第六話 童貞言うな
「瑛太、お主童貞であろ?」
「ぶっ!!」
ルゥの口から放たれたその言葉に思わず瑛太は吹き出してしまった。
飾りっ気なく、質素ではあるものの優しい木の香りが漂う木組みの小さな部屋。その部屋に設置されたベッドの上に、瑛太は包帯ぐるぐる巻きの姿で居た。
「ななな、何をおっしゃいますか!」
そんなわけ無いと、慌てて否定する瑛太。だが、ルゥはベッドに頬杖をつきながらにやけた表情を浮かべ、細めた目で瑛太を見やる。
「これは質問ではないぞ。半ば確証に近い自信がある。何故ならお主にケイケンがあるならば、あそこまであの娘を怯えさせるわけが無いからじゃ!」
「……ふぐっ」
ケモミミ少女神にずばり言い当てられてしまった瑛太はぐうの音も出ない。
あの娘というのは、もちろんルゥが「ルーヴィク神殿に向かっている商人」と言っていたヘンリエッタの事だ。空から舞い降りた瑛太に商業神ルゥであることを名乗らせ、その流れでヘンリエッタが営む銀細工ギルド、ホワイトムーンに同行するという何も難しくも無い作戦を練っていたルゥだったが、瑛太が隠し持っていた潜在能力「童貞」によってその作戦は見事に打ち崩されてしまった。
「だが安心するのじゃ。奇しくもお主のソレのお陰でうまく行ったと言える」
「こうやってヘンリエッタさんの銀細工ギルドに来れたのが、逆に僕のソレのお陰だと?」
「うむ、そうじゃ」
結果から言えば、ルゥの作戦通りに事は進んでいた。退魔魔術をぶちかましたヘンリエッタが「ごめんなさい」と連呼しながら直ぐ様ホワイトムーンの二階に設けられたこの部屋に瑛太を運び込んだからだ。
「まことに童貞サマサマ……ぎゃ!」
褒めてるのか馬鹿にしているのか判らないセルフをルゥが言い放った瞬間、ルゥの両頬に激痛が走った。訳の分からない焦燥感に苛まれてしまった瑛太の指が、生意気なケモミミ少女神のほっぺたを抓り上げたのだ。
「な、何をする! 誰がお主の命を救ったと思うておるのじゃ!」
「いや、ほんと死んじゃうかと思いましたけどね」
ルゥの両頬をむにむにと伸ばしながら瑛太がため息混じりでそう零す。
虚弱体質の瑛太にとってヘンリエッタの退魔魔術は即死級の魔術であったが、一命を取り留めたのは他でもなく、ルゥが即座に発動させた治療魔術のお陰だった。
「おにゅし、そう思っておるにゃらこの手を離さぬは……」
顔を歪めながら、両頬を掴む瑛太の指を振りほどこうともがくが、瑛太はお構いなしにルゥの頬をびろんと伸ばしたり、ぐりぐりとこねたり、やりたい放題に攻め立てる。
「ええい、はにゃせっ!」
「あはは」
止めに入るルゥのその小さな手を器用に躱し、右に左にされるがままのルゥの姿にやっと溜飲が下がったのか、ようやく瑛太はぷっくりとした両頬を開放した。
「……この無礼者め。儂のほっぺを気安く抓りおって」
「いや、抓りやすそうな頬をお持ちでしたので、つい」
「神のほっぺを厚かましくも勝手に触れ、そして抓るなど、どんだけ罰当たりな奴なのじゃ! お主は!」
わなわなと身を震わせながら小さい鼻に皺を寄せ、仕返しだと言わんばかりに瑛太に飛びかかるルゥ。だが、いくら神であろうとも、物理的な身体の大きさはいかんともしがたく、瑛太に頭を押さえられたルゥはそのまま空中でばたばたと暴れるだけだ。
そして、しばらく無謀な挑戦を続けたルゥは、はたと我に返るように瑛太への報復攻撃を中止すると、ベッドの上にぺたりと座りこんだ。
「……よ、余興はこれくらいにして、これからの事について話そうではないか」
「え? ……あ、はい」
乱れた髪を整えながら悔しそうに吐き捨てるルゥに瑛太は目をぱちくりとさせながらも特にツッコミは入れない事にした。
「まずは確保するべきは宿じゃ。この部屋をいっときの住処として使わせてもらえるようにヘンリエッタに頼もうと思う」
