を強張らせる。
「じゃあなんだ。オレたちは偽物相手に一所懸命になっていたってか」
「いいや、さすがにお前たち二人を相手に手を抜けるほど自惚れてはいない。途中で入れ替わっただけだ」
その言葉にターナとアルフレッドは若干安堵の表情を見せるが、状況が最悪なことに変わりはなかった。しかし一体いつ入れ替わったというのか──。
その疑問は答えが出る前に霧散した。男がミリアに止めを刺すべく真っ赤に染まった長剣を振り上げたからだ。ミリアも必死に身体を動かそうとするが、地面を這うのが限界だ。もちろんそんな移動では男から逃れることはできず、
「いやぁ、いやっ! お母さん!!」
「マリーさん、ダメっ!!」
大好きな母親の危機にターナの腕の中のマリーが泣き叫びながら魔法を詠唱する。その暴挙にターナは慌てて止めにかかるも空しく、マリーの魔力が激流となって男に襲い掛かった。
以前ターナに遊び半分で使ったものとは違い、相手を打ち負かすつもりで放つ殺傷用の魔法だ。予想外の人物の攻撃に男は水の大蛇に飲みこまれ、
「全く、大人しくしていればいいものを」
片手をかざすだけで相殺された。全くの無傷の男は呆れたように一言こぼすとターナとマリーを見つめる。
「お前の年齢でその才能は規格外だが、まだまだ実戦で使えるようなものじゃない。……そんなに魔法を撃ちたいのなら、そいつの相手をしてもらおうか」
男が言い終えると同時にターナは体温が急激に下がるような錯覚を受けた。鋭い視線を感じてぎこちない動きで振り返ると、そこには最初に戦っていた“男”がいた。男の言葉を信じるのであればそれはあくまでコピー、紛い物と言うことだろう。
「さっきと比べて軟弱になっているが、お前ら相手にはちょうどいい」
右肩はやはり動かないのか“男”は左手一本で拳を構える。持っていたはずの長剣はいつの間にか無くなっていた。しかし偽物だろうとそこから放たれる殺気は本物でターナは身体の芯からくる恐怖で一歩も動けない。
「ターナ! マリーを連れて逃げろ!!」
マリー、という名前を聞き反射的に腕の中の少女を見た。ターナと同じく、いやそれ以上に身体を恐怖で震わせそれでも母親を助けようと勇気を出した少女だ。──そして、恩人に護るように頼まれた少女でもある。
この優しくて元気な少女を護らなければならない。そう気づけば自然と身体は動くようになっていた。
「ご武運を!」
「お姉ちゃん!? お母さんが!! お母さんがあぁぁ!!」
叫ぶと同時に“男”に背を向けてマリーを抱きかかえたまま走り出した。アルフレッドと重傷を負ったミリアを置いていくことにはもちろん抵抗がある。しかしあそこに残ったところで何も役に立てないうえ、マリーを危険にさらすだけだ。
決心と共に離脱を試みるターナだが、もちろんそれを“男”は見逃さない。負傷しているとは思えない動きでこちらを追いかけてくる“男”を確認すると一度立ち止まり、
「『氷槍』!!」
手加減抜きで魔法を放つ。巨大な氷の槍が男へ飛来し、その体に新たな出血を生みながら吹き飛ばす。それと同時にターナは自分の中からごっそり何かが抜け落ちる感覚を受け、思わず膝をつきそうになった。
たった二週間のそれも空いている時間に練習しただけのターナでは練度が圧倒的に足りないのだ。特にターナは無駄に多く持っている魔力に振り回され、暴走気味に撃つ癖があった。
今の攻撃で消費した魔力はおおよそ三割。もう一発までなら何とかなるが、三発目を放てば確実に意識を失う。だがそんなターナの魔法でも時間稼ぎになら十分通用した。村の周辺には背の高い草が群生している場所があり、そこまで逃げ切れば十分撒けるかもしれない。
そんな楽観的な考えを持ちながら可能な限り早く走る。ちょっとしたゴーストタウンのようになった村を駆け抜け、ふと違和感を覚えた。元々の今回の騒ぎの発端となった出来事、つまり魔獣の姿が見えないのだ。
思えば、男が現れた時から動いている個体は一度も見ていない。あまりにタイミングの良い男の襲撃からして、魔獣の一斉進行と両者の間に関わりがあるとしたら──
「なんだ、これ……」
そして村を囲む柵が視界に入ったとき、逃走が不可能なことを悟った。木でできた簡易的な柵の向こう側、緑で覆われているはずの草原が鼠色にすり替わっている。
──魔獣の群れに包囲されている。
何よりも不気味なのはその魔獣たちが身じろぎ一つせず、ただただ佇んでいることだけだ。この世界で魔獣と言われているのは人類にとって害になる動物であり、一部例外を除けば知性のある生物では無い。
