第三話 異世界の危機は想像と違う
「命を救え? 神様である、あなたの?」
「そうじゃ」
念の為もう一度確認する瑛太に狐の神様はさらりと返事を返す。まるでコンビニで買ってくるお昼ごはんの内容を確認したかのように軽々と返事を返す狐の神様に瑛太は思わず頬が引きつってしまった。
「それは無理じゃないスかね?」
「えっ? む、無理ではないぞ!」
やる前から諦めるでないと、どこぞの熱い元スポーツ選手のような事を言い放つ狐の神様。だが、瑛太にはどう考えても到底ムリなお願いにしか聞こえなかった。
「お主は比留間一族なのじゃ。知略に長ける比留間一族であるなら……出来るはず……」
先ほどの剣幕とはうって代わり、何処か心配げに語りかけ始めた狐の神様に思わず瑛太の胸がきゅうと締め付けられてしまった。そして瑛太の心を支配するのは「やってあげなきゃ凄く悪い気がする」という罪悪感。瑛太は押しにめっぽう弱い男なのだ。
「……と、とりあえずいくつか質問いいスか?」
「構わぬぞ」
なんでも聞くが良い、と狐の神様はノズルを深く下ろす。
「あなたは神様なんスよね? 神様でも命の危機ってあるんスか?」
神様って人間の常識を超越した存在で、命の危機とは最も遠い存在の筈だと思うけど。
「うーむ、どこから説明するべきか悩むのう。どうもお主は比留間一族でありながらそれほど賢い訳ではなさそうだからの」
ぽつりとつぶやいたその言葉に、何か引っかかるものを感じてしまった瑛太だったが、気にする様子もなく、狐の神様は続ける。
「儂の住む世界は『グランドルーフ』と呼ばれている世界で、お主らの世界とは異なる世界、いわゆる『異世界』なのだが……」
「い、異世界!?」
狐の神様の口から突然飛び出したファンタジーな単語に、瑛太は後頭部をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けてしまった。
「ちょっとまって、異世界って魔法とかがあるような世界スか?」
「そうだが、魔術は特に珍しくもあるまい?」
「いや、魔法って、あの……あれッスよね? 手のひらから炎を出したり、空飛んだり」
身振り手振りを加え、自分なりに魔法を表現する瑛太。
そんな瑛太の姿を「何をやっとるんじゃ」と呆れた視線を送っていた狐の神様だったが、ふと我に返るように大切な事を思い起こした。
「あ……そうか、お主の世界には魔術は存在せぬのだったな」
すっかり忘れておったわと狐の神様がケラケラと笑う。苛立ちを覚えてしまった瑛太は、このまま撫で倒してやろうかと奥歯がむずむずとうずいてしまった。
「儂が住まう世界、グランドルーフはいくつも問題を抱えておる。その危機が儂の由々しき事態と関係しておるのじゃ」
魔法がある異世界での問題。その言葉を聞いて、瑛太の脳裏には期待感とともにいくつもの「異世界の危機」のビジョンが浮かんだ。
強大な力を持つ魔王とか、悪魔とか──
「まさか、それって……」
「そうじゃ、今グランドルーフが抱えている問題は──経済なのじゃ」
「やっぱり……って、え? 何? 経済?」
壮大な肩透かしを喰らった瑛太は思わずずっこけてしまいそうになった。
なんだそりゃ。経済の危機って僕達の世界と変わらないじゃないか。
「異世界の危機って言ったら、魔王が世界を征服するために動き出したとか、そんなんだと思ってましたけど」
ほら、ゲームとか漫画でよくあるような。
魔法がある世界なら尚更おあつらえ向きな危機じゃないスか。
「確かに最初の経済危機をきっかけに、魔王が世界を我が物にせんと人間族に戦いを挑んだ戦争があったのじゃが、だいぶ前に終わっておる」
「え……マジスか? 魔王、居るんスか? というか、もう倒されちゃったんスか、魔王」
冗談半分で言ったのに。マジで魔王とか居たんだ。異世界って。
「なのだが、今グランドルーフが抱える経済危機は、その戦争よりも人々を苦しめておる。戦後、経済が復興し、複雑怪奇になった経済システムがそれに拍車をかけておるのじゃ」
「はぁ」
気の抜けた返事を瑛太が零す。円滑に経済を回す為に作った仕組みが逆に足かせになってしまうことがある、って父さんが言ってたっけ。
「それで、その不況が神様の危機とどう関係しているんスか?」
「どう関係しているも無い。その経済危機が儂の命を脅かしておるのじゃ」
「えーと……よく解かんないス」
いまいち話が飲み込めない瑛太は小さく首をかしげてしまう。不況と神様の命の危機。どう考えてもつながらない。
「後は儂の正体を知れば合点がいく」
そういって狐の神様は、右手で軽く自分の頭を撫でると、ぴょんと小さく跳躍した。
そして器用に二本の足で直立したと思った次の瞬間、ぼふん、とどこからともなく乳白色の煙が舞い上がる。
「わっ!」
瑛太の頬を撫でていく、もわりと湧き上がった煙。その煙の香りなのか、どうも芳しい甘い香りが辺りに広がっていった、その時だ。先ほどまで狐の神様が立っていた場所に、あきらかに狐のそれとは違う影が浮かび上がった。
袖にフリルがついたワインレッドのフード付きクラシカルガーリーワンピースに、膝まで届こうかと言うほどの長く美しい銀色の髪を持った少女の姿。特徴的なのは、そのシルバーヘアの頭頂部に見える二つの獣耳と、ワンピースの下から覗く立派な白銀の尻尾。
「ななな……!?」
目を白黒させたまま、瑛太はその場にたちすくんでしまう。瑛太の目の前に現れたのは、美しい少女──それも半獣の少女だった。
「驚いたか。ふふん、驚いたであろうそうであろう」
「その声……まさか、さっきの狐の神様スか?」
「そうじゃ、儂じゃ。美しいであろう」
神様とはこうでなくてはいかん、とくるりと回ってみせる少女。
その風に乗って、ワンピースのスカートがふわりと宙を舞い、その長い髪が円を描くように少女の身体に絡みつく。目の前に広がる信じられない光景に瑛太は自分の頬を抓るも、頬から放たれた痛みがこれが現実であることを瑛太に知らせる。
「さて、自己紹介じゃな」
半獣の少女がくるりと舞っていたスカートと美しい銀の髪が元の場所へと戻るのを待った後、わざとらしくスカートの端を摘むと小さくお辞儀をした。
「儂の名はルゥ。ルーヴィク神殿に祀られている五穀豊穣商売繁盛を司る獣人族の神、商業神ルゥじゃ」