第九話 シルバーアクセサリー
ヘンリエッタの銀細工ギルド、ホワイトムーンはアクセサリーを生成する作業場と、小さな商談スペースと簡易的な陳列台があるだけのシンプルなギルドだった。日用品を販売している雑貨ギルドなどと違い、在庫を抱えず依頼を受けてから商品を生産するいわゆるオーダーメイド販売を行っている為、店先に陳列しているのは見本となるサンプル品だけで、小さなテーブルを設置するだけで事足りるらしい。
「これは、めちゃくちゃ綺麗だな」
テーブルの脇に設置された簡易的な陳列台に載せられたシルバーアクセサリーを手にした瑛太は、ため息混じりでそう漏らした。
それは指輪タイプのシルバーアクセサリーだった。光にかざすと指輪の表面はまるで虹が指輪の中に閉じ込められているのかと思うほどに美しく色とりどりに輝いている。
「それが魔力が宿っている証拠じゃ」
物珍しそうに指輪を眺める瑛太にルゥがそう説明する。
「ちなみにこの指輪には何の魔術が入ってるの?」
「治癒魔術じゃな」
「治療魔術って、ルゥが使ってくれたあの傷を直す魔術?」
「そうじゃ」
へぇ、と感嘆の声を漏らし、指輪をまじまじと眺める瑛太。この世界で魔術を使えるのは魔人族と亜人族だとルゥは言っていた。魔術が使えれば問題ないけど、魔術が使えない請負人には、たしかにシルバーアクセサリーは必需人だな。でも、関係ないけど、ルゥって獣人族って言ってなかったっけ? 獣人族って魔術が使えない民族だった気がするけど。
「あまり物珍しそうにするでないぞ、瑛太」
代わる代わるシルバーアクセサリーのサンプルを眺めている瑛太にルゥがぽつりと囁く。
「お主は一応、神なのだからな」
「まぁ、この世界に久しぶりに来たって事にしてるから、大丈夫だとおもうけど……てか、それよりもさ、ルゥって獣人族なのになんで魔術使えるの?」
「なんじゃ急に」
「この世界で魔術を使えるのは魔人族と亜人族だけだって言ってたのに変だな、と思って」
神様だからって答えは無しだからね、と言いかけた瑛太だったが、ルゥから放たれた返答は予想通りの物だった。
「儂は神じゃからな」
ひねりも何もないルゥの返答にジト目で答える瑛太。
「な、なんじゃその目は。冗談ではないぞ。魔術とはこの世界の神々が創りあげた物で、魔人族や亜人族は儂らの血を引いておる故に、強力な魔力を持っておるのじゃ。故に儂も神に昇華する前は使えなんだ」
「……ん?」
また難しい話が始まったと聞き流しかけていた瑛太だったが、その言葉だけは聞き逃す事は無かった。
「ル、ルゥって、普通の人間から神様になったの!?」
「そうじゃ」
けろりと衝撃的な事実を告げるルゥに瑛太はぎょっと心臓が跳ね上がってしまった。普通って言うのが表現として合っているかどうか解かんないけど、普通は神様は神様として生まれて、ずっと神様のままなんじゃないの?
「いつ? いつ神様になったワケ?」
「んーと……忘れた」
まるでおもちゃ箱から玩具を漁っているかのように、右手を精一杯伸ばし、陳列台に乗せられた指輪を手に取りながらあっけらかんと答えるルゥ。
「いやいや、忘れたって、そんな衝撃的な事忘れたくても忘れらんないだろ、普通」
いや、でもさっき「数百年生きてる」って言ってたし、数百年も生きてたら昔のことは忘れちゃうんだろうか。そんな長生きしてないから全然想像できないけど。
「ほう、これは……」
と、呆けていた瑛太の耳に、ヘンリエッタのシルバーアクセサリーを手にしたルゥの驚嘆した声が飛び込んできた。
「どした?」
「瑛太、良い銀細工を作るに必要な要素は知っておるか?」
まじまじと指輪を見つめながらルゥはそう問いかける。
「なんだ、急に」
良いシルバーアクセサリーを作る為に必要な要素ってマーケティングじゃないよな絶対。
「良い銀細工を作るには二つの要素が必要になる。ひとつは作り手の魔力、もう一つは銀細工の素材である『銀粘土』の質じゃ」
「銀粘土って、指輪を作るための粘土?」
なんとなく聞いたことがある。シルバーアクセサリーを作るには、その粘土を使って形を整えてからオーブンとかで焼くんだよね、確か。
「そうじゃ。だが良いシルバーアクセサリーを作るには、銀粘土に含まれる純銀の質が良ければいいというわけでも、魔力が高ければ良いというわけでもない。必要なのはバランスなのじゃ」
「どっちがおろそかになっても良いシルバーアクセサリーは出来ない、って事?」