あくまで獣の範疇に収まっている存在なのだ。そのはずなのにこの魔獣たちは村を包囲するという戦術的なことをやって見せていた。
「どうしよう……」
この世界について詳しくないターナでも、目の前の光景が異常なのは理解できる。どのような手を使ったかは分からないが魔獣の行動を操作しているのだろう。
実は簡単な動作しか命令できず、ただ居るだけのこけおどしの可能性も十分あり得る。だがもしかしたら死ぬかもしれない場所へ躊躇無く飛び込める勇気など、一体どれだけの人間が持っているだろうか。
さらに言えば、今はマリーを連れているのだ。彼女を護るために行動しているのに、逆に危険に晒すのは愚策の極みである。
(すぐに戻ってアルフレッドさんを頼るか……いやこれ以上負担をかけるわけにもいかない。でも避難通路に逃げ込めば中にいる村人のみんなが襲われるかも……)
色々と考えは過るがどれもナンセンスなものばかりだ。必ず誰かしらに危険が降りかかってしまう。結局思考を続けても妙案は浮かばず、
「うわっ!?」
突然肩を引っ張られ、背後へたたらを踏んだ。一気に肝が冷えるのを感じて振り返った途端、頬に強い衝撃を受けてターナの軽い身体が吹き飛ぶ。
「あ、ぅ……」
マリーに衝撃がいかないように反射的に抱きしめる腕に力を込め、何とか顔を上げてみるとやはり言うべきか“男”が二人のことを見下ろしていた。再び魔法を唱えようとするが、意識が霞んでしまってうまく集中できない。
「お姉ちゃん! やだぁ!! お母さんもお姉ちゃんも死んじゃわないでよ……!」
揺れる視界の中でマリーが泣き叫んでいるのが聞こえる。護ると、そう決めたはずの少女の声も今の状態ではしっかりと認識できない。その変わりにターナは自分の内側に収まり始めていたはずの声を感じていた。
男に襲われた直後にも感じ、原因不明の怒りをターナに発露させていた声だ。自分の心なのに、他人の心でもある矛盾。その複雑な感情は再び膨れ上がっており──
「う、がぁ……」
ターナの身体が足蹴にされて再び地面を転がる。そのまま村の柵のすぐ隣にまで転がり、目の前に魔獣の顔が見えた。マリーが再び何かを叫んでいるのがなんとなく分かるが、その中身までは最早聞こえない。ただ不謹慎にもここまで心配してくれているのを嬉しく思ってしまい、そこでターナの意識は途切れる。
──殺してやるッ!!
ターナの内なる声が今までで最大の声を上げたのはそれと同時だった。
☆ ☆ ☆ ☆
ミリアの一人娘であるマリーは家族というものに飢えていた。彼女には父親という本来なら当たり前にいるはずの存在がいない。物心ついた頃から、少なくとも記憶にある範囲でマリーには父親と呼べる人物がいなかった。
当たり前のことが、当たり前でないことを悲しく思うことは何度もあったのに、それでも余計な不幸を感じなかったのはミリアの愛情ゆえだろう。厳しいながらもそれ以上に優しいミリアが母親で無かったのなら、マリーがここまで素直に育つことは無かったかもしれない。
だから親子二人での生活に不満を持ったことは、ほとんど無かった。そう、ほとんどだ。元々の活発な性格も影響したのだろう、二人で談笑しながらの食事も嫌いではないが、もっと多くの家族が欲しいと心の底ではいつも思っていた。自分のために尽くしてくれている母親の手前、そんなこと決して言えなかったが。
そんなある日だ、ミリアが夕食中に突然家を飛び出していったのは。無論マリーを置いて逃げだしたわけでは無い。大きな魔力を感じ、それを確かめに行っただけだ。その帰りを待つ間、マリーは何か良いことが起こると、何の根拠の欠片も無い直感に小さな胸を躍らせていた。
不思議なことにマリーの勘は昔からよく当たるのである。その感覚に絶対の自信を持っていたマリーは、その興奮から寝ることも忘れて母親の帰りを今か今かと待ち望み──行きには居なかったはずの銀色の少女を見て、直感が当たったことを確信した。
その翌日、記憶が無いというその少女は居候という立場で共に暮らすことが決定する。
時々不思議なことを呟いたり、少々抜けていたりするもののミリアとは別のベクトルで優しく、綺麗なその少女を“お姉ちゃん”と親愛を込めた呼称で呼ぶようになるのもまた、その時に決定していたのかもしれない。
そして、たった二週間一緒に暮らしただけとはいえ、大好きになっていたその“お姉ちゃん”は今、ボロボロの身体で倒れ伏していた。
「やだぁ、起きてよ……! お姉ちゃんっ!!」