「宿に? ここを?」
意外な所から入ってきた話題に瑛太はきょとんと目を丸くした。ホワイトムーンを立て直すにあたり、兎にも角にも、ルゥがまず懸念していたのは拠点となるべき「宿」だった。
「ここを宿代わりに使うことができれば願ったり叶ったりだけど恩着せがましくね?」
「金もツテも無い以上はやむを得んじゃろう。それにお主も魔獣がうようよしておる中で野宿したくはあるまい?」
「……魔獣って……何さ?」
その言葉に瑛太の脳裏に何か嫌な予感が過る。
「その名の通り、人間に害なす凶暴な獣達の総称じゃ。魔力を持った個体もある故に魔獣と呼ばれておる。まぁ、人間達にとってはそこはかとなく危険な存在じゃの」
「無理です!」
儂は別に構わんのじゃが、といたずらっぽく笑うルゥに瑛太は慌てて「ココが良いです」と何度も頷く。そんな場所で野宿したら生きて朝を迎える自信は皆無です。
「で、あろう? お主の身の安全の為にも、ホワイトムーンを救う為にも、ここを使わせてもらうのが一番なのじゃ」
「確かにそうですけど……解決すべき根本的な問題があるでしょ?」
相変わらず瑛太の心の中に渦巻いていたのは、最初から引っかかっている心配事だった。
「そもそも僕にヘンリエッタさんのお店を立て直す力なんて無いからね? 何度も言いましたけども」
無理やり連れてこられたけど、ニートな僕に彼女を助ける事ができるとは到底思えない。
怪訝な表情でそう言い放つ瑛太だったが、一方のルゥも怪訝な表情を返す。
「その事は大丈夫だと何度も言うとるだろう。鈍くさいお主が気づいとらんだけで、その術はしっかりお主の中にあるはずじゃ」
「良くわからないけど、しれっと僕の事馬鹿にしてない?」
「気のせいじゃ」
自信満々に答えるルゥに瑛太は深い溜息を漏らしてしまった。
本人が無いと言っているのに、なぜそんなにはっきりと断言できるのか不思議でならない。ルゥはどうも僕が比留間家の人間だというだけで、異世界を救うスーパーヒーローだと勘違いしているんじゃないだろうか。
「あのさ、ちょっと気になったんだけど、ルゥって僕を凄~く買いかぶってない?」
「む? 買いかぶっている? 儂がか?」
そう問いかけるルゥに、首がもげてしまうかと思うほど瑛太が深く頷く。
「いや、出会った時は確かにどこか根性のある男だと買いかぶっておったが、直ぐに理解出来た。お主はどうしようもないグータラなダメ男だとな」
「なっ!?」
ついでに童貞じゃ、と続けるルゥに瑛太の眉間にぴきりと青筋が立つ。
仰ることは全て当たっていますけど、そこまで躊躇なく言い放ちますかあなたは。
「だがな瑛太、儂には判るのじゃ。グータラでもお主の中にしっかりと見えておる」
「見えてるって……何が?」
「比留間一族独特の力じゃ。かつて、種族として劣る人間族が生き残る為に自ら作り出した経済と同じように、比留間一族の知略がお主の中に確実にある」
そう言い放つルゥだったが、瑛太はもう一度重い溜息で答えた。
「いやさ、だからそれが買いかぶりだって言ってるんだよ。僕は只のグータラでどうしようもないダメ男なんだから」
自ら心の中で攻め立て、勝手にどんよりとした重苦しい空気を纏ってしまう瑛太。
だが、ルゥは変わらず、何かを見据えたような眼差しを瑛太に投げかけたまま続ける。
「それだけではないぞ瑛太。儂の目にはもうひとつ、お主の中に見えている物がある」
「まだ言いますか」
僕をのせようとしたって無駄ですから、と瑛太は辟易としてしまうが、真面目な表情で見つめるルゥに頭を掻きながらバツが悪そうに返した。
「……んで? 何が見えてんスか?」
「うむ、それはな……こう……そうじゃな。なんというか……」
見えているその「何か」が上手く言葉に表現出来ないのか、それとも何も見えていないのか、ルゥは身振り手振りを加えながらうんうん唸りだしてしまった。