その問いにルゥは静かに頷く。
「通常、銀細工師がメンテナンスをしなければ銀細工に込められた魔術は次第に漏れだしてしまうものなのだが、この銀細工は魔術が漏れだす事なくしっかりと定着しておる。しかも高練度の魔術じゃ」
ルゥが精一杯腕を伸ばして陳列台へと優しく指輪を戻す。ぞんざいな扱いだった先ほどとは違い、高価な物を扱っているようなルゥの手つきにルゥが言っている事が冗談ではない事を感じた。
「つまり、ヘンリエッタさんのシルバーアクセサリーはそのバランスがよくて、とてつもなく良品だって事か」
「そうじゃ。ここまでの物は一流の銀細工師が集まる都市部へ行ってもなかなかお目にかかれるものでは無い」
商品の質はかなり良い、か。それって優れてるトコだと思うけど、問題は──
「ヘンリエッタさ~ん」
「はーい」
「この指輪って、おいくらで販売しているんですか?」
「ええっと、ちょっと待ってください」
今行きます、と作業場から放たれた声を追うように、ぱたぱたと軽快な足音が近づいてくる。現れたのは、作業着と言うべき物なのか所々ほつれてしまっているデニムのオーバーオールを着たヘンリエッタだった。可憐でありながらワイルドな空気を携えた、またひと味ちがう魅力を醸し出しているヘンリエッタに瑛太は思わず目を見張ってしまう。
「あ〜……ええっと……それは……銀貨二十五枚ですね」
「へぇ、銀貨二十五枚……って、高いの?
この世界のお金の価値が全く判らない為に、ルゥに小さく耳打ちしてしまう瑛太。
「高めじゃの。銀貨二十五枚あれば一週間は飲み食いできる」
「成る程。ヘンリエッタさんのシルバーアクセサリーは高めの金額設定、というわけか」
ものは良くても高価であれば買える人は限られてくる。駆け出しの請負人が多いエルトンならなおさらだ。
「しかし、この質の良さで銀貨二十五枚は激安じゃぞ? それに、ヘンリエッタは質を落とした安価な銀細工も販売していたと言っておっただろう」
「あ、そっか、そうだよね」
去った請負人を戻すためにアクセサリーの値段を彼らに見合った金額に変更するべきじゃないかと短絡的に考えてしまった瑛太だったが、その案を胸の中にそっとしまい込んだ。
「ルゥ様」
と、眉根を寄せながら悩む瑛太の耳を優しい声が撫でていった。傍らで瑛太をじっと見つめていたヘンリエッタだ。
「先ほど、私が話した質の落ちたアクセサリーの件、覚えていらっしゃいます?」
「ええ、駆け出し請負人向けに売りだしたアクセサリーですよね」
ルゥに言われるまで忘れちゃってたけど。
「はい。その商品の販売を中止したのは、実はバーバラ商会だけが原因じゃないんです」
「え?」
ヘンリエッタの言葉に瑛太は小さく首をかしげる。
「私、質の悪いアクセサリーを請負人の方たちに売りたくないんです。シルバーアクセサリーは彼らの必需品のひとつである『防具』以上に彼らの命を左右してしまうとても重要なアイテムですから」
「確かに」
それは先ほど魔術の直撃を受け、危うく命を落としかけてしまった瑛太には良く分かる話だった。治癒魔術が無かったら僕は間違いなく死んでたもんね。ぶっちゃけ、防具があまり良くなくても治癒魔術が付与されたシルバーアクセサリーがあれば大丈夫なんじゃないだろうか。
「いつも危険と隣り合わせな彼らに、中途半端なシルバーアクセサリーを売る事は私には出来ません。でも、もちろん私にも彼らに手持ちが無いことは良く判っていますから、最低限どの魔術を付与すべきか話し合いながらじっくり造ることにしているんです」
「成る程。安価で質が落ちたアクセサリーを売れない理由が判りました」
請負人たちの事を思うからこそ、手を抜いた商品は売れない。その事に瑛太は、ヘンリエッタが持つ指輪の煌きがよりいっそう美しくなったような気がしてしまった。
「ただひとつ……問題がありまして」
「……? なんですか?」
「素材費が高くついて、儲けが少なくなってしまうんです」
「はは、成る程」
それがギルドが傾いてる原因のひとつなんです、と小さく舌を出しおどけるヘンリエッタに瑛太は笑顔で答えた。なんとなく、ヘンリエッタさんがどんな人なのか判ったような気がする。周りを気にかけて、身を犠牲することもいとわない、優しい女性──
瑛太はヘンリエッタが死んだ母と向こうの世界に残してきた姉の茜に何処か似ていると思った。