ただでさえ母親が大きな怪我を負う場面を見ていたのに、休む暇も無く今度は“お姉ちゃん”だ。さらに言えば両方とも自分を護ろうとして負った怪我であり、優しいマリーの心は色々な意味で限界だった。
ふと自分を抱きしめる“お姉ちゃん”と眼が合った。額から血を流した“お姉ちゃん”はマリーに怪我が無いことを確認すると、小さく安心したように笑い瞼を閉ざしていく。あくまでもそれは意識を手放しそうになっているだけなのだが、混乱しているマリーにはその眼が二度と開かないように思えてしまった。
「いかないでよ……やめてよ……」
ただもう少し家族が欲しいと、それだけを願っただけなのに現実は家族を根こそぎ奪っていこうとする。それは嫌だと弱々しく拒否するが、“お姉ちゃん”の眼は完全に閉じてしまい──直後、見開いた。
「え……?」
先ほどまで満身創痍だったはずの“ターナ”は怪我など無かったかのように立ち上がる。そして何が起きたのか理解できていないマリーの頭を優しく撫で、笑いかけてから“男”と向かい合う。そんな、あれほど願ったはずの“お姉ちゃん”の無事な姿を見てもマリーは喜びを素直に感じることはできなかった。
理由は明白、“ターナ”から漂い始めた濃密な魔力と殺気だ。“男”に向けられた魔力はともかくして、殺気はあの優しかった“お姉ちゃん”が出せるものではない。それこそ、村を包囲している魔獣程度ならその気迫だけで殺せそうだった。
それは文字通りに感情の無い人形である“男”にも分かるのか、先ほどまでのただ相手を弄ぶ態度ではない、戦士として自由に使える左手一本を油断なく構える。それを見た瞬間、“ターナ”が飛び出した。
ただ垂れ流していただけの魔力を今は身に纏い、恐るべき速さで両者の距離を潰す。“男”の右肩が無事だったのなら、その動きすら反応してみせたかもしれない。だがそれは仮定に過ぎず、先ほどのお返しとばかりに放った“ターナ”の右の拳は“男”の頬からその身体を吹き飛ばす。
「っ!?」
口内を切り血を吐き出しながら吹き飛ぶ“男”は、さすがと言うべきか空中で体勢を立て直そうとし──それが成される前に壁に激突した。もちろん、民家の存在を失念していたわけでは無い。それは“ターナ”が魔法で生み出した氷の壁だ。
まともな受け身もとれずに激突した“男”が次なる行動へ即座に移れるはずがない。追いすがるように再び接近した“ターナ”は“男”の頭を叩きつぶそうと再び拳を振りかざした。
「はああぁぁぁ!!!」
少女の雄たけびが轟くと共に拳が振るわれ、何かが破裂する音と氷の割れる音がその響きに追加される。そして残った氷壁の残骸の中で“男”は左腕を半ばあたりから吹き飛ばされ、それでもまだ息をしていた。
“ターナ”の拳が頭に直撃する目前で左腕を盾代わりにしたのだ。自身の腕が時間を稼いでいる間に身体を逃がし、見事、生還にだけは成功していた。しかし驚くべきは“男”の回避方法では無く、“ターナ”の拳の威力か。
魔力を纏った一撃は人体の腕を吹き飛ばし、さらにはその背後にあった分厚い氷の壁さえも粉々に粉砕したのだからその規格外さが分かる。いくら衝撃を逃がす先が無かったとはいえ、生身の人間が出してよい破壊力では無かった。
両腕の機能が喪失し、満身創痍の身体で氷の中に倒れ伏す“男”はそれでも“ターナ”をにらみ続ける。右肩からと、吹き飛んだ左腕からの出血で“男”は何もせずとも長くは持たないはずだ。
これが男の本体であったのなら“ターナ”は最期まで苦しめさせるためにそれを選んでいた。だが、これは男の魔法で生み出された紛い物だ。そんなものには興味が無い“ターナ”は白く長い足を振り上げると、躊躇いなく振り下ろす。ぐしゃりと気持ちの悪い音を出しながら絶命した“男”の身体は、それと同時に魔力へと還っていった。
それは近くへ吹き飛んでいった左腕や、“ターナ”の全身を汚していた返り血にまで及び、魔法で生み出された氷までもが空気へ溶けるとそこには、今の一方的な戦闘を感じさせるものは何も残らない。
「本体は……今のうちに兄さんのかた、きを……」
戦いの余韻も感じさせずに“ターナ”は男の本体へ、アルフレッド達の元へ向かおうとする。だがいつの間にか身体に纏われていた魔力が激減しており、それを自覚した彼女は無念とばかりに顔を歪ませた。そして魔力が完全に消えるとその場へ倒れ伏す。
「お、お姉ちゃん!?」
今の戦いを唖然として見ていたマリーがようやく立ち上がり、倒れたターナの元へ駆け寄る。そこにはこの二週間で何度か見た寝顔で、静かな寝息を立てる銀色の少女しかいなかった。
戦闘描写が凄い難しい。どうしても短期決戦になってしまいます。