「ほらー! 何も見えてない!」
「たわけっ! 言葉では言い表わせぬだけじゃ! 何かこう、お主の中にふわふわっとした物が見えるのじゃ!」
両手の指を使い、そのふわふわを一生懸命表現するルゥ。
なんじゃそりゃ。なんかテキトーな事言ってるくさいぞ、この神様。
「……やっぱり僕帰ります」
「ふわッ!? 何故そうなるのじゃ!? 馬鹿かお主は! もう、馬鹿っ!」
この潔さゼロの軟弱者め、と喚きながらルゥはベッドの上に仁王立ちすると瑛太のネクタイを鷲掴みにしてこねくり回し始める。
「主の股間にはナニが付いとらんのかッ!!」
「うわっ、何!? いきなり下ネタ!?」
顔を真っ赤にして激昂しているルゥに、その勢いで股間を蹴り上げられると思った瑛太はすかさず股間を両手でガードした。
「お、押さえるでない汚らわしい! いつまでもグジグジと女々しい奴めッ!」
「いや、だって、僕が無いって言ってんだから、無いでしょ!」
「無い言うから無いのじゃ! 馬鹿!」
訳の分からない持論を展開するルゥと頑なに無いと言いはる瑛太。もはやお約束と化している、醜い喚き合いを始めるふたり。
そして、二人の喚き合いがヒートアップして来たその時だった。
彼らの声を遮るように部屋に響き渡ったのは、扉を開く悲しげな軋み音。
そして、その軋み音を追うように、呆れたような声が広がっていった。
「なんだ、めちゃ元気じゃないか」
その声に瑛太とルゥのわめき声がぴたりと止まった。ゆっくりと部屋の入り口に視線を移したルゥと瑛太の目に写ったのは、ひとりの少年だった。
歳にして十五、六歳程だろうか。一瞬女性かと思ってしまうほどにすらりと整った中性的な顔立ちに、黄金色に輝くくせっ毛のブロンドヘアーと、ヘンリエッタのそれと同じ、細長く尖った耳を持った少年。
「だ、誰?」
「マルクスじゃ」
「え、マルクス……ってルゥが言ってた、ヘンリエッタさんの弟さん?」
事前にルゥからヘンリエッタの弟について聞いていた瑛太だったが、実際に現れたヘンリエッタの弟マルクスの姿に瑛太は驚きを隠せなかった。お姉さんもそうだけどなんという美形か。きっと性格も良いに違いない。見た目と性格は比例するって言うもんね。
「あんた、本当に神様?」
「へっ?」
「姉ちゃんから聞いたんだけど、神様っつー位だから強そうな奴かと思ったら、モヤシみたいにめちゃ弱そうな奴だな」
しげしげと瑛太の顔を見つめながら真面目にそう零すマルクス。
その言葉にまたしても瑛太の眉間に筋が走ってしまった。
仰るとおり僕は風が吹けば吹き飛んでしまうほど貧弱な男だけど、初対面でなんという失敬な事をいうやつか。性格は良いはずだと言ったさっきの発言は謹んで撤回いたします。
「確かにお姿は頼りないですが、侮らないでください」
思わず言い返そうとした瑛太の言葉を品が良い女性の声が遮った。その声の主は、さきほどまで下ネタを放っていたとは思えない、淑やかな空気を放っているルゥだった。
「この御方は正真正銘、ルーヴィク神殿に祀られている商業神様の化身ですよ」
「ル、ルゥ?」
困惑したような視線を投げかける瑛太に「任せて」とルゥが小さく頷き返す。
「化身? 神様が人の姿で現れた、って事?」
「はい。人の姿で降臨せねば神と人は話すことすら出来ませんから」
「あー、そういえば昔、爺ちゃんが神様は地上に来る時は人の姿で現れるって言ってたな」
何か心当たりがあるのか、訝しげな表情を浮かべていたマルクスの表情がふと和らいだ。
普通であれば「自分は神様です」って言っても、頭がおかしくなった可哀想な人だと鼻で笑われると思うんだけど、マルクス君の反応を見る限りこの世界の人達にとって神様は多少身近な存在のように感じる。
「そうか、だから姉ちゃんの退魔魔術で瀕死になっちゃったわけか」
納得した、と頷くマルクス。
そしてマルクスは片手に持っていた皿をそっとベッドの脇に設置されていたテーブルへ置いた。何やら丸いお菓子のようなものが載せられた皿。その皿に乗せられたそれが小さなクッキーである事に最初に気がついたのは瑛太ではなく、ルゥだった。
「うほっ!」
皿に乗せられたクッキーを見て、思わず瞳をきらきらさせながら歓声を上げてしまう。
「アレ、何?」
「あれはクッキーじゃ! 大好物のビートクッキー!」
「ビート……クッキー?」
聞いたことも無い名前に首を傾げる瑛太。だが、もぞもぞとスカートの中に隠した尻尾を振りながら、すっかり両目がクッキーの形になってしまっているルゥの神の威厳ゼロの緩んだ表情に、その見知らぬクッキーがケモミミ少女神の好物であることが直ぐに判った。
「いいい、いただきますっ!」
「あ、ちょっと待って」
「ぐえ」
ルゥがその皿に乗せられたクッキーに飛びつこうと跳躍した瞬間、突然後ろからフードの裾を捕まれる形になってしまったルゥは押しつぶされたような悲鳴を上げる。
「な、何をするか!」
「あ、ごめん。だけど、そこで真っ先にルゥが飛びついたらまずいかな、と思って」
この場では商業神ルゥとは僕の事であって、このクッキーに飛びつくべきはルゥではなく僕なんじゃなかろうか。だが、瑛太のそんな心配が全く耳に届いていないルゥは離さぬかと手足をばたつかせ、必死に腕をクッキーへと伸ばす。
そして、案の定、瑛太の懸念は現実になってしまった。
「なんで商業神じゃなくてあんたがビートクッキーに飛びつくワケ?」
「……あ」
放たれたマルクスの声に、口に出さずともやってしまったと、神妙な表情を浮かべるルゥに瑛太はほらみたことかと冷ややかな視線を送る。
「ま、どうでもいいけど、甜菜もカシューナッツも手に入りにくくなってるから、あるのはそっちの商業神の分だけだぞ」
「なんですと!?」
衝撃的な事実にショックを受けたルゥは、瑛太にフードを掴まれたままぐったりと項垂れてしまった。そのあまりにも酷いヘコミ具合に、冷ややかな視線を放っていた瑛太にも流石に焦りの色が浮かぶ。
「いや、そんなにヘコまないでよ。僕が商業神じゃないって事バレちゃうじゃない」
「うう、確かにそうじゃが……儂の分が無いと言うておるのじゃぞ?」
うるうるとした瞳で瑛太を見つめるルゥの姿は何処からどう見てもお菓子をおあずけされた少女の姿だった。それほどこのクッキーが大好物だったんですか、あなた。
「ひとつしか無いけどそれでも食って待っててよ。直ぐ姉ちゃん連れてくるから」
僻むルゥを気にするわけでもなく、マルクスは部屋を後にする。
部屋に残されたのは絶望にうちひしがれ、悲しげな表情を浮かべるルゥと、ため息を漏らす瑛太。そして皿に乗っている一枚のビートクッキー。形は多少悪いものの、美味しそうなクッキーだ。
「んじゃまぁ、いただこうかな」
「あっ……待って!」
「なな、何スか?」
瑛太がビートクッキーに手をのばした瞬間、その腕をがっしりとルゥの両手が掴んだ。
「確かに今、商業神とはお主の事じゃ。だが……だがのう瑛太、このクッキーは元々は儂への貢物なのじゃぞ?」
「あぁ、言われれば、確かにそうスね」
ルゥが言うとおり、このクッキーは商業神様への貢物だろう。つまりこれは僕へ出された物ではなく、おあずけされてるこのケモミミ少女神へ出されたクッキーだということだ。
彼女のプライドが許さないのか、直接は口にせずとも「儂が食べたい」と語っているルゥの視線をびしばしと受けながら、瑛太は別にそこまで興味があるわけではなかったクッキーをルゥにあげても良いかと考え始める。だが──
「……ん? ちょっとまてよ」
瑛太は思わず不敵な笑みを浮かべた。瑛太のその笑みは、ひとくせもふたくせもある性悪なケモミミ少女神の弱点を発見したという、勝利と歓喜に満ちた悪どい笑みだった。
「あ~、でもほら、マルクス君もルゥの分は無いって言ってたし。う~ん、ルゥには可愛そうだけど、やっぱりこれは僕が」
「えっ、あっ……嘘……」
しがみつくルゥをあざ笑うかのように、逆の手でひょいとクッキーを摘む瑛太。その手を追いかけるルゥの物欲しそうな表情は、とても神様とは思えない愛嬌のある表情だった。
「……ん? ひょっとして、これ、食べたい?」
「ふぐ……お主、ここぞとばかりに儂をおちょくっておらぬか?」
にやにやと笑みを浮かべる瑛太に、ぐぬぬと頬を膨らますルゥ。
未だにプライドが邪魔しているのかその言葉を口にしないが、ルゥの口の端から、よだれがこぼれかけているのが瑛太にははっきりと判った。
「ま、食べたくないのなら、遠慮なく頂きますね」
「……ッ! ま、待って」
頂きます、とあんぐりと開いた瑛太の口の中にクッキーが滑りこみかけた瞬間、いよいよ折れてしまったルゥの悲しげな声が小さな部屋に響き渡った。
簡単に折れたな、と勝利に満ちた目でルゥを見下ろす瑛太だったが、その目に映ったルゥの姿に、周囲の時間は停止してしまった。
「……欲しい……」
「え?」
「瑛太のソレ、欲しいの……」
狐につままれたとはまさにこの事だ。
瑛太の目に飛び込んできたのは、上目遣いで潤んだ瞳を携えながら、物欲しそうに懇願するルゥの姿。人差し指を唇にあてがいながら懇願するルゥのその姿は、先程までと同じ少女だとは思えないほどに妖しく、思わず頬が上気してしまうほどの艶やかさがあった。
「瑛太のソレ、頂戴?」
「なっ、ななな」
情けなく口を半開きにしたまま、瑛太は言葉とは取れないうめき声を上げる。
潤んだ瞳でじっと見つめるルゥにすぐさま瑛太の思考回路は限界に達してしまった。
そして人とはそういった時に本性が現れる悲しい生き物なのである。
「……はい」
「むぐっ」
思考がパンクしてしまった瑛太は、頬を紅潮させながら、ビートクッキーをルゥの口の中へと押し込んでしまった。突然クッキーを押し込まれたルゥは一瞬きょとんとするものの、次第ににんまりと目を細めながら、嬉しそうにもくもくとクッキーを頬張り始める。
「ふふふ、単純な男じゃの、お主は」
石像のように硬直してしまっている瑛太をあざ笑うかのように、してやったりという表情を浮かべるルゥ。
「ありがとう瑛太。私、瑛太の愛を感じたヨ」
ニヤニヤと邪な笑みを浮かべながら、わざとらしくしおらしい撫で声を放つルゥに瑛太は直感した。さっきの表情はこの性悪小悪魔狐娘の小狡い作戦だったのか、と。
「かっ、神様の癖に人を騙すようなマネを……ッ!」
「ふふ、伊達に数百年生きておるワケではないでの。にしても簡単な色気にひっかかるとは、童貞とは誠に扱いやすい生き物じゃの」
「ど、童貞言うなっ!」
「ふむ、怒るということはやはり身に覚えがあるという事じゃな。いや、恥ずかしがる事は無いぞ。最初というのは誰にでもあるものじゃ」
自分をおちょくったお礼だと言わんばかりに反撃に転じるルゥ。だが、すぐにルゥは調子に乗ってしまったと後悔することになった。
「ただ、悲しいかな、お主はそれがほんの少し遅いだけ……あたっ! いだだだっ!」
哀れな狐の神様に「天罰」が下された。饒舌に話すルゥのふっくらとしたつまみやすい両頬を、瑛太の両手が再び抓り上げたのだ。
「こりゃ、儂は神じゃぞ! 何度も何度もつねるでな……いたっ、ごめんなさいやめて」
「もう騙されねぇ!! そしてお前は神じゃなくて、小・悪・魔だっ!!」
ぐにぐにとほっぺたをこねくり回す瑛太とその手を引き剥がそうと必死にもがくルゥ。
彼らの醜いやりとりは、家主であるヘンリエッタが現れるまで続いた。